Kagaku to Seibutsu 53(9): 614-618 (2015)
生物コーナー
頭足類学という夢路
Published: 2015-08-20
© 2015 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2015 公益社団法人日本農芸化学会
最初から兜を脱ぐようであるが,頭足類学というのはまだ世に認められた学問ではない.そもそも頭足類(とうそくるい)という言葉自体が聞き慣れない.
頭足類は,イカとタコ,生きた化石と称されるオウムガイ,絶滅して本当の化石となったアンモナイトから構成される.貝やウミウシなどと同じ軟体動物の仲間である.現世の頭足類についてみると,イカ450種,タコ250種ほどが世界の海洋に分布し,5種ほどのオウムガイが熱帯海域の深場に暮らしている.つまり今という時代に生きる頭足類の主な構成員はイカとタコである.もっとも,このように「頭足類はイカとタコ」という物言いをするとオウムガイやアンモナイトを研究する古生物学者に叱られる.ただ,オウムガイとアンモナイトを差別する気持ちは微塵もないものの数で圧倒するのはイカとタコで,そのためわれわれの日常にしばしば顔を出すのもまたイカとタコである.
本稿は頭足類のなかでもイカとタコに注目し,彼らが頭足類学という新興の舞台で演じる姿を物語ろうとするものである.
イカとタコは人間と近しい間柄にある.とりわけ日本人には水産物として馴染み深い.イカは日本人の年間消費量でトップクラスに入る.たこ焼に埋まるタコも日本人が嗜好する最たる水産物だ.食以外の場面にもイカとタコは登場する.函館市は市の魚にイカを制定しイカ踊りが力強く舞われる.タコ足配線という言葉があり,映画「男はつらいよ」の名脇役にはタコ社長がいる.ダイオウイカの生きた姿が初めて映像に収められると,上野の博物館ではダイオウイカの展示が催され,六本木ヒルズにはダイオウイカの巨大オブジェが飾られた.日本人は無類のイカ好きタコ好き民族である.しかしイカとタコの生活を知る人は多くはない.
日本人が最も多く食べるイカであるスルメイカは,日本周辺を東シナ海からオホーツク海まで南北に大回遊する.高級とされるヤリイカは沿岸を主な住処とし回遊規模はより小さい.海底を主な住処とするものもいる.コウイカやタコなどがそれだ.さらに暗黒の深海を住処とするものもおりダイオウイカはその例である.イカとタコは性成熟を迎えるとたった一度の産卵期を経て死に,親世代と子世代が同時に生きることはない.
不思議なことにイカとタコの寿命は1年ほどしかない.駆け抜けるように生きるその生涯は“Live fast, die young”と言われる.生態の全貌が知られた種は少なく,馴染み深いイメージとは裏腹にその暮らし振りには謎が多い.さらに彼らを謎めいた存在としているのは,彼らが知的であるという事実だ(1)1) R. T. Hanlon & J. B. Messenger: “Cephalopod Behaviour,” Cambridge University Press, 1996..
イカとタコには一対の眼がある.これはヒトの眼と造りがよく似たレンズ眼で視精度も高い.さらにイカとタコには立派な脳がある.こちらはヒトとは形が大いに違うが,そのサイズは小型齧歯類の脳と同じくらいの大きさの「巨大脳」である.このような優れた情報処理器官を使いイカとタコは学習する.形や大きさの弁別,迷路を進むなどはお手の物だ.マダコは難しいとされる観察学習もできる.また彼らは体の色で思いのうちを表現する(図1図1■琉球列島沿岸のアオリイカ(撮影は中島隆太氏)).イカとタコは多彩な体色模様を瞬時にかつダイナミックに表出し,海草や海中景観に擬態して自らを紛らわす.生物界随一の「隠蔽の名手」と呼ばれる.さらにイカとタコは体色模様を言葉としてコミュニケーションも行う.いずれも発達した神経系を駆使した精巧な技である.その知的な振る舞いのゆえにイカとタコは「海の霊長類」の異名をもつ.フランスの海洋冒険家J.-Y. Cousteauの言葉だ.
一つ不可解なのは彼らがその知性を一体何に使っているのかだ.親から子へ知の伝承がない彼らにとって,発達した知性は「猫に小判」なのだろうか.
イカとタコの知性は何のためにあるのか? 「サンゴ礁のイカ」と称されるアオリイカ(図1図1■琉球列島沿岸のアオリイカ(撮影は中島隆太氏))からこの問題を眺めてみる(2)2) 池田 譲:“イカの心を探る―知の世界に生きる海の霊長類―”,NHK出版,2011, p. 336..
アオリイカは群れをつくる.群れをよく見ると,周囲を見張る歩哨役がおり,小型個体を中央にしてその脇に大型個体を配置するなど攻撃と防衛に特化した隊形をとっている.また,群れのなかの誰よりも先に餌を食べる個体がいる一方,最後にようやく餌を食べる個体がいるというように社会的順位が認められる.さらに,群れをソーシャルネットワークという虫眼鏡でのぞくと,構成員同士は互いにつながり,多くの個体とつながるハブや他の個体とのつながりが少ない個体などさまざまに異なる個体がいる.アオリイカの群れは一つの社会と言えそうだ.
これに符合するようにアオリイカにはある能力が認められる.社会認知というもので,同種個体を見分ける,相手が自分より社会的順位が高いか低いかを見定める,それに応じて自身の振る舞いを変えるなどといった行動として現れる.さらに社会認知の一つである鏡像自己認知もアオリイカが行う可能性がある.これは鏡に映ずる自己像を自分だと認識するもので,ヒト以外ではチンパンジー,ハンドウイルカ,アジアゾウ,ハトなど限られた動物で認められる.
鏡像自己認知する動物は発達した脳と社会をもつとの見方がある.アオリイカも巨大脳をもち群れという社会で暮らしている.そこで動物の系統ギャップを飛び越えてアオリイカに鏡を見せてみる.すると,自身が映る鏡像に接近し,繰り返し触るという関心行動を示す(図2図2■鏡にタッチするアオリイカ).ただし,鏡像を単に同種個体と見なしているわけではない.アオリイカに鏡と別のアオリイカを同時に見せても鏡像に触る.つまり鏡像に対する特異的な行動である.「イカは自分がわかる」となるとおおごとで,まだ幾重かの検証が必要だが,鏡像自己認知の萌芽はありそうである.
社会認知の才は群れをつくるイカに限らない.単独で暮らすマダコも同種個体を見分けることができる(3)3) E. Tricarico, L. Borrelli, F. Gherardi & G. Fiorito: PLoS ONE, 6, e18710 (2011)..同種どころかタコは人間の顔も見分けることができるらしい.また,単独性のイメージがあるコブシメというイカは実は群れをつくる(4)4) H. Yasumuro, S. Nakatsuru & Y. Ikeda: Mar. Biol., 162, 763 (2015)..どうやら頭足類のなかでも社会というシステムが形作られた歴史があるようだ.
霊長類にはマキャベリ的知性という考えがある.他者と対峙する社会的場面で相手を騙す,協力するなど上手く振る舞う個体は生き残って子孫を残す.このような個体の脳は大きい.つまり「社会」が脳の増大の進化的選択圧になったとの仮説だ.イカとタコが知性を獲得した理由にもこの仮説を適用することができるかもしれない.社会的な要素により大型化した脳を駆使して,短い生涯を生き延び遺伝子を次代につなぐ.そのような生き方を選んだのがイカでありタコではないだろうか.彼らは貝殻という鎧を脱ぎ捨てて知性という武具を身に付けた.海の霊長類の真骨頂である.
霊長類学は日本で独特のスタートを切った学問である.別名サル学とも呼ばれる.ヒトはどのようにしてヒトとなったか.その進化の道筋をサルやチンパンジーなどから探ろうとする分野である(5)5) 立花 隆:“サル学の現在”,平凡社,1991, p. 714..
日本における霊長類学の開祖,今西錦司は山岳家,冒険家としても知られる.今西を中心とした研究グループは野生馬の生態を研究していた.そこでニホンザルの群れに遭遇する.目の前を通り過ぎるサルの群れがまるで人間の家族のように見えたことに衝撃を受け,今西らはニホンザルの研究へと移行する.嵐山や高崎山などをフィールドに今西らはニホンザルの社会を解き明かし,霊長類学を世界的に牽引した.実はこの躍進の背景には理由がある.それは今西たちがニホンザルの個体識別に成功したことだ.
ニホンザルは100頭もの群れをつくる.群れのなかの個体関係を探るには1頭1頭のサルを識別する必要がある.しかし多くのサルを見分けるのは至難の技だ.この難題を今西らはとてもシンプルな方法で解決した.サルに名前を付けたのである.この個体は「弁慶」,こちらは「牛若」というように.ニホンザルはよく見ると顔や仕草に個体ごとの特徴がある.名前を付けることでそのような個体間の変異を刻印し,識別したのだ.
サルに名前を付けるというのは欧米の霊長類研究者には思いもよらないもので,日本人だからこそできた.日本はサルが生息する唯一の先進国である.サルという動物は「猿蟹合戦」など日本の民話にしばしば登場する.日本においてサルは人間にとても身近な存在だ.サルに名前を付けることは日本人の今西らにとっては自然なことであった.サルが身近でない欧米人にはこの動物に名前を付けるという発想自体が生まれ得なかったのである.
霊長類学の発展には日本という地理的要因と日本人がもつ独特の動物観が深くかかわった.頭足類の置かれた状況は霊長類のそれとよく似ているように見える.サルと同じく身近な存在.いや,サル以上に身近な存在かもしれない.
ヒトとは系統的に大きく離れた位置にあり,高等脊椎動物とは全く違う道筋で知性を獲得したのがイカとタコであるならば,彼らは知性の進化という課題に新しい切り口を与えてくれることだろう.最近の研究によればイカとタコの脳内神経回路網は人工知能のそれに似ているという(6)6) 滋野修一:私信,2014..イカとタコを対象とした知の進化の謎解きは非生命体を含めたより広範なものとなろう.
その謎解きにはオウムガイとアンモナイトも欠かせない.今では僅かな種数が残るオウムガイだが,古生代から現代まで生き延びてきた彼らにはイカやタコとは違うしたたかさがある.また,太古に滅びたというものの,1万種を数えたアンモナイトはその栄華をイカとタコにつないだ立役者である.彼らは知の進化についても饒舌に語ってくれることだろう.
このような謎解き,頭足類から知を探る,社会を探る,そして生命の妙を探るアプローチを霊長類学に倣って「頭足類学」として体系化してはどうだろう.
日本の近海には多くのイカとタコが暮らしている.国内のあちこちで彼らは水揚げされ,その姿を間近に観察できる磯や藻場も多い.日本は世界的にも希有な頭足類スポットである.霊長類学がそうであったように,日本は頭足類学を推進する格好の地理的条件に恵まれ,日本人はそれを世界的にリードしうる独特の頭足類観をもっている.
歴史をさかのぼれば,日本では遠き明治の頃から頭足類が研究されてきた.これを源流とする日本の頭足類研究はイカとタコの食としての需要から水産的視点に根差すものが多く,それらは分類や繁殖にかかわる基礎研究も包含した形で世界的レベルに発展した.一方,知性という頭足類の際立った特徴に注目しその謎解きに最初に挑んだのは,イカとタコを食さない欧州の人々であった.英国が生んだ偉大な解剖学者J. Z. Youngはそんな一人である.さて,頭足類の摩訶不思議な素顔の謎解き.今度はそれを日本人が担う番だ.
筆者は「新人類」と言われる世代であるが,新人類以降の世代を中心に頭足類への関心が新しい形で高まりつつあるように感じる.頭足類に魅せられる人は忽然と,そして次々と現れる.そのような潮流を感じつつ「沖縄シンポジウム 頭足類学を興す」を筆者とその仲間たちで昨夏開催した(図3図3■沖縄シンポジウム「頭足類学を興す」3枚の大布は“イカ拓”).頭足類学の旗揚げとも言うべき大胆な試みだったが,水産学,分類学,古生物学,進化学,ゲノム科学,行動学,生理学,生化学,神経科学,博物館学,美術学など異なる視点から頭足類を探る者,本家本元の霊長類を探る者,釣り師という立場で頭足類を追う者など,多種多彩な人々が国内から一堂に会した.また,頭足類をモチーフとした美術展「Cephalopod Interfaceイカとタコと33人」を同時開催した(図4図4■Cephalopod Interface出展作品「漆塗立体印刷大王烏賊像」(作者:中島隆太,滋野修一,成島三長)).さらに,これを追うように昨秋,日本水産学会ミニシンポジウム「頭足類学の創成」,日本動物行動学会ワークショップ「“不可思議な賢者”頭足類を訪ねる」を催した.いずれも多様な専門性から頭足類を追究する学徒が集い,論じ合った.霊長類学をはるか彼方に望む頭足類学の勃興と言えようか.時は動き始めたように見える.
擬人的な表現を許していただければ,頭足類は幕末の志士のように見える.永らく続いた江戸から新たに明治の扉を開いたのは必ずしも高位の人々ではなかった.土佐の坂本龍馬,薩摩の西郷隆盛,大久保利通は下級武士である.彼らは出自や家柄に関係なく,その能力と志によって国の大改革で主役を演じた.転じて頭足類を見れば,軟体動物という出自でありながら知性を発達させ,脊椎動物という家柄の魚類や鯨類と渡り合い海の霊長類と言われるまでになった.海のなかで大きな維新を成し遂げたのが頭足類という一群ではないだろうか.そのような頭足類に魅せられた者たちにより頭足類学がつくりあげられていくならば,それはすこぶる愉快なことであるように思う.
本稿で紹介したアオリイカの研究は筆者が学生諸君とともに進めているものである.彼らもまた頭足類学の立派な志士であることを述べて本稿の幕としたい.
Reference
1) R. T. Hanlon & J. B. Messenger: “Cephalopod Behaviour,” Cambridge University Press, 1996.
2) 池田 譲:“イカの心を探る―知の世界に生きる海の霊長類―”,NHK出版,2011, p. 336.
3) E. Tricarico, L. Borrelli, F. Gherardi & G. Fiorito: PLoS ONE, 6, e18710 (2011).
4) H. Yasumuro, S. Nakatsuru & Y. Ikeda: Mar. Biol., 162, 763 (2015).
5) 立花 隆:“サル学の現在”,平凡社,1991, p. 714.
6) 滋野修一:私信,2014.