Kagaku to Seibutsu 53(3): 156-163 (2015)
解説
好アルカリ性細菌のエネルギー代謝機構から見たチトクロムcの多機能
Multiple Functions of Electron-Transfer Protein, Cytochrome c in Alkaliphilic Bacteria
Published: 2015-02-20
好アルカリ性細菌の系統的および生態学的な分布が多様であるように,その環境適応のために取りうる手段とその強弱も多様であることが予測される.好アルカリ性細菌は,系統学的に中性細菌と比較的近縁な微生物群であることから予想されるように,ほかの微生物がもたない特殊な生体機能を獲得したわけではなく,種々の機能のマイナーチェンジの合わせ技によって環境適応をしていることが好アルカリ性細菌のエネルギー代謝を研究することによって垣間見ることができる.好アルカリ性細菌のチトクロムcは,単に呼吸鎖の成分としてではなく,膜の表面の陰荷電形成に貢献するとともに,電子受容体との間で大きな酸化還元電位差をつくることにより電位差の大きなコンデンサーの役割をするほか,電子移動や膜電位とリンクして膜表面のH+の挙動にも影響することが考えられ,特定の好アルカリ性細菌の特定の生育条件における環境適応に対する切り札の一つとして機能しているものと考えられる.
© 2015 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2015 公益社団法人日本農芸化学会
これまでチトクロムcは一般的に呼吸鎖複合体Ⅲ(bc1 complex)と呼吸鎖複合体Ⅳ(チトクロムc酸化酵素)の間の電子伝達の機能をもつ単なる電子運搬体であることがエネルギー代謝上の唯一の機能と考えられてきた.一方,極限環境に適応する微生物はそれぞれの生育環境に適した生体システムによって代謝を行っている.すなわち通常の環境に生育している微生物の代謝システムのイノベーションを集積させることによって特殊な環境に適応するすべを獲得している.ある特定のアルカリ環境適応微生物は環境適応の一つの手段として,自身のもつ低分子サイズの電子伝達体タンパク質であるチトクロムcを巧みに機能させて特殊な環境に適応していることがうかがえる.本稿ではアルカリ環境に適応している微生物の環境適応能の視点からみたチトクロムcの多機能性について紹介する.
好アルカリ性微生物とはpH 9以上の培養条件においてpH 9未満の培養条件下よりも優れた生育パラメーター(倍化速度,最大生育OD)を示す微生物と定義されている(1)1) K. Horikoshi: “Alkaliphiles,” Kodansha/Springer, 2006..好アルカリ性微生物の研究は主にグラム陽性細菌であるBacillus属の菌種において行われてきたが,実際にはFirmicutes門に属するかなり多岐にわたる属に好アルカリ性細菌と定義される種が存在する(2)2) I. Yumoto, K. Hirota & K. Yoshimune: “Extremophiles Handbook,” ed. by K. Horikoshi, Springer, 2011, p. 55..このことは,好アルカリ性細菌はほかの極限微生物と比較して,微生物生態学的にその分布が広範囲であることにも関係すると考えている.好冷細菌(培養の上限が20°C前後の微生物)は年間を通じて20°Cを超えない環境にしか存在しないが,好アルカリ性細菌は平凡な庭や畑の土からも分離される(1)1) K. Horikoshi: “Alkaliphiles,” Kodansha/Springer, 2006..その理由は,シロアリの腸内のようなミクロなアルカリ環境が存在することや(3)3) T. Thongaram, S. Kosono, M. Ohkuma, Y. Hongoh, M. Kitada, T. Yoshinaka, S. Trakulnaleamsai, N. Noparatnaraporn & T. Kudo: Microbes Environ., 18, 152 (2003).,タンパク質の分解で発生したアンモニアによってアルカリ環境が存在すると考えている.また,好アルカリ性細菌の中には酸を産生して自らの生育環境をより有利にする機能をもつ細菌種/株が少なからずいると考えられる.これまでの好アルカリ性Bacillus属細菌を使用した研究において,中性環境と比べてプロトン(H+)濃度が約100分の1から1,000分の1希薄なアルカリ環境では,代謝におけるH+の利用をできるだけ避けるために,Na+/H+アンチポターが溶質の輸送や細胞膜内外のバルクベース(細胞膜外側のpH=培地pH)におけるH+濃度差の緩和をしている.さらに,Na+/H+アンチポターは膜電位差(ΔΨ,細胞内:−,細胞外:+)によってH+による細胞膜内外のポテンシャルをNa+のポテンシャルに変換する.これにより,中性細菌が本来H+による細胞膜内外のポテンシャルを使っている輸送系や鞭毛の回転をNa+のポテンシャルによって行い,H+の使用を節約している(4)4) E. Padan, E. Bibi, M. Ito & T. A. Krulwich: Biochim. Biophys. Acta, 1717, 67 (2005)..また,好アルカリ性Bacillus属細菌の中には二次細胞壁ポリマーにより細胞壁表面を酸性にしている.二次細胞壁ポリマーを構成する物質としてテクロン酸やウロン酸と酸性アミノ酸から構成されるテイクロノペプチドを産生するもの(5)5) R. Aono, M. Ito & T. Machida: J. Bacteriol., 181, 6600 (1999).や酸性高分子として表面タンパク質SlpAとγ-ポリグルタミン酸を産生するもの(6)6) R. Gilmore, P. Messner, A. A. Guffanti, R. Kent, A. Scheberl, N. Kendrick & T. A. Krulwich: J. Bacteriol., 182, 5969 (2000).が知られている.一方,われわれが藍染めの発酵染色液から分離した好アルカリ性微生物Amphibacillus iburiensisは培養初発pH 11でも生育するが,その生育と培地のpHの変化を調べてみると,自ら培地のpHを下げpH 9に達したときに急に目立った生育を示す(7)7) K. Hirota, K. Aino & I. Yumoto: Int. J. Syst. Evol. Microbiol., 63, 5303 (2013)..このことは本微生物が自ら周囲の環境を都合の良いように変える能力をもっていることを示している.
以上に記載したように,好アルカリ性細菌は外部のアルカリ環境に対抗するために中性で生育している細菌にはない構造的,機能的な改変を行っている.それら改変の集積で環境適応を行っているわけであるが,それぞれ個別の戦略の種類や重みは,菌種や菌株によって異なっているものと考えられる.われわれが最も注目している機構は,H+が少ないアルカリ環境において,細胞膜外部に存在するH+が細胞膜内に輸送されることによって起こるATPの合成がどのようにして行われるか? と言うことにある.
Peter Mitchellの化学浸透圧説によるとATPaseがATPを合成する駆動力(H+駆動力:Δp)は,細胞膜内外のH+濃度差(ΔpH,細胞内:アルカリ性,細胞外:酸性)と細胞膜内外の膜電位差(ΔΨ,細胞内:−,細胞外:+)によるものと考えられており,H+駆動力は以下の式で表される(8)8) P. Mitchell: Nature, 191, 144 (1961)..
生化学の解説書にはバルク(=培地のpH)ベースのΔpHの説明図が掲載されており,バルクのpHが中性付近に保たれていればエネルギー代謝上有利ではあるが,好アルカリ性細菌にとっては外側の細胞膜付近にH+を集積させる必要がある.バルクベースを細胞膜外のpHと考えると,好アルカリ性細菌のΔpHは理論上ATP合成にとって負の方向を示し,好アルカリ性細菌のΔΨは,中性細菌よりも大きな値であり,ATP合成の正方向を示す.好アルカリ性細菌のこれらのΔpHとΔΨを足し合わせてもATPを合成するに足るΔp値には至らない(9)9) T. A. Krulwich: Mol. Microbiol., 15, 403 (1995)..しかし,これまでの好アルカリ性細菌の研究では,好アルカリ性細菌はH+-ATPaseを使ってATPを合成していることが示されており,呼吸鎖もH+を排出していることがわかっているので,ΔpHは細胞膜表面近傍のpHベースで考えるのが妥当だと考えられる(10)10) A. Y. Mulkidjanian, J. Heberle & D. A. Cherepanov: Biochim. Biophys. Acta, 1757, 913 (2006).(図1図1■膜近傍ベースの化学浸透圧説).好アルカリ性細菌が,H+ベースおよびNa+ベースのポテンシャルをATPaseおよび鞭毛の回転にそれぞれ駆動力として用いていると考えると,細胞膜上にそれぞれのポテンシャルが局在しているものと考えられる.これまで測定されてきた好アルカリ性細菌のバルクベースのΔΨは中性細菌よりも高い値を示しており(11~15)11) M. Kitada, A. A. Guffanti & T. A. Kurlwich: J. Bacteriol., 152, 1096 (1982).12) S. Sugiyama, H. Matsukura, N. Koyama, Y. Nosoh & Y. Imae: Biochim. Biophys. Acta, 852, 38 (1986).13) A. A. Guffanti, O. Finkelthal, D. B. Hicks, L. Falk, A. Sidhu, A. Garro & T. A. Krulwich: J. Bacteriol., 167, 766 (1986).14) A. Hoffmann & P. Dimroth: Eur. J. Biochem., 201, 467 (1991).15) T. Hirabayashi, T. Goto, H. Morimoto, K. Yoshimune, H. Matsuyama & I. Yumoto: J. Bioenerg. Biomembr., 44, 265 (2012).,実際のΔΨはバルクベースのΔΨよりも高いとすると,好アルカリ性細菌のATP合成においてΔΨが非常に重要であることを示唆している.
これまでのわれわれの研究において,好アルカリ性Bacillus属細菌の呼吸鎖によるH+の細胞膜外への排出の動態を観察したところ,通気によって反応を開始させると反応初期にH+排出の遅れ(lag time)が観察される(16)16) K. Yoshimune, H. Morimoto, Y. Hirano, J. Sakamoto, H. Matsuyama & I. Yumoto: J. Bioenerg. Biomembr., 42, 111 (2010)..これは,呼吸鎖によって細胞膜内側から外側にくみ出されたH+がバルクにすぐに排出されずに,細胞膜外側に存在するH+をつなぎ止める場所にH+が満たされた後に,余剰のH+がバルクに排出されているように見える.また,細胞膜外のH+と膜内のNa+を対向輸送させるモネンシンを入れると,H+排出のlag time(反応初期のH+排出の遅れ)がさらに延長される.このことは,細胞膜外付近に蓄積されているH+が,細胞内に比較的多く存在するNa+との対向輸送によって細胞内に取り込まれ,H+がバルクに排出される時間がより遅れたためと考えられる.一方,この反応系にΔΨを消失させるバリノマイシンを入れると,それまで観察されていた反応初期のlag time(H+排出の遅れ)がなくなる.このΔΨによるH+のトラップ現象は膜の外側の溝を意味するproton wellとして報告されている(17)17) A. Y. Mulkidjanian: Biochim. Biophys. Acta, 1757, 415 (2006)..好アルカリ性Bacillus属細菌が高いΔΨを示すことは,呼吸鎖によってくみ出されたH+を膜の外側表面もしくはproton wellにつなぎ止めることで,細胞膜近傍ベースのΔpH形成に寄与していることが示唆される.
好酸性細菌と好アルカリ性細菌はΔpHおよびΔΨの点で逆の立場にある(18)18) J. L. C. M. van de Vossenberg, A. J. M. Driessen, W. Zilling & W. N. Koning: Extremophiles, 2, 67 (1998).(図2図2■好アルカリ性細菌と好酸性細菌におけるバルクベースのΔpHとΔΨ(9,18)).好酸性細菌は細胞膜の外側に大量のH+が存在しており,ΔpHの形成は特に呼吸鎖に依存しなくて良いと考えられる.一方,好酸性細菌のΔΨは,ATP合成とは逆方向に形成されており,ATP合成にとって足を引っ張るような存在である.この好酸性細菌のΔΨは,H+を細胞膜の外側表面に無理に引き寄せる必要がないもしくは,H+を細胞膜近傍に近づけすぎないことが,むしろ重要であることを示唆している.
好アルカリ性細菌(B)のΔΨは,ATP合成の方向に形成されており,アルカリ環境下でH+を細胞膜表面に引き寄せる可能性がある.好酸性細菌(A)のΔΨは,ATP合成とは逆方向に形成されており,酸性環境において余りあるH+を細胞膜表面から遠ざける方向に機能している可能性がある.
以上を総合すると,ΔΨの影響を受けてΔpHは膜近傍ベースで機能しており,場面(時間)と場所によって変化するものと考えられる.その一方,培地のpH(バルクのpH)の影響は必ず受けており,培地のpHが上昇すると細胞内のpHを中性細菌のpHよりも高いpHに上昇させて,エネルギー代謝上の不利な状況を緩和しているものと考えられる(図2図2■好アルカリ性細菌と好酸性細菌におけるバルクベースのΔpHとΔΨ(9,18)).
好アルカリ性Bacillus属細菌のΔΨ(約−180~−210 mV)は,好酸性細菌(約0~+150 mV)はもとより中性細菌(約−130 mV)よりも(ATPを合成する方向に)高い(19)19) T. Goto, T. Matsuno, M. Hishinuma-Narisawa, K. Yamazaki, H. Matsuyama, N. Inoue & I. Yumoto: J. Biosci. Bioeng., 100, 365 (2005)..このことは呼吸鎖によって細胞膜外にくみ出されたH+あたりのエネルギーポテンシャルの増大につながっていると考えられる.好アルカリ性細菌Bacillus clarkiiと中性細菌Bacillus subtilisの呼吸鎖によってくみ出されるH+の推定量を比較すると,酸素消費あたりの細胞膜外へくみ出されるH+の推定量はB. clarkiiのほうが多いが,呼吸鎖の回転速度はB. subtilisのほうが高く,結果的にはB. subtilisのほうが単位時間あたりにくみ出される推定H+量は多い(15)15) T. Hirabayashi, T. Goto, H. Morimoto, K. Yoshimune, H. Matsuyama & I. Yumoto: J. Bioenerg. Biomembr., 44, 265 (2012)..しかしながら,産生されるATPの量は圧倒的にB. clarkiiのほうが多く,このことはB. clarkiiのH+あたりのエネルギーポテンシャルが大きいことを意味するものと考えられる(図3図3■B. clarkiiとB. subtilisの細胞膜を介したエネルギー代謝の比較).もしΔΨについても細胞膜の場所によって局在性を示すのであれば,これまで測定されてきた値よりも大きなΔΨが呼吸鎖成分の部分的な局在に伴って存在しているのかもしれない(図1図1■膜近傍ベースの化学浸透圧説).
B. clarkii(A)とB. subtilis(B)のATP産生量を比較するとB. clarkiiのほうが圧倒的に多い.これは呼吸鎖によってくみ出されたH+あたりのエネルギーポテンシャルが大きいことを意味するものと考えられる.つまり,B. clarkiiは高いΔΨに逆らってH+をくみ出す見返りに,高いポテンシャルをもったH+を利用してATPaseを介して多量のATPを合成する.また,好アルカリ性細菌は高いΔΨに加えて,H+をつなぎ止める能力が高いチトクロムc(Cyt. c)を細胞膜の外側表面に発現させ(チトクロムcの球状部分に至る部分に水素結合ネットワークに関与すると考えられる配列が存在する.),呼吸鎖によってくみ出されたH+を有効活用している.好アルカリ性細菌が高いΔΨの存在下においてH+をくみ出すことが可能であるのは,Cyt. cとチトクロムc酸化酵素(Cytochrome c oxidase)との間の大きな酸化還元電位差に起因すると考えられる.
生物体内の電子伝達タンパク質のコア(酸化還元を担う呼吸鎖成分の補欠分子族)は酸化還元電位が低い場面では主に鉄–硫黄クラスターが採用されているが,酸化還元電位の高い場面では主にヘムが採用されている.最も一般的なチトクロムcは呼吸鎖複合体Ⅲ(bc1 complex)と呼吸鎖複合体Ⅳ(チトクロムc酸化酵素)の間の電子伝達の機能をもち,一分子のヘムcを補欠分子族にもち,分子量が約8,000~14,000の小型の電子伝達タンパク質である.ミトコンドリアやグラム陰性細菌のチトクロムcは水溶性のタンパク質であるが,グラム陽性細菌の場合はすべて膜タンパク質である.一般的にヘムcが結合するアミノ酸配列にはCys-X-X-Cys-Hisという配列があり,ヘムを共有結合でタンパク質部分と連結している2つのシステイン(Cys)とヘムの5位の軸配位子であるヒスチジン(His)を示している.ヘムの6位の軸配位子はメチオニンで5位の軸配位子であるヒスチジンとはアミノ酸配列上離れた場所に存在する(20,21)20) L. Banci & M. Assfalg: “Handbook of Metalloproteins,” ed. by K. Wieghart, R. Huber, T. Poulos & A. Messerschmidt, John Wiley & Sons, Ltd., 2001, p. 32.21) T. Yamanaka: “The Biochemistry of Bacterial Cytochromes” ed. by T. Yamanaka, Tokyo/Springer-Verlag, 1992, p. 91..
生化学の教科書的にはチトクロムcは単に電子伝達機能をもったタンパク質と記載されているが,これまでの報告にはH+輸送や電界の強度やpHによって酸化還元電位が変化することが報告されており,状況に応じた電子移動と機能とのリンクが示唆されている.チトクロムcは通常H+輸送能をもっていないと考えられているが,さまざまな呼吸鎖成分を示す細菌種を供試した場合や単一の細菌でチトクロムcを有する野生株とチトクロムcをもたない変異株を供試した場合において,酸素消費に対して呼吸鎖によって排出されたH+の比(H+/O)を測定したところ,チトクロムcが存在する場合においてその比が高い値を示していることが報告されている(22,23)22) C. W. Keevil & C. Anthony: Biochem. J., 182, 71 (1979).23) C. W. Jones, J. M. Brice, A. J. Downs & J. W. Drozd: Eur. J. Biochem., 52, 265 (1975)..このことは,チトクロムc自身が呼吸鎖によって細胞膜内から外部に汲み出されたH+の挙動に何らかの関与をしていることが示唆される.
ドイツのマックスプランク研究所のMurgidaとHildebrndtは重プロトン(D+)を利用してチトクロムcのH+の共役電子移動を実証する実験を行っている(24)24) D. H. Murgida & P. Hildebrandt: J. Am. Chem. Soc., 123, 4062 (2001)..電極上にチトクロムcを電極との距離を変えて固定化し,電極の電位によりチトクロムcの酸化還元を制御し,ヘムのラマンスペクトルを測定することによりチトクロムcの酸化還元状態をモニターし,電極とチトクロムcの電子移動速度を測定した.その結果,電極とチトクロムcの距離が6.3 Åの場合H2O中において電子移動速度の反応速度常数が132 s−1であるのに対し,重水(D2O)の場合は電子移動速度が33 s−1と著しく低下している.一方,電極とチトクロムcの距離が24 Åの場合は電子移動距離が長いことから電子移動速度が遅く,H2OとD2O中の間で電子移動速度に差が見られない.以上の実験は,電子の移動速度が速い状態においては,酸化還元状態と共役したD+の移動が律速になるが,電子移動が遅い時はD+の移動は律速にならないことを示唆している.一方,電極とチトクロムcの距離が近い場合においてのみ,H+の移動は電極の電界の影響を受けて起こるが,遠い場合は電極からの電界の影響を受けず,チトクロムcの酸化還元状態とリンクしたH+の移動は起こらない可能性が考えられる.この電界の影響は細胞膜に置き換えて考えると,ΔΨの影響と考えることができるかもしれない.
硫酸を還元して硫化水素を産生する硫酸還元菌Deslufovibrio gigasは一つのタンパク質分子内にヘム4分子をもつチトクロムc3をもっている.還元型チトクロムc3は,共役的H+/e−結合機構(redox-Bohr effect)により,H+結合能をもつと報告されている(25)25) A. C. Messias, A. P. Aguiar, L. Brennan, C. A. Salgueiro, L. M. Saraiva, A. V. Xavier & D. L. Turner: Biochim. Biophys. Acta, 1757, 143 (2006)..このチトクロムc3の4つのヘムであるヘムⅠ,ヘムⅡ,ヘムⅢ,ヘムⅣはそれぞれ,溶液中では−306 mV,−327 mV,−308 mV,−297 mVの酸化還元電位を示すが,電極上の自己形成単層(SAM)ではそれぞれ,−332 mV,−384 mV,−381 mV,−457 mVに変化する.溶液中とSAMとの酸化還元電位差はヘムⅣ>ヘムⅢ>ヘムⅡ>ヘムⅠであり,この順番は,ヘムと電極との距離が短い順番になっている(26)26) L. Rivas, C. M. Soares, A. M. Baptista, J. Simaan, R. E. Di Palo, D. H. Murgida & P. Hildebrandt: Biophys. J., 88, 4188 (2005)..このことは,ヘムの酸化還元電位はタンパク質自体の構造変化もしくは,ヘム周辺の局所的な構造変化の影響を受けて変化することを意味している.すなわち,最もSAM表面から遠い位置に存在するヘムⅠは電極からのクーロン力の影響をほとんど受けなかったのに対し,最も近い位置にあるヘムⅣは電極からのクーロン力の影響をより強く受けていることを合理的に説明できる.
以上を総括すると,チトクロムcと補欠分子族ヘムcの性質は電界(クーロン力)の影響や周辺に存在するタンパク質などの影響を受けて酸化還元電位やH+輸送能が変化するものと考えられ,このような調節機能がエネルギー代謝上重要な役割を果たしているものと考えられる.
絶対好アルカリ性Bacillus属細菌(中性で生育しない好アルカリ性細菌)の野生株と野生株から派生してきた中性でしか生育できなくなった変異株のチトクロムcの含量を比較すると,変異株においてその含量が顕著に低下している(27)27) R. J. Lewis, S. Belkina & T. A. Krulwich: Biochem. Biophys. Res. Commun., 95, 857 (1980)..また,通性好アルカリ性細菌(中性でも生育する好アルカリ性細菌)においてアルカリ性環境で生育した菌体と中性環境で生育した菌体を比較すると,前者のチトクロムc含量が多いことから(13,28,29)13) A. A. Guffanti, O. Finkelthal, D. B. Hicks, L. Falk, A. Sidhu, A. Garro & T. A. Krulwich: J. Bacteriol., 167, 766 (1986).28) I. Yumoto, Y. Fukumori & T. Yamanaka: J. Biochem., 110, 267 (1991).29) I. Yumoto, K. Nakajima & K. Ikeda: J. Ferment. Bioeng., 83, 466 (1997).,チトクロムcの機能がアルカリ環境適応性に何らかの寄与をしていることが示唆されてきた.Bacillus属細菌はプロテアーゼ活性が強く,われわれが研究を開始する以前には,無傷な状態で絶対好アルカリ性細菌由来のチトクロムcが精製された例はなかったことから,絶対好アルカリ性細菌から無傷な状態のチトクロムcを精製することを試みた(30)30) S. Ogami, S. Hijikata, T. Tsukahara, Y. Mie, T. Matsuno, N. Morita, I. Hara, K. Yamazaki, N. Inoue, A. Yokota et al.: Extremophiles, 13, 491 (2009)..北海道内の土壌サンプルから分離した好アルカリ性細菌のストックの中から,絶対好アルカリ性細菌でかつプロテアーゼ活性の低かった北海道夕張の土壌から分離したK24-1U株を選抜した.本菌株は分類学的検討の結果,これまで絶対好アルカリ性細菌として報告されているB. clarkiiであることが明らかになった.本菌株から膜結合性のチトクロムc-550を精製し,その諸性質を検討した.本チトクロムcの遺伝子の5′末端には,シグナル配列遺伝子が存在する.チトクロムc-550が最終的な形態を取る過程で,チトクロムcの本体が細胞膜外へ輸送された後,シグナルペプチドが切断され,N末端のシステイン残基(遺伝子上は18番目のアミノ酸)の側鎖とアミノ末端がそれぞれジアシルグリセロール修飾とアセチル化修飾を受けている.ジアシルグリセロール部分の脂肪酸は決まった分子種ものが判で押したように結合しているわけではなく,細胞膜中の脂肪酸に適合した組成を示した.このことは,たとえ多量のチトクロムcを細胞膜上に発現しても,細胞膜の脂肪酸組成を著しく変えなくて良いことを意味していると考えられた.
これまで報告されてきた好アルカリ性細菌のチトクロムcは,等電点(pI)が3.4~4.0の酸性タンパク質である(19)19) T. Goto, T. Matsuno, M. Hishinuma-Narisawa, K. Yamazaki, H. Matsuyama, N. Inoue & I. Yumoto: J. Biosci. Bioeng., 100, 365 (2005)..チトクロムc-550の等電点は,等電点電気泳動によって4.1と測定された.また,本チトクロムcのアミノ酸配列には,ヘムの軸配位子であるHisを除くと塩基性のアミノ酸は極めて少なく1残基のLysしかない.チトクロムc-550のアミノ酸配列をほかの中性細菌および好アルカリ性細菌由来のチトクロムcと比較したところ,チトクロムc-550には中性細菌および通性好アルカリ性細菌に見られないGly22–Asn34の配列が存在する(図4図4■膜結合性チトクロムcのアラインメント).このことは,本配列がアルカリ環境への適応にのみ特化していることが示唆された.このGly22–Asn34配列内には,H+輸送能をもつアミノ酸として機能する可能性があるAspおよびGluがそれぞれ3/13および1/13存在する.さらにその周辺部分を含めて見ると,Asn21–Asn37の間にAsnは7/17存在しており,Asnがアルカリ環境適応に重要な意味をもっていることが示唆された.
絶対好アルカリ性細菌B. clarkii K24-1U株のチトクロムc-550は,中性細菌や通性好アルカリ性細菌のチトクロムcにはないGly22–Asn34をもつ(四角で囲んだ部分).絶対好アルカリ性細菌のチトクロムcには,Gly22–Asn34様の配列が存在する.上からB. clarkiiからB. pseudofirmusまでが絶対好アルカリ性細菌.B. haloduransからB. clausiiまでが通性好アルカリ性細菌.S. pasteuriiは絶対あるいは通性が不明な好アルカリ性細菌.B. licheniformisからB. pseudomycoidesまでが中性細菌.B: Bacillus,S: Sporosarcina.黒塗り部分は,チトクロムcのヘムを共有結合でタンパク質部分と連結している2つのシステイン(C)とヘムの5位の軸配位子であるヒスチジン(H),ヘムの6位の軸配位子であるメチオニン(M)を示す.塩基性のアミノ酸を薄緑で示した.薄緑の矢印は,ジアシルグリセロール修飾を受けるチトクロムc-550のCys18を示す.
Asnは,化学的にはH+を輸送する性質をもっているが,その残基の水素結合が弱いため,これまでの研究ではH+輸送能をもつアミノ酸としてそれほど注目されてこなかった.DoukvらはAsnがH+輸送に関与している非常に興味深い水素結合ネットワークを提唱している(31)31) T. I. Doukov, H. Hemmi, C. L. Drennan & S. W. Ragsdale: J. Biol. Chem., 282, 6609 (2007)..メチルテトラヒドロ葉酸–鉄–硫黄タンパク質トランスフェラーゼは,メチルテトラヒドロ葉酸のメチル基をcob(I)アミドへ転移する反応を触媒する酵素である.この転移反応はメチルテトラヒドロ葉酸のプテリン環のN5部位へのH+輸送を含むメチル基の求電子的活性化を必要とする.しかし,このメチル基転移酵素の結晶化構造には,メチルテトラヒドロ葉酸のN5部位にH+が結合できる距離には水素結合ネットワークが存在しないことから,明白なH+供与体が存在していない.このメチル基転移酵素についてDoukvらは,拡張された水素結合ネットワークがN5部位へのH+輸送に関与していることを反応速度論や構造的な証拠を組み合わせて説明している.この拡張された水素結合ネットワークには,Asnおよび保存性の高いAspそして水分子が含まれている.メチルテトラヒドロ葉酸のN5原子の水素結合距離内へ離れた位置に存在するAsnが回転することによって水素結合が可能な距離に移動するスキームを提唱している.Doukvらは,この実験結果とスキームによりAsnの弱い水素結合残基でさえも個別のコンポーネントのみから示唆されるよりも大きな水素結合ネットワークの累積に貢献可能であり,この反応の遷移状態に対する総体的な影響を与えることを示唆しているとの考察をしている.
また,B. subtilisの膜結合性チトクロムc-550をはじめそのほか多くのチトクロムcでの報告(32)32) P. S. David, P. S. Dutt, B. Wathen, Z. Jia & B. C. Hill: Arch. Biochem. Biophys., 377, 22 (2000).から考えると,B. clarkiiのチトクロムc-550のGly22–Asn34配列は,N末端からヘムcを取り囲む最初のα-へリックスに至る外側に露出している部分であることが推測される.このGly22–Asn34配列(Asn21–Asn37配列)がメチルテトラヒドロ葉酸-鉄-硫黄タンパク質トランスフェラーゼのAsnに類似した機能をもつと考えると,B. clarkiiのチトクロムc-550のGly22–Asn34配列は細胞膜の外側表面での水素イオンネットワーク形成に貢献している可能性が極めて高い.さらに,チトクロムc-550の細胞内での分子形態を理解するために,チトクロムc-550の水溶液中での分子形態を検討したところ,組換えタンパク質(シグナルペプチドを含まない可溶性タンパク質として発現させるために遺伝子上は18番目のアミノ酸であるシステインをメチオニンに置換した)および界面活性剤の存在下で可溶化した天然型タンパク質はともに4量体を示した.この意味するところは,細胞内のチトクロムc-550は個別に存在しておらず,4量体を形成することで,チトクロムc-550分子上のH+ネットワークをより強化することで,呼吸鎖によって細胞膜外側にくみ出されたH+をチトクロムc表面につなぎ止める機能を付与していると考えられる.
これまでに報告された中性細菌のチトクロムcの酸化還元電位は+170~+230 mVであるが,好アルカリ性Bacillus属細菌のチトクロムcの酸化還元電位は+60~+95 mVであり,かなり低い値を示す.筆者らは,この意味は上記した好アルカリ性細菌特有の高いΔΨに逆らってチトクロムcからチトクロムc酸化酵素の活性中心(約+250 mV)に電子を伝達するために必要な酸化還元電位差と考えてきた(33)33) I. Yumoto, S. Takahashi, T. Kitagawa, Y. Fukumori & T. Yamanaka: J. Biochem., 114, 88 (1993)..また,H+濃度が希薄な環境で生育する好アルカリ性細菌は,呼吸鎖による細胞膜外側へのH+のくみ出しにおいて細胞膜外側(=培地)の低いH+濃度が有利に働かなければ,高いΔΨに逆らってH+を細胞膜内側から外側にくみ出すために通常よりも大きなエネルギーを必要とするはずであり,そのためにチトクロムcとチトクロムc酸化酵素の活性中心との間に大きな酸化還元電位差が必要である可能性も考えられる.B. clarkiiのチトクロムc-550の酸化還元電位は,酸化還元適定で求めた場合は+83 mVを示すが,電極と直接反応させるサイクリックボルタメトリで測定した場合は+7 mVを示す.これまでにほかのチトクロムcにおいて電場の影響を受けて酸化還元電位が変化することや電子移動に共役したH+移動が起こる可能性があることを考慮すると(22~25)22) C. W. Keevil & C. Anthony: Biochem. J., 182, 71 (1979).23) C. W. Jones, J. M. Brice, A. J. Downs & J. W. Drozd: Eur. J. Biochem., 52, 265 (1975).24) D. H. Murgida & P. Hildebrandt: J. Am. Chem. Soc., 123, 4062 (2001).25) A. C. Messias, A. P. Aguiar, L. Brennan, C. A. Salgueiro, L. M. Saraiva, A. V. Xavier & D. L. Turner: Biochim. Biophys. Acta, 1757, 143 (2006).,B. clarkiiのチトクロムc-550は,ΔΨの影響を受けて酸化還元電位が変化することやH+輸送の機能をもつことでアルカリ環境適応の一端を担っている可能性が考えられる.
これまでにほかの好アルカリ性Bacillus属細菌で報告されてきたように,B. clarkii K24-1U株のチトクロムc-550の含量は中性細菌であるB. subtilisより2.5~3倍多い(14)14) A. Hoffmann & P. Dimroth: Eur. J. Biochem., 201, 467 (1991)..一方,前者のpH 10における呼吸の速度は,後者のpH 7における呼吸の速度とほとんど同じである.B. clarkii DSM 8720T株は,B. subtilisの約1.7倍のチトクロムcを発現するが,その呼吸速度はB. subtilisの4割にも満たない(15)15) T. Hirabayashi, T. Goto, H. Morimoto, K. Yoshimune, H. Matsuyama & I. Yumoto: J. Bioenerg. Biomembr., 44, 265 (2012)..このことは,多量に発現されたチトクロムcの機能は,呼吸鎖末端の酸化酵素の活性化ではなく,電子を貯めるためであり,コンデンサーの機能をもっていると予想される.
これまでに記載したことを総括すると,好アルカリ性細菌の膜結合性のチトクロムcは,単に①呼吸鎖複合体間の電子伝達の仲介者のみではなく,好アルカリ性細菌の細胞膜外側表面に多量に発現することから,まず②酸性タンパク質としてH+を細胞膜の外側表面に引き付け,③チトクロムcの表面に存在するアミノ酸残基によって形成されたH+ネットワークが,呼吸鎖によって細胞膜内側から外側にくみ出されたH+をバルクに分散させることなく,ATPaseまでH+を輸送する機能をもつと考えられる.また,④電子を貯めてH+を引き付けるのみならず,その電子受容体間において大きな酸化還元電位差があることから,⑤電位差の大きなコンデンサーとしての機能も果たしていると考えられる.
単に大腸菌のような中性細菌のエネルギー代謝の研究を正統派とすると,好アルカリ性細菌の研究ははみ出し者のエネルギー代謝の研究である.日本に住んでいて,海外に出たことがない人間にとって,日本の常識が海外の常識とは異なることがわからないことはよく言われていることである.正常もしくは正統を研究していて,普通だと思っていたことがより大局的な視点から見ると実はそうではなかったということがはみ出しものの研究をして初めて見えてくるとの思いをもって研究と考察を行っている.
また好アルカリ性細菌は,普通の視点からはエネルギー代謝上不利な環境と考えられるにもかかわらず,中性細菌よりも生育が速いことが認められる.好アルカリ性細菌のエネルギー代謝は災い転じて福となす機構であり,その詳細の巧みさと生物のもっているフレキシビリティーとポテンシャルは大きな驚きである.
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