解説

総合グライコミクスで細胞を記述する

Describing Cells by Total Cellular Glycomics

篠原 康郎

Yasuro Shinohara

北海道大学大学院先端生命科学研究院 ◇ 〒060-0810 北海道札幌市北区北十条西8丁目

Faculty of Advanced Life Science, Hokkaido University ◇ Kita 10 Nishi 8, Kita-ku, Sapporo-shi, Hokkaido 060-0810, Japan

古川 潤一

Jun-ichi Furukawa

北海道大学大学院先端生命科学研究院 ◇ 〒060-0810 北海道札幌市北区北十条西8丁目

Faculty of Advanced Life Science, Hokkaido University ◇ Kita 10 Nishi 8, Kita-ku, Sapporo-shi, Hokkaido 060-0810, Japan

Published: 2015-08-20

再生医療における細胞の品質管理や規格化の需要や,疾患の早期診断・治療の社会的要請の高まりなどに伴い,細胞の精密な特徴づけや分類がますます重要になってきた.細胞表面はさまざまなクラスの複合糖質で覆われており,細胞マーカーの多くが糖鎖や複合糖質であることが明らかにされてきたことから,糖鎖は細胞マーカーのソースとして有用と考えられる.筆者らは,細胞に存在する複合糖質糖鎖の全容的な定性・定量情報の取得を目指し,細胞の主要な複合糖質糖鎖に焦点をあてる総合的なグライコミクスの研究に携わってきた.本稿ではその背景,方法論,および有用性について実例を挙げて解説する.

はじめに

一個体のすべての細胞は同じDNAをもっているが,遺伝子のON/OFF制御により,細胞は役割に応じた形態や性質をもっている.また遺伝子の変異や病態,あるいはストレスなどの外的要因によっても細胞の性質は変化する.進行したがんの場合,専門家は細胞形態の特徴を捉えることで,見るだけで疾患部位を判定することができるであろう.見るだけで判定できない場合や,浸潤の程度を確定するためには,病理診断が行われる.疾患を早期の段階で正常と区別することができればできるほど疾患の早期診断につながる.細胞の精密な評価は急速に発展する再生医療の現場でも求められている.iPS細胞やES細胞などの多能性幹細胞を臨床応用するためには,細胞の均質な増殖,疾患に応じた目的細胞への均質な分化が重要であり,さらに品質管理のために異種細胞を高感度かつ低毒性で検出・分離する技術が求められている(1)1) ヒト(同種)体性幹細胞加工医薬品等の品質及び安全性の確保に関する指針,http://www.pmda.go.jp/files/000157355.pdf

化合物の記述に関しては,化合物ライブラリーの発展により数万,数十万の化合物の化学的多様性の指標となるパラメーター(分子記述子)の算出方法が大きく進展した(2)2) E. J. Martin, J. M. Blaney, M. A. Siani, D. C. Spellmeyer, A. K. Wong & W. H. Moos: J. Med. Chem., 38, 1431 (1995)..細胞についても,上述の需要に応えるために精密な記述方法が今後大きく発展していくものと考えられる.現在,細胞は細胞形態,細胞形質(たとえば幹細胞としての分化能やがん細胞としての造腫瘍能),分子(たとえば細胞表面マーカー,トランスクリプトーム,エピゲノム,一塩基多様性)などによって記述される.本稿のテーマである総合グライコームは分子による細胞記述法の一つである.

なぜグライコミクスか:糖鎖は「細胞の顔」

以下の事実は糖鎖が細胞の記述子として有用であることを端的に示唆している.

糖鎖合成には鋳型がなく,糖転移酵素,糖分解酵素,糖ヌクレオチド合成酵素,トランスポーターなどの600を超える糖鎖関連遺伝子による複雑な機構で生合成される(3)3) N. Taniguchi, K. Honke & M. Fukuda (Eds.): “Handbook of glycosyltransferases and related genes,” Springer Verlag, Tokyo, 2002..細胞の糖鎖修飾は,さらにエピジェネティックな遺伝子発現制御,糖鎖関連酵素の活性や局在の変化,種々の転写因子などさまざまな因子によって制御されている.細胞ごとに糖鎖関連遺伝子の発現パターンは異なるので,同じ糖タンパク質の同一の糖鎖修飾部位であっても,発現する細胞が異なれば糖鎖構造は大きく異なりうる.

総合グライコームを構成するサブグライコーム

グライコームとは細胞や組織,個体が有する糖の総体である.糖鎖と一口に言ってもタンパク質に結合するもの,脂質に結合するもの,遊離で存在するものなどさまざまなクラスの糖鎖が存在し,それらは生合成経路によってさらに細かいサブグライコームに分類できる(図1図1■細胞の総合的なグライコームは細胞に存在するさまざまなクラスのサブグライコームによって構成される).

図1■細胞の総合的なグライコームは細胞に存在するさまざまなクラスのサブグライコームによって構成される

タンパク質の糖鎖修飾はアスパラギンに結合するN-結合型糖鎖,セリンまたはスレオニンに結合するO-結合型糖鎖の2種類がある.前者の場合,小胞体においてドリコールリン酸結合型糖鎖(DLOs)としてGlc3Man9GlcNAc2から構成される14糖が合成され,これがオリゴ糖転移酵素の作用によってタンパク質のアスパラギン上に丸ごと転移される.その後,小胞体のα-グルコシダーゼ,α-マンノシダーゼの作用によってMan8GlcNAc2にトリミングされ,この構造がゴルジ体移行のシグナルとなる(4)4) K. Yamamoto: Proc. Jpn. Acad., Ser. B: Phys. Biol. Sci., 90, 67 (2014)..N-結合型糖鎖の一部は,ゴルジ体において高マンノース型から混成型・複合型にプロセシングされ,最終的に細胞膜,細胞外などに輸送される.一方,小胞体でフォールディングに失敗した糖タンパク質は小胞体から細胞質に輸送されて,タンパク質の小胞体関連分解(ERAD)による分解に先立ちN-結合型糖鎖は細胞質に存在するペプチド:N-グリカナーゼ(PNGase)の働きで遊離オリゴ糖(FOSs)として切り出される.FOSsはまた,小胞体の細胞質側に局在するDLOsからもピロフォスファターゼの働きによって産生するほか,小胞体のなかでも産生されて小胞体から細胞質に輸送される.細胞質のFOSsはエンド-β-N-アセチルグルコサミニダーゼ(ENGase)や細胞質のα-マンノシダーゼにより最終的にMan5GlcNAc1まで分解され,その後リソソームに輸送されて単糖にまで分解される(5)5) T. Suzuki & Y. Harada: Biochem. Biophys. Res. Commun., 453, 213 (2014).

O-結合型糖鎖は,最初に結合する単糖の種類によってO-GalNAc型(ムチン型),O-Xyl型,O-GlcNAc型,O-Fuc型,O-Man型,O-Glc型が存在する.このうちO-GlcNAc修飾は細胞質や核で起こる単糖のみの修飾で,O-GlcNAc化,脱O-GlcNAc化がダイナミックに起こる糖鎖修飾である(6)6) G. W. Hart, C. Slawson, G. Ramirez-Correa & O. Lagerlof: Annu. Rev. Biochem., 80, 825 (2011).が,ほかは種々の糖転移酵素の働きによってさらに複雑な構造に伸長する.O-GalNAc型は最も一般的なO-結合型糖鎖であり,コア1–8の多様な構造を形成する(7)7) S. Wopereis, D. J. Lefeber, E. Morava & R. A. Wevers: Clin. Chem., 52, 574 (2006).

タンパク質のセリンに結合したO-Xyl型糖鎖はさらに四糖リンカー構造(GlcAβ1→3Galβ1→3Galβ1→4Xyl)に伸長し,そこを足場にヘパラン硫酸,コンドロイチン硫酸,デルマタン硫酸などの2糖単位の繰り返しからなる直鎖のグリコサミノグリカン(GAGs)を伸長させる.ケラタン硫酸はN-結合型糖鎖上にも合成されるほか,O-GalNAc型やO-Man型糖鎖上にも形成される.ヒアルロン酸はほかのGAGsと異なり硫酸基をもたず,タンパク質と結合しない遊離糖鎖として存在する(8)8) L. Li, M. Ly & R. J. Linhardt: Mol. Biosyst., 8, 1613 (2012).

糖脂質はスフィンゴ糖脂質(GSLs),グリセロ糖脂質に大別されるが,哺乳動物細胞においては前者が圧倒的に多い.GSLsはさらにセラミドに最初に結合する単糖の種類によってグルコセレブロシドとガラクトセレブロシドの2つに分けられ,前者はラクトシルセラミドを経由して,それぞれ膨大な多様性を有するグロボ系列,ガングリオ系列,(ネオ)ラクト系列の一大サブグライコームを形成する(9)9) M. Park, A. Koppikar, R. Lee, A. Suzuki, K. Uyesugi, J. Wang, M. D. Wang & A. H. Merrill Jr.: SphinGOMAP, http://www.sphingomap.org/ (2007).

上記以外にもGPIアンカー(10)10) T. Kinoshita: Proc. Jpn. Acad., Ser. B: Phys. Biol. Sci., 90, 130 (2014).,糖ヌクレオチド(11)11) K. Nakajima, S. Kitazume, T. Angata, R. Fujinawa, K. Ohtsubo, E. Miyoshi & N. Taniguchi: Glycobiology, 20, 865 (2010).などのサブグライコームが存在するが誌面の制限から引用文献および成書(12)12) A. Varki, R. D. Cummings, J. D. Esko, H. H. Freeze, P. Stanley, C. R. Bertozzi, G. W. Hart & M. E. Etzler (Eds.): “Essentials of Glycobiology,” 2nd ed., Cold Spring Harbor, New York, 2009.を参照されたい.

サブグライコームを総合的に見る意義

上述のサブグライコームは,細胞の種類や状態によっていずれも発現が変動する可能性があるので,分子記述子となると期待される.N-結合型糖鎖,O-GlcNAcを除くO-結合型糖鎖,GAGs,GSLs,GPIアンカーは細胞表面に存在することが多いことから,細胞表面マーカーとして有望である.細胞内に局在するFOSs,O-GlcNAc,糖ヌクレオチドなどは細胞の状態を表すマーカーとなる可能性がある.O-GlcNAc修飾と小胞体ストレスの相関が報告され注目を集めている(13)13) Z. V. Wang, Y. Deng, N. Gao, Z. Pedrozo, D. L. Li, C. R. Morales, A. Criollo, X. Luo, W. Tan, N. Jiang et al.: Cell, 156, 1179 (2014).

これらを個別にではなく総合的に見る意義として以下の4点を挙げる.

総合グライコミクスを解析する技術

mRNAレベルと糖鎖の構造や発現量の相関に関する理解は乏しく(14)14) S. V. Bennun, K. J. Yarema, M. J. Betenbaugh & F. J. Krambeck: PLOS Comput. Biol., 9, e1002813 (2013).,糖鎖そのものの発現動態を見ないと細胞のグライコームを正確に理解することはできない.このため,個々のサブグライコーム解析技術の構築と効果的な統合が重要である.糖鎖はDNAやタンパク質と異なり結合位置(たとえばマンノースの場合,2,3,4,6位の水酸基)やアノマー構造(α/β)に多様性があり,しばしば分岐構造をとるため,構造は極めて複雑になる.このため,グライコームの解析はゲノム,トランスクリプトーム,プロテオームなどの解析に比較して大きく遅れをとっていたが,近年さまざまな手法の開発や質量分析装置をはじめとする分析機器の開発・高度化に伴い大きく進展した.これらの方法論については文献15,1615) J.-i. Furukawa, N. Fujitani & Y. Shinohara: Biomolecules, 3, 198 (2013).16) 平林 淳,舘野浩章:化学と生物,52, 40 (2014).を参照されたい.しかし,細胞に存在する複合糖質糖鎖の全容的な定性・定量情報はほとんどなかった.そこで筆者らは,この課題に取り組み,細胞のN-結合型糖鎖(17)17) J.-i. Furukawa, Y. Shinohara, H. Kuramoto, Y. Miura, H. Shimaoka, M. Kurogochi, M. Nakano & S.-I. Nishimura: Anal. Chem., 80, 1094 (2008).,O-結合型糖鎖(18)18) J.-i. Furukawa, N. Fujitani, K. Araki, Y. Takegawa, K. Kodama & Y. Shinohara: Anal. Chem., 83, 9060 (2011).,GSLs(19)19) N. Fujitani, Y. Takegawa, Y. Ishibashi, K. Araki, J.-i. Furukawa, S. Mitsutake, Y. Igarashi, M. Ito & Y. Shinohara: J. Biol. Chem., 286, 41669 (2011).,ヘパラン硫酸(HS),コンドロイチン硫酸(CS),ヒアルロン酸(HA)などのGAGs(20)20) Y. Takegawa, K. Araki, N. Fujitani, J.-i. Furukawa, H. Sugiyama, H. Sakai & Y. Shinohara: Anal. Chem., 83, 9443 (2011).,遊離オリゴ糖などのさまざまなクラスの複合糖質糖鎖の解析法を確立してきた(図2図2■細胞のN-, O-結合型糖鎖,スフィンゴ糖脂質糖鎖,グリコサミノグリカン,遊離オリゴ糖の解析スキーム).

図2■細胞のN-, O-結合型糖鎖,スフィンゴ糖脂質糖鎖,グリコサミノグリカン,遊離オリゴ糖の解析スキーム

N-結合型糖鎖とGSLsはそれぞれ,PNGase F,エンドグリコセラミダーゼによって糖鎖部分を遊離し,GAGsはコンドロイチナーゼABC,ヘパリナーゼ,ヘパリチナーゼ,ヒアルロニダーゼSDによって構成二糖に分解したものを解析対象とする.これは糖鎖部分の構造が極めて複雑であるため,タンパク質や脂質の多様性を排除して複雑性を低減させるためである.また,糖鎖をタンパク質や脂質から遊離させることで糖鎖の還元末端に存在するヘミアセタール(開環した場合にはアルデヒド)基を利用した糖鎖解析の高速な前処理法であるグライコブロッティング法(17)17) J.-i. Furukawa, Y. Shinohara, H. Kuramoto, Y. Miura, H. Shimaoka, M. Kurogochi, M. Nakano & S.-I. Nishimura: Anal. Chem., 80, 1094 (2008).を用いることができる.すなわち,細胞破砕液などの複雑な混合物中から糖鎖を固相担体に化学選択的に捕捉させ(21)21) S.-I. Nishimura, K. Niikura, M. Kurogochi, T. Matsushita, M. Fumoto, H. Hinou, R. Kamitani, H. Nakagawa, K. Deguchi, N. Miura et al.: Angew. Chem. Int. Ed. Engl., 44, 91 (2004).,夾雑物を洗浄した後に,中性糖鎖とシアリル化糖鎖の質量分析法における一斉分析を可能にするために固相上でシアル酸のメチルエステル化を行い(22)22) Y. Miura, Y. Shinohara, J. Furukawa, N. Nagahori & S.-I. Nishimura: Chem. Eur. J., 13, 4797 (2007).,最後に捕捉された糖鎖を高感度試薬の標識体として回収する.

O-結合型糖鎖については構造非依存的に切断する酵素がないため,グライコブロッティング法の適用が困難である.そこでわれわれは,ピラゾロン試薬共存下にβ脱離反応を行う(BEP法)ことで,O-結合型糖鎖の化学的遊離と同時にピラゾロン試薬による標識を行う手法を確立した(23,24)23) N. Fujitani, J.-i. Furukawa, K. Araki, T. Fujioka, Y. Takegawa, J. Piao, T. Nishioka, T. Tamura, T. Nikaido, M. Ito et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 110, 2105 (2013).24) J,-i, Furukawa, J. Piao, Y. Yoshida, K. Okada, I. Yokota, K. Higashino, N. Sakairi & Y. Shinohara: Anal. Chem., in press..アルカリ条件下に切断された糖鎖は直ちにピラゾロン試薬によってラベル化され,副反応であるピーリング反応を最小限に抑えることができる.BEP法では脱グリコシル化されたペプチドも同一の試薬で標識できるため,糖鎖結合部位も同定できる.

N-, O-結合型糖鎖,GSL糖鎖,FOSsはMALDI-TOFによる解析による解析に供し,GAGsは液体クロマトグラフィーによってHS,CS,HAの構成二糖の一斉分析を行う.濃度既知の内部標準を添加することでいずれも絶対定量を行うことができる.これらの方法論を統合し,一つの試料からN-, O-結合型糖鎖,GSL糖鎖,FOSs,GAG二糖を解析するためのプロトコールを確立した(23,25)23) N. Fujitani, J.-i. Furukawa, K. Araki, T. Fujioka, Y. Takegawa, J. Piao, T. Nishioka, T. Tamura, T. Nikaido, M. Ito et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 110, 2105 (2013).25) Y. Shinohara, N. Fujitani & J.-i. Furukawa: Trends Glycosci. Glycotechnol., 25, 103 (2013)..筆者らは2×106個の細胞を用いてルーチンで上記すべてのクラスのグライコーム解析を行っている.

糖鎖合成不全が細胞の総合グライコミクスに与える影響

細胞の糖鎖発現ネットワークの一部が撹乱されたときに,細胞の総合的な糖鎖発現はどの程度影響を受ける(あるいは受けない)のだろうか.この疑問に対する知見を得るために,筆者らはチャイニーズハムスター卵巣(CHO)細胞およびそのレクチン変異株であるLec1とLec8を選び,総合グライコームを解析した(23)23) N. Fujitani, J.-i. Furukawa, K. Araki, T. Fujioka, Y. Takegawa, J. Piao, T. Nishioka, T. Tamura, T. Nikaido, M. Ito et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 110, 2105 (2013)..Lec1はN-アセチルグルコサミン転移酵素Ⅰ(GlcNAc-TI)活性を,Lec8は糖鎖生合成の糖供与体であるUDP-Gal輸送体をそれぞれ欠損している.GlcNAc-TIはN-結合型糖鎖の生合成において高マンノース型から複合型への変換を担う鍵酵素であることから,複合型のN-結合型糖鎖の発現が大幅に減少することが予想される.また,Lec8では細胞質からゴルジ体内腔へのUDP-Galの輸送が阻害されるため,すべてのクラスの複合糖質のガラクトース修飾が大きく抑制されると予想される.

個々の細胞の総合グライコームプロファイルを図3図3■CHO細胞とレクチン変異株(Lec1, Lec8)の総合グライコミクスに示す.五角形の各頂点の円グラフの大きさと色はそれぞれの複合糖質糖鎖の絶対量(タンパク質100 µgあたりの糖鎖量,pmol)と構成する糖鎖構造を表している.本表記法は複合糖質のクラスごとの糖鎖の発現変動の違いを一目瞭然に示している.予測されたとおり,Lec1では複合型のN-結合型糖鎖は大幅に低下していた.また,Lec8におけるO-結合型糖鎖とGSLsの発現量の大幅な低下は,O-glycanのなかで最も主要なO-GalNAc型糖鎖およびGSLsのそれぞれの前駆構造であるT-抗原(Galβ1→3GalNAc)とラクトシルセラミド(Galβ1→4Glc)の生合成にガラクトシル化が必須であることを考えれば妥当な結果である.他方,変異株の性質からは予想が困難な糖鎖の発現動態の変化も数多く認められた.たとえば,Lec-1においてはN-, O-結合型糖鎖,GAG,GSL糖鎖の発現量がすべてCHOに比べて増大した.また,Lec8の主要なN-結合型糖鎖はCHOには僅かしか存在しない非還元末端がGlcNAcである複合型糖鎖であった.これらの構造はガラクトース転移酵素の受容体であり,細胞はゴルジ体のUDP-Gal濃度の低下に対応して,受容体を大量に生合成することによってN-結合型糖鎖の恒常性を保とうとしたのかもしれない.あるいは,発現量が低下したO-結合型糖鎖やGSLsを補償している可能性も考えられる.

図3■CHO細胞とレクチン変異株(Lec1, Lec8)の総合グライコミクス

実線の(青い)矢印は変異株の性質から予想できる変動.点線の(赤い)矢印は予想が困難な変動.

予想される糖鎖の発現変動を定量化し,予想が困難な糖鎖発現の変動も広範に描出できたことは,総合グライコームの細胞の記述子としての有用性を実証するものと考える.種々の糖鎖関連遺伝子を標的にしたトランスジェニックマウスやノックアウトマウスにおいて明確な表現型が認められないことがしばしば報告されており(26)26) K. Furukawa, K. Takamiya, M. Okada, M. Inoue, S. Fukumoto & K. Furukawa: Biochim. Biophys. Acta, 1525, 1 (2001).,ほかの糖鎖関連遺伝子により補償される可能性が考えられている.総合グライコームはそのような場合でもサブグライコーム内,およびサブグライコーム間のネットワークを解明する直接的な手段を提供すると考えられる.

総合グライコミクスによる細胞マーカーの探索

歴史的には,未分化マーカーをはじめとする細胞マーカーの多くは抗体の作製とエピトープの解明によって発見されてきた.細胞の総合グライコームの比較に基づくデータドリブンなアプローチはマーカー探索において有効な手段となるであろうか.筆者らは,ES細胞4株,由来の異なるiPS細胞5株を含む計18種類のヒト由来細胞の総合グライコーム解析を行い,計200以上の複合糖質糖鎖(65種のGSLs,93種のN-結合型糖鎖,16種のO-結合型糖鎖,15種のFOSs,17種のGAG二糖)の発現情報を取得した(23)23) N. Fujitani, J.-i. Furukawa, K. Araki, T. Fujioka, Y. Takegawa, J. Piao, T. Nishioka, T. Tamura, T. Nikaido, M. Ito et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 110, 2105 (2013)..本研究で総合グライコームが高度に細胞特異的であることが明らかになる一方で,ES細胞間やiPS細胞間の糖鎖プロファイルは高い相関が認められ,性質の似ている細胞がよく似た総合グライコームを有することが示された.N-結合型糖鎖,FOSs,GAGs,GSLs,O-結合型糖鎖すべての発現プロファイルに基づく階層型クラスター解析の結果,幹細胞マーカーとしてルーチンに用いられるSSEA-3, 4, 5,Globo H(GSLs),Tra-1(O-glycan),SSEA-5を部分構造に有すると考えられるN-結合型糖鎖は,200種類を超える糖鎖のなかでES細胞,iPS細胞とほかの細胞を分離するのに貢献した糖鎖群として一つのグループに分類された.すなわち,本解析により,予備知識なしにこれらの糖鎖群を未分化マーカーとして同定することができた.これらの結果は総合的なグライコーム解析が有力な糖鎖関連マーカーの探索法となることを示している.

筆者らは本法を臨床検体に応用して疾患関連マーカーの探索に応用するとともに,段階的な遺伝子導入により作製した不死化・がん化のモデル細胞に応用して悪性度の進行に伴う糖鎖の発現変動を網羅的に探索している.

おわりに

筆者らの研究を含めて近年の多くの研究によって,細胞に存在する複合糖質糖鎖が細胞に高度に特異的であること,性質の似た細胞が似たグライコームを有することが明らかになってきた.今後,より多くの糖鎖を解析対象とできるように高感度化,網羅化は重要な鍵となる.膨大なグライコームデータから重要な変動をマイニングするインフォマティクスの整備も重要である.細胞を記述するという観点からは,総合グライコームはたくさん考えられる記述子の一部に過ぎず,ほかの記述子との高度な統合が重要である.また,細胞は細胞を取り巻く環境要因によって性質を変化させるため,環境を考慮した柔軟な記述が今後求められていくと考えられる.

Reference

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