Kagaku to Seibutsu 53(1): 5-6 (2015)
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骨格筋と脂肪組織にかかわる最近の話題: ホルモンIrisinと白色脂肪細胞の褐色脂肪細胞化
Published: 2015-01-01
© 2015 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2015 公益社団法人日本農芸化学会
運動は,全身の臓器に多様な恩恵効果をもたらす.しかし,運動がどのように全身性に多様な効果をもたらすか詳細はわかっていない.近年,骨格筋からさまざまな生理活性物質が分泌され,自己・傍分泌的に筋周囲の組織へ作用したり,あるいは内分泌的に遠隔臓器へ作用するという報告がされるようになってきた.骨格筋から分泌される種々の生理活性物質は,総称してマイオカイン(myo=筋,kine=作動物質)と呼ばれる.これらのことは,骨格筋が分泌器官として重要な役割を果たしており,筋収縮によるマイオカインの分泌増加や,運動トレーニングによる筋量の増加が,生体の恒常性維持に貢献している可能性を示す.近年,白色脂肪細胞の褐色化に関与するとされる新規マイオカイン,Irisinが発見され,注目されている.本稿では,Irisinに関する研究の動向について述べる.
PGC1α(PPARγコアクチベーター1α)は褐色脂肪組織において核内受容体PPARγによる転写を活性化する転写共役因子として同定された.PGC1αは寒冷刺激に応答して褐色脂肪組織と骨格筋で発現増加するという特徴をもち,体熱産生に重要であるということが示された(1)1) P. Puigserver, Z. Wu, C. W. Park, R. Graves, M. Wright & B. M. Spiegelman: Cell, 92, 829 (1998)..その後,PGC1αはPPARγのみならず数多くの核内受容体やほかの転写因子と相互作用することが判明した(2)2) Y. Kamei, H. Ohizumi, Y. Fujitani, T. Nemoto, T. Tanaka, N. Takahashi, T. Kawada, M. Miyoshi, O. Ezaki & A. Kakizuka: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 100, 12378 (2003)..PGC1αは運動によって骨格筋で発現増加し,体熱産生だけではなく,ミトコンドリア生合成およびエネルギー代謝に関連する遺伝子の発現を増加させることが明らかになった.PGC1αは褐色脂肪細胞や骨格筋,肝臓などの代謝が活発に行われている臓器に発現が多く,特に骨格筋の中ではI型線維が多いヒラメ筋において高発現している(3)3) J. Lin, H. Wu, P. T. Tarr, C. Y. Zhang, Z. Wu, O. Boss, L. F. Michael, P. Puigserver, E. Isotani, E. N. Olson et al.: Nature, 418, 797 (2002)..骨格筋でPGC1αを過剰発現したマウスでは,Ⅰ型やⅡA型線維に特徴的な遅筋型のトロポニンⅠやミオグロビンの増加,さらにはミトコンドリア量の増加が認められ,持久的運動能が上昇する(4)4) M. Tadaishi, S. Miura, Y. Kai, Y. Kano, Y. Oishi & O. Ezaki: PLoS ONE, 6, e28290 (2011)..また,われわれは最近,PGC1αが骨格筋における分岐鎖アミノ酸代謝(異化)を促進することを報告している(5)5) Y. Hatazawa, M. Tadaishi, Y. Nagaike, A. Morita, Y. Ogawa, O. Ezaki, T. Takai-Igarashi, Y. Kitaura, Y. Shimomura, Y. Kamei et al.: PLoS ONE, 9, e91006 (2014)..
最近,Boströmらは,骨格筋でのPGC1α発現増加がIrisinと呼ばれるタンパク質(ペプチド)の産生と放出を促進し,皮下脂肪中に存在する前駆脂肪細胞を褐色脂肪細胞に分化させてエネルギー消費量を増加させることを報告し,運動の多様で全身性の効果をPGC1α依存的な骨格筋由来のホルモン様物質で説明する新概念が注目されている.
すなわち,PGC1αを骨格筋特異的に過剰発現する遺伝子改変マウスが肥満や糖尿病に耐性を示すことから,PGC1αが骨格筋に作用して,骨格筋から何らかの因子が分泌され多臓器に影響を及ぼす可能性について検討がなされた.Boströmらは骨格筋から分泌されるタンパク質としてIrisinを同定し,脂肪組織のエネルギー代謝を制御していることを下記の実験から示した.
まず,骨格筋特異的PGC1α過剰発現マウスを用いて,脂肪組織の表現型を調べた.すると,鼠蹊部の白色脂肪組織が褐色脂肪組織様に変化し,熱産生を引き起こすUCP1(uncoupling protein 1)の発現量が増加していた.UCP1は褐色脂肪組織に特異的に発現するタンパク質であり,褐色化のマーカーとされている.また運動させたマウスの白色脂肪組織でも同様の褐色化を観察し,運動による骨格筋のPGC1αの発現増加が,白色脂肪組織の褐色化に寄与していることを示唆した.次に,PGC1αにより骨格筋で発現増加する遺伝子の中からバイオインフォマティクスの手法を用いて分泌タンパク質となる可能性のある因子を探索した.その中でFNDC5(Fibronectin type III domain-containing protein 5)という膜タンパク質は,細胞外ドメインが切断され血中に分泌されると考え,「Irisin」と名づけた.血中Irisin濃度はマウスおよびヒトにおいて運動によって増加した.さらにFNDC5を過剰発現したマウスでは白色脂肪組織の褐色化が促進され,体重減少と耐糖能の改善が認められた(図1図1■Irisinと白色脂肪細胞の褐色脂肪細胞化の模式図).これらの結果からBoströmらは,Irisinを骨格筋から分泌され,脂肪組織のエネルギー代謝を調節するマイオカインであると結論づけた(6)6) P. Boström, J. Wu, M. P. Jedrychowski, A. Korde, L. Ye, J. C. Lo, K. A. Rasbach, E. A. Bostrom, J. H. Choi, J. Z. Long et al.: Nature, 481, 463 (2012)..
Irisin以外にも脂肪細胞を褐色化させる因子が存在する.たとえば,FGF21(fibroblast growth factor 21)は空腹時に肝臓から分泌され,白色脂肪組織においてPGC1αの発現増加を介して脂肪細胞の褐色化を誘導させるとされる(7)7) 大野晴也,梶村真吾:実験医学,32, 374 (2014)..寒冷刺激には非震え熱産生と震え熱産生の両方によって適応がなされることが知られる.寒冷刺激に適応するために,ヒトにおいても褐色脂肪組織で体熱産生がなされることが明らかにされている(8)8) M. Saito, Y. Okamatsu-Ogura, M. Matsushita, K. Watanabe, T. Yoneshiro, J. Nio-Kobayashi, T. Iwanaga, M. Miyagawa, T. Kameya, K. Nakada et al.: Diabetes, 58, 1526 (2009)..最近,IrisinとFGF21がヒトの褐色脂肪組織における熱産生に役割を果たすことが報告された(9)9) P. Lee, J. D. Linderman, S. Smith, R. J. Brychta, J. Wang, C. Idelson, R. M. Perron, C. D. Werner, G. Q. Phan, U. S. Kammula et al.: Cell Metab., 19, 302 (2014)..Leeらの報告では,健康な被験者に運動あるいは寒冷刺激を与えたところ,どちらの場合でも血中のIrisinとFGF21の量が増加した.そして,Irisinの量の増加は,寒冷刺激による骨格筋の震えの程度と相関していた.さらに,ヒトの脂肪組織の初代培養にIrisinおよびFGF21を添加するとUCP1などの発現が増加し,熱産生が亢進した.これらの結果からLeeらは,運動に加えて,寒冷時の骨格筋の震えによりIrisinが発現誘導し,白色脂肪組織の褐色脂肪化,さらには体熱産生に機能していることを示唆している(9)9) P. Lee, J. D. Linderman, S. Smith, R. J. Brychta, J. Wang, C. Idelson, R. M. Perron, C. D. Werner, G. Q. Phan, U. S. Kammula et al.: Cell Metab., 19, 302 (2014)..これはPGC1αの機能として,寒冷刺激に重要であるという元々知られていた役割と一致するものである(1)1) P. Puigserver, Z. Wu, C. W. Park, R. Graves, M. Wright & B. M. Spiegelman: Cell, 92, 829 (1998)..
マイオカインIrisinの発見から数年が経過し,再現性も含めて,機能的意義の解析が進められている.Irisinは,運動による肥満や糖尿病改善作用の一端を説明しうる因子として,これらの疾患の治療標的となることが期待されている.しかしながら,まだ作用メカニズムには不明な点が多く残されており,今後の研究の進展が待たれる.