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食品用ゲルの破壊による香気成分のリリース: 食品テクスチャーと香料化学の接点

Yasumasa Yamada

山田 恭正

同志社女子大学生活科学部食物栄養科学科Department of Food Science and Nutrition, Faculty of Human Life and Science, Doshisha Women's College of Liberal Arts ◇ 〒602-0893 京都府京都市上京区今出川通寺町西入 ◇ Teramachi Nishiiru, Imadegawa-dori, Kamigyo-ku, Kyoto-shi, Kyoto 602-0893, Japan

Published: 2015-01-01

日本は,高齢社会を迎えて咀嚼・嚥下に支障がないようなゲル状食品に関心がもたれている.高齢者が食事中の誤嚥により,重篤な肺炎(誤嚥性肺炎)を起こすケースが少なくないからである.また,自然災害などにより現場で特に調理を必要とせず,比較的長期間保存が可能な非常食にも関心が寄せられている.このような背景のもとで,ゲル状食品は,栄養的に優れているのみならず「おいしさ」も求められている.食品ゲルを咀嚼することを前提としてゲルを破壊したときに,味物質や香気成分が口腔内に放出,放散される現象をフレーバーリリースと言う.フレーバーリリースの研究は,分野が異なる専門家と共同で研究を行う必要があると考えられる.ここでいう異分野とは,多糖やタンパク質ゲルのテクスチャーに関する研究,ゲル内を食塩やショ糖などが拡散する現象を物理的に解析する研究,咀嚼や嚥下に伴い,口腔内の舌や喉頭・咽頭にある筋肉の動きと食塊(咀嚼によって食べ物が唾液と混ざり合いながらある程度の大きさに分解されて嚥下できるようになった食べ物の塊り)が移動する現象を口腔生理学的に解明する研究,さらに味覚・嗅覚など官能評価に関する研究を専門とする人たちが連携して研究を行うことによって相互の理解を深め複合的,統合的に研究を進めることが重要であると考えられる.食品物性学が専門である西成勝好教授(大阪市立大学名誉教授,湖北工業大学教授)らのグループは食品用ゲルのテクスチャーとフレーバーリリースの関係について研究を行っている.筆者は食品用ゲルを破壊したときにリリースされる香気成分について,主にGCMSを用いて実験を担当する機会を得た.これまでゲル物性の研究と香気成分の研究は,それぞれ独立して研究が行われてきたので両者の間にほとんど交流がなかったと言えよう.しかし咀嚼・嚥下の過程におけるフレーバーリリースの現象では,両者は密接に関係している.一例を挙げると,ゲルを咀嚼したときにゲルの破壊により食塊(ゲルの破片)ができるが,ゲルの物性により食塊の大きさや形状が異なる.したがって,破壊されて生じたゲル小片の大きさやその分布,小片全体の表面積が,味物質や香気成分のリリースに著しい影響を与えることになる.つまり,ゲルの物性がフレーバーリリースをコントロールする大きな要因の一つである(1)1) K. Nishinari: “Food Polysaccharides and Their Applications,” 2nd ed., ed. by A. M. Stephen, G. O. Phillips & P. A. Williams, Taylor & Francis, New York, USA, 2006, p. 541.図1図1■食品用ゲルの物性・テクスチャーとフレーバーリリースの関係).

図1■食品用ゲルの物性・テクスチャーとフレーバーリリースの関係

フレーバーは,風味成分とも言われるが,一般的には味物質と香気成分を指すことが多い.代表的な甘味物質であるショ糖を寒天に添加した場合のリリースについて,西成らは寒天ゲルをテクスチャーアナライザー(TA.XT Plus)を用いて一軸圧縮などの力学的測定を行うと同時に,リリースされたショ糖を高速液体クロマトグラフィー(HPLC)と屈折率計(糖度計)を用いて定量分析している.ゲル中のショ糖濃度が40%以上では,興味深いことに,先にショ糖を溶解させてから寒天を加えた場合のほうが,寒天を先に溶解させてから後でショ糖を加えた場合よりも,ゲルを破壊したときにショ糖のリリース量が多いことを見いだしている(2)2) K. Yang, Z. Wang, T. Brenner, H. Kikuzaki, Y. Fang & K. Nishinari: Food Hydrocoll., 43, 100 (2015)..次に香気成分のフレーバーリリースについて実験を行う上での問題点について述べる.一つには,香気成分は一般的に疎水性分子が多いため水にほとんど溶解しない.したがって,寒天のようなハイドロコロイドゲルに添加するには,少量のエタノールに溶解してから水で希釈するか,または界面活性剤の存在下でゾル状態の寒天に添加しなければならない.このときに注意すべきことは,当然のことながら香気成分は揮発性物質であるので,寒天を溶解した温度約95°Cで香気成分を添加するとすぐに揮散するか,または酸化や熱分解が起きてしまう.したがって,筆者はゲルが固化しないうちに65°Cで香気成分を添加して均一に分散させ,密封したホモジナイズ用チューブ内でゲル化させた後にフレーバーリリースを測定した(3)3) 山田恭正:香料,259, 45 (2013)..また,テクスチャーも測定するため同様にゲルを調製して一晩,冷蔵庫(8°C)で保管した.ゲル形成時の冷却速度が最終的なゲルの網目構造に影響を与えるので,冷却速度が一定になるようにする注意が必要である.また,保存時間が長くなるとシネレシスなどにより構造が変化することにも留意する必要がある.寒天ゲルでは,香気成分が取り込まれた多糖(アガロース,アガロペクチン)の網目構造(マトリクス)が,冷却速度によって変化するためであろうと考えられる.このゲル構造の違いが,テクスチャーおよびリリースに大きな影響を与える.筆者は,各種の香気成分についてリリース率を測定した結果から,揮発性成分とゲル素材の組合せが重要であると考え,これを明らかにするために実験データを蓄積している.たとえば,代表的なゲル化剤としてタンパク質であるゼラチンや多糖類の寒天が使用されている.食品素材の影響により,pHが酸性であればゼラチンはゲル化しないので使用されない.それに対して,寒天はアガロースとアガロペクチンが加水分解されない範囲の酸性条件で,フルーツなどを含むゲル状食品をつくるのに使用される.しかしながら,フルーツや香気成分の種類によっては寒天ゲルからのフレーバーリリースがかなり抑制されているという知見をGCMS分析により得ている.フレーバーリリースの抑制現象を官能評価により論じることも可能であろうが,まず化学的に香気成分とゲルマトリクスとの相互作用やゲル化過程で香気成分が分解または酸化劣化する現象を解析することが重要であると考えている.現在,香気成分を含むゲル状態でNMRスペクトルを測定する実験に取り組んでいる.ゲル状食品の場合は,水溶液や乳化状態の飲料とは異なる視点と方法論からフレーバーリリースを評価することが必要である.

実験方法に関する2つ目の問題点は,リリースされた揮発成分をGCMSで分析するためのサンプリングの方法である.通常,ガスのサンプリングは固相マイクロ抽出(Solid Phase Micro Extraction; SPME)が行われる.しかし,寒天などのゲルからリリースされる微量の香気成分を同定・定量するためには,このときに使用されている固相の材質別に,目的対象とする食品由来の多様な香気成分について,少なくとも香りの特徴づけに大きく寄与するKey compoundについては回収率を前もって測定しておくことが必要であろう.固相に使用されている材質によって目的対象とする揮発物質の回収率にかなり差がある.また,加熱脱着法(Thermal Desorption Method)では,250°C程度の加熱によって揮発成分をリリースさせてからMSで分析することが多いので,揮発成分が熱分解する程度を調べておくことも必要である.

さらにin vivoでの実験,すなわち実際に咀嚼して口腔や鼻腔から揮発成分をサンプリングして分析する方法にも関心がもたれる.なぜなら,咀嚼中に感知する香りは前鼻孔からの香り(orthonasal aroma)よりも後鼻孔からの香り(retronasal aroma)のほうが重要であるからである.したがって,咀嚼中に鼻腔から揮発成分をサンプリングして,大気圧下でリアルタイムに分析するためには,大気圧化学イオン化質量分析(Atmospheric Pressure Chemical Ionization Mass Spectrometry; APCI-MS)が優れていると言えるだろう.しかし,大気圧下で揮発成分をイオン化して効率よく質量分析計に取り込むことは容易ではない.最近,工藤らは直接質量分析法と飛行時間型質量分析法を組み合わせた方法(Direct Analysis in Real Time–Time of Flight–Mass Spectrometry; DART-TOF-MS)に新規デバイスを導入した高感度な分析法を報告した4)4) Y. Kudou, T. Sagawa, T. Nishiguchi & K. Kinoshita: 62nd American Society for Mass Spectrometry (ASMS) Annual Conference, Abstract, 2014, p. 838..機器分析の技術は日進月歩であるが,これらの方法論をいかにしてゲル状食品のフレーバーリリースを向上させる研究に活用するかが,農芸化学的な立場からは重要課題と言えるであろう.

Reference

1) K. Nishinari: “Food Polysaccharides and Their Applications,” 2nd ed., ed. by A. M. Stephen, G. O. Phillips & P. A. Williams, Taylor & Francis, New York, USA, 2006, p. 541.

2) K. Yang, Z. Wang, T. Brenner, H. Kikuzaki, Y. Fang & K. Nishinari: Food Hydrocoll., 43, 100 (2015).

3) 山田恭正:香料,259, 45 (2013).

4) Y. Kudou, T. Sagawa, T. Nishiguchi & K. Kinoshita: 62nd American Society for Mass Spectrometry (ASMS) Annual Conference, Abstract, 2014, p. 838.