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学習能力の発達を調節するタンパク質成長期におけるα2キメリンの働きが,おとなでの脳機能を左右する

Ryohei Iwata

岩田 亮平

大学共同利用機関法人情報・システム研究機構国立遺伝学研究所個体遺伝研究系形質遺伝研究部門 ◇ 〒411-8540 静岡県三島市谷田1111番地

Division of Neurogenetics, Department of Developmental Genetics, National Institute of Genetics (NIG), Research Organization of Information and Systems ◇ 1111 Yata, Mishima-shi, Shizuoka 411-8540, Japan

Takuji Iwasato

岩里 琢治

大学共同利用機関法人情報・システム研究機構国立遺伝学研究所個体遺伝研究系形質遺伝研究部門 ◇ 〒411-8540 静岡県三島市谷田1111番地

Division of Neurogenetics, Department of Developmental Genetics, National Institute of Genetics (NIG), Research Organization of Information and Systems ◇ 1111 Yata, Mishima-shi, Shizuoka 411-8540, Japan

Published: 2015-08-20

私たちヒトの脳は,1,000億個以上の神経細胞(ニューロン)によって構成されています.神経細胞は互いに突起(軸索と樹状突起)を伸ばし,シナプスを介して結びつくことによって複雑で精密な神経回路を作ります.こうした神経回路が,記憶,学習,思考,言語といった高いレベルの脳の働き(高次脳機能)の基盤となります(1)1) E. R. Kandel, B. A. Barres & A. J. Hudspeth: “Principles of Neural Science,” Fifth Edition, McGraw-Hill, 2012, pp. 21-38..神経回路は成長期(発達期)に単に作られるだけでなくさまざまな微調整を受けますが,そうした成長期の回路微調整が,おとなになってからの脳の高次機能にどのような影響を与えるかについては,よくわかっていません.

本稿では,「αキメリン」というタンパク質に着目した最近の研究について紹介します(2)2) R. Iwata, K. Ohi, Y. Kobayashi, A. Masuda, M. Iwama, Y. Yasuda, H. Yamamori, M. Tanaka, R. Hashimoto, S. Itohara et al.: Cell Reports, 8, 1257 (2014)..αキメリンはRac(RhoファミリーGタンパク質の一つ)を特異的に制御するタンパク質です.Racはアクチン細胞骨格を制御することにより神経回路の形成や調節を行います(3)3) L. Luo: Nat. Rev. Neurosci., 1, 173 (2000)..αキメリンは,日本で発見された「ウサギのように左右の足がそろった歩様を示す」突然変異マウス(ミッフィー変異マウス)の原因遺伝子として同定され,手足の動きを制御する運動系神経回路の形成に重要な働きをすることが示されています(4)4) T. Iwasato, H. Katoh, H. Nishimaru, Y. Ishikawa, H. Inoue, Y. M. Saito, R. Ando, M. Iwama, R. Takahashi, M. Negishi et al.: Cell, 130, 742 (2007)..また,ヒトのαキメリン遺伝子の機能獲得型変異が,デュアン眼球後退症候群(先天性の眼球運動障害)の原因であることも報告されています(5)5) N. Miyake, J. Chilton, M. Psatha, L. Cheng, C. Andrews, W. M. Chan, K. Law, M. Crosier, S. Lindsay, M. Cheung et al.: Science, 321, 839 (2008)..すなわち,αキメリンは運動系の神経回路形成に重要な働きをすることがこの数年間で相次いで明らかになってきました.一方,αキメリンは,記憶に重要な働きをすることが知られている「海馬」と呼ばれる脳の領域でも強く発現しますが,脳の高次機能における役割はこれまでに知られていませんでした.

αキメリンは,α1型とα2型に分けられます.正常マウスの脳において,成長期(生後2〜3週ごろまで)にはα2型が強く発現し,おとなではα1型が強く発現します.全身でαキメリン(α1型とα2型の両方)がノックアウトされたマウスの観察では,マウスは両足をそろえて歩くだけでなく,常にケージ内を走り回っているという過剰活動を示しました.このノックアウトマウスの活動量を1週間にわたりモニターした実験では,夜のほうが昼よりも活動量が多いということに関しては正常でしたが,昼夜のいずれでも正常マウスの20倍も多く動き回っていることがわかりました.このことから,αキメリンに動物の活動量を調節する機能があることが示唆されました.

αキメリンノックアウトマウスでは,「文脈型学習」の能力も向上していました(図1図1■各種のαキメリン変異マウスでの文脈型学習の成績).マウスを実験用ケージに移して電気ショックを与え,数日後に再び同じ実験用ケージに移すと(電気ショックがないにもかかわらず)恐怖反応(すくみ反応)を示します.マウスは電気ショックを受けたケージに移されるという文脈から電気ショックを思い出し怖がるわけですが,すくみの程度を計測することにより学習の能力を知ることができます.このような学習を「文脈型学習」といいますが,文脈型学習は海馬の働きに依存することが知られています.背側終脳(海馬を含む脳の部分)のみでノックアウトしたマウス,α1型とα2型の一方のみをノックアウトしたマウス,さらに,成長期には遺伝子をオンにしておき,おとなになったらオフにするマウスなど,さまざまな種類のαキメリン変異マウスが作製され,行動実験が行われました.その結果,α1型とα2型の両方,およびα2型のみが全身でノックアウトされたマウスでは,歩様の異常,活動量の上昇,学習能力の向上のすべてが観察されましたが,α1型のみがノックアウトされた場合には,すべて正常でした.また,背側終脳のみにおいて,α1型とα2型の両方,あるいはα2型のみがノックアウトされた場合には,歩様や活動量は普通でしたが,学習能力だけは向上していました.一方,おとなになってからα1型とα2型の両方,あるいはα2型のみをノックアウトした場合は,学習能力の向上は観察されませんでした(図1図1■各種のαキメリン変異マウスでの文脈型学習の成績).これらの行動実験の結果から,(成体ではなく)成長期でのα2キメリンの働きが,成体における学習能力の調節(抑制)に関与していることが明らかになりました.

図1■各種のαキメリン変異マウスでの文脈型学習の成績

発達期にα2キメリンをもたないマウスでは記憶力(すくみ反応の程度で評価)が向上するが,α1キメリンを欠損するマウスやおとなになってからα2キメリンを欠損するマウスでは学習能力の向上は見られない.これらの結果から,発達期のα2キメリンの働きがおとなになってからの学習能力を調節していることがわかる.

一方で,健康なヒトを対象に「αキメリン遺伝子のタイプ(一塩基多型:Single Nucleotide Polymorphisms)」と性格や能力などの関係が調べられました.すると,α2キメリン遺伝子のごく近傍の(遺伝子発現を制御していると考えられる)領域にある「一つの塩基」が「特定の型」のヒトでは,自閉症患者に似た性格傾向が見られ,加えて計算能力も高い傾向にあることが明らかになりました(2)2) R. Iwata, K. Ohi, Y. Kobayashi, A. Masuda, M. Iwama, Y. Yasuda, H. Yamamori, M. Tanaka, R. Hashimoto, S. Itohara et al.: Cell Reports, 8, 1257 (2014)..これらのことから,α2キメリンがヒトの脳機能の個人差と関連していることが示唆されました.

一連の研究結果により,αキメリンがマウスやヒトの高次脳機能の調節に重要な役割を果たすことが,初めて明らかになりました.特に成長期におけるα2型の働きが,おとなになってからの学習能力に影響することが明確に示された点は,自閉症スペクトラムなどの発達障害のメカニズム解明や健常な子どもの脳の発達の理解につながる可能性が高いという観点から,インパクトが高いといえます.発達期においてα2キメリンが欠損した脳ではどのような回路調節異常が引き起こされ,それがどのようにしておとなでの高次脳機能異常の原因となるのかを突き止めることは今後の重要な課題です.

Reference

1) E. R. Kandel, B. A. Barres & A. J. Hudspeth: “Principles of Neural Science,” Fifth Edition, McGraw-Hill, 2012, pp. 21-38.

2) R. Iwata, K. Ohi, Y. Kobayashi, A. Masuda, M. Iwama, Y. Yasuda, H. Yamamori, M. Tanaka, R. Hashimoto, S. Itohara et al.: Cell Reports, 8, 1257 (2014).

3) L. Luo: Nat. Rev. Neurosci., 1, 173 (2000).

4) T. Iwasato, H. Katoh, H. Nishimaru, Y. Ishikawa, H. Inoue, Y. M. Saito, R. Ando, M. Iwama, R. Takahashi, M. Negishi et al.: Cell, 130, 742 (2007).

5) N. Miyake, J. Chilton, M. Psatha, L. Cheng, C. Andrews, W. M. Chan, K. Law, M. Crosier, S. Lindsay, M. Cheung et al.: Science, 321, 839 (2008).