Kagaku to Seibutsu 64(2): 102-106 (2026)
プロダクトイノベーション
涙のでないタマネギ『スマイルボール』とその関連技術の開発
タマネギが人を泣かせる仕組みの発見と涙のでないタマネギの開発
Published: 2026-03-01
© 2026 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2026 公益社団法人日本農芸化学会
タマネギ(Allium cepa L.)はネギ属に分類され,その起源は中央アジアと言われている.タマネギの歴史は非常に古く,5,000年前の古代エジプト時代から栽培,消費されてきたことが記録されている.タマネギの最大の特徴は,催涙性や舌が焼けるような辛みと特有の香味である.この特徴は多くの国で調理に活用され,タマネギは世界中で栽培される野菜の一つとなっている.年間生産量はトマトに次いで世界第2位のおおよそ1億1000万トンであり,日本では約120万トンが生産されている(1, 2)1) FAOSTAT: Food and Agriculture Organization, http://www.fao.org/faostat/en/#home at 2022/08/102) 農林水産省:野菜をめぐる情勢 令和7年4月,https://www.maff.go.jp/tohoku/seisan/yasai/attach/pdf/index-14.pdf.ここでは私たちがこれまで進めてきたタマネギ研究の取り組みについて「催涙因子合成酵素(Lachrymatory Factor Synthase: LFS)の発見から涙のでないタマネギの作出」を中心にその関連技術の開発について述べる.
タマネギから連想される特徴は何かと質問すると,多くの人が「催涙性」と答える.また,「催涙性のある野菜として思い浮かぶものは何か?」と聞けば,やはり多くの人は「タマネギ」と答える.タマネギの催涙性は人々に広く認知されており,半世紀以上前から,色々な研究が行われて来た.しかしながら,催涙成分(Lachrymatory Factor: LF)が,元々タマネギ中に存在するものではなく,タマネギの組織や細胞が破砕されたことによって初めて生成されるものだということはそれほど知られていない.タマネギを切ると,タマネギ中に豊富に含まれる含硫化合物であるtrans-1-propenyl-L-cysteine sulfoxide(PRENCSO)がアリイナーゼによって分解されて生じる1-propene-1-sulfenic acid(PSA)を経て,催涙・辛み成分であるLFが生成される.アリイナーゼ分解後の反応,すなわち,PSAからLFへの変換は,長い間,非酵素的に進むとされてきた.しかし,後述する食品製造時のトラブル対応における研究をきっかけとして,催涙因子合成酵素(Lachrymatory Factor Synthase: LFS)というもう一つの酵素が関与していることが明らかになった(図1図1■タマネギの催涙成分生成経路)(3)3) S. Imai, N. Tsuge, M. Tomotake, Y. Nagatome, H. Sawada, T. Nagata & H. Kumagai: Nature, 419, 685 (2002)..
この研究のきっかけは,レトルトカレーの製造工程でのトラブルであった.レトルトカレーの製造では,タマネギとニンニクを炒め炒煎物を作る工程がある.通常,この工程では,きつね色の炒煎物が得られるが,これが緑色になってしまう現象(緑変)が観察された(図2図2■タマネギとニンニクを混合加熱した際の緑変現象).
この変色した炒煎物は,色だけでなく,風味も通常の炒煎物とは異なるため,製品原料としては利用できず,廃棄することになってしまった.そこで,この緑変がどのような機構で発生するのかを科学的に解明する研究を開始した.その結果,緑変現象には,タマネギ中のPRENCSO,ニンニク中のAlliin,これらを分解する酵素アリイナーゼ,アミノ酸の4つの成分が関与することを明らかにし,緑変の発生を防止する根本的な解決策をたてることができた(4, 5)4) S. Imai, K. Akita, M. Tomotake & H. Sawada: J. Agric. Food Chem., 54, 843 (2006).5) S. Imai, K. Akita, M. Tomotake & H. Sawada: J. Agric. Food Chem., 54, 848 (2006)..
しかしながら,その研究の過程で,実験に用いていた粗精製アリイナーゼがタマネギ由来である場合,ニンニク由来である時よりも常に緑変色素の量が少なくなることに気が付いた.この気づきをもとに検討を進めた結果,PRENCSOをタマネギ由来のアリイナーゼ(粗精製物)で分解すると,催涙成分が検出されたのに対し,PRENCSOをニンニク由来アリイナーゼ(粗精製物)や,単一に精製したタマネギ由来のアリイナーゼで分解した場合には催涙成分は全く検出されないことが判明した(図3図3■粗精製アリイナーゼの由来と催涙成分の関係).
PRENCSOをアリイナーゼで分解すると催涙成分が生成するということが当時は定説になっていたが,得られた実験結果から,定説が間違いであることと,PRENCSOから催涙成分を生成するには,アリイナーゼ以外の別の成分が必要であり,その成分はタマネギ由来のアリイナーゼ(粗精製物)に含まれていることが分かった.またタマネギ由来のアリイナーゼ(粗精製物)でPRENCSOを分解すると,分解物の一部が催涙成分になってしまったため,色素中間体の量はその分減っていたことが,色素生成量の違いの原因であることも判明した.その後,私たちは,タマネギ由来のアリイナーゼ(粗精製物)から催涙成分を生成する成分の精製を行い,催涙因子合成酵素(LFS)と命名した新しい酵素を発見した.
次に,この発見を論文として発表する事にした.研究していた自分達が結果に驚いたほどだから,他の研究者も驚いてくれるのではないかという期待と,一生に一度位は,皆が憧れる一流誌に投稿してみたいという思いから,Natureに投稿した.しかし,翌朝にはNatureの編集者から,「残念な事にあなたの投稿ファイルには,原稿が付いていなかったので,この返信メールに原稿を添付して下さい」との連絡を受けた.投稿時に興奮し過ぎていたため,原稿をアップし忘れたようだった.そして,この時点で「掲載は不可」といわれた気がした.しかし,それから3日後にまた編集者からメールが届き,「Letter to Natureには掲載できないが,短いBrief communicationなら掲載可能であることや,もし,この提案に合意するのであれば,原稿の書き換えも指導してくれる」と書いてあった.そして2002年の10月,私たちの論文がNatureに掲載された.たった1ページの論文であったが,世界中の色々な所から,問い合わせや,反論や,共同研究の申し込みが一挙に押し寄せた.そして,「催涙成分を生成しないタマネギは通常通り育つのか?」という意見・懸念をもつ人が多い事がわかった.そこで次に,催涙成分を生成しないタマネギの作出を目指すことにした.
LFSの発見により,非酵素的に進行するために制御できないと考えられていたLF生成が特異的な遺伝子(アリイナーゼ,LFS)によって制御されていることが明らかとなった.それは,突然変異誘発,古典的な育種といった手段を用いることで催涙性を示さない「涙のでないタマネギ」作出の可能性を示唆した.そこで私たちは,非遺伝子組み換えアプローチによる作出を目指して,当時,すでに多くの成功事例が報告されていた重イオンビームによる突然変異誘発を理化学研究所にご協力いただき進めた.具体的には,ネオンイオンビームを照射したタマネギ乾燥種子群を出発材料として,照射種子からのタマネギ球栽培,収穫タマネギ球集団からの目的個体の選抜,選抜個体からの採種,その後代の栽培・選抜・採種を繰り返した.たとえば,花の色,草丈など外観の異なる変異体であれば,栽培集団からの選抜は比較的容易である.しかしながら,涙のでない形質は外から観察しても違いを見いだすことができない.したがって,目的個体の選抜は,収穫したすべてのタマネギの成分変化や遺伝子の働きを調べていくという気の長い過程であった.過去からのタマネギ研究の技術蓄積をベースにした効率的で論理的な判定法を確立できたことが成功のカギになったと考えている.このような選抜・育種を続けた結果,4世代目に2系統の涙のでないタマネギの作出に成功した.これら系統を解析した結果,催涙成分の生成に関与する3つの成分(PRENCSO,アリイナーゼ,LFS)のうち,主要なアリイナーゼ遺伝子が欠損していることが判明した.タマネギのアリイナーゼはmulti copy geneであるが,高発現している1つの主要なアリイナーゼが存在し,それを欠損させることで,涙のでない,辛みのない形質を持ったタマネギができたのである(6)6) M. Kato, N. Masamura, J. Shono, D. Okamoto, T. Abe & S. Imai: Sci. Rep., 6, 23779 (2016)..辛みの弱いタマネギは,水分量が高くタマネギ中のPRENCSO量が少ない品種やPRENCSO含有量を低く抑えるために施肥条件を工夫して栽培したタマネギがある.しかしながら,それらのタマネギは,PRENCSOを全く含まないわけではないため,催涙成分の生成が引き起こされ,時間経過に伴いじわじわと辛みを感じる.それに対して,今回,作出したタマネギは催涙成分生成にかかわる主要なアリイナーゼが欠損しているので根本的に催涙成分の生成が抑えられている.またこのアリイナーゼ欠損タマネギは,催涙性が無いだけでなく催涙成分による辛みも著しく低下しており,通常は強い辛みのため感じることが出来ないタマネギ本来の甘さを楽しめる新しい価値もあることがわかった(表1表1■スマイルボールの特徴).
私たちは,この研究成果を論文,および国内の学会で発表したところ,発表の3日後にはThe Wall Street Journalに「No Crying in the Kitchen: Japan Firm Engineers Tear-Less Onions」という表題で紹介される程の反響を頂いた.
その後,このタマネギの形質を固定化し,北海道にて商業的な栽培・商品化を図り,商品名『スマイルボール』として2015年より市販するに至っている.
『スマイルボール』という名前は,「タマネギを切った時にもう泣かなくてよいこと,試食した多くの皆さんが笑顔をみせてくださったこと,そしてこれまでになかった新たなタマネギをどうやって食べるのか,このタマネギを通じて食卓でどんな話題が生まれそうかをお客様とやり取り(キャッチボール)していきたいという想いを込めて“スマイル”と“ボール”」を組み合わせて名付けた.
現在は,細胞質雄性不稔系統との交配により,メンデルの法則に従いこのタマネギの催涙性や辛みのない形質が次世代へ遺伝することが確認できたので,新たな涙のでない・辛みのないタマネギを生み出す育種親として使用し,辛みのないタマネギカテゴリー創出を目指した育種を進めている.
催涙成分の発生機構の解明で得られた知見をもとに,揮発しやすいタマネギの催涙成分を簡便に発生させることができ,かつ保存性の高い『涙液回収キット』の開発やアリイナーゼではなくLFSを標的にしたLFS抑制タマネギの作出とその成分解析にも発展している(7)7) C. C. Eady, T. Kamoi, M. Kato, N. G. Porter, S. Davis, M. Shaw, A. Kamoi & S. Imai: Plant Physiol., 147, 2096 (2008)..涙液回収キットは,近年,涙液中にさまざまな疾患関連バイオマーカーが含まれていることに着目し,弘前大学COIの大規模健診にて涙液採取に用いられ,涙液中の成分と種々の健康検査項目との関連についての研究に活用されている.なお,弘前大学COIとは,2013年に始動した「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)」の一つであり,産学連携によって10年後の社会や暮らしの実現を目指す研究・社会実装プロジェクトである.またLFS抑制タマネギに関しては,ニュージーランドの研究機関であるPlant & Food Researchとの共同研究にてLFSを抑制することで新たな機能性成分が増加することを見いだし,タマネギの健康機能性の研究発展に寄与している(8)8) M. Aoyagi, T. Kamoi, M. Kato, H. Sasako, N. Tsuge & S. Imai: J. Agric. Food Chem., 59, 10893 (2011)..その他にもLFSはスルフェン酸を基質にする新しいタイプの酵素であったため,その立体構造の解析も進み,詳細な反応機構も解明された(9)9) T. Arakawa, Y. Sato, M. Yamada, J. Takabe, Y. Moriwaki, N. Masamura, M. Kato, M. Aoyagi, T. Kamoi, T. Terada et al.: ACS Catal., 10, 9 (2020)..このように催涙成分の発生機構解明で得られた知見は基礎研究,応用研究の分野でさまざま活用され,成果に繋がっている.
本稿では,レトルトカレー製造工程の問題解決から端を発した私たちのタマネギ研究の流れを概説した.その過程は,研究現場の気づきを起点とし,その後20年を越えて受け継がれる楽しくてワクワクするものであった.このような研究を続けられてきたのは,社内・社外の協力者があってこそだと思っている.今回作出したタマネギをお客様にお届けすることが,多くの協力者へのいくらかの恩返しになると考える.今回作出したタマネギは辛みがないので“水さらし”をすることなく生食できる.この特性は,調理時の手軽さを提供することに加え,水さらしによる成分の流出を抑え,タマネギ本来の甘さや栄養をまるごと摂取することにつながる.それに加え,辛みがないことで,厚切りタマネギを生食したり,タマネギをそのままジュースにして摂ったりといった“タマネギの新しい生食場面”を提供することができる.私たちは,このタマネギが,食の楽しさを拡げ,お客様の涙を減らすだけでなく,お客様の笑顔が増えることにつながると考えている.このタマネギが世の中のタマネギの食べ方を変え,いつの日か,タマネギの代名詞が「涙や辛さから,甘さや美味しさに置き換わる」ことを目指して今後も研究開発に取り組んでいきたい.
Acknowledgments
本研究をご指導頂いた,熊谷英彦先生(石川県立大学),伏木亨先生(甲子園大学),阿部知子先生(理化学研究所),伏信進矢先生(東京大学)横井則彦先生(京都府立医科大学),今井亮三先生(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)をはじめとする多くの皆様方に,心より御礼申し上げます.また,スマイルボールを開発するにあたり共創いただいている株式会社植物育種研究所の岡本大作氏に感謝申し上げます.なお,本研究は,ハウス食品グループ株式会社の今井真介,柘植信昭,正村典也,鴨井享宏,青柳守紘をはじめとする多くのメンバーとともに実施したもので,代表して加藤が本稿を執筆しました.
Reference
1) FAOSTAT: Food and Agriculture Organization, http://www.fao.org/faostat/en/#home at 2022/08/10
2) 農林水産省:野菜をめぐる情勢 令和7年4月,https://www.maff.go.jp/tohoku/seisan/yasai/attach/pdf/index-14.pdf
4) S. Imai, K. Akita, M. Tomotake & H. Sawada: J. Agric. Food Chem., 54, 843 (2006).
5) S. Imai, K. Akita, M. Tomotake & H. Sawada: J. Agric. Food Chem., 54, 848 (2006).
6) M. Kato, N. Masamura, J. Shono, D. Okamoto, T. Abe & S. Imai: Sci. Rep., 6, 23779 (2016).