Kagaku to Seibutsu 54(1): 7-9 (2016)
2015年ノーベル生理学・医学賞受賞記念特集
大村研究室秘話とエバーメクチンの発見
Published: 2015-12-20
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
私が28歳のとき北里研究所(北研)で出会ってから今日までご指導をいただいている大村 智北里大学特別栄誉教授との思い出を含め,エバーメクチンの発見と開発について書かせていただく.
“北研”は,100年前,北里柴三郎先生によって,“実学”を研究の柱として設立された.主要テーマの感染症に関し,北研には2つの流れがある.一つの流れは北里先生が開拓した免疫にかかわるもので,ワクチンへの利用を目的としている.もう一つの流れは,化学療法に関するもので,秦佐八郎による梅毒薬サルバルサン,秦藤樹により抗菌剤ロイコマイシン,抗がん剤マイトマイシンが発見された.
北研理事会は1977年に財政的理由で,秦 藤樹から大村教授に引き継いだ抗生物質研究室の閉鎖を決めた.大村教授はこの伝統ある研究室を閉じさせられないと考え,独立採算で運営することを強く提案し了承された.外部から導入した研究費で,研究活動費,筆者・故大岩留意子博士・高橋洋子博士・増間碌郎博士の職員と研究生の給料に加えて,さらに研究室使用料を北研に支払って研究はスタートした.私は,当時の1977年7月7日の大村教授と北里善次郎所長との間で締結された「新抗生物質研究班に関する覚書」を見ると今でも胸が熱くなる.
大村研究グループ(大村G)は,この北研抗生物質研究室と大村教授の北里大・薬・微生物薬品製造化学教室との共同研究体制で進められた.テーマは,「世の中に役立つ微生物の生産する薬を見つけること」であり,スクリーニングが主要テーマであった.大村Gのメンバーは,①微生物の分離・培養・育種・保存,②化合物の分離・精製・構造決定・活性評価,③有機合成・化学修飾のグループに分かれ研究を分担したが,その連携は大村教授の手腕で強固なものであった(写真1写真1■1982年度北里研究所「北里奨学賞」のお祝い会(1983.6.7.)).
一方,ワクチンは,北研で製造・販売できるが,抗生物質などの医薬品は自前でできないので,それができる企業と共同研究をすることが必要であった.研究費導入に際し,パートナーの企業を選ぶときその面も考慮された.
産学共同は今日では当たり前であるが,当時,大学関係者はもちろん,北研内でもなにかと白い眼で見られた.会社はメルク社のほか,協和発酵,旭化成,東洋醸造などの日本企業もパートナーになっていただいた.北研は,企業から研究費を受け取り,特許に関しては,出願人は北研で,企業に専用実施権を与え,特許出願・維持経費は企業がもつといういわゆる「大村方式」で共同研究契約書が締結され進められた.
メルク社との共同研究は,20年続いた.当初のテーマは動物薬を目的に,抗寄生虫薬や動物発育促進物質などのスクリーニングであった.北研がin vitro,メルク社がin vivoをそれぞれ分担してスクリーニングすることが基本であった.研究を始めるに当たり,大村教授とメルク社のDr. B. Woodruff(ストレプトマイシンの発見者であるS. A. Waksmanの弟子)とは10日間ほどホテルに泊まり込んで,研究の進め方や契約書を詰めたと聞く.
北研大村Gでは,スラント状の微生物の“顔”を見ながらできるだけ多様な土壌由来の放線菌を選び,それらの菌株を複数の培地で液体培養した.培養液について,抗菌テストなど北研で可能なテストを行ったのち,それらを含むデータを添えて,多くの放線菌をメルク社に送付した.寄生虫薬スクリーニングでは,メルク社はDr. W. Campbell(今回,大村教授とともにノーベル賞受賞)が作出したin vivo系で評価した.それは,マウスにNematospiroides dubusを感染させた探索系であり,大村Gが送付した放線菌の培養液そのものをマウスに投与してスクリーニングは続けられた.
ある日,メルク社から,OS-3153株(OSは“大村 智”から命名された大村研究室分離放線菌)は寄生虫に有効な物質を生産しているのでさらなる研究を続けると大村教授に報告があった.そこで,北研でもOS-3153株に関する調査を詳細にする一方,株の保存・管理を充実させた.大村Gでは,地震などの対策もあり,このような有効菌株は,大村教授,私を含め4カ所の自宅の冷蔵庫に分散して保管された.
研究が続けられ,放線菌OS-3153株(メルク社ではMA-4680株)の生産する寄生虫に効く物質は,新しい抗生物資であり,微量でさまざまな寄生虫に効果があるスペクトルが広い物質であることがわかった.「エバーメクチン」と命名され,8成分からなる化学構造も明らかになった.
この間,メルク社から放線菌OS-3153株を3億円で買いたいとの申し出があった.北研の理事会は乗り気であったが,大村教授はそのメルク社の提案を拒否した.振り返れば,その後,200億円余りの特許料が北研に入り,これをもって新病院も建設され,大村研究室の研究資金や研究奨励基金の設立,そして北研の再建に大いに役立ったので大村教授のこの決断に拍手を送りたい.
メルク社の研究者は,エバーメクチンを化学変換し,「イベルメクチン」を作った.これをウシなどの産業用動物の薬として発売したところ,今日まで最も多く使われる動物薬となった.
イベルメクチンは,イヌのフィラリアにも有効で,その効果も素晴らしいものがあった.使用当初,この薬を投与すると血管内のマクロフィラリアが殺され,結果的に血管がつまり宿主のイヌが死亡するという事故があった.このようなときは,まずマクロフィラリアを手術で除去し,ミクロフィラリアになった状態で初めてイベルメクチンを投与し,フィラリアを駆除する方法がとられた.また,日本での認可が遅かったので日本の獣医さんは,ハワイでイベルメクチンを購入し,使用していたという話も聞いた.
このイベルメクチンは,ヒトの寄生虫にも有効であることがわかり,動物を対象とする実験データと動物薬の実績からWHO傘下のTDR(熱帯病研究機関)をはじめいくつかの研究機関で,ヒトを対象に治療・予防の研究が展開され,その効果が認められた.商品名「メクチザン」として,熱帯病のオンコセルカ症,リンパ系フィラリア症の撲滅作戦に無償供給され使われている.河川盲目症ともいわれるオンコセルカ症は,ブユが媒介する回線糸状虫が皮下に寄生し腫瘤を形成後,幼虫のミクロフィラリアが目に移行し失明する.アフリカの熱帯地域を中心に広がる深刻な感染症で,1987年の無償投与開始以前は年間数万人が失明していたと言われる.それが,年1回の投与で治療および予防薬として効果があるのだ.同様に,熱帯地域で蔓延する象皮病と言われるリンパ系フィラリア症はその名のとおり皮膚組織が象皮のように硬く腫れあがる病気であるが,他剤併用による無償投与で効果が出ている.WHOによるとオンコセルカ症,リンパ系フィラリア症ともに2020年には撲滅されるという.そのほか,日本では,沖縄,奄美地方で見られる糞線虫症や高齢者施設を中心に発症が報告されているヒゼンダニによる介癬にも効果があり,現在保険が適用されている.
北里柴三郎が第1回ノーベル医学生理学賞の有力候補であったが,その受賞は,共同研究者のベーリング一人だけであった.北里関係者にとってたいへん残念なことである.この面から北里先生を誰よりも尊敬している大村教授にとってこのたびのノーベル賞受賞は感慨深いものがあったと思われる.
大村教授は日頃から,北里先生はオール北里だけでなく日本の宝であると,われわれに語っている.北里先生の「志(こころざし)」をきちんと伝えるため研究業績をはじめとする資料の保存・整備を先頭に立って努めてきた.また,多くの人が北里先生を理解できるように,北里柴三郎記念室を作った.2年後,この記念室は,拡充され新築の新しい北里柴三郎記念館としてオープンする予定であり,読者の方々にもぜひご覧いただきたい.
「化学と生物」は私が学生時代に出版された日本農芸化学会の雑誌で,製本した第1巻と第2巻は現在も私の本棚にあり,この思い出深い雑誌に寄稿でき,感謝したい.