巻頭言

農芸化学研究32年目に想うこと

Tsutomu Fujii

藤井

福島大学農学群食農学類

Published: 2026-07-01

日本農芸化学会に入会したのは1994年だから今年32年目になる.学生時代は光合成の電子伝達の研究だったが,就職して発酵・醸造の世界で素晴らしい指導者や同僚に恵まれた.たいした結果を残せていないことには恐縮するしかないが,農芸化学的な考え方に導いていただき,自分としては本当によかった.

早いもので福島大学にいられる期間も残り3年を切った.人の生きる意味は何か「アンパンマンのマーチ」でやなせたかしさんは問うているが,退職まで3年を切って,残り時間が可視化され,考えることが増えた.

基礎研究と応用研究とを二分する考え方は農芸化学的でないと思う.農芸化学では再現性のある現象をみつけ,その現象の機構や仕組みをあきらかにし,その仕組みを利用する学問で,研究は基礎と応用を螺旋階段のようにまわりながら進むと教わった.基礎研究と応用研究に二分する考え方はそれに反する気がする.ノーベル賞を取られた大隅先生の研究は基礎研究だろうか,応用研究だろうか.酵母の変異株の液胞の顕微鏡観察からはじまり,応用的にも社会に多くの還元をもたらした.再現性のある現象をみつけ観察し,その現象をもたらす仕組みを理解する.農芸化学は生物を対象とするため,化学や物理学に比べ知られていない仕組みの発見がある.新しい仕組みの発見がブレークスルーを生み出し,社会への還元につながる.よい農芸化学研究はそのように進んでいるような気がする.

農芸化学には多様性も重要と思う.いろいろな興味の研究者がいて,人類全体に知見が蓄積し,進む.酵母研究者全員が実験室酵母を同じ培養条件で調べていては見つからないことが,応用研究とされる分野での違う酵母,違う培養条件では見つかるかもしれない.再現性のある新しい現象であれば人類の進歩の突破口になることもあるはず.多様性は一見無駄なようだが,ウイルスの変異と流行を考えても実は効率的だと思う.選択と集中は資本家にはよい制度だが,よい農芸化学の進め方とは違う気がする.

なお,好奇心から研究することを否定しているわけではない.多様性のもと,再現性の高い現象を観察し,仕組みを明らかにできれば人類への貢献だし,予想と違いうまくいかなくても,その道は正しくないことがわかることで人類に貢献している.逆に,予想と違うということは,これまでの理論で説明できない何かが目の前にあるのかもしれず,魅力的に思える.ブレークスルーをつくるチャンスがあなたの目の前にきたのかもしれない.

SNS社会かつ人生百年の世の中では不誠実はばれ,身を滅ぼし危険,と以前,生物工学会誌の巻頭言(1)1) 藤井 力:生物工学会誌,102, 95(2024).に書かせていただいたことがある.世の中を何らかの方法で進め,幸せにすることが研究の意義だとすれば,結果の説明で優良誤認させようとするのも悪.ハリボテの応用研究も悪な気がする.

ある工場の行動指針に「私は,今日の仕事を振り返り,誇りをもって家族に話すことができます」とあるのを見た.この指針は工場で問題が起こらないようにするのによくできた指針だと想う.生まれてきた意義を問い,どう行動するか問うことは,よい研究を進める上で大事なことのように思う.そういえば,諸行無常と人生の短さも,やなせたかしさんは歌詞の中に書いていた.

Reference

1) 藤井 力:生物工学会誌,102, 95(2024).