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伝統的発酵における麹菌スフィンゴ脂質の酵母への移行とその生理的意義: 麹の新たな品質管理指標,グルコシルセラミド

Eriko Nakahata

中畑 絵里子

佐賀大学農学部Faculty of Agriculture, Saga University ◇ 〒840-8502 佐賀県佐賀市本庄町1 ◇ 1 Honjo-machi, Saga-shi, Saga 840-8502, Japan

Hiroshi Kitagaki

北垣 浩志

佐賀大学農学部Faculty of Agriculture, Saga University ◇ 〒840-8502 佐賀県佐賀市本庄町1 ◇ 1 Honjo-machi, Saga-shi, Saga 840-8502, Japan

鹿児島大学大学院連合農学研究科The United Graduate School of Agricultural Sciences, Kagoshima University ◇ 〒890-8580 鹿児島県鹿児島市郡元1丁目21番24号 ◇ 1-21-24 Korimoto, Kagoshima-shi, Kagoshima 890-8580, Japan

Published: 2015-01-01

麹(こうじ)は蒸した米などの穀物に麹菌が生えたものである.麹は醤油や味噌,日本酒,お酢,黒酢,鰹節,焼酎,塩麹など日本の多くの伝統発酵食品の製造において使われる.したがって,麹は日本の発酵食品の基盤であり,麹菌は「国菌」に指定されている.

10世紀に編纂された延喜式や和名類聚抄には麹の技法が記述されており,日本において麹の技術開発には1000年以上の歴史がある.しかし,麹菌の存在が発見され(1876年)学術研究の対象になったのは明治時代に入ってからである.麹の製造の品質管理は難しく,熟練の技術を要するものであり,コストがかかるが最終品質を大きく決定する最重要工程でもある.蔵人の中で受け継がれる「一麹,二もと,三造り」という言葉は,麹の品質が酒の最終品質を左右することを何よりも物語っている.では,「麹の品質」とは何か? 麹の品質とは穀物の高分子成分を分解する酵素力である,という理解が,高峰譲吉博士のタカジアスターゼの研究(1894年)以来の多くの研究により業界,学会で共有されるようになった.このことから,麹の製造を酵素力の観点から合理化して制御する試みが機械工業の普及に伴って多く行われてきた.これらには第二次世界大戦後(1950年代後半ごろ)から普及した機械を使った製麹や,1980年代後半~1990年代から普及した,最初に原料を酵素で液化してから発酵を行う液化仕込みなどがある.しかしこうした「酵素力」のみに着目し合理化した方法で造った発酵食品は,伝統的な製造方法で造った麹を使って作った発酵食品とは微妙に品質が異なることを,造りに携わっている製造技術者の多くは普及の初期から感じていたことと思われる.このことは,現在も酵素力に着目した新技術が既存技術を完全には代替していないことにも表れている.また事実,多くの杜氏にとって麹造りは最も重要度・秘匿度の高い技術であるが,各杜氏は酵素力以外にも独自の麹の品質の指標をもっている.

これらの事実は「麹の品質」とは酵素だけでなくほかの物質もあることを想定させるものである.したがって,麹の酵素以外の役割に関する研究が一部の研究者により行われてきた.たとえば,麹や穀物の不飽和脂肪酸は酵母による吟醸香の一つである酢酸イソアミルの生成を酵素活性・遺伝子発現レベルで抑制すること(1)1) T. Fujii, O. Kobayashi, H. Yoshimoto, S. Furukawa & Y. Tamai: Appl. Environ. Microbiol., 63, 910 (1997).や,オレイン酸やエルゴステロールの添加が酵母によるエタノールの生産を向上させること(2)2) K. Ohta & S. Hayashida: Appl. Environ. Microbiol., 46, 821 (1983).が明らかになってきた.これらの知見は,麹の脂質成分が発酵に重要な影響を与えていることを示唆するものであるが,麹菌研究の長い歴史にもかかわらず,研究手法の困難さもありその報告の数は非常に少ない.

一方,生体膜の中でスフィンゴ脂質は物理化学的にも生物学的にも重要な役割をもっていることが報告されている.スフィンゴ脂質はスフィンゴシン塩基をもった脂質の総称である.スフィンゴ脂質の化学構造は非常に多様であり,しかも生物種ごとに違いがあり全体像は複雑である.スフィンゴ脂質の存在自体は1884年には発見されていたが,その生合成の基本的な酵素や遺伝子がモデル生物である酵母を使って明らかになったのは1990年代初頭~中盤と最近のことであり,現在も新たな構造をもった分子や生合成経路が次々と報告されている(3)3) H. Kitagaki, L. Cowart, N. Matmati, S. Vaena de Avalos, S. Novgorodov, Y. Zeidan, J. Bielawski, L. Obeid & Y. Hannun: Biochim. Biophys. Acta, 1768, 2849 (2007).分子種でもある.発酵・醸造学の研究の中で,スフィンゴ脂質の研究はほとんどなく,われわれの研究(4)4) M. Hirata, K. Tsuge, L. Jayakody, Y. Urano, K. Sawada, S. Inaba, K. Nagao & H. Kitagaki: J. Agric. Food Chem., 60, 11473 (2012).以外では麹菌のスフィンゴ脂質の存在と構造決定が1976年に報告された(5)5) Y. Fujino & M. Ohnishi: Biochim. Biophys. Acta, 486, 161 (1976).のみである.

図1■伝統的発酵における麹菌スフィンゴ脂質の酵母への移行

穀物や麹,酵母など多数の生物種が共存して発酵が行われる伝統的発酵において,麹菌のスフィンゴ脂質(glucosylceramide)が酵母に移行することおよび,glucosylceramideの酵母への移行は酵母のアルカリ・エタノール耐性を引き起こすことが明らかになった.

麹の酵素以外の影響を明らかにすることができれば,より精密な発酵の品質管理につながると同時に,新規発酵生産システムの構築にも応用できるのではないかと考え,麹の脂質が発酵におよぼす影響を研究することにした.

まず麹(20 mg相当)から抽出した脂質画分をエタノールに溶かした溶液を1%(v/v)で最小培地1.5 mLに添加し,酵母にアルカリ条件(pH 8.0)でエタノール発酵を起こさせたところ,麹から抽出した脂質画分を添加した試験区ではエタノールのみを添加した対照区よりも統計的に有意に酵母の増殖が亢進しており,麹の脂質には酵母のアルカリ条件での発酵を増進する効果があることを見いだした.そこで以後,酵母のアルカリ耐性を指標に麹の脂質の解析を進めることにした.

麹の脂質を抽出してシリカゲルカラムで分画し,それらのどの画分を添加したときに酵母にアルカリ耐性が賦与できるかを調べた.その結果,いくつかの画分が酵母にアルカリ耐性を賦与したので,そのうち最も高い活性を示す画分の一つをさらに精製した.その画分を精製してその分子構造を決定したところ,スフィンゴ脂質の一種であるが酵母には存在しない構造の,麹菌特異的なglucosylceramide(N-2′-hydroxyoctadecanoyl-l-O-β-D-glucopyranosyl-9-methyl-4,8-sphingadienine)を含むことが明らかになった.

本当に麹のglucosylceramideが酵母に移行するかを調べるため,麹と酵母を混ぜて発酵させたのち,酵母を取り出してその脂質を解析したところ,確かに酵母に麹菌特異的なglucosylceramideが検出された.このことから共培養することで麹菌のglucosylceramideが酵母に移行することが明らかになった.そこで,精製したさまざまな種のglucosylceramideを4 mg/mLの濃度で界面活性剤の存在下酵母に添加してアルカリ耐性を調べた.その結果,麹菌特異的なglucosylceramideに加えて,穀物由来のglucosylceramideも酵母に統計的に有意にアルカリ耐性を賦与することが明らかになった.また,エタノール高濃度の条件でもglucosylceramideの添加は酵母に統計的に有意に耐性をもたらすと同時に,発酵中の酵母の香気成分プロファイルもglucosylceramideによって変わることがわかった.

以上のことから,多くの生物種の素材が共存して進む日本の伝統発酵食品の製造において,麹および穀物のglucosylceramideが酵母に移行して酵母の発酵特性を改変すると考えられた.

これらの知見を利用して,今後,「麹の品質」の実態が物質レベルで解明され,麹の製造がより合理的に行われるようになると同時に,麹を使った新たな発酵生産システムの開発6)6) 北垣浩志:特願2013-170560にも結びつくことを期待している.

Reference

1) T. Fujii, O. Kobayashi, H. Yoshimoto, S. Furukawa & Y. Tamai: Appl. Environ. Microbiol., 63, 910 (1997).

2) K. Ohta & S. Hayashida: Appl. Environ. Microbiol., 46, 821 (1983).

3) H. Kitagaki, L. Cowart, N. Matmati, S. Vaena de Avalos, S. Novgorodov, Y. Zeidan, J. Bielawski, L. Obeid & Y. Hannun: Biochim. Biophys. Acta, 1768, 2849 (2007).

4) M. Hirata, K. Tsuge, L. Jayakody, Y. Urano, K. Sawada, S. Inaba, K. Nagao & H. Kitagaki: J. Agric. Food Chem., 60, 11473 (2012).

5) Y. Fujino & M. Ohnishi: Biochim. Biophys. Acta, 486, 161 (1976).

6) 北垣浩志:特願2013-170560