バイオサイエンススコープ

研究者のキャリアパスとしての起業を考える

門奈 理佐

Lisa Monna

株式会社リーゾ ◇ 〒305-0005 茨城県つくば市天久保二丁目9番2号 リッチモンド2番街B201

Rizo Inc. ◇ 2-9-2-B201 Amakubo, Tsukuba-shi, Ibaraki 305-0005, Japan

Published: 2015-06-20

はじめに

事業化できる特許などをもたないごく普通の研究者が,好きな研究を続けるために「起業」をすることはできないのか.実際には,若い研究者のキャリアパスとして,定年後の第2のキャリアとして,「ベンチャーキャピタルに頼らない研究起業」はそれほど非現実的なことではない.その一例である,創業7年目を迎えるつくばの小さなバイオベンチャー「株式会社リーゾ」について,創業の経緯や事業内容,起業を考える研究者へのアドバイスなどをまとめた.

「研究者が起業」のイメージ

研究者が起業するというと,いわゆる「大学発ベンチャー」「研究機関発ベンチャー」など,特許などで権利確保された研究成果を基盤として,大きなリターンが得られる(はずの)事業化を目指すというスタイルをイメージするのではないでしょうか?

でも残念ながら,ごく普通の研究者が起業すると考えた場合,このパターンは非現実的です.なぜならば,このスタイルでは最初の売上が立つまでに時間がかかるためです.時間がかかるとなぜダメかと言えば,研究成果を事業化するために必要な人件費をはじめとする費用がどんどんかさんでいくからです(研究者は人件費を意識していないことが多いですが,現在もらっている給料を数年間,貯金を削って他人に払うと考えてみれば実感できるはず).

ベンチャーキャピタル(VC)なら,研究者のベンチャー起業に億単位のお金を出してくれることもあります.が,大きなお金を受け取るには,かなり事業計画を固めて各方面の了解を得る必要があり,臨機応変な軌道修正が難しく,状況が急変して事業をやめたくなってもやめられません.

さらにもう一つ.憧れの「社長」になるのはいいのですが,法律上,代表者の責任はかなり重いことを覚悟しておかねばなりません.VCからの資金が足りずに銀行借入をするなら個人保証をつけることにもなるし,会社が払うべき賃金や税金を払えなくなれば,代表者が罪に問われることもありえます.つまり,大きなお金を動かすと,期待されるリターンも大きい分,個人にかかるリスクも深刻になります.

……と,水を差すようなことを書いてしまいましたが,心配はいりません.そもそも私たちのような,ごく普通の雇われ研究者に,大きな研究成果があるわけがなく,百歩譲って素晴らしい成果があったとしても,事業化に必要な権利をもらえるとは限りません.さらに百歩譲って成果があって権利ももらえるにしても,事業として成り立つ研究成果は,実はごく稀だからです.

とすると,事業化できるような素晴らしい成果をもたない研究者には,研究者としてのキャリアを生かして起業する道はないのでしょうか?

僭越ながら,その答えの一つとなるかもしれないのが,「リーゾ」です.

平成21年に設立した「つくばの小さなバイオベンチャー」をキャッチフレーズとするこの会社は,ごく普通の雇われ女性研究者が,成り行きでしかたなく,特許なし,巨額出資なし,自己資金のみで,個人事業レベルでスタートし,経営を続けている,「バイオベンチャー」とは名ばかりの零細企業です.

かなり珍しい成り行きで誕生した会社ではありますが,もしかしたら研究業界で働く若者に,ありうるキャリアパスの一つとして希望を与えることもあるかもしれないという思いで,ご紹介させていただくことにしました.

リーゾとはどんな会社なのか

筑波大学の野球場のすぐ近く,つくば市天久保にある,「リッチモンド2番街」という小ぶりなテナントビルの2階.「株式会社リーゾ」という社名を張り付けた質素なドアを開けると,そこがリーゾのオフィス兼ラボです.広さは約10坪,見学なら数秒で終わってしまうほど.

事業内容は,ひとことで言えば「農学分野のご研究のお手伝いビジネス」です.核酸抽出やSNPタイピングの分野を中心に,研究で困っている研究者さんにお役に立つ製品やサービスを提供しています.研究者さんからの要望を受けて,新しい製品やサービスを生みだすこともあります.

社名の「リーゾ」は,エスペラント語で「米」を意味し,稲のように,ひとつぶの小さな種から芽生え,周りの環境と響き合いながら実りの秋を目指すイメージで命名しました.

図1■リーゾのウェブサイト(http://www.rizo.co.jp/)

3代目となる現在のウェブサイト.月数千円のレンタルCMSを利用してすべて手作りし,自社更新.オフィシャルブログやFacebookページとも連携.

開業6年目の現在,メンバーは筆者+準常勤スタッフ4名+繁忙時の助っ人スタッフ2名,全員が「子育て中の主婦」です.

図2■リーゾのメンバー(平成26年11月現在)

全員が,幼稚園児から高校生までの2児以上をもつ子育て中の主婦(左から3人目が筆者).

研究者を中心とするお客様は,コミュニケーションしやすく,「業者」のわれわれに対しても敬意を忘れずにいてくださる,素晴らしいお客様ばかりです.リピートしてくださるお客様が非常に多く,クチコミのおかげで着実に新規のお客様も増えていることで,年間売上1,000万円に満たない超零細ながら3年連続の単年度黒字を達成,立ち上げ時の赤字を少しずつ解消しつつあるところです.

起業に至った経緯

さきほど「成り行きでしかたなく」と書きましたが,起業に至った経緯をもう少し詳しくお話ししましょう.東京大学農学部農芸化学科卒,大学院農学系研究科修士課程まで応用微生物学の研究をしていた筆者は,分野違いのイネゲノム全塩基配列決定を行う研究プロジェクトに加わり,主にイネの有用遺伝子探索,ポジショナルクローニングなどに従事して,この分野で博士号を取得しました.その後,農水研究者OBが立ち上げたバイオベンチャーである株式会社植物ゲノムセンターに移り,イネのSNPs解析(米の品種鑑別に発展),遺伝子発現プロファイル,機能性成分分析,健康食品開発など,社長命令でいろいろなことを手がけながら,幸せに研究者生活を送っていました.ところが平成20年の春から秋にかけて,会社の資金状況が急激に悪化し,給与支払いが滞り,11月に休業宣告を受け,やむなく退職することになりました.

ハローワークに長蛇の列ができるほどの不況下で,幼児を抱えての転職は難しく,「収入」「仕事の充実」「育児との両立」の3つとも取ることは無理という厳しい現実に直面しました.そこで,「収入は少なくても育児と両立できてやりがいのある仕事をしよう」と腹をくくりました.

職住近接で,働く時間も自由で,毎日ワクワクしながら大好きな実験ができる道はないのか.「最低限のラボを構えて小さなビジネスを始める」という結論は,実は消去法で出てきたものでした.

娘の保育継続のためには長く悩むことはできませんでしたので,とりあえずレンタルオフィスを借りて株式会社を登記して勤務証明書を発行しました.それから,「何を売るか?」を必死で考えつつ,もと飲食店の小さな物件を借りて自力でラボに改装し,3カ月後に開業しました(今思えば,主に怒りに起因する?ものすごいエネルギーを発揮できました.もう一度やれと言われても無理です).

どんなビジネスからスタートし,どのように成長してきたのか

ラボといっても,最初は,中古,ネットオークション,廃棄品などで入手した遠心機とPCR装置と電気泳動装置,トランスイルミネータしかなく,それにオートクレーブ代わりの圧力鍋,プレート遠心機代わりのサラダスピナーなどの家庭用品も駆使して実験していました(リーゾのオフィシャルブログ内「ラボマニュアル」カテゴリに工夫の数々を紹介してあります.ご興味ある方はご覧になってください).とはいえ運転資金を稼がなくてはならないので,このような貧しい設備でできるビジネスはないだろうか?と頭をひねり,考えついたのが,「難しい材料からの核酸抽出」です.デンプンの多い材料からのDNA,RNA抽出でいろいろ工夫した経験を,ほかの難しい材料にも活かせると考えたのです.当初はプロトコルを売れないかと思ったのですが,研究予算では購入しにくく,一度買ったら終わりでビジネスになりません.そこで,研究用試薬の形に仕立てることにしました.これが13種類のラインナップを有する核酸抽出試薬「DNAすいすい・RNAすいすい」シリーズの始まりです.

また,PCRと電気泳動だけでできることとして,SNPをアレル特異的マーカーにするサービス「すにっぷすいすい」を考えました.SSRやCAPSに比べて,SNPは多いし使いたいけどハードルが高いと感じる農学研究者は多いので,需要はあるだろうと考えたのです.実際に,ご依頼は多く,喜んでいただけています.

その後,「実験補助者育成セミナー」「交配袋」「イグサDNA鑑定サービス」などいろいろなサービスや商品が,お客様の要望に応じる形で,つまりはほとんど成り行きで,加わっています.

考えてみれば,リーゾの商品やサービスは,市場に出す前からお客様がついているという,売る側としてはこのうえなくありがたいものばかりです.

少し経営戦略的な話をしますと,零細には零細なりの戦い方があります.決して大手と競争せず,望まれているにもかかわらず誰もやっていないこと,すなわちスーパーニッチな分野を見つけて,きめ細かく対応するのです.需要はそれほど大きくないので,もちろん大きな収益は望めませんが,結果的に,競合のいないところでのびのびとビジネスができる,「ブルーオーシャン戦略」に自然となっていました.

リーゾのモットーは,「お客様・研究者さんのために,できることは全部やる」です.お客様の満足のためには,ちょっとくらい損しても,やれることは全部やるようにしています.このごく当たり前の心がけが,マーケティング用語で言う「リピート率」,「顧客ロイヤルティ」に,図らずもつながっているようです.

「研究者の起業」について,理解しておくべきこと

ごく普通の雇われ研究者であるあなたが,何とか自力で起業できたと仮定しましょう.どんないいことがあるでしょうか?

まず,「研究テーマを自由に決めることができる」ということが言えます.研究機関や上司の意図に無関係に,自分がやりたいこと,取り組みたいことに挑戦できます.定年退職もないですから,それこそ一生好きな研究ができます.成功した場合には,雇われていた頃よりも高い収入を得られる場合もあります.会社の経営はものすごくたいへんですが,毎日いろいろなことを学べて,やりがいがあります.

一方で,事業というのは成功することもあれば失敗することもあります(日本で生まれる事業者のうち,30年後に生き残るのは5,000社に1社と言われます).言い換えれば,「長く存続できること=成功」と考えることもできます.

研究者に限らずですが,起業を成功させるためには,自分がどんな価値を提供することができるのか,それに対して喜んで対価を払う人は誰で,どのくらいいるのか,つまり「事業性の確認」が重要です.しかし実際には,事業性確認を起業「前」に確実に行うことはできません.このため,「とりあえずミニスケールで事業を立ち上げて,少しずつ様子を見ながら市場に提供し,反応を見ながら微調整していく」というスタイル(リーン・スタートアップ,あるいはクリアクションと呼ばれるスタイル)を取るのが現実的です.

実は,現実に成功している起業家はイメージに反して意外と慎重かつ「けち」で,できるだけお金をかけずにまず行動し,事業性確認・軌道修正してまた行動する,を繰り返しながら事業化を進めると言われています.

皆さんはこの取り組み方が,研究の進め方とほぼ同じだと気づかれたでしょうか? 研究者は経営を遠い世界のことと思いがちですが,実際にはほとんど同じ感覚で取り組むことができます.仮説を立て,実験して,検証して,仮説を立て直して,また実験して……の繰り返しで,少しずつ成功に近づいていくのは,研究者のまさに得意とするところです.そのように考えると,自信がわいてこないでしょうか.

前述の「良いこと」と矛盾するようですが,研究者が起業した場合,実際には面白いことだけをしているわけにはいきません.会社の売上げがなければ人を雇うどころか自分の給料も払えません.経営者は公私の別なく忙しいうえに,社員を何人雇おうとも本質的には孤独です.単にラクがしたければ,勤め人のほうがずっと良いでしょう.

さらに,計画どおりの売上げが上がらず悶々とする日々が続くかもしれません.「何がやりたくて起業した(する)のか」「5年後,10年後の理想の姿」の具体的なイメージを,しっかり心に焼き付けていないと,情熱が保てなくなります.

そうやってがんばったところで,結果的に儲からないまま終わる可能性もあります.そこそこうまくいったにしても,お金を目標にするときりがありません.今よりも幸せになるために起業するのだから,苦難は成長のチャンスととらえて貪欲に吸収し,汗かき恥かき奮闘する日々,それ自体を楽しみ,充実した人生に感謝することが,本当の意味での「成功」への確実な道でしょう.

起業したら,研究者としての未来は閉ざされるのか

この疑問は,心の片隅で起業を考えている人が,密かに気に病む要因としてかなり大きなものではないかと思います.

実際,私の場合,学術論文を書いたり学会発表したりする機会はほとんどなくなりました.でも「研究のお手伝いビジネス」をしていると,日々,最先端の研究を行っているお客様と,専門的な議論ができるという形で,研究界の片隅に居場所を得られます.

研究自体で,というわけではないのですが,研究界と民間企業の両方がわかる立場として,大学の人材育成プログラムの評価委員を頼まれたり,大学院生向けの講義を頼まれたり,ということもあります.最近では,公的研究機関がリードするコンソーシアムの一員に加わり,研究活動に復帰することもできました.また,このような研究者向けの雑誌に寄稿させていただく機会もあります.

現在のところ,このようにアカデミアとつかず離れずの距離で,いろいろな研究にかかわり続けることができています.考え方によりますが,研究者としてのスタンスを保ちながら起業するのであれば,研究業界と縁が切れてしまう心配はしなくて良いのではないかと思います.

起業を考えたい人へ,経験者からのアドバイス

1. どんな経験も役に立つので,嫌がらずに引き受けよう

私の経験から言えば,社会人経験だけでなく,趣味,結婚,育児などを含め雑多な経験を積んでおいたことが,起業したときに生きてきました.仕事のうえでは,書類書きや来客応対など,なぜ私に? と怒りながらこなしていた雑用の数々.ワーキングマザーとして奮闘した家事育児.余計な苦労だ思っていたことのおかげで身についた能力や知識が,ほんとうに役に立ちました.

2. 出入りの業者さん(代理店,メーカーなど)をリスペクトしよう

研究界で起業するなら,代理店やメーカーはビジネスの大先輩であり,起業後のパートナーとなります.今のうちから敬意をもってお付き合いしておくことをお勧めします.

3. キット(サービス)の中身を常に考えよう

自社オリジナルキットの開発に役に立ちます.そもそもキットは公知の実験原理を基にして作られているもので,原理を知っていれば中身の推測は難しくありません.さらにキットの宣伝サイト,取説,MSDS,特許情報なども駆使して,推理ゲームのつもりで楽しむうちに,いつの間にか深い知識が身につくので,「勉強法」としてもお勧めです.

4. お金を貯めておこう

自分に払える給料がなくても1年食べられるくらいは貯めておきましょう.さらに,稼いでくれるパートナーを確保できればベストです.

5. ビジネスのネタは,お客様からいただこう

「こんなものがあったらお金を払う」という声を上げてくれるお客様は貴重ですが,いない場合は「自分がお客様なら何が欲しいか?」と考えてみましょう.「自分が顧客である(あった)業界」なら考えやすく,マーケティングもしやすいでしょう.

6. お客さんではなくお客さ「ま」と言おう

実は私自身,なかなか素直に言えず,意識して練習しました.研究者が起業する場合,プライドがビジネスの邪魔をすることがあるやに思います.それはとてももったいないことなので,あえて書きました.魔法のようですが,全く抵抗なくお客さ「ま」と呼ぶことができるようになると,商品やサービスの質がおのずから向上し,成功につながります.

研究者の貧乏起業はまだ稀ですが,若者や女性,シニアによる,あまりリスクを取らず身の丈で行うしなやかな起業が増えています.起業の促進は現在の政策の一つともなっており,各地で創業塾や起業セミナーが開催されたり,起業する人をさまざまな面から支援する制度ができたりと,すでに起業してしまった者としてはうらやましい限りです.

このような状況のなか,これからは研究者の中にも,自由な発想で,手もちの研究経験をベースに起業する人が増えるのではないかと思います.

最後に,私のようなごく普通の研究者の起業を促進するアイデアとして考えていることがあります.それは,それぞれの研究者が独自に磨いてきた実験スキルやノウハウのマーケット化です.起業と研究を両立できる道ができれば,ほかの研究者にとって素晴らしい商品やサービスがどんどん出てくるだけでなく,事業性確認を手軽に行えるので,起業のハードルもぐっと下がるでしょう.

このアイデアの実現性はともかく,起業に関心のある研究者の皆さんに役に立てることはないかと,いつも考えています(これもお客様サービスの一環です).相談,質問などあれば気軽にご連絡ください.