解説

哺乳類における揮発性フェロモンの同定

Identification of Volatile Mammalian Pheromones

清川 泰志

Yasushi Kiyokawa

東京大学大学院農学生命科学研究科 ◇ 〒113-8657 東京都文京区弥生一丁目1番1号

Graduate School of Agricultural and Life Sciences, The University of Tokyo ◇ 1-1-1 Yayoi, Bunkyo-ku, Tokyo 113-8657, Japan

武内 ゆかり

Yukari Takeuchi

東京大学大学院農学生命科学研究科 ◇ 〒113-8657 東京都文京区弥生一丁目1番1号

Graduate School of Agricultural and Life Sciences, The University of Tokyo ◇ 1-1-1 Yayoi, Bunkyo-ku, Tokyo 113-8657, Japan

Published: 2015-09-20

多くの哺乳類は非常に発達した嗅覚をもち,嗅覚を利用して仲間とコミュニケーションをとっていることは古くから知られていた.1991年に,後にノーベル賞が授けられることになった嗅覚受容体の同定が報告されて以来,嗅覚に対する理解は飛躍的に深まり,またその知識を背景として嗅覚を介するコミュニケーションに関しても研究が大いに進展した.その結果,さまざまな不揮発性物質が「フェロモン」としてコミュニケーションに利用されていることが明らかとなったが,揮発性物質を介したコミュニケーションに関する理解は進んでいなかった.本稿では,哺乳類における嗅覚系やフェロモンに関して説明するとともに,筆者らが近年同定したヤギとラットの揮発性フェロモンを紹介する.

多くの哺乳類は,視覚に依存しているわれわれヒトが想像できないほど,非常に発達した嗅覚をもっていることが知られている.イヌやネコの飼い主の多くは,外出先でほかのイヌやネコをなでると帰宅後に察知されて,匂いを嗅がれることを体験しているであろう.イヌにおいてはこの発達した嗅覚が利用されて,空港では麻薬探知犬や爆発物探知犬が活躍しており,がん患者における呼気の匂いの変化を察知するがん探知犬の育成も試みられている.さらに近年タンザニアでは地雷や結核を探知するラットが育成されており(1)1) APOPO: https://www.apopo.org/en/,またオランダ警察では銃器の使用を鑑別するためにラットを利用する試みが始まっている.

動物たちはこの卓越した嗅覚系を用いて,多様な嗅覚シグナルを発信することで同種の仲間とコミュニケーションをとっていることが知られている.たとえばイヌは,散歩中にさまざまな場所で尿を用いてマーキングをすることで,自分の健康状態や繁殖状態,縄張りといった情報を発信するとともに,ほかのイヌが行ったマーキングの匂いを嗅ぐことでそれらの情報を得ている.またネコは新しい環境におかれると,しきりと頬や顎を突起物にこすりつけたり,尿を後方に放出したりすることでマーキング(尿スプレー)を行うが,このマーキングは自分の縄張りを主張したり,自分の匂いに囲まれて安心するために利用されている,と考えられている.また基礎的な研究が進んでいる齧歯類では嗅覚シグナルの役割がより明らかにされてきており,たとえば母ラットは嗅覚シグナルを発信し,活発に動き回り始めたもののまだ1頭では生きていけない仔ラットを巣に引き寄せることで,仔ラットが迷子にならない手助けをしていることが知られている(2)2) M. Leon & H. Moltz: Physiol. Behav., 7, 265 (1971)..また雄マウスは,自分の縄張りに侵入してきたマウスが雄である場合には攻撃を仕掛け,雌である場合には性行動を試みることが知られているが,これは嗅覚シグナルによって判断していることが明らかとなっている(3)3) L. Stowers, T. E. Holy, M. Meister, C. Dulac & G. Koentges: Science, 295, 1493 (2002).

哺乳類の嗅覚系

嗅覚シグナルは,ヒトでは揮発性物質にほぼ限られるものの,多くの哺乳類では揮発性物質と不揮発性物質が存在する.揮発性物質は,吸気と一緒に化学物質が鼻腔内に吸い込まれることで受容される.一方で不揮発性物質は,動物の鼻先が直接触れることで鼻先に存在している粘液中に溶け込み,その粘液が受動的もしくは能動的に鼻腔内へと運ばれていくことで受容される(4)4) C. J. Wysocki, J. L. Wellington & G. K. Beauchamp: Science, 207, 781 (1980).

鼻腔内に運ばれた嗅覚シグナルの多くは,主嗅覚系と鋤鼻系という2つの経路によって受容される(図1図1■嗅覚系の概略図).主嗅覚系においては,化学物質は嗅上皮と呼ばれる感覚上皮へと運ばれ,そこで上皮を構成している嗅神経細胞に発現している嗅覚受容体と結合することで,嗅覚シグナルが受容される.受容された情報は主嗅球という脳領域に集約された後,大脳皮質を含む広範な脳領域へと伝達されていく.ヒトや動物たちは,この経路によってさまざまな匂い,たとえばコーヒーやバラの匂いなどを感じている.またマウスでは,ペプチドのような不揮発性物質も主嗅覚系で受容していることが明らかとなっている(5)5) M. Spehr, K. R. Kelliher, X. H. Li, T. Boehm, T. Leinders-Zufall & F. Zufall: J. Neurosci., 26, 1961 (2006)..もう一つの経路である鋤鼻系では,吸気と一緒に吸い込まれた揮発性物質や,鼻先が直接接触することで取り込まれた不揮発性物質が,鼻中隔の基部に存在する鋤鼻器の中に存在する感覚上皮である鋤鼻上皮へと届けられ,上皮を構成している鋤鼻神経細胞に発現している鋤鼻受容体に結合することで,嗅覚シグナルが受容される.この情報は副嗅球という脳領域を介して,視床下部や扁桃体へと伝達される.残念ながらヒトでは鋤鼻器が退化してしまったため,鋤鼻系で嗅覚シグナルを感知するという感覚がどのようなものかを想像することは難しい.またいくつかの動物種ではこれら2つの経路のほかに,嗅上皮と同様の感覚上皮であるものの嗅上皮から離れて島のように存在し,受容した情報を主嗅球へ伝達しているマセラ器(Septal organ of Masera)(6)6) H. Tian & M. Ma: J. Neurosci., 24, 8383 (2004).と,鼻腔の先端に位置して受容した情報を主嗅球へと伝達しているグルーエネベルグ神経節(Grueneberg ganglion)が存在していることも報告されている(7)7) H. Gruneberg: Z. Anat. Entwicklungsgesch., 140, 39 (1973).図1図1■嗅覚系の概略図).

図1■嗅覚系の概略図

ラット前頭部の矢状断面図を示した.嗅覚シグナルは鼻孔から取り込まれて嗅上皮や鋤鼻上皮で受容され,その情報はそれぞれ主嗅球と副嗅球へ伝達される.

フェロモンとは

嗅覚シグナルのなかには,フェロモンと呼ばれるシグナルが存在する.フェロモン(Pheromone)とは,「ある個体から放出され,同種他個体にたとえば明確な行動反応や発達過程の変化といった,ある特定の反応を微量で引き起こす物質」と定義される化学物質を指し,1959年にKarlsonとLuscherによって提唱された語である(8)8) P. Karlson & M. Luscher: Nature, 183, 55 (1959)..現在のところこの定義が最も広く受け入れられているものの,これは昆虫における研究成果をもとに作られたために,哺乳類にそのまま適用することに関してはいまだ議論が続いている.そのため,たとえば「伝達されることにより,送り手と受け手の両者に利益が生じる物質」(9)9) M. Meredith: Ann. N. Y. Acad. Sci., 855, 349 (1998).,「同種間でお互いの利益となる化学感覚コミュニケーションに使用される物質」(10)10) D. Otte: Annu. Rev. Ecol. Evol. Syst., 5, 385 (1974).,「ある個体から環境中に放出される揮発性の化学シグナルであり,同種他個体の生理や行動に影響を与える物質」(11)11) K. Stern & M. K. McClintock: Nature, 392, 177 (1998).や「ある個体から放出され,同種他個体にたとえば常同的な行動や発達過程の変化といった,ある特定の反応を引き起こすために進化してきた物質であり,混合物の場合はある特定の混合比率にて効果を発揮する物質」(12)12) T. D. Wyatt: J. Comp. Physiol. A Neuroethol. Sens. Neural Behav. Physiol., 196, 685 (2010).などが,哺乳類におけるフェロモンの定義としてこれまで提唱されてきた.これらの議論を参考に,筆者らは「生存している個体から放出され,同種の他個体が受容したときに非常に微量で特定の反応を誘起し,動物の進化を考えるうえで適応的な機能をもつコミュニケーションに利用される物質」という定義を提唱している(13)13) H. Inagaki, Y. Kiyokawa, S. Tamogami, H. Watanabe, Y. Takeuchi & Y. Mori: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 18751 (2014).

フェロモン同定の戦略

昆虫においてのみならず,哺乳類においてもこれまでさまざまなフェロモン分子が同定されてきたが,その方法は大きく2つに分類することができる.一つは動物がフェロモンに対して示す表現型(反応)に着目する伝統的な方法である.この方法では,最初にフェロモンを含む嗅覚シグナルが誘起する反応,たとえば行動反応や神経内分泌反応などを特定する.その後,誘起される反応を指標として嗅覚シグナルの中からフェロモン分子を絞り込んでいき,最終的に化学合成した分子が嗅覚シグナルと同じ反応を引き起こすことを確認することで,フェロモン分子を同定する方法である(14)14) B. Schaal, G. Coureaud, D. Langlois, C. Ginies, E. Semon & G. Perrier: Nature, 424, 68 (2003)..もう一つの方法は,嗅覚系が化学物質を受容することに着目する逆薬理学的方法である.嗅覚系に限らず神経細胞は,自身が発現している受容体にリガンド分子が結合すると興奮することが知られている.そのため,この神経細胞の興奮を指標として動物から放出された化学物質を絞り込んでいき,最終的に化学合成した分子が同様に神経細胞を興奮させることを確認することで,嗅覚系にて受容されるリガンド分子を同定する.その後,同定したリガンド分子が誘発する行動反応や神経内分泌反応などを明らかとすることで,リガンド分子がフェロモン分子であることを確認する方法である(15~17)15) D. M. Ferrero, L. M. Moeller, T. Osakada, N. Horio, Q. Li, D. S. Roy, A. Cichy, M. Spehr, K. Touhara & S. D. Liberles: Nature, 502, 368 (2013).16) S. Haga, T. Hattori, T. Sato, K. Sato, S. Matsuda, R. Kobayakawa, H. Sakano, Y. Yoshihara, T. Kikusui & K. Touhara: Nature, 466, 118 (2010).17) H. Kimoto, S. Haga, K. Sato & K. Touhara: Nature, 437, 898 (2005).

哺乳類は尿や涙といった体液中に多くの嗅覚シグナルを放出することが知られていることから,哺乳類におけるフェロモン研究は主に体液に着目し,逆薬理学的方法によって多くの不揮発性フェロモン分子が同定されてきた.しかし近年,哺乳類は揮発性の嗅覚シグナルを大気中に直接放出することでも,さまざまなコミュニケーションをとっていることが明らかとなってきた.筆者らはこの揮発性の嗅覚シグナルに着目し,それが誘起する表現型に着目する伝統的な方法を用いることで,ヤギ(18)18) K. Murata, S. Tamogami, M. Itou, Y. Ohkubo, Y. Wakabayashi, H. Watanabe, H. Okamura, Y. Takeuchi & Y. Mori: Curr. Biol., 24, 681 (2014).とラット(13)13) H. Inagaki, Y. Kiyokawa, S. Tamogami, H. Watanabe, Y. Takeuchi & Y. Mori: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 18751 (2014).において揮発性フェロモン分子を同定することに成功した.以下にそれぞれの概要を紹介する.

ヤギにおける揮発性フェロモンの同定

1. 雄効果フェロモン

特定の季節にしか繁殖することができない季節繁殖動物であるヤギやヒツジなどでは,非繁殖期の雌の群れに雄を導入すると雌の卵巣活動が賦活され,排卵に至ることが古くから知られており,雄効果(male effect)と呼ばれている.またこの効果は雄の被毛だけを雌に呈示しても再現されることから,被毛には雌の性腺活動を賦活する雄効果フェロモンが含まれていることが推察されていた(19)19) T. W. Knight & P. R. Lynch: Anim. Reprod. Sci., 3, 133 (1980)..そこで筆者らは,実験動物であるシバヤギをモデルとして用い,雄効果フェロモンの同定を目指すこととした.

2. 生物検定系の確立

フェロモンが誘起する表現型に着目してフェロモン分子を絞り込んでいくためには,さまざまな候補物質が着目している表現型を誘起するかを確認する,生物検定と呼ばれる操作を繰り返し実施する必要がある.雄効果フェロモンの表現型として雌ヤギの排卵を観察することが最も直接的であるが,当時の超音波技術では高い精度で排卵を確認することは困難であった.また血液中のホルモン動態から排卵を推測することも可能であるが,フェロモン呈示後に排卵する時期(フェロモン呈示の10日から13日後程度)を正確には予測できないため,すべての期間において経時的にホルモン濃度を測定するというように,多大な労力とコストを要する方法となることから,こちらも非現実的な生物検定系と考えられた.

雌の性腺活動は,脳の視床下部より分泌される性腺刺激ホルモン放出ホルモン(Gonadotropin releasing hormone; GnRH)によって制御されていることが知られている.視床下部より分泌されたGnRHは下垂体に作用し黄体形成ホルモン(Luteinizing hormone; LH)の分泌を促し,分泌されたLHが卵巣を活性化する.このGnRHは常に一定量が放出されているのではなく,周期的(パルス状)に分泌されており,分泌パルスが低頻度のときには卵巣活動が停滞する一方で,パルスが高頻度になると卵巣活動が活発化し排卵に至るというように,GnRH分泌のパルス頻度が卵巣活動を支配している.しかしこのパルス頻度は,GnRH分泌細胞自身が決定しているわけではないと考えられている.卵巣の活動状態は,卵巣より分泌される雌性ホルモンであるエストロジェンなどを介して視床下部にフィードバックされるが,GnRHを分泌する細胞自身にはエストロジェンの受容体が存在しないことから,GnRH分泌細胞より上位に存在しその活動を制御しているGnRHパルスジェネレーターという神経機構の存在が想定されている(20)20) Y. Wakabayashi, T. Nakada, K. Murata, S. Ohkura, K. Mogi, V. M. Navarro, D. K. Clifton, Y. Mori, H. Tsukamura, K. Maeda et al.: J. Neurosci., 30, 3124 (2010).図2図2■雄効果フェロモン同定に必要となる生物検定系の確立).そこで筆者らは,雄効果フェロモンが排卵を誘起するのはフェロモンが雌ヤギのGnRHパルスジェネレーターを活性化させた結果であると考え,パルスジェネレーターの活動をフェロモン効果の表現型として使用できるかということについて検討した.

図2■雄効果フェロモン同定に必要となる生物検定系の確立

候補成分のフェロモン活性を評価するために,GnRHパルスジェネレーターの活動をMUA(Multiple Unit Activity)として計測した.

パルスジェネレーターの活動を電気生理学的に観測するために,電極を雌ヤギの弓状核というパルスジェネレーターが存在すると考えられている脳領域へ設置し,複数ニューロンのユニット活動(Multiple Unit Activity; MUA)を計測したところ,活動の一過性上昇(MUAボレー)がパルス状に観察された.またこのMUAボレーのパルスはLHの分泌パルスと同期していたことからも,観察したパルスがGnRHパルスジェネレーターの活動であることが考えられた(21)21) Y. Mori, M. Nishihara, T. Tanaka, T. Shimizu, M. Yamaguchi, Y. Takeuchi & K. Hoshino: Neuroendocrinology, 53, 392 (1991)..次に,排卵が遅延していた雌ヤギに雄ヤギの被毛を嗅がせたところ,MUAボレーのパルス頻度が増加し,排卵を示唆するホルモン動態が確認されたこと(図3A図3■MUAボレーを指標とした雄効果フェロモンの同定)から,雄効果フェロモンはGnRHパルスジェネレーターの活動を増加させることで排卵を誘起していることが示唆された.さらに,卵巣を摘出した雌ヤギに雄ヤギの被毛を嗅がせたところ,即座にMUAボレーが誘起されることが明らかとなり,呈示した後に即座にMUAボレーが誘起されるという表現型をフェロモン効果の指標として用いることが可能となった(22)22) T. Hamada, M. Nakajima, Y. Takeuchi & Y. Mori: Neuroendocrinology, 64, 313 (1996).

図3■MUAボレーを指標とした雄効果フェロモンの同定

A:排卵遅延が認められた雌ヤギに雄ヤギ被毛を呈示すると,MUAボレーの間隔が短縮し(GnRHのパルス分泌が促進され),その後排卵が確認された.B:MUAボレー周期の中間で18成分カクテルを呈示すると,直ちにMUAボレー(GnRHのパルス分泌)が誘起され,下垂体よりLHが追随して分泌された.

3. フェロモン分子の同定

フェロモン分子の同定に向けて,まずフェロモン分子の揮発性を確認した.その結果,雌ヤギが雄ヤギの被毛に直接接触しなくてもMUAボレーが誘起されたことから,雄効果フェロモンは揮発性分子であることが明らかとなった.また同時に,雄ヤギを去勢するとフェロモンが産生されなくなること(23)23) E. Iwata, Y. Wakabayashi, Y. Kakuma, T. Kikusui, Y. Takeuchi & Y. Mori: Biol. Reprod., 62, 806 (2000).や,雄ヤギの頭頚部被毛はフェロモンを含むが臀部の被毛は含まないこと,雄ヤギの被毛を1秒間呈示するだけでもMUAボレーを誘起するには十分であること(24)24) K. Murata, Y. Wakabayashi, K. Sakamoto, T. Tanaka, Y. Takeuchi, Y. Mori & H. Okamura: J. Reprod. Dev., 57, 197 (2011).などが判明した.

そこで,幅広い揮発性物質を回収できる吸着剤(Tenax)を皮膚から数cm離して維持しておくことのできる帽子を開発し,それを雄ヤギに1週間かぶせておくことで,頭部の皮膚より放出される揮発性物質だけを吸着剤に捕捉した.この吸着剤の内容物から,特に揮発性の高い化学物質が数多く含まれると考えられる1画分を抽出し雌ヤギに呈示したところMUAボレーが誘起されたことから,この画分にフェロモン分子が含まれていることが明らかとなった.筆者らの先行研究により雄ヤギ被毛に含まれる酸性の物質と中性の物質がMUAボレーを誘起することが明らかとなっており,また酸性の物質に着目したほかの研究グループによる先行研究ではフェロモン分子の同定には至らなかったことから,MUAボレーを誘起した画分に含まれる中性の物質に着目することとした.その結果,エチル基をもつアルデヒドやケトン,ジケトンなど18物質が画分のなかから同定された.次にこの18物質を化学合成し,雄ヤギの被毛に含まれる含有率を模して混ぜ合わせたカクテルを作製して雌ヤギに呈示したところ,MUAボレーが誘起されたこと(図3B図3■MUAボレーを指標とした雄効果フェロモンの同定)から,フェロモン分子をこの18物質に絞り込むことができた.また,雄ヤギを去勢するとフェロモンが産生されなくなることが明らかとなっていることから,18物質のうち去勢ヤギではその放出量が少なくなる物質に着目したところ,エチル基をもつ7物質へと候補分子を絞り込むことができた.この7物質がそれぞれ単独でMUAボレーを誘起する効果をもつかを検討した結果,4-ethyloctanalただ一つのみがMUAボレーを誘起することや,また18物質から4-ethyloctanalを除くとMUAボレーを誘起する効力が低下することなどが明らかとなった.これらの結果より,4-ethyloctanalが雄効果フェロモンの主要分子であることが示唆された(18)18) K. Murata, S. Tamogami, M. Itou, Y. Ohkubo, Y. Wakabayashi, H. Watanabe, H. Okamura, Y. Takeuchi & Y. Mori: Curr. Biol., 24, 681 (2014).図4図4■雄効果フェロモンの想定神経回路にはこれまでの研究より推察される雄効果フェロモンの受容・神経機構を示した.

図4■雄効果フェロモンの想定神経回路

こうした神経機構は哺乳類を通じて普遍性が高いと考えられるので,今後の成果が期待される.

ラットにおける揮発性フェロモンの同定

1. ラットの不安を増大するフェロモン

ストレスを受けた動物は特別な嗅覚シグナルを放出することは魚類において初めて発見され,その後マウス,ラット,シカ,ウシ,ブタやヒトといった幅広い哺乳類においても確認されていることから,このような嗅覚シグナルは哺乳類にとって重要なシグナルと考えられる.そこで筆者らはラットをモデルとし,まずはストレスに関連する嗅覚シグナルの存在を確認することから開始した.

電気ショックを負荷できる実験箱を用意し,そこに嗅覚シグナルを放出させるために雄ラットを2頭導入した.このようなラットを,以後はドナーと呼ぶこととする.実験箱内でドナーに電気ショックを負荷するため,この実験箱内にはストレスに関連する嗅覚シグナルが充満すると考えられる.電気ショック後ドナーを取り出し,実験箱を異なる部屋へと運んだ後,新たに別の雄ラットを導入した.このように,被験動物としてドナーから放出された嗅覚シグナルに暴露される雄ラットを,以後はレシピエントと呼ぶこととする.レシピエントにとって実験箱は新奇環境であるため,導入されるとストレス反応の一つとして一過性の体温上昇を示すが,事前にドナーが電気ショックを受けた実験箱に導入された場合には,この反応が増強されることが明らかとなった.そのため,ドナーは電気ショックを受けると特別な嗅覚シグナルを放出し,それはレシピエントの自律機能反応を増強することが明らかとなった(25)25) Y. Kiyokawa, T. Kikusui, Y. Takeuchi & Y. Mori: Horm. Behav., 45, 122 (2004).図5A図5■ストレスに関連する嗅覚シグナルに関する解析).

図5■ストレスに関連する嗅覚シグナルに関する解析

A:事前にドナーが電気ショック受けた実験箱に導入されたレシピエントは,体温上昇反応の増強を示した.B:麻酔下ドナーの肛門周囲部を局部電気刺激することで,レシピエントに同様の反応を引き起こす嗅覚シグナルを放出させることが可能であった.C:この嗅覚シグナルは,水中に捕捉することが可能であった.

レシピエントの自律機能反応を指標として用いて,ストレスに関連する嗅覚シグナルに関する解析を進めた結果,麻酔下ドナーの肛門周囲部の皮下に刺した2本の針を通じて局部電気刺激を行い人工的に筋肉の収縮を引き起こすことで,肛門周囲腺からストレスに関連する嗅覚シグナルを自在に放出させられることが明らかとなった(26)26) Y. Kiyokawa, T. Kikusui, Y. Takeuchi & Y. Mori: Chem. Senses, 29, 35 (2004).図5B図5■ストレスに関連する嗅覚シグナルに関する解析).またこの嗅覚シグナルを水のなかに捕捉する方法も確立した(27)27) Y. Kiyokawa, T. Kikusui, Y. Takeuchi & Y. Mori: Chem. Senses, 30, 513 (2005).図5C図5■ストレスに関連する嗅覚シグナルに関する解析).この嗅覚シグナル含有水を用いて,その効果をさまざまな実験系において検討した結果,ストレスに関連する嗅覚シグナルは直接的に自律機能反応を増強するのではなく,レシピエントの不安を増大させることで,実験系に応じたさまざまな反応を誘発することが明らかとなった(28~31)28) T. Kobayashi, Y. Kiyokawa, Y. Takeuchi & Y. Mori: Chem. Senses, 36, 623 (2011).29) H. Inagaki, Y. Kiyokawa, Y. Takeuchi & Y. Mori: Pharmacol. Biochem. Behav., 94, 575 (2010).30) H. Inagaki, Y. Kiyokawa, T. Kikusui, Y. Takeuchi & Y. Mori: Physiol. Behav., 93, 606 (2008).31) Y. Kiyokawa, M. Shimozuru, T. Kikusui, Y. Takeuchi & Y. Mori: Physiol. Behav., 87, 383 (2006)..すなわち,これまで観察された自律機能反応の増強は,不安の増大による二次的な反応の一つであることが判明した.そのためストレスに関連する嗅覚シグナルには,レシピエントの不安を増大するフェロモンが含まれていることが推察された.

2. フェロモン分子の同定

レシピエントがフェロモンに対して示す反応のなかで,最も簡便に測定可能な反応である聴覚性驚愕反射の増強を,生物検定の指標として用いることとした(30)30) H. Inagaki, Y. Kiyokawa, T. Kikusui, Y. Takeuchi & Y. Mori: Physiol. Behav., 93, 606 (2008)..動物は突然大きな音を聞くと,全身の筋肉が硬直して飛び上がる驚愕反射を示すが,この反射の強度は動物の不安と関連していることが知られている.すなわち,不安が増大すると驚愕反射の強度が増すのである(図6A図6■不安を増大するフェロモンの同定).

図6■不安を増大するフェロモンの同定

A:聴覚性驚愕反射の増強を生物検定系の指標として用いた.B:ストレスに関連する嗅覚シグナルを画分1,画分2,画分3に分画したところ,画分1のみが聴覚性驚愕反射を増強した.C:画分1をさらに画分1-1と画分1-2の2つに分画したところ,画分1-1のみが聴覚性驚愕反射を増強した.D:画分1-1の拡大図と,その抽出イオンクロマトグラム.

フェロモン分子の同定に向けてまず,フェロモン分子の揮発性を検討した.その結果,レシピエントは嗅覚シグナル含有水に直接接触しなくても驚愕反射の増強を示したことから,フェロモンは揮発性であることが確認された(32)32) H. Inagaki, K. Nakamura, Y. Kiyokawa, T. Kikusui, Y. Takeuchi & Y. Mori: Physiol. Behav., 96, 749 (2009)..そこで麻酔下ドナーの肛門周囲部から放出させた揮発性物質を吸着剤(Tenax)が充填されたガラス管に吸い込むことで捕捉し,吸着剤の内容物を画分1,画分2,画分3の3つに分画した.その結果,画分1のみが聴覚性驚愕反射を増強したことから,この画分にフェロモン分子が含まれていることが判明した(図6B図6■不安を増大するフェロモンの同定).画分1をさらに画分1-1と画分1-2の2つに分画したところ,画分1-1のみが聴覚性驚愕反射を増強したため,この画分にフェロモン分子が含まれていることが明らかとなった(図6C図6■不安を増大するフェロモンの同定).この画分1-1に含まれる物質を精査したところ,フェロモンが存在するサンプルには4-methylpentanalが存在し,hexanalの含有量が増加することが明らかとなったため,この2つの物質がフェロモン分子の有力候補と考えられた(図6D図6■不安を増大するフェロモンの同定).

次に,化学合成された2つの物質を用いて,これらがフェロモン分子であるかということについて検討した.その結果,それぞれの物質を単独で呈示した場合には驚愕反射を増強しないものの,2物質を混合物として呈示した場合には驚愕反射を増強することが判明した.また,この2種混合物は非常に微量で効果を発揮することや,ストレスに関連する嗅覚シグナルと同じタイプの不安を増大することが薬理学的研究により明らかとなった.さらにこの2種混合物は,聴覚性驚愕反射とは異なる試験においても不安の増大を示唆する反応を引き起こすことが確認されたことから,4-methylpentanalとhexanalの2種混合物がフェロモン分子であることが明らかとなった(13)13) H. Inagaki, Y. Kiyokawa, S. Tamogami, H. Watanabe, Y. Takeuchi & Y. Mori: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 111, 18751 (2014).図7図7■不安を増大するフェロモンの想定神経回路にはこれまでの研究より推察される,ラットの不安を増大するフェロモンの受容・神経機構を示した.

図7■不安を増大するフェロモンの想定神経回路

主嗅覚系と鋤鼻系にてそれぞれ受容された情報が脳内で統合され,不安が増大される.

おわりに

筆者らの属する研究分野は「獣医動物行動学」という,獣医学のなかでは医学における精神科あるいは心療内科に相当するような専門分野である.言語での意思疎通ができない動物が対象となるため,まずは相手の表情や行動を観察することが何より重要な手がかりになってくる.そのため,不揮発性フェロモンのみならず,これまで解析が遅れていた揮発性フェロモンに関しても研究を進め,動物にとっての言語である嗅覚シグナルをより包括的に理解していくことで,いつの日か動物と意思疎通することを可能にしてくれる「ソロモンの指環」を手に入れて,飼い主が動物たちと良い関係性を構築していくことに貢献することが期待される.

Reference

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