Kagaku to Seibutsu 53(11): 774-781 (2015)
解説
ムスクの香りの認識メカニズム
Mechanisms of Musk Odor Perception
Published: 2015-10-20
ムスクは,官能的で魅惑的な香りを有し,古代から人間社会で香料以上の役割を担ってきた.天然ムスクであるムスコンは現在希少であり,その代替となるべく多くの合成ムスク香料が開発されてきたが,なかには毒性を指摘されるものもあり,問題となっている.当研究室では,ムスコンの受容体をマウスやヒト,4種の霊長類で同定し,それらのさまざまなムスク香料に対する構造活性相関を調べた.ヒトのムスコン受容体であるOR5AN1の応答性は,私たちが実際にムスク香料を嗅いだときの感覚とよく一致しており,ヒトのムスクの匂い受容の鍵となる受容体であることがわかった.これらの結果は,より良い新規ムスク香料の開発に貢献すると期待される.
© 2015 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2015 公益社団法人日本農芸化学会
ムスク(Musk),和名で「麝香(じゃこう)」は,warm(温かみのある),sensual(官能的),animalic(動物的)と表現される匂いであり,その魅惑的な香りで古代より人々を魅了してきた(1)1) C. Fehr, J. Galindo, R. Haubrichs & R. Perret: Helv. Chim. Acta, 72, 1537 (1989)..インドや中国では先史以前からアーユルヴェーダや漢方医学において,ムスクを香料としてはもちろん,薬としても使用した(2)2) 森 立之:“神農本草経”,有明書房,1980..歴史上にもムスクはたびたび登場しており,たとえば,世界三大美女の一人とされる楊貴妃は,その身体に麝香を塗りたくっていたとされており,その美貌や芸の才能のほか,自らの体臭とムスクの複雑なミクスチャーでも,玄武皇帝を魅了したのであろう.さらに,イスラム社会でもムスクは媚薬として使用されていたとされ,ムスクは古代から人間社会においてフレグランス以上の役割を担っていたことがわかる.現在でもムスクは異性をひきつける匂いとして,セクシーさをうたうフレグランスに使用されることが多い.
また,匂いを分類するにあたって,ムスクは昔からよく基本臭の一つとされてきた.味覚に五味(基本味)があるように,嗅覚にもさまざまな匂いの分類法(基本臭)が考えられてきた.例として,1963年にAmooreは,616もの匂い物質をその匂いの質によって分類し,それぞれの質の匂いを呈する物質の,数が多かった上から7種類を原臭(primary odors)と定義した(3)3) J. E. Amoore: Nature, 198, 271 (1963)..その7種は,エーテル臭,樟脳臭,麝香,花の匂い,薄荷臭,刺激臭,腐敗臭である.さらにAmooreはこれら7種の原臭の立体分子構造から,匂いの立体化学説(stereochemical theory)を提唱した.このようにムスクは基本臭の一つとされることから,ほかに言い表しようのない,独特な香りをもつことがわかる.
そもそもムスクは,シカの一種であるヒマラヤ付近に生息するジャコウジカ(Musk deer, Moschus moschiferus)由来の匂い物質のことを指し,数少ない動物由来の香料の一つである.1906年にWalbaumはジャコウジカの成熟雄の腹部の両脇から採取される香嚢(musk pods)から,匂い物質を単離し,ムスコン(muscone)と命名した(4)4) H. Walbaum: Prakt. Chem., 73, 488 (1906)..英名であるムスク(musk)は,香嚢の見た目が睾丸に似ていることから,サンスクリット語で睾丸を意味するmuskaに由来する(なお,実際は睾丸ではなく,ジャコウジカの包皮腺に相当する).ジャコウジカでは,ムスコンの香りは縄張りを示したり,雌をひきつけるなど,フェロモン様の役割を担うとされている(5,6)5) W. C. Agosta: Chem. Commun., (1992).6) D. W. Tristram: “Pheromones and animal behaviour,” University of Oxford, 2003..その後,1926年Ruzickaによりムスコンの化学構造が解明され,15員環の大環状ケトン構造をもつことがわかった(7,8)7) L. Ruzicka: Helv. Chim. Acta, 9, 715 (1926).(図1図1■ムスク香料とその開発世代).ジャコウジカ以外のムスク香を放つ動物,マスクラット(musk rat, Ondatra zibethicus)やシベットキャット(civet cat, Viverra civetta),スンクス(musk shrew, Suncus murinus)の臭腺からも,シクロペンタデカノンやシベトンといったムスク香をもつ大環状ケトン化合物が同定されたが,今なおムスコンは天然ムスク香料の代表である(9)9) 近藤恭司:“実験動物としての食虫目トガリネズミ科動物の生物学”,学会出版センター,1985..
ジャコウジカは,天然ムスク香料の供給を目的とした乱獲により頭数が減少し,今では国際自然保護連合(IUCN)により保護動物に指定されている.しかしムスクの匂いの需要は減少することはなく,天然ムスクの穴を埋めるべく多くの合成ムスク香料が開発されてきた.
合成ムスクはその開発年代から大きく4つに分けられる(10)10) 田中 茂:香料,257, 49 (2013).(図1図1■ムスク香料とその開発世代).第一世代は,ムスコンの発見以前からムスク香料として使われてきたニトロムスク(nitro musk)で,ベンゼン環にニトロ基を複数もつのが特徴であり,少量でもかなり強いムスク香を放つ.しかし,このニトロムスクを含んだ製品の廃液が河川に流れ出すなどして,海洋生物の脂肪組織への残留が問題となっている(11,12)11) T. Luckenbach & D. Epel: Environ. Health Perspect., 113, A803 (2005).12) H. Nakata: Environ. Sci. Technol., 39, 3430 (2005)..ヒトでも一部のニトロムスクが皮膚や母乳,血液に微量ながら蓄積が見られるという報告もあり,日本や欧米の国々では一部のニトロムスクの使用が禁止され,現在使用されているニトロムスクはムスクケトンのみである(13~15)13) H. Ippen: Int. Arch. Occup. Environ. Health, 66, 283 (1994).14) H. P. Hutter, P. Wallner, H. Moshammer, W. Hartl, R. Sattelberger, G. Lorbeer & M. Kundi: Sci. Total Environ., 407, 4821 (2009).15) K. Taylor, M. Weisskopf & J. Shine: Environ. Health, 13, 14 (2014)..ニトロムスクに代わり第二世代のムスク香料として合成が盛んになったのは,多環式ムスク(polycyclic musk)である.炭素や酸素によって構成される6員環や5員環を複数もち,香気はやや劣るものの,安価に合成でき,多くの香粧品にふんだんに使われている.しかし多環式ムスクもニトロムスク同様,残渣性や難分解性が問題となり,国際香料業界(IFRA)やメーカーによって自主規制が行われている.第三世代は,ムスコン様の大環状構造をもつ大環状ムスク(macrocyclic musk)であり,それまで合成が難しかったが,安全性が高く,易分解性であるとして見直されている.大環状ムスクに含まれる大環状ケトンも大環状ラクトンも生分解性に優れているが,どちらも分子量が大きいため拡散性が低いことが課題となった.そこで,これまでとは全く異なるコンセプトで第四世代として開発されたのが,環状構造と炭素鎖が組み合わさった構造をもつ鎖状ムスク(alicyclic musk)である.鎖状ムスクはニトロムスクに比べて生分解性が良く,拡散性にも優れている.また,近年では第五世代と目される新規ムスク様化合物の開発が進んでいるという.
これだけ多くの合成香料が開発されてきたにもかかわらず,ジャコウジカ由来の天然ムスクでないと,ムスク本来の官能的な香りは表せないという.欧州では今なお香水の原料として天然ムスクが流通しており,その価格は金よりも高い.より安価で,拡散性や残香性に優れ,安全性も兼ね備えた,消費者の多様なニーズに応えられるムスク香料の開発は香料業界の課題である.
一方で,同じようなムスク香を呈するにもかかわらず,このように構造が異なる化合物が,受容体レベルではどのように認識されているのだろうか.また,古代から香料だけでなく,その生理効果が期待されてきたムスクであるが,本当にそのような効果があるのであろうか.昔から基準臭とされてきた所以はどこにあるのだろうか.当研究室では,このように学術的にも産業的にも興味深い匂いであるムスクに着目し,ムスクの匂いの受容メカニズムおよび生理効果の解明を目指して研究を進めた.
まず,一般的な香りの受容メカニズムについて概説する.嗅覚受容の鍵となる受容体タンパク質,嗅覚受容体(olfactory receptor; OR)は,1991年BuckとAxelによって発見された(16)16) L. Buck & R. Axel: Cell, 65, 175 (1991)..鼻腔内に匂い分子を含んだ空気が入ると,匂い分子は鼻粘膜に吸着し,嗅上皮にある嗅神経細胞の繊毛に接触する.この繊毛にはORが発現しており,ORのリガンド結合部位に分子がフィットすることで,匂いの情報伝達が始まる.このORの発見により,嗅覚研究は大きく進展を遂げた.
OR遺伝子は,脊椎動物では最大の多重遺伝子ファミリーを形成しており(17)17) P. Mombaerts: Nat. Rev. Neurosci., 5, 263 (2004).,ヒトは396個のOR遺伝子を,マウスは1,130個のOR遺伝子をもつ(18)18) Y. Niimura, A. Matsui & K. Touhara: Genome Res., 9, 1485 (2014)..それぞれの種のもつORレパートリーは,その生存環境によって大きく異なり,進化の過程において重複や欠失が極めて多いのもOR遺伝子の特徴である.
ORはGタンパク質共役型受容体ファミリーに属しており,7回膜貫通型構造をもつ.通常,1種類のORはさまざまな匂い分子を認識する一方で,1種類の匂い分子はさまざまなORを活性化する.すなわち,匂い分子とORは「多対多」の関係である.しかし,さまざまな匂いと結合する選択性の低いORもあれば,少数の匂いにのみ結合する選択性の高いORも存在する(19)19) H. Saito, Q. Chi, H. Zhuang, H. Matsunami & J. D. Mainland: Sci. Signal., 2, ra9 (2009)..
受容体レベルでムスクの認識機構を解明するには,ムスクの受容体を発見しなければならない.まず,一般的な実験動物であるマウスを用いて,ムスコン受容体の同定を試みた.嗅覚一次中枢である嗅球上の,ムスコンに応答する糸球体を探索したところ,内側前部の限局した領域の一部の糸球体のみがムスコンに応答した(20)20) M. Shirasu, K. Yoshikawa, Y. Takai, A. Nakashima, H. Takeuchi, H. Sakano & K. Touhara: Neuron, 81, 165 (2014)..また,免疫組織化学的手法を用いても,同様の領域がムスコンの匂いに応答したことを示すシグナルが見られた.さらに,外科的にその領域を除去したマウスはムスコンを感知できなかった.このことは,ムスコンの匂い信号は,少数の嗅覚受容体を介して脳に伝わって認知されていることを示している.
次に,ムスコン応答糸球体に投射している嗅神経細胞に発現している嗅覚受容体を探索し,MOR215-1という嗅覚受容体を得た(20)20) M. Shirasu, K. Yoshikawa, Y. Takai, A. Nakashima, H. Takeuchi, H. Sakano & K. Touhara: Neuron, 81, 165 (2014)..MOR215-1が本当にムスコン受容体であるかどうか検証するために,2つの再構成系実験を用いた.まず一つ目は,アフリカツメガエル卵母細胞を用いたアッセイ系である(図2A図2■オーサイトアッセイ(A)とルシフェラーゼアッセイ(B)).アフリカツメガエル卵母細胞にOR遺伝子と嚢胞腺線維性膜貫通調節因子CFTRを共発現させ,匂い物質が受容体に結合すると,卵母細胞内在性Gタンパク質を介して細胞内のcAMPが増加し,PKAが活性化される.活性化されたPKAによってCFTRはリン酸化され,Cl−チャネルとして開口することで,細胞膜に内向き電流が生じる.この電流値を二電極膜電位固定法で測定することで受容体の匂いに対する応答が得られる.もう一つは,培養細胞を用いたルシフェラーゼアッセイ系である(図2B図2■オーサイトアッセイ(A)とルシフェラーゼアッセイ(B)).HEK293細胞に,OR遺伝子とORの膜輸送を促すRTP1S,ホタルの蛍光タンパク質であるルシフェリンを基質とするルシフェラーゼの遺伝子を共発現させる.発現させたORが匂い物質に応答すると,Gタンパク質を介して細胞内cAMP濃度が上昇し,それによりルシフェラーゼ遺伝子が発現し,ここに基質であるルシフェリンを加えることで,ORの応答が発光で定量できる.MOR215-1は,この2つの再構成系においてムスコンに明確な応答を示した.さらに,MOR215-1と最もアミノ酸配列相同性の高いヒトのORであるOR5AN1も,HEK293細胞を用いた再構成系でムスコンに対する応答が確認され,ヒトのムスコン受容体であることがわかった(20)20) M. Shirasu, K. Yoshikawa, Y. Takai, A. Nakashima, H. Takeuchi, H. Sakano & K. Touhara: Neuron, 81, 165 (2014)..
A. オーサイトアッセイ模式図.ORを発現させた卵母細胞に,リガンド刺激を行い,応答として電流を測定する.MOR215-1を発現させた卵母細胞の,ムスコンへの実際の応答波形を右に示す(20)20) M. Shirasu, K. Yoshikawa, Y. Takai, A. Nakashima, H. Takeuchi, H. Sakano & K. Touhara: Neuron, 81, 165 (2014)..B. ルシフェラーゼアッセイ模式図.HEK293細胞にORを発現させ,匂い刺激を行うと,ORの応答により細胞内cAMP濃度が上昇し,ルシフェラーゼ遺伝子が発現する.ここに基質を投与して,発光を測定する.
次に,哺乳類でムスコン受容体がどの程度保存されているかをみるために,MOR215-1とOR5AN1周辺のOR遺伝子の,アミノ酸配列相同性に基づく系統樹を描いた(21)21) N. Sato-Akuhara, N. Horio, A. Kato-Namba, K. Yoshikawa, Y. Niimura, S. Ihara, M. Shirasu & K. Touhara (submitted).(図3図3■ムスコン受容体の系統樹と100 µMムスコンへの応答(21)).動物種として,マウスとヒトのほか,4種の霊長類の遺伝子を用いた.先ほどOR5AN1は,MOR215-1と最もアミノ酸配列相同性の高いヒトのORであると述べたが,これらは正確にはオルソログ関係にはないことがわかった.しかし,MOR215-1のヒトオルソログであるOR5AN2Pは,偽遺伝子化されているため,系統樹上では別のオルソログのグループにあるものの,MOR215-1に最も配列が近いヒト機能遺伝子はOR5AN1ということになる.さらにいえば,MOR215-1のオルソロググループ(図3図3■ムスコン受容体の系統樹と100 µMムスコンへの応答(21)グループ1)はげっ歯類のORのみで構成されており,OR5AN2P(グループ2)とMOR215-1もグループは異なるが,煩雑なので本文ではMOR215-1とOR5AN2Pのオルソログをまとめて一つのグループとして扱う.
各ORのルシフェラーゼアッセイにおける100 µMムスコンへの応答.空ベクターに対する相対値が,50以上のものを+++,20~50を++,5~20を+,5未満を−と表記した.系統樹はNiimura et al.(18)18) Y. Niimura, A. Matsui & K. Touhara: Genome Res., 9, 1485 (2014).と同じゲノムデータを使用.OR名と動物種との対応は図の下部参照.ムスコンに明確な応答をしたとみなすORを,太字ならびに下線で強調してある.
OR5AN1のオルソログは,チンパンジーとマーモセットにはなく,オランウータンとマカクで一つずつ存在し,マウスではMOR214ファミリーという遺伝子ファミリーが存在していた.MOR215-1オルソログは,ヒトOR5AN2P以外に,チンパンジー,オランウータン,マカク,マーモセットにそれぞれ一つずつ存在した.これらのムスコンへの応答を測定したところ,新たに4種の霊長類のムスコン受容体が同定された(図3図3■ムスコン受容体の系統樹と100 µMムスコンへの応答(21)).MOR215-1オルソログでは,MOR215-1のほか,チンパンジー,オランウータンのORが応答を示した.一方,OR5AN1オルソログでは,ほかのORほど応答強度は大きくないが,オランウータンとマカクのORが応答した.これらの結果から,ムスコン受容体はマウスから霊長類に至るまで,非常によく保存されていることが示唆される.
異なる構造をもつムスク香料ならびにムスコン関連化合物25種類に対して,ヒトOR5AN1とマウスMOR215-1の構造活性相関を調べた(図4図4■ヒトOR5AN1とマウスMOR215-1のムスク香料に対する構造活性相関(21),表1表1■ムスク香料並びにムスコン関連化合物一覧).MOR215-1は,ムスコンを含む大環状ケトン(#1~7)に応答したほか,同じく大環状ムスクである大環状ラクトン(#8~11),ニトロムスク(#12, 13),多環式ムスク(#14~17),鎖状ムスク(#18)にも,大環状ケトンほど強い応答ではないものの,応答を示した.一方,OR5AN1は,MOR215-1同様大環状ケトンならびにニトロムスクに応答を示したが,大環状ラクトンや多環式ムスク,鎖状ムスクには,ほとんど応答しなかった.
ルシフェラーゼアッセイにおける,ヒトOR5AN1とマウスMOR215-1の各化合物10 µMへの応答.25種のムスク香料ならびに関連化合物については,表1表1■ムスク香料並びにムスコン関連化合物一覧も参照.n=3, Error bar: ±SE.
番号 | 分類 | 化合物名 | 構造 | 分子式 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 大環状ムスク | 大環状ケトン | muscone | C16H30O | |
2 | muscenone | C16H28O | |||
3 | cyclopentadecanone | C15H28O | |||
4 | ambretone | C16H28O | |||
5 | globanone | C16H28O | |||
6 | cosmone | C15H26O | |||
7 | 3-methylcyclo-tetradecanone | C15H28O | |||
8 | 大環状ラクトン | ethylene brassylate | C15H26O4 | ||
9 | ambrettolide | C16H28O2 | |||
10 | exaltolide | C15H28O2 | |||
11 | habanolide | C15H26O2 | |||
12 | ニトロムスク | musk xylol | C12H15N3O6 | ||
13 | musk ketone | C14H18N2O5 | |||
14 | 多環式ムスク | galaxolide | C18H26O | ||
15 | tonalide | C18H26O | |||
16 | celestlide | C17H24O | |||
17 | cashmeran | C14H22O | |||
18 | 鎖状ムスク | エーテルエステル | helvetolide | C17H32O3 | |
19 | その他 | アルカン | cyclopentadecane | C15H30 | |
20 | アルコール | cyclopentadecanol | C15H30O | ||
21 | 環状ケトン | cyclohexanone | C6H10 | ||
22 | cyclodecanone | C10H18O | |||
23 | cycloundecanone | C11H20O | |||
24 | ケトン | 2-pentadecanone | C15H30O | ||
25 | 8-pentadecanone | C15H30O |
ムスコンとニトロムスクは,化学構造的に大きく異なるのに,MOR215-1,OR5AN1が双方に応答を示すのは興味深い.半世紀前にAmooreは,ムスク香料が長径約10Åの楕円形の円柱のような構造をもつとし,「ムスクの香りをもつ化合物は,円盤型(disk-shaped)の構造をもつ」と述べた(3)3) J. E. Amoore: Nature, 198, 271 (1963)..ムスコンとニトロムスクの一種であるムスクケトンの立体構造を見ると,どちらもよく似たやや楕円の円柱様の構造をしている.一方,多環式ムスクや鎖状ムスクはそのような構造をとっていない.前述のような,OR5AN1とMOR215-1の大環状ラクトンや多環式ムスクに対する応答性の違いは,リガンド結合部位の柔軟性によるものであると考えられる.OR5AN1のリガンド結合部位は,MOR215-1より特異性が高く,ムスコンやニトロムスクのようなやや楕円形でないとフィットしないのであろう.
さて,OR5AN1の構造活性相関を見ると,ムスコンよりも強くニトロムスクに応答していることがわかる.そこでOR5AN1とMOR215-1におけるニトロムスクであるムスクケトンとムスコンに対する濃度依存的応答を測定したところ,MOR215-1ではムスコンとムスクケトンへの応答強度は大きく違わないのに対し,OR5AN1では,ムスコンより4~5倍ムスクケトンに対する応答強度が大きいことがわかった(図5A図5■マウスMOR215-1とヒトOR5AN1の濃度依存的応答(21)).閾値もムスコンよりムスクケトンのほうが低濃度であった.ここから,OR5AN1にとっては,ムスコンよりもムスクケトンのほうが良いリガンドであるといえる.
A. ムスコン(■)ならびにムスクケトン(#13, ●)に対する応答.B. ムスコンの鏡像異性体(▲: l体,▼: d体)に対する応答.Aのラセミ体に対する応答を100%としてある.n=3, Error bar: ±SE.
ところでムスコンはメチル基の位置による鏡像異性体をもち,天然ムスコンはほぼl体である.官能評価的に,l-(R)-ムスコンのほうがd-(S)-ムスコンよりも強く優れた香気を放つことが知られている(20,22)20) M. Shirasu, K. Yoshikawa, Y. Takai, A. Nakashima, H. Takeuchi, H. Sakano & K. Touhara: Neuron, 81, 165 (2014).22) P. Kraft & G. Fráter: Chirality, 13, 388 (2001)..受容体レベルでは異性体をどのように認識しているのか調べるために,ムスコンの異性体に対するOR5AN1とMOR215-1の濃度依存的応答をみた(図5B図5■マウスMOR215-1とヒトOR5AN1の濃度依存的応答(21)).ルシフェラーゼアッセイを用いた実験系で,MOR215-1はl体やラセミ体と比較して,d体に対する感度は3~4倍ほど低いことがわかった.一方,OR5AN1は,EC50は鏡像異性体間でほとんど変わらないが,応答強度はl体がラセミ体の約1.3倍,一方d体はl体の3割程度であった.この結果は,l体がd体よりも強いムスク香をもつという官能評価と一致している.また,d-ムスコンがOR5AN1のpartial agonistであることも示唆された.
なお,大環状ケトン(#2~7)の中でも,ムセノン(#2),アンブレトン(#4),グロバノン(#5),コスモン(#6)は,OR5AN1にムスコンと同程度の強い応答を引き起こす.これらの環内に二重結合を有するムスク香料は,経験的に香りが強いことが知られており,前述の鏡像異性体のケースと同様に,今回得られたOR5AN1の構造活性相関は,われわれがこれらの香料を嗅いだときの感覚とよく一致していた.
ORの遺伝子多型が,そのリガンドである匂いの感じ方の違いに大きく影響するケースがある.ヒト嗅覚受容体のOR7D4は,豚の性フェロモンであり,ヒトの腋臭にも含まれる,アンドロステノンという匂い物質の特異的な受容体として知られている.OR7D4遺伝子のアミノ酸配列には,13カ所の一塩基多型(SNP)が報告されており,なかでも88番目のアルギニンがトリプトファンに,かつ133番目のスレオニンがメチオニンに変異している遺伝子型は,ルシフェラーゼアッセイにおいてアンドロステノンへの応答が小さく,実際この遺伝子型の人は,そうでない人に比べてアンドロステノンの匂いを弱く感じる(23)23) A. Keller, H. Zhuang, Q. Chi, L. B. Vosshall & H. Matsunami: Nature, 449, 468 (2007)..また,アンドロステノンは汗や尿のような匂いに例えられるが,この遺伝子型の人は,フローラルや蜂蜜といった良い匂いと感じる人が多いという.このように,ある一つのORの遺伝子型が,匂いの感じ方(表現型)の違いに影響を与えるケースはいくつか報告されている(24~26)24) I. Menashe, T. Abaffy, Y. Hasin, S. Goshen, V. Yahalom, C. W. Luetje & D. Lancet: PLoS Biol., 30, e284 (2007).25) J. F. McRae, J. D. Mainland, S. R. Jaeger, K. A. Adipietro, H. Matsunami & R. D. Newcomb: Chem. Senses, 37, 585 (2012).26) S. R. Jaeger, J. F. McRae, C. M. Bava, M. K. Beresford, D. Hunter, Y. Jia, S. L. Chheang, D. Jin, M. Peng, R. D. Newcomb et al.: Curr. Biol., 23, 1601 (2013)..
ムスクの場合はどうであろうか.ムスクの嗅盲は古くから研究対象となっており,大環状ラクトンであるエグザルトリド(#10)に対して特異的嗅盲を示す人は8.7%,ムスコンに対して嗅盲を示す人は6.2%いるという(27,28)27) D. Whissell-Buechy & J. E. Amoore: Nature, 242, 271 (1973).28) C. J. Wysocki, D. R. Reed, D. Lancet, Y. Hasin, J. Louie, L. Oriolo & F. Duke: Abstract, 286, 116 (2009)..これらのムスクの嗅盲に,OR5AN1の遺伝子型は影響しているのであろうか.
まず,OR5AN1以外にヒトムスコン受容体があるか調べるために,417個のヒトORに対してムスコンに対する匂い応答スクリーニングを行ったところ,OR5AN1以外にムスコンに強い応答を示すORはなかった(21)21) N. Sato-Akuhara, N. Horio, A. Kato-Namba, K. Yoshikawa, Y. Niimura, S. Ihara, M. Shirasu & K. Touhara (submitted)..この結果は,OR5AN1がヒトにおいて主要なムスコン受容体であることを示している.
さらに,OR5AN1はヒト1,000人ゲノムプロジェクトでSNPsがいくつか報告されており,SNPsによってムスコンに対する応答/検出閾値が異なることを示唆する結果が,ルシフェラーゼアッセイならびにヒト官能試験から得られている.これらの結果からも,OR5AN1は,ヒトにとって主要なムスクの受容体であり,その遺伝子多型がムスクに対する嗅盲を説明できると考えられる.
ヒトのムスコン受容体であるOR5AN1は,大環状ケトン以外にニトロムスクにも応答を示し,ヒトの主要なムスク受容体であることがわかった.しかし,OR5AN1が多環式ムスクや鎖状ムスクには応答を示さない以上,これらのムスク香に応答するほかのヒトORの存在が予想される.一方で,OR5AN1の示した応答特異性は,私たちが実際にこれらの匂いを嗅いだときの感覚と非常によく一致しており,OR5AN1が,ヒトのムスクの匂い受容の鍵となることは事実であろう.今回われわれが得た結果は,より本来のムスク―ムスコンに近い香気をもつ,新規ムスク香料の開発に貢献することが期待される.
Reference
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