Kagaku to Seibutsu 64(1): 1 (2026)
巻頭言
昭和100年に寄せて—研究現場の変遷を振り返って
Published: 2026-01-01
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令和7年は昭和100年にあたるため,時代の変遷を辿るような新聞記事やテレビ番組をよく目にした.学生時代から30年以上が経ち,その間に実に様々なものが進化したと感じる.
私が学部4回生で研究室に所属した1990年代後半は,パソコンが本格的に普及し始めた頃で,そういうものに疎かった私は,研究室に配属された時に,先輩方がMacintoshのPCを使いこなしているのを見て,すごい機械があるものだと感動した.キーボードに手が当たってしまい,スクリーンセーバーが解除され画面が消えてしまった時は,何か変な操作をしてしまったのではないかと焦った記憶も残っている.また,パソコンがあったとはいえ,論文検索を片手間に行うことはできず,検索はパソコンではなく論文タイトルが列挙されたCurrent Contentsの冊子に頼っていた.その中から必要な論文を見付け出し,雑誌名などをメモした上で,図書館に出向き,棚を探して本を引っ張り出し,目的の論文をコピーしていた.自転車で10分ほどの距離にある医学部図書館までコピーに行った時などには,一仕事したような満足感を覚えたものである.論文投稿も地道な作業であった.私が筆頭著者として最初に論文を投稿した時は,ウェスタンブロットのフィルムや細胞の染色写真を近くの写真屋さんに論文投稿用として取り直してもらい,それを枠に合うように切り取って各Figureに貼り付けて,図を完成させていた.Referencesも一つ一つ手打ちで行っていたため,スペルミスをしてしまい,最初の投稿の時に,査読者から怒られたこともよく覚えている(2019年にノーベル生理学・医学賞を受賞したSemenza博士のスペルをSemennzaとしていた).いざ,完成した論文は,3部印刷して,郵送にて投稿していたが,郵便局で発送する時は,本当に緊張した.海外に届くのにまず時間がかかることもあり,査読の期間も今と比べて格段に長かったように思う.査読の結果は,当時指導していただいていた先生の,「アメリカの金曜日の夜にFAXが送信されるから,大体土曜日の朝にFAXで届く」という言葉を聞いて,土曜日の朝早くに研究室に行って,ドキドキしながらFAXの受信を確認したのも良い思い出である.科学研究費の申請も,現在はすべてネット上で完結するが,昔は学生も総動員され,研究室総出で,研究費ごとに指定の色のマジックで線を引いたり糊付けをしたりするなど一大イベントであった.学生だった私などは,当然申請書の1文字も書いていないのだが,皆でわいわいと申請書の仕上げを手伝う過程を経て,研究費の獲得に貢献しているような気になったものだ.また,実験にしても,今は市販品を購入することが多くなっている培養細胞用培養液だが,以前は全て自分たちで粉を溶かして作成していた.培地引きセットと呼んでいた大きなガラスの吸引濾過滅菌装置をオートクレーブにかけるところから始まり,一苦労な作業であった.
このように振り返ると,技術が進化し,時間をかけずに多くのことができるようになったことを喜ばしく思う反面,研究成果を出すために必要となる物理的なウェイトが変わってしまった分,喜びの感じ方が変わってきたように思う.また,データを出すために必要であった人との関わりが減っているようにも思い,どこか寂しくも感じる.
ここ数年で,AIが急速に進化し,これからもまた更に新しいものが見出されていくことだろう.今の時代を振り返って懐かしいと思う未来は,どんな世界になっているのだろうか.ChatGPTを使ってこの文章の誤字脱字を確認しながら,過去と未来に想いを馳せている.