Kagaku to Seibutsu 53(2): 127-129 (2015)
バイオサイエンススコープ
重慶の研究室から 後編
Published: 2015-01-20
© 2015 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2015 公益社団法人日本農芸化学会
後編は,学生生活のことから始めたいと思います.中国の大学は基本的に9月入学で,秋学期,春学期の2学期制度です.毎年6月ごろに卒業する大学生の数は約700万人.ですから就職もたいへんな競争です.たとえば人気の高い公務員になるための試験について言えば,2013年は登録者152万人,受験者112万人,実際に公務員になれたのは2万人程度という状況でした.そのため,卒業後6カ月経っても就職できない「就職浪人」も多く,北京や上海の郊外の安い地下の部屋を借りながらより良い就職先を探している「蟻族」の存在が日本でも話題になりました.
中国は格付け社会の傾向が強いですから,ランクの高い大学を卒業したほうが就職に有利なのは当然です.そのため大学の入学試験の競争もたいへんです.おそらく私が体験した日本の戦後ベビームーバーの大学入試地獄より今の中国の競争のほうが余程過酷なのではと思います.中国の大学入学の可否は,高考(ガオカオ)と通称される全国大学統一入学試験の成績によって決められます.州や特別市によって制度に若干の違いがありますが,重慶市の隣の四川省の場合,英数国が各150点,これに理科系または文科系科目の300点が加わって750点満点.それぞれの大学の合格最低点以上を取った学生が入学許可されるわけですが,出身地や民族によって若干のハンディキャップもつくようです.また高考(ガオカオ)に関する最近の話題として,英語の配点を低くする傾向があるそうです.四川省の場合,2016年から配点を100点にする方向であると報道されています.この方針の意図,意味するところは正直わかりません.またある新聞の調査によれば,大学進学先の学科の希望のトップ50のうち41が理科系で,1位は上下水道関係の学科だそうです.
人口の多い中国で,一部では「人生の終着点」とも呼ばれるこのような競争試験があるわけですから,進学校と呼ばれる中学(日本の中学・高校に相当)への進学競争も激しく,教育熱心の両親のもとで小さいうちから長時間勉強する子どもも多いようです.また進学校では多くの場合「男女交際禁止」となっていると聞きました.そのため大学入学後にはボーイフレンドやガールフレンドをもつことにあこがれる学生も多いということです.この場合の「ボーイフレンド・ガールフレンド」というのは「特定(単数)の交際相手」というくらいの意味でしょうか.そういえば,よく学内で男女が手をつないで歩いている光景を目にします.なお今の中国の大学生は90后(ジュウリンホウ・1990年以降の生まれ)世代と呼ばれ消費化時代に育ち新しい価値観をもつとされ,ややわがままで開放的な考えの80后(パーリンホウ)世代が多い大学院生から学生気質が変化しつつあると言われていますが,私にはその違いはよくわかりません.どちらも皆,まじめで明るくしっかりとした良い子たちです.
西南大学の場合,大学生は基本的に寮住まいです.学部学生は4万人以上いますから,大学の裏に巨大な寮が何十棟も建っています.一部屋4人程度で,場合によっては入学から卒業まで大学生活を一緒にする場合もあるようです.寮費は4人部屋で一人年間2,200元(38,000円程度).食事は基本的には学内の学生食堂か門の前の学生用食堂です.いずれにしても食べるところには事欠かず,量も多く値段も安いです.学生が一日に使う食事代は一般に15~25元(250~430円)程度のようです.ちなみに学費は学部生で年間5,500元(94,000円程度)ですが,充実した奨学金制度もあるようです.私の周囲を見る限り,お金持ちの子弟というよりは,普通の家庭の頭の良い子が大学に進学してきているという感じです.
また西南大学で面白いのは,お昼休みが2時間以上あることで,この間,学生の多くは昼食後寮に戻って昼寝をします.この癖が卒業後もなかなか抜けずに勤務先で苦労したなどという話も耳にします.また700 haの広大な構内には,400 mトラックを備えたグラウンドが5つもあるほか,卓球,バドミントン,テニスなどの専用施設も充実しており,夕方などには多くの学生が運動で汗を流しています.学習面では自習用のスペースを豊富に取った図書館がとても充実しており,学期中の学生は一般の日本の学生より平均してよく勉強している,と思います.一方で,学部の授業の終わったあとの2月の春節と7~8月の夏休みの時期は,学内の食堂も学内バスも休みとなり,学生もほとんど帰省してしまって,学内は休眠状態に近くなります.近所の食堂も休むところが多くなり,実験の忙しい大学院生や帰国しない留学生などは食事をするのもたやすいことではなくなります.
大学院制度については大学によって違いが大きいようで,私が今までに関係してきた大学でも,中国農業大学は修士課程2年,博士課程4年ですが,西南大学は修士課程3年,博士課程3年です.入学は内部からの推薦入学と外部からの入学試験が一般のようです.大学の成績管理は厳しく,学生の成績の席次が発表されます.成績トップの学生が大学院に進む場合,よりランクの高い大学を希望することも多いようです.これを防ぐためか,優秀な学生には早くから自校の大学院進学を許可してしまうなどという,どこかの国でもよく聞かれる話も耳にします.私のセンターには学部3年生から飛び級で大学院に進学してきた学生も一人います.これも青田刈りでしょうか.センターでは,学部の4年生の卒業実験指導も引き受けていますが,これは1年間継続して研究を指導するというよりは,数カ月研究を経験させるといった感じのもので,正直ほとんど研究の戦力にはなりません.その代わり,3年間ある修士課程についてはかなり充実したものになり,また学術誌に論文を発表させる必要もあります.この間,一定期間ほかの大学や研究機関に送り込んで,新しい技術や別な考え方・雰囲気を経験させることも多いようです.大学院生にとって良いことだと思います.修士課程修了後には海外の大学の博士課程進学を希望する学生も多いようです.
前述のように,最近の中国ではバイオの世界でも大量の博士が生産されていますので,現在では修士課程修了後に研究機関に入ることは極めて困難で,公務員またはそれに類する職を希望したり,また民間会社に就職する学生が多いようですが,ここでも修士課程の経験・実績や学術論文の質など,厳しい競争が待っているようです.また博士課程を修了して博士号を取得しても,その後はかなり厳しい状況なのも,すでに前編で述べたとおりです.
大卒後の初任給については,地域や研究実績によって大きく異なると思いますが,おおむね3,000元(52,000円)程度,これでは北京や上海ではかなり生活がきついと思われます.博士取得後の大学の研究スタッフについては,私のセンターではポスドクを年10~12万元(170~200万円)程度で募集しました.これも前述のように重慶は北京や上海に比べて生活費が安いですし,西南大学ではポスドクには安価なアパートが学内に用意されていますし,アパートを買うにしても沿岸部の都市より安いので,この条件はかなりの好条件だと言われています.なお,中国では結婚に際して新郎側がアパートを用意する場合も多いようです.
研究費に関しても最近の中国ではかなり充実してきており,中国元の為替レートの高騰,すなわち2年前は1元12.5円程度だったのが現在17円くらいになっていることもあって,日本と比べてそん色ない,両国の物価や人件費の違いなどを考えれば若手のポスドクや助手クラスの人にとって状況はむしろ恵まれているようにも感じられます.センターでは,現在2人の若手副教授が各20万元くらい,2人のポスドクが各5万元くらいの研究費を自身で獲得しています.日本の科研費に近い制度と考えられる国家自然科学資金は,高額なほうが年間80万元くらい,若手向けが25万元くらいのようです.日本の科研費同様,国家自然科学資金の審査は相当に厳格であると聞いています.
このほか,高額で名誉にもつながる研究費として,国家重点実験室(STATE KEY LAB)と州または特別市の重点実験室があります.国家重点実験室の年間運営費は1,000万元程度と聞いています.われわれのセンターは,2014年1月に重慶市重点実験室に指定されました.年間の運営費は国家重点実験室の十分の一程度です.なお,西南大学にある国家重点実験室は,「蚕ゲノム研究」の1カ所だけです.ちなみに,私の研究室の後輩である曲音波教授が中心的に活動している山東大学の微生物学科は2つのバイオテクノロジー系の国家重点実験室をもっています.前編でも述べたように,私と西南大学との間にはセンターを国家重点実験室にすることを「目指す」という約束があります.山東大学の曲先生が最初の国家重点実験室をセットアップするのに20年を要したことを考えるとたやすい目標ではありませんが,ステータス・研究資金・人材確保のどれをとってもメリットが極めて大きいので,次は国家重点実験室を「目指して」頑張りたいと思います.
このほか,国家計画に基づいたプロジェクトも多くあるようで,われわれも環境や国際交流にかかわるプロジェクトに応募しています.こちらは研究レベルの高さというより,国家の要望・必要性からの判断が大きいように思います.このほか,中央政府や地方政府さらには民間企業との共同プロジェクトの実施も盛んのようです.
中国で研究者の方と討論された経験がある方ならおわかりと思いますが,中国の科学・科学技術は,基礎となる知識の充実よりは,実践的な成果を求めます.最近では基礎科学も重要視されてきているようですが,伝統的に「それは何のためになるか? 人民に何をもたらすか?」が重視されます.日本で基礎研究をしている皆さんのなかに研究発表後に中国の大御所,院士の先生方からそのような質問を受けて一瞬戸惑った方もおられるのではと思います.私自身,特に微生物の基礎生理にかかわる仕事について発表した際にはよくそのような質問を受けましたし,今までに参加した日中シンポなどでも,そのような質問に遭遇している先生をよくお見受けしました.
基礎的・独創的な基礎科学の発展か,または実用化,すなわち知識・知見が実際に私たちの役に立つことのどちらがより重要なのか,どちらを優先して考えるべきなのか,わが国の各所でたびたび議論されてきました.わが国が推進するプロジェクトに関してわが国ではよく政府機関の方針が揺れてきましたが,中国の国家プロジェクトでは常にできる限り早期に社会実装することが重視されてきたように思います.これには未完成の技術が大規模に実施される危険性などの問題も多いと思いますが,逆にわが国では,特にバイオ研究について言えば,新規技術の実用化の足取りが必要以上に遅くなっていると感じます.日本の優れた基盤技術が実用化に向かわないのは大問題です.リスクが過大に喧伝されたり,時として実施者が必ずしも本気で実用化を目指しているとは思えない状況のなか,そして行政や企業の決断がないままに,パイロットプラントレベルまでも進まずに埋もれていっている優良なバイオ技術がかなりあるように思います.日本がもたもたしている間に米国・中国など「国家ぐるみでアンビシャスな国」に総合的な技術力で負けてしまいそうです.話が中国から少しずれました.
私が西南大学に来て1年半,センターが本格的に動き出して1年が経ちました.その間の一番の誤算は私の中国語が全く身につかなかったということです.65歳を過ぎて新しい言葉を習得するのは私には無理のようです.一方,センターのセットアップについては,研究スペースは新しく建設された発酵実験室兼温室を加えればすでに1,000平米を超え,スタッフも今までの羅副センター長,新たに副教授に昇進した代さん,張さん,ドイツ帰りのポスドク2名(李君と許君)に加え,この秋新たにパデュー大学から藻類研究の張さん(女性)も副教授として参加してくれました.あと数名採用の予定もあります.このスタッフ構成,私以外は羅教授を筆頭にすべて若いスタッフから成り立っていますが,1966年から1976年頃まで続いた文化大革命の影響か,資源環境学院(学部レベル)全体を見ても55歳以上の教員があまりいません.おそらくほかの学部,他大学でも高齢の院士クラスの大先生を除いて同じような状況ではないでしょうか.中国中央政府や重慶市政府がこの年齢の各分野の専門家を外国から招へいする一つの理由でしょうか.
最後に前編で述べたことの繰り返しになりますが,若い研究者の皆さんへしつこいお願いです.日本国内にしがみつくことやアメリカやヨーロッパに目を向けるだけでなく,現在急速に経済成長しているが,科学技術開発や研究面ではまだまだ若く未熟なアジアに目を向けてみませんか.そのような経験が皆さんの将来にとってきっとプラスになるし,また日本の再生・発展にもつながると信じています.
2014年5月撮影.前列右から3人目が筆者,その右隣が羅副センター長.一番右がポスドクの李さん.筆者の左が代副教授(撮影直後に無事女の子を出産),つづいて超優秀な秘書の杜さん,張副教授,アシスタントの呉さん,一番左がポスドクの許さん.なお,能源とはエネルギー源のことです.
(本稿はここ1年半で私が中国で見聞きしてきたこと,考えたことを中心に書きました.間違いや思い違いもあるかと思います.ご指摘いただければ,何かの機会に修正したいと考えています.本稿は2014年9月に書かれました.本文中ではその当時のレート1元約17円で計算されていますが,12月現在1元約19円となっています.また中国の物価はここ数年毎年10%程度上昇しています.)