Kagaku to Seibutsu 53(5): 269 (2015)
巻頭言
農芸化学教育の重要性とゆとりのある研究環境の必要性
Published: 2015-04-20
© 2015 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2015 公益社団法人日本農芸化学会
今回,この巻頭言の執筆依頼と「日本農芸化学会功績賞受賞」決定通知が同時に来た.日本農芸化学会には,1974年に入会し,ちょうど40年目となる.その節目に,今までの研究と学会活動が認められたことは最高の喜びである.地方大学で,今まで「硫酸化」という研究キーワードを基に,ただ頑固に,また自由に研究を展開してきた.学部から博士課程修了時まで,農薬化学教室で「硫黄を含む核酸塩基類似体の合成と生理活性」という研究を行い,それが縁で,米国ロックフェラー大学のノーベル賞学者リップマン教授の下で「硫酸化」の研究をすることになり,今日までその硫酸化の研究を継続している.大学院時代の研究室は,自由な発想を重んじ,そして教室の自主ゼミなどを通して,自由な研究議論ができる環境であった.また,宮崎大学に赴任してからも,自由な研究環境が与えられた.さらに,留学したリップマン研究室も,研究テーマが決定すると,自由に研究を行わせてもらった.リップマン教授との研究に関する打合せは,まず,「生活をエンジョイしていますか」から始まり,「よく考えて,やることはシンプルに,そして論文はシンプルストーリーに,かつ,再現性あるデータですね」と念を押されていた.今でも,この指摘を心に留めている.
国立大学が法人化され,中期目標・中期計画の第1期に続いて,第2期も終えようとしている.この間,大学の管理運営に副学長(目標・評価担当),そして大学院研究科長など約10年間関与してきた.第3期の中期目標・計画もほぼでき上がりつつあり,それを見ていると,「大学の強み,機能強化,組織改革」とやっかいなテーマが続き,かつ,「教育の質の保証」に関して,大学機関別認証評価がある.このあおりを受け,大学の教員の仕事はますます多くなり,ゆっくりと研究を楽しむ時間が少なくなっていくことだろう.
日本の科学技術は,主に国立大学や企業が引っ張ってきたが,今,国立大学は教育重視の大学へ変身しようとしている.この中で,農芸化学の教育システムは,すっきりしていて,化学と生物を中心とした基礎教育から,応用が求められる専門教育へと体系的に整えられている.さらに,その教育を受けたものは大学院教育で農芸化学を極め,技術者または研究者への道を歩むことになる.私は,農芸化学の分野で教育を受け,研究を行ってきた.一時,私の学科で,教育負担を減らすことを考え,学生実験を減らした時期があった.企業側から,就職した学生の課題解決能力の低下を指摘され,徹底した学生実験の教育が求められた.実は,この学生実験が農芸化学の売りであり,技術の源であることに気づき,そこからクラシックな学生実験から,今様な分子生物学などの実験教育の必要性が重要であることを改めて認識した.私も,学生のとき,学生実験を経験して研究者の道に気づき,大学院進学したことを思い出した.
一方,農芸化学分野の研究は,科学技術の先頭を走り,また,社会のニーズに合った研究を行う実学の一部も担っている.しかし,忙しい中で研究をしているとつい重要な部分を見逃し,研究実験を担当している学生諸君のデータを鵜呑みにしがちであり,気をつけなければならない.再現性は普遍性であり,極めて重要である.国も,研究者に十分な研究時間と予算を与え,ゆとりのある環境の下で30年先を見据えた基盤研究をさせてもらいたいものである.
最後に,農芸化学の教育は課題解決能力を身につけさせ,また,研究は基盤研究を基にその応用は社会に大きく貢献することを強調したい.