巻頭言

人を見る目

Katsuhiko Nishimori

西森 克彦

東北大学大学院農学研究科応用生命科学専攻分子生物学分野 ◇ 〒981-8555 宮城県仙台市青葉区堤通雨宮町1-1

Laboratory of Molecular Biology, Division of Life Sciences, Graduate School of Agricultural Science, Tohoku University ◇ 1-1 Tsutsumidori-Amamiya-machi, Aoba-ku, Sendai-shi, Miyagi 981-8555, Japan

Published: 2015-02-20

研究者としての成功・成就を目指していた若き頃から,すでに30年あまりが過ぎ,自分のことはさておき,自分が育てることとなった人々,先輩・同輩・後輩として出会った人々がその後たどった人生が気になる年齢となってしまった.20年,30年,あるいはそれ以上も前に研究とのかかわりで出会った人々の,出会いでの印象や評価と,その後,彼・彼女がたどった道筋,そしてどのように成長し,今いかなる社会的立場に立つのか,を,顧みるとき,深い感慨と,時に呵責の念を否定しえない.指導的立場にいた人の,“人を見る目”が曇っているなら,教え子や後輩たちの人生を狂わせかねない,という重い現実を知るからである.

“恩師”たりえなかった人物からの厳し過ぎる評価への反発をモチベーションとした,としか思えない劇的な復活劇を経て,研究教育者としても社会的にも成功を収めたあるケースを最近知ることとなった.そして“上に立つ人”の軽々しくも否定的な人物評価が,時に対象者の人生を葬りかねない罪深さを包含する場合さえあることを,もっとわれわれは自戒すべきと気づかされた.

基礎医学系の“研究指導者”(仮にO教授とでもしておこう)と,そのスタッフから,研究者としての能力を否定された大学院生がいた.「君には,研究者としてみるべきものは何もないね」とまで酷評され,果てはストレスからか体を壊し,追われるようにその所属を去ったN氏は,その後元の所属地から500 kmも離れた,国立大学医学部に復学し,医師となった.その後も精力的に臨床業務と研究をこなし,米国留学を経験して,今では臨床でもまた基礎研究の場でもその実力を知られる研究医となった.そのN教授は,かつての“師”のO教授ですら滅多に投稿できなかった高インパクトの雑誌に責任著者として論文を発表し,また多くの大学院生を育てつつある.専門医としてたびたびテレビにも出演・解説するなど,社会的にもまた大活躍している.

これを「めでたしめでたし」の劇的復活ストーリーと片づけることは容易い.が,復学に遠方の大学を選んだ理由を彼は,「もとの上司たちからの影響力を恐れたから」,と言う.「一時の絶望から逃れ,その評価を覆すこと」をネガティブなしかし強力な動機として,猛烈な頑張りをした,とも吐露する.酷評に対する孤独な戦いがモチベーションとなり,大いなる成功を収めたN教授のケースを.単なるサクセスストーリーと片づけて良いのだろうか.

指導者の“人を見る目”の欠如が,時に能力がある者の成長の芽を摘んでしまうことを示すこの例は,教育する立場にあるわれわれに重い課題を突きつけている.かつて投げつけた言葉の重さを,O教授は自覚などしているまい.一方,N教授は「教育者する立場となってから,弟子を“見捨てる”ようなことは一度たりともしていない.教え子の大学院生は,一人も落後させていない」と強く言う.

当の私は「自慢ができるぐらいに人を見る目がない」,と自覚する人間である.ヒトを判断する責任の重さに恐れをなしている面も否定できない.おまけに,研究室にやってくる学生たちの誰にでも,潜在的な能力を感じてしまう.それで失敗したことも少なくない.それでも,少なくとも,僅かな時間での“面接”や,“短い付き合い”くらいで,彼や彼女がもつ(かもしれない)潜在能力を判断,否定することなど無理と確信する.短期間での人物判断に自信を示す人こそ信用できないし,傲慢である.

幸いにも大学院時代をわが研究室で過ごし,研究・勉学に励んで学位を取得し卒業していった“教え子”たちの多くは,今,所属する領域を担う若手のホープとして輝いている.

経験を積み教育者としての自信をおもちの先生方も,謙虚さをもってもう一度教育の原点に戻ることをお薦めする.