Kagaku to Seibutsu 64(3): 191-193 (2026)
追悼
荒井綜一先生を偲ぶ
Published: 2026-05-01
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© 2026 公益社団法人日本農芸化学会
荒井綜一先生は2025年8月8日にご逝去されました.1935年10月29日,横浜にて誕生された先生は,小学校(国民学校)2年生で学童疎開し,終戦を迎えられました.ひもじい思いをされたことが「食」に対する第一印象だったそうです.「食の関心」は日本人の共通項でありました.
湘南高校卒業後,東京大学理科2類から農芸化学科に進学され,卒論生として「食糧化学講座」(櫻井芳人教授)に所属されました.櫻井教授は鈴木梅太郎先生の亡くなる直前まで,理化学研究所にて共同研究をされた直弟子でいらっしゃいました.「農芸化学とは,食品科学の応用例を徹底的に基礎解析し,普遍的なデータを見出し,さらに高度な食品応用に取り入れる.つまり,応用研究と基礎研究をリンクする学問領域である」という荒井先生の持論は,櫻井先生を通した鈴木先生の教えから導き出されたことだと思います.ご自身は,「鈴木先生の孫弟子」を自認されていました.
2014年,鈴木梅太郎先生の出生地である静岡県牧之原の市長から劇団俳優座 創立70周年記念劇「先生のオリザニン」(加藤剛さん主役)の学術監修を依頼されました.その紹介文に「“食と健康”科学のルーツ:鈴木梅太郎の物語」,「我が国の栄養学の祖ともいうべき鈴木博士は,なぜ農芸化学という地味な学問に一生を捧げたのか」という一節を寄せられました.本文は,初代日本農芸化学会会長である鈴木先生同様,荒井先生自身も「農芸化学」の学問領域に魅了されておられたことを示す言葉だと思います.大変な意気込みで協力され,卒業生をはじめ多くの方にチケットを配り,鈴木先生の社会貢献の感動を共有されました.
荒井先生の最大の業績は機能性食品科学研究です.この発見に至る研究について述べたいと思います.東大農芸化学科卒業後入社された森永製菓株式会社から,東大農芸化学科大学院修士・博士課程を経て,1967年農学部(食糧化学講座)助手になられました.当時,大豆を増産していた米国農務省からの依頼テーマ「大豆のフレーバーの研究」がテーマでした.有機化学的手法でその不快臭を除去する手段として,プロテアーゼの有効性を突き止めると同時に,様々な新規ペプチドの生成の存在も見出されました.これこそ,アミノ酸からタンパク質・ペプチドを合成するタンパク質分解酵素逆反応です.この反応は約50年前に数編の論文報告があり,荒井先生は本現象を「プラステイン反応の再発見」と定義されました.その後のプラステイン反応を含めた酵素利用法の展開として,山下(渡辺)道子先生(後に助手)らと共に,①食品タンパク質のアミノ酸組成の栄養学的改良への応用,②医療用食品としての特殊ペプチドの改良(フェニルケトン尿症用低Phe/高Tyr治療食),③機能性食品としての低アレルゲン米の創出,④タンパク質状界面活性剤の開発(食品保存用不凍液,化粧品),⑤細菌の氷核タンパク質の解析と応用(人工雪,ユニークな濃縮食品製造)などの研究を次々に発表されました.いずれも,応用例(現象)からその基礎解析を展開し,さらに高度な応用に展開する研究です.130報の論文,20を超す特許からも裏付けられます.これらの論文は,当時の日本農芸化学会 欧文誌Agric. Biol. Chem.(ABC)に掲載され,その翌日から多くの食品企業の研究開発トップの方がその内容を聞くために荒井先生の研究室に来られ,廊下で順番をお待ちいただくことも度々ありました.これらの研究は,新しい機能を付与する「機能性食品」へ導く基盤となりました.上記の③低アレルゲン米の開発は特定保健用食品第1号で,機能性食品の商品見本を示した研究成果であったと評されています.
「機能性食品」は,1984年文科省特定領域研究,その後重点領域研究(現在の学術変革領域研究)を3期継続する大型研究から誕生しました.藤巻正生先生(第1期),千葉英雄先生(第2期)の主メンバーとなり,3期の代表を務められました.実質,本研究の統括者でした.食品・農学,医学・薬学,理学・工学領域のトップレベルのアカデミア研究者,食品・農業・薬品・技術関連の企業,官公庁機関の研究者など,総勢100名を超えるコンソーシアムで実施されました.本研究班から,食品には栄養特性(一次機能)と嗜好特性(二次機能)に加え,「疾病のリスクを軽減する機能性」三次機能と名付け,そのような因子(成分)を持つ食品を機能性食品と命名し,「機能性食品の概念,ネーミング,見本」を国際発信されました.その後,「特定保健用食品」(1991年),「機能性表示食品」(2015年)として制度化されました.基礎研究から産業面で法制化された初めてのケースでした.1993年,Nature誌は荒井先生のインタビュー記事,“Japan explores the boundary between food and medicine”を掲載しました.国内外の会議への講演,海外の大学・企業・官公庁の人々との相互訪問が激増しました.とりわけ,英語が堪能な先生は国際会議のみならず,国際開発展など企業からの招聘にも参画されました.当時,欧米では,「機能性食品の市場規模は1兆円/年(ユニリーバ社)」との試算が発表されました.
荒井先生は卒業後,森永製菓株式会社に入社され,コーヒーの研究開発を担当されました.これ以降,先生の好物の嗜好品は「コーヒー」となり,食糧化学助教授時代は,自らコーヒー豆を粉砕し,「コーヒーが入ったよ」と卒論生はじめ教室員に振る舞われるのが日課でした.
先生は農芸化学科に進学した3年生の講義(食糧化学)には,力点を置かれ,毎回シラバスを作成され,しかし全くそれを見ずに90分間板書しつつ講義をされました.そのシラバスは,毎年,新しい記述を増やし,推敲され,前年と同じ講義内容ではなかったようです.遺伝子解析技術が食品研究にも導入された頃,「解析データとなるX線フィルムを貸して欲しい」と筆者に依頼され,講義の中で紹介されたこともありました.「講義が面白い」と食糧化学講座に配属された学生達の評判でした.話し上手な先生ですが,講義内容を添削し,さまざまな資料に目を通して自らも興奮する新しい内容を準備されておられました.
東京大学食糧化学准教授になられた直後,日本農芸化学会 広報関連役員に就任された荒井先生は,「農芸化学の大樹」を作成されました.化学と生物学を基盤とする農芸化学の学術領域の多様性,産業基盤への連携などの魅力を若い学生に伝えられました.先生は地味な農芸化学を心底愛していらしたのだと思います.
東大退官後しばらくして,毎月,「土曜セミナー」と名付けた講義を多くの卒業生,教員,企業研究者,他大学研究者(毎回数十名参加)に行なってくださいました.自ら資料を作成され,優しく,興味深く,未来への夢を語られ,「皆さんがさらに発展してほしい」と語っておられました.約3年間の講義ノートは,ある雑誌社が「ぜひ,出版したい」と聞きつけてこられたほど「フードサイエンスの魅力」を紹介する内容でした.
湘南高校の野球部,東大では書道部と文武両道に造詣の深い先生ですが,食糧化学講座の教員となられてからもイチロー選手の追っかけ,宝塚歌劇鑑賞,落語鑑賞と幅広い趣味をお持ちでした.
東大退官後,東京農業大学にて教鞭を執られた荒井先生は,多くのお弟子さん達から絶大の人気がありました.皆さんを「よく頑張っておられ,素晴らしいです」と温かく見守られてこられました.先生にとりましてもお幸せな人生だったのではないかと存じます.
荒井先生,これからも食品研究の“Future Science”を見守ってくださいますようお願い申し上げます.