Kagaku to Seibutsu 53(9): 586-592 (2015)
解説
総合グライコミクスで細胞を記述する
Describing Cells by Total Cellular Glycomics
Published: 2015-08-20
再生医療における細胞の品質管理や規格化の需要や,疾患の早期診断・治療の社会的要請の高まりなどに伴い,細胞の精密な特徴づけや分類がますます重要になってきた.細胞表面はさまざまなクラスの複合糖質で覆われており,細胞マーカーの多くが糖鎖や複合糖質であることが明らかにされてきたことから,糖鎖は細胞マーカーのソースとして有用と考えられる.筆者らは,細胞に存在する複合糖質糖鎖の全容的な定性・定量情報の取得を目指し,細胞の主要な複合糖質糖鎖に焦点をあてる総合的なグライコミクスの研究に携わってきた.本稿ではその背景,方法論,および有用性について実例を挙げて解説する.
© 2015 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2015 公益社団法人日本農芸化学会
一個体のすべての細胞は同じDNAをもっているが,遺伝子のON/OFF制御により,細胞は役割に応じた形態や性質をもっている.また遺伝子の変異や病態,あるいはストレスなどの外的要因によっても細胞の性質は変化する.進行したがんの場合,専門家は細胞形態の特徴を捉えることで,見るだけで疾患部位を判定することができるであろう.見るだけで判定できない場合や,浸潤の程度を確定するためには,病理診断が行われる.疾患を早期の段階で正常と区別することができればできるほど疾患の早期診断につながる.細胞の精密な評価は急速に発展する再生医療の現場でも求められている.iPS細胞やES細胞などの多能性幹細胞を臨床応用するためには,細胞の均質な増殖,疾患に応じた目的細胞への均質な分化が重要であり,さらに品質管理のために異種細胞を高感度かつ低毒性で検出・分離する技術が求められている(1)1) ヒト(同種)体性幹細胞加工医薬品等の品質及び安全性の確保に関する指針,http://www.pmda.go.jp/files/000157355.pdf.
化合物の記述に関しては,化合物ライブラリーの発展により数万,数十万の化合物の化学的多様性の指標となるパラメーター(分子記述子)の算出方法が大きく進展した(2)2) E. J. Martin, J. M. Blaney, M. A. Siani, D. C. Spellmeyer, A. K. Wong & W. H. Moos: J. Med. Chem., 38, 1431 (1995)..細胞についても,上述の需要に応えるために精密な記述方法が今後大きく発展していくものと考えられる.現在,細胞は細胞形態,細胞形質(たとえば幹細胞としての分化能やがん細胞としての造腫瘍能),分子(たとえば細胞表面マーカー,トランスクリプトーム,エピゲノム,一塩基多様性)などによって記述される.本稿のテーマである総合グライコームは分子による細胞記述法の一つである.
以下の事実は糖鎖が細胞の記述子として有用であることを端的に示唆している.
糖鎖合成には鋳型がなく,糖転移酵素,糖分解酵素,糖ヌクレオチド合成酵素,トランスポーターなどの600を超える糖鎖関連遺伝子による複雑な機構で生合成される(3)3) N. Taniguchi, K. Honke & M. Fukuda (Eds.): “Handbook of glycosyltransferases and related genes,” Springer Verlag, Tokyo, 2002..細胞の糖鎖修飾は,さらにエピジェネティックな遺伝子発現制御,糖鎖関連酵素の活性や局在の変化,種々の転写因子などさまざまな因子によって制御されている.細胞ごとに糖鎖関連遺伝子の発現パターンは異なるので,同じ糖タンパク質の同一の糖鎖修飾部位であっても,発現する細胞が異なれば糖鎖構造は大きく異なりうる.
グライコームとは細胞や組織,個体が有する糖の総体である.糖鎖と一口に言ってもタンパク質に結合するもの,脂質に結合するもの,遊離で存在するものなどさまざまなクラスの糖鎖が存在し,それらは生合成経路によってさらに細かいサブグライコームに分類できる(図1図1■細胞の総合的なグライコームは細胞に存在するさまざまなクラスのサブグライコームによって構成される).
タンパク質の糖鎖修飾はアスパラギンに結合するN-結合型糖鎖,セリンまたはスレオニンに結合するO-結合型糖鎖の2種類がある.前者の場合,小胞体においてドリコールリン酸結合型糖鎖(DLOs)としてGlc3Man9GlcNAc2から構成される14糖が合成され,これがオリゴ糖転移酵素の作用によってタンパク質のアスパラギン上に丸ごと転移される.その後,小胞体のα-グルコシダーゼ,α-マンノシダーゼの作用によってMan8GlcNAc2にトリミングされ,この構造がゴルジ体移行のシグナルとなる(4)4) K. Yamamoto: Proc. Jpn. Acad., Ser. B: Phys. Biol. Sci., 90, 67 (2014)..N-結合型糖鎖の一部は,ゴルジ体において高マンノース型から混成型・複合型にプロセシングされ,最終的に細胞膜,細胞外などに輸送される.一方,小胞体でフォールディングに失敗した糖タンパク質は小胞体から細胞質に輸送されて,タンパク質の小胞体関連分解(ERAD)による分解に先立ちN-結合型糖鎖は細胞質に存在するペプチド:N-グリカナーゼ(PNGase)の働きで遊離オリゴ糖(FOSs)として切り出される.FOSsはまた,小胞体の細胞質側に局在するDLOsからもピロフォスファターゼの働きによって産生するほか,小胞体のなかでも産生されて小胞体から細胞質に輸送される.細胞質のFOSsはエンド-β-N-アセチルグルコサミニダーゼ(ENGase)や細胞質のα-マンノシダーゼにより最終的にMan5GlcNAc1まで分解され,その後リソソームに輸送されて単糖にまで分解される(5)5) T. Suzuki & Y. Harada: Biochem. Biophys. Res. Commun., 453, 213 (2014)..
O-結合型糖鎖は,最初に結合する単糖の種類によってO-GalNAc型(ムチン型),O-Xyl型,O-GlcNAc型,O-Fuc型,O-Man型,O-Glc型が存在する.このうちO-GlcNAc修飾は細胞質や核で起こる単糖のみの修飾で,O-GlcNAc化,脱O-GlcNAc化がダイナミックに起こる糖鎖修飾である(6)6) G. W. Hart, C. Slawson, G. Ramirez-Correa & O. Lagerlof: Annu. Rev. Biochem., 80, 825 (2011).が,ほかは種々の糖転移酵素の働きによってさらに複雑な構造に伸長する.O-GalNAc型は最も一般的なO-結合型糖鎖であり,コア1–8の多様な構造を形成する(7)7) S. Wopereis, D. J. Lefeber, E. Morava & R. A. Wevers: Clin. Chem., 52, 574 (2006)..
タンパク質のセリンに結合したO-Xyl型糖鎖はさらに四糖リンカー構造(GlcAβ1→3Galβ1→3Galβ1→4Xyl)に伸長し,そこを足場にヘパラン硫酸,コンドロイチン硫酸,デルマタン硫酸などの2糖単位の繰り返しからなる直鎖のグリコサミノグリカン(GAGs)を伸長させる.ケラタン硫酸はN-結合型糖鎖上にも合成されるほか,O-GalNAc型やO-Man型糖鎖上にも形成される.ヒアルロン酸はほかのGAGsと異なり硫酸基をもたず,タンパク質と結合しない遊離糖鎖として存在する(8)8) L. Li, M. Ly & R. J. Linhardt: Mol. Biosyst., 8, 1613 (2012)..
糖脂質はスフィンゴ糖脂質(GSLs),グリセロ糖脂質に大別されるが,哺乳動物細胞においては前者が圧倒的に多い.GSLsはさらにセラミドに最初に結合する単糖の種類によってグルコセレブロシドとガラクトセレブロシドの2つに分けられ,前者はラクトシルセラミドを経由して,それぞれ膨大な多様性を有するグロボ系列,ガングリオ系列,(ネオ)ラクト系列の一大サブグライコームを形成する(9)9) M. Park, A. Koppikar, R. Lee, A. Suzuki, K. Uyesugi, J. Wang, M. D. Wang & A. H. Merrill Jr.: SphinGOMAP, http://www.sphingomap.org/ (2007)..
上記以外にもGPIアンカー(10)10) T. Kinoshita: Proc. Jpn. Acad., Ser. B: Phys. Biol. Sci., 90, 130 (2014).,糖ヌクレオチド(11)11) K. Nakajima, S. Kitazume, T. Angata, R. Fujinawa, K. Ohtsubo, E. Miyoshi & N. Taniguchi: Glycobiology, 20, 865 (2010).などのサブグライコームが存在するが誌面の制限から引用文献および成書(12)12) A. Varki, R. D. Cummings, J. D. Esko, H. H. Freeze, P. Stanley, C. R. Bertozzi, G. W. Hart & M. E. Etzler (Eds.): “Essentials of Glycobiology,” 2nd ed., Cold Spring Harbor, New York, 2009.を参照されたい.
上述のサブグライコームは,細胞の種類や状態によっていずれも発現が変動する可能性があるので,分子記述子となると期待される.N-結合型糖鎖,O-GlcNAcを除くO-結合型糖鎖,GAGs,GSLs,GPIアンカーは細胞表面に存在することが多いことから,細胞表面マーカーとして有望である.細胞内に局在するFOSs,O-GlcNAc,糖ヌクレオチドなどは細胞の状態を表すマーカーとなる可能性がある.O-GlcNAc修飾と小胞体ストレスの相関が報告され注目を集めている(13)13) Z. V. Wang, Y. Deng, N. Gao, Z. Pedrozo, D. L. Li, C. R. Morales, A. Criollo, X. Luo, W. Tan, N. Jiang et al.: Cell, 156, 1179 (2014)..
これらを個別にではなく総合的に見る意義として以下の4点を挙げる.
mRNAレベルと糖鎖の構造や発現量の相関に関する理解は乏しく(14)14) S. V. Bennun, K. J. Yarema, M. J. Betenbaugh & F. J. Krambeck: PLOS Comput. Biol., 9, e1002813 (2013).,糖鎖そのものの発現動態を見ないと細胞のグライコームを正確に理解することはできない.このため,個々のサブグライコーム解析技術の構築と効果的な統合が重要である.糖鎖はDNAやタンパク質と異なり結合位置(たとえばマンノースの場合,2,3,4,6位の水酸基)やアノマー構造(α/β)に多様性があり,しばしば分岐構造をとるため,構造は極めて複雑になる.このため,グライコームの解析はゲノム,トランスクリプトーム,プロテオームなどの解析に比較して大きく遅れをとっていたが,近年さまざまな手法の開発や質量分析装置をはじめとする分析機器の開発・高度化に伴い大きく進展した.これらの方法論については文献15,1615) J.-i. Furukawa, N. Fujitani & Y. Shinohara: Biomolecules, 3, 198 (2013).16) 平林 淳,舘野浩章:化学と生物,52, 40 (2014).を参照されたい.しかし,細胞に存在する複合糖質糖鎖の全容的な定性・定量情報はほとんどなかった.そこで筆者らは,この課題に取り組み,細胞のN-結合型糖鎖(17)17) J.-i. Furukawa, Y. Shinohara, H. Kuramoto, Y. Miura, H. Shimaoka, M. Kurogochi, M. Nakano & S.-I. Nishimura: Anal. Chem., 80, 1094 (2008).,O-結合型糖鎖(18)18) J.-i. Furukawa, N. Fujitani, K. Araki, Y. Takegawa, K. Kodama & Y. Shinohara: Anal. Chem., 83, 9060 (2011).,GSLs(19)19) N. Fujitani, Y. Takegawa, Y. Ishibashi, K. Araki, J.-i. Furukawa, S. Mitsutake, Y. Igarashi, M. Ito & Y. Shinohara: J. Biol. Chem., 286, 41669 (2011).,ヘパラン硫酸(HS),コンドロイチン硫酸(CS),ヒアルロン酸(HA)などのGAGs(20)20) Y. Takegawa, K. Araki, N. Fujitani, J.-i. Furukawa, H. Sugiyama, H. Sakai & Y. Shinohara: Anal. Chem., 83, 9443 (2011).,遊離オリゴ糖などのさまざまなクラスの複合糖質糖鎖の解析法を確立してきた(図2図2■細胞のN-, O-結合型糖鎖,スフィンゴ糖脂質糖鎖,グリコサミノグリカン,遊離オリゴ糖の解析スキーム).