バイオサイエンススコープ

重慶の研究室から 前編

五十嵐 泰夫

Yasuo Igarashi

西南大学資源環境学院生物能源・生物修復研究センターCollege of Resources and Environment, Southwest University

Published: 2015-01-01

私は,中国・重慶市にある西南大学資源環境学院にバイオテクノロジー研究センターをセットアップするために,2013年3月東京大学を定年退職後,5月より家内とともに拠点を東京から重慶に移して生活しています.皆さんは重慶と言われて何を思い起こすでしょうか.中国4大直轄市,中国3大ボイラー都市,内陸工業都市,重慶鍋,重慶爆撃,そんなところでしょうか.そういう私も実は,2012年9月,領土問題から日本と中国の関係が悪くなるなか,初めて重慶を訪れるまで,その程度の知識しか持ち合わせていませんでした.

写真1■西南大学資源環境学院の建物

ヨーロッパ風の威厳ある建物で玄関内部は広いホールとなっている.入口右側の1階の窓が筆者のオフィス.その右側から奥にかけてが実験室.建物前の広場には,「大地の子」と彫られた自然石.キャンパス内の農学系の建物の前には同様の石が置かれている.

私は大阪大学生物工学国際交流センターでの活動などを通じて,バイオテクノロジー分野における日本とアジア諸国との交流に興味をもち,参加し続けてきました.そして,日本での閉塞感を逃れ,いずれアジアのどこかの国で研究生活をしてみたいと強く思うようになりした.また,自分一人では日本での生活もままならない私は,家内にもできる限り候補となるような都市を見せるようにしてきました.私としては,タイのバンコクかチェンマイを候補に考えていました.私が最初に交流をもった国であり,タイのバイオテクノロジー研究についても知識・知見をもっていることから,お役に立てることがあるように思えました.一方,家内はマレーシアのクアラルンプールが良いと言っていました.イスラム教国であり私のお酒を飲む機会がずっと減ることが第一の理由でした.私自身も,プトラ大学の客員教授をしており,ここでも研究のお役に立てそうな気がしていました.

それが一転,中国の重慶に転身の場を求めたのは,ひとえにかつての私の博士課程の学生であった羅峰氏の努力によります.羅氏は中国の「外専千人計画」で私を重慶に招へいすることに尽力してくれました.最初は適当に対応していたはずの私も,羅氏の周到な準備や初めて重慶を訪問した際の西南大学・重慶市側の対応に感服,またほかからのはっきりとしたお誘いもなく,最終的に重慶行きを決意するに至りました.ただ家内に全く相談せずに勝手に夫婦で重慶に行くことを決めてしまったことで,今でも不平を言われています.

私は,この文章を特に若い研究者の皆さんが,アジアにもっと目を向けてくれるようにと願って書いています.しかし現在,アジア諸国の発展は目覚ましく,産業面のみならず研究面でもアジアの中の日本の優位性もいつまで保たれるかわかりません.というか,一部の分野ではすでに追いつかれ,追い越されつつあるのです.皆さんが事態を簡単に考えて,「ちょっと教えに行ってやる」などという態度では受け入れてもらえない状況になりつつあります.何よりもこのこれからの時代,国際社会の中で国際感覚を磨き国際的に活動しない限り,日本で生き残ることも困難だと思います.この小稿では,主に私の重慶での経験や見聞,私や周囲の人たちの大学生活をお伝えしたいと考えています.中国での1年足らずの経験が中心ですので,間違いや思い違いも多いと思います.これを読んだ皆さんが,広くアジアそして世界に目を向けて,将来日本の内外で活躍さることを期待します.

私の西南大学でのミッションは,冒頭でも一部述べたように5年間で国際レベルのバイオテクノロジーセンターを一から創り上げるということです.そのために大学と重慶市は,設立時に新たに実験室・居室,必要な研究設備を用意すること,立ち上げのための研究資金と研究スタッフを用意すること,などを約束してくれました.正直に言って今の日本では考えられない好条件です.立ち上げが順調にいけば,さらに大きな援助・協力が約束されています.私自身の雇用条件については口を濁らせていただきますが,羅氏には「外専千人」の中でも悪くない条件だと言われています.なお,中国の人は自分や周囲の人の収入を割と簡単に教え合う傾向が強く,日本人の目から見ると人間関係の維持などで若干の注意が必要です.また,当然のことですが,契約の内容に関しては注意深く検討することが必要であり,自身の採用条件だけでなく私生活や家族の待遇なども含めて,希望事項は契約する前に話し合っておくことが重要です.

2013年5月に私が赴任したときの研究室員は,センター長の私,副センター長の羅氏,いずれも日本で博士号を取得した助教相当の代先祝氏,張勇氏,優秀な秘書の杜さんと,羅氏がそれまで抱えていた数人の大学院生のみで,居室はすでに使用可能でしたが,実験室はようやく完成したところ,中の研究設備はまだほとんど入っていませんでした.その後,重慶の猛暑の夏を避けて7月初めに日本に帰国,9月に新年度が始まり大学に戻った時点で,新たにドイツで博士号を取ったばかりの2人のポスドク,新たに参加した大学院生,学部学生で総勢20名を超える所帯になりました.私としてはもう少しこじんまりした所帯から始めたかったのですが,大学・学院側の事情も働いたようです.実験室の整備にはほぼ2013年の末までかかりました.新年を迎え,いよいよこれから本格的に研究を始めようというところで,長い春節の休みに入りました.

センターの研究方針は,スタッフで話し合いました.資源・環境問題の解決を目指すことは最初から決まっていました.そして地域の特性を活かすということで,長江流域・三峡地域における環境問題をメインテーマとすることとしました.具体的には,三峡ダム完成による流水の停滞による環境悪化の対策として(1)アオコの生成過程の解析と予防・環境修復,(2)畜産廃棄物などの処理と資源化,を代氏,張氏と行うことにしました.この2つのテーマは私が強く主張したことで,日本で形にできなかった微生物社会学(SOCIOMICROBIOLOGY)を重慶で続けられることになったのが,私の重慶行きの最大の喜びです.現在,日本やアジア諸国からこの分野の中堅研究者・若手研究者を重慶に招へいする努力をしています.また羅氏からは植物によるカドミウムなどによる汚染土壌の浄化とエネルギー植物の生産が提案されました.中国におけるカドミウムなどの重金属汚染は広範囲にわたり,毎年大量の汚染米が生産されているとのことです.このプロジェクトには,ドイツで植物生理の世界トップレベルの研究に従事,博士号を取得して帰国したばかりの2人のポスドクが参加してくれることになりました.このほか,スタッフやポスドクが今まで続けてきたテーマなどをいくつか選択しました.

中国に来て一番驚いたことの一つに,中国の人たちが「挌」とか「ランク」というものを,ものすごく気にするということがあります.西南大学は,中国政府教育部直轄の五十数大学の一つですが,世間的には40番目程度にランクされている大学です.精華大学,北京大学などを頂点とするこのランクは,中国社会の中ではほぼ絶対とも思われる「権威」または「信仰」があり,大学入学者の全国大学統一入試(高考)の成績もほぼこのランクと一致しているのみならず,大学院進学の際の希望先も学生時の成績とこのランクとの相談で決めているようです.どうしてそんなにランクを気にするのか,周囲の人々に機会あるたびに聞くのですが,「広い中国,何か頼れる物差しが必要だ」というのが今の時点で理解できた答えです.ちなみに「インパクト・ファクター」に対する信仰もいまだ強く残っています.

現在,研究グループは65歳の私以外は,羅氏が35歳,ポスドク2人が30歳そこそこ,2人のスタッフがその間,院生・学生の平均年齢は24歳くらい,と極めて若い集団です.その意味でも,中堅研究者の確保は重要な意味をもつと考えています.また,ドイツで博士号を取った2人のポスドクは,私の目から見て,もっとランクの高い大学や研究所に採用されてもおかしくない実績・実力の持ち主です.どうして西南大を選んだのか聞いてみたところ,2人とも共通して(1)最近,海外から帰国する博士号取得者が多く,就職が困難になっていること,(2)沿岸部の大都市は生活にお金がかかり,収入に差がなければ地方都市のほうが生活しやすいこと,の2点を挙げてくれました.聞くところによると,現在欧米で博士号取得を目指して頑張っている中国人留学生は数万人(一説5万人)おり,すでに帰国した博士,中国国内での博士号取得者も含めて,博士の就職は年々極めて困難さを増しているようです.大都市での若い人たちの生活の困難さについては,不動産や物価の上昇との関連などから,最近日本でも報道されているとおりです.ただしスタッフによると,2人とも「彼女が重慶・四川省の出身だから」ということが西南大学を選んだ最大の理由とのことでした.ともかく2013年の秋から年末にかけては,スタッフの代氏と合わせて,スタッフ・ポスドクが3人も結婚する事態になりました.センターの明るい未来の兆候と信じています.

研究に向かう姿勢としては,私の周囲のスタッフ・ポスドクのほぼ全員が,自分を前面に出す,できれば自分の目指す研究をしたい,という傾向が強く,これは「いつもグループの最後を歩いて行って,押しこぼれてきたものだけ面倒を見る.先に進むものは勝手にさせる.」という私の研究室の運営方針によく合致しています.管理職としてはたいへんな面もありますが,最近おとなしいと言われることの多い日本の学生・院生は少し見習って欲しいとも思います.ともかく,彼女・彼らの将来の成長が楽しみです.

大学院の学生は,資源環境学院(日本でいうと学部と学科の中間の規模,西南大学は30以上の学院からなる)の優秀な学生の多くが進学してくれた以外に,ランクとしては西南大学より上に位置する大学からの入学者も数人います.これは珍しいことで,一般にはランクが上の大学に進学を希望するのが普通だそうです.今後この傾向を維持するためには,「国家重点実験室」に採択されるなど新たなステータスが必要らしいです.センターの5年後の目標の一つとしていますが,実情を知るにつれ,国際レベルのバイオテクノロジーセンターを一から作り上げること以上に困難なミッションであると理解しています.

私は今,老骨に鞭打って? 中国内陸部の大学で,周囲の若者とともに元気にのびのびと研究生活を送っています.日本の研究者の皆さんにも,閉塞感漂う日本での生活に固執することなく,広くアジアさらには世界に目を向け,さらに活躍の場を広げてほしいと思います.特に最近,若い皆さんの内向き姿勢が強まっていると言われます.日本からの欧米への留学・就職の希望も2000年あたりをピークに減少しているようです.もちろん問題も多く抱えていますが,アジアのほかの国々でも多くの若者が真摯に前向きに元気よく研究者としての自分を確立しようと努力しています.日本の若い研究者の皆さんも,日本の生活に閉塞感を感じることがあるようでしたら,ぜひアジアに顔を向けて深呼吸してみませんか.そして,自分がアジアで活躍している姿をちょっと思い浮かべてみてはいかがでしょうか.

この稿では,私がどうして重慶に来たか,センターで何をしているかを書いたところで,予定の字数を超えてしましました.次の機会が与えられれば,私の大学・研究室での生活や日々の生活,大学院生の研究や生活の実態,そして大学の組織や運営,研究費の獲得や使用,などについても書きたいと思っています(2014年3月).