2015年ノーベル生理学・医学賞受賞記念特集

微生物探索が食にもたらす革新

Hisashi Kawasaki

川崎 寿

東京電機大学工学部 ◇ 〒120-8551 東京都足立区千住旭町5番

School of Engineering, Tokyo Denki University ◇ Senju Asahi-cho 5, Adachi-ku, Tokyo 120-8551, Japan

Kenji Ueda

上田 賢志

日本大学生物資源科学部 ◇ 〒252-0880 神奈川県藤沢市亀井野1866番地

College of Bioresource Sciences, Nihon University ◇ Kameino 1866, Fujisawa-shi, Kanagawa 252-0880, Japan

Published: 2015-12-20

わが国における微生物探索とその成果に基づいた技術開発は,戦後における産業革命の大きな柱の一つをなした.その源流には,日本に固有の食文化とその根幹をなす伝統醸造における洗練された技術がある.本稿では,和食ならではの「うま味」成分の発見に導かれ,やがて微生物生産の威力を世界に顕示することになるアミノ酸ならびに核酸の発酵生産と,醸造酢の生産に端を発する酢酸およびいくつかの有機酸の発酵生産について振り返る.有用微生物の発見が食品分野をも巻き込んで引き起こすイノベーションのスケールについて,改めて認識を深めたい.

アミノ酸発酵

わが国の食文化において“だし”は重要な位置を占めるが,代表的なだしである「昆布だし」のうま味の主成分がL-グルタミン酸塩であるということを池田菊苗が発見したのは1908年のことであった(1)1) 池田菊苗:東京化学会誌,30, 820 (1909)..それまでに知られていた4基本味とは別の「うま味」を発見し,「うま味」を示す物質を明らかにした池田の業績は特筆すべきものの一つである.この発見に基づくうま味調味料事業は当初は難航したものの,しばらくすると販路の拡大と相まって売り上げは急速に拡大していった.

このように,L-グルタミン酸の工業生産は明治時代から行われていたが,その製法はタンパク質を加水分解するものであった.太平洋戦争後の食糧難のなか,貴重な穀類を原料とすることへの問題意識や栄養状態の改善への希求などもあり,微生物を利用したL-グルタミン酸の生産を目指す研究が進められた.

当初は2段階法,すなわち,L-グルタミン酸生合成の前駆物質である2-オキソグルタル酸を発酵生産した後,2-オキソグルタル酸をL-グルタミン酸に変換する研究が進められていた.この背景には,生物にとって重要なL-グルタミン酸を細胞外に過剰生産する微生物が存在することは常識的には考えにくいということがあったと思われる.1957年に協和発酵工業株式会社(当時)の鵜高重三と木下祝郎は,よく練られた巧みなスクリーニング系を用い,自然界に新たな微生物を求め,さらに当時最新の分析技術を駆使することで,この「非常識的」な微生物を発見した(2,3)2) S. Kinoshita, S. Udaka & M. Shimono: J. Gen. Appl. Microbiol., 3, 193 (1957).3) S. Udaka: J. Bacteriol., 79, 754 (1960).図1図1■グルタミン酸生産菌のスクリーニング法).アミノ酸発酵の誕生である.

図1■グルタミン酸生産菌のスクリーニング法

化学と生物,47, 212(2009)より転載.

これを契機にさまざまなアミノ酸が微生物を利用して生産されるようになった.グルタミン酸以外のアミノ酸を生産する微生物については,主に変異育種法が用いられた.これは変異を誘導する処理の後,目的の性質を有する変異株を選抜するものである.このようにして得られた生産株の解析は代謝調節機構の解明につながり,代謝制御発酵へと発展した.

グルタミン酸発酵においては,野生株を用いた場合でも,ビオチンを制限して培養を行うなどの誘導条件下では対糖収率20%以上でグルタミン酸が生産される.しかし,その仕組みは長い間研究者の関心を集めつつも謎であった.現在でもその仕組みは完全には解明されていないが,おおよそ次の2つの観点から理解されている.それは,①グルタミン酸生合成方向への代謝変換,②グルタミン酸の細胞外への排出の活性化である(図2図2■Corynebacterium glutamicumによるグルタミン酸生産機構).

図2■Corynebacterium glutamicumによるグルタミン酸生産機構

左はグルタミン酸を生成しない状態の細胞,右はグルタミン酸を生成している状態の細胞を表している.矢印は代謝の流れを示し,点線は代謝流量の減少を示す.Pはリン酸基を示す.

グルタミン酸生合成方向への代謝変換の一つに,グルタミン酸生合成の前駆物質である2-オキソグルタル酸をスクシニルCoAに変換する酵素である2-オキソグルタル酸脱水素酵素複合体(ODHc)の活性低下が知られている.ODHcの活性制御には,143アミノ酸残基からなるOdhIのリン酸化,脱リン酸化が関与することが報告されている(4)4) A. Niebisch, A. Kabus, C. Schultz, B. Weil & M. Bott: J. Biol. Chem., 281, 12300 (2006).

グルタミン酸の細胞外への排出の活性化については,膜張力に応答して開閉する“メカノセンシティブチャネル”がグルタミン酸生産誘導条件下で開孔し,その孔を通じてグルタミン酸が細胞外に排出されることが最近の研究で明らかとなっている(5)5) K. Hashimoto, J. Murata, T. Konishi, I. Yabe, T. Nakamatsu & H. Kawasaki: Biosci. Biotechnol. Biochem., 76, 1422 (2012)..これらの新しい知見は,グルタミン酸発酵の仕組みとして興味深いばかりでなく,基盤的研究成果としても価値があり,それらを踏まえた応用展開の芽も生まれている.

現在,グルタミン酸の世界需要は年間約311万トン(1ナトリウム塩として)と推定されており(2014年度),その市場は拡大し続けている.

微生物探索に基づいて発明されたアミノ酸発酵は,バイオテクノロジーに革新をもたらしその基盤技術の一つとなったばかりでなく,現在も微生物研究のフロンティアであるとともに世界の豊かな食と暮らしに貢献している.

核酸発酵

代表的な“だし”である「かつお節だし」のうま味の主成分がイノシン酸(IMP)のヒスチジン塩であるということが小玉新太郎によって報告されたのは1913年であった(6)6) 小玉新太郎:東京化学会誌,34, 751 (1913)..その後しばらくこの報告は忘れられていたが,1950年代後半に国中 明らは,このうま味を示す物質がイノシン酸の異性体のうち5′-IMPであることを明らかにした(7)7) 國中 明:日本農芸化学会誌,34, 489 (1960).

国中らはRNAを分解して5′位にリン酸基をもつヌクレオチドを生成する活性を示す微生物の探索を,「なんでも願わしいことはまず微生物に頼むというやり方は,応用微生物学の常道ともいえよう」という坂口謹一郎先生の哲学に支えられて推進し,ペニシリウム属のカビに目的の活性を見いだした(8)8) A. Kuninaka, S. Otsuka, Y. Kobayashi & K. Sakaguchi: Bull. Agr. Chem. Soc. Japan, 23, 239 (1959).図3図3■RNAのホスホジエステル結合とホスホジエステラーゼによる分解位置).その過程で,5′-GMP(グアニル酸)もうま味を示すこと(その後,5′-GMPは干しシイタケの主要うま味成分であることが明らかとなった),さらに,5′-IMPや5′-GMPがグルタミン酸ナトリウムと共存すると,うま味が相乗的に増強することを見いだした.これらの発見に基づいて,1961年に相乗効果を活かした複合うま味調味料が誕生した.

図3■RNAのホスホジエステル結合とホスホジエステラーゼによる分解位置

矢印は酵素による分解位置を示す.

また,国中らは当時進展していた微生物の栄養要求変異株の知見を基に,アデニン要求変異株によるイノシン酸生産の可能性についての研究も進めていた.その結果,1961年にBacillus subtilisのアデニン要求変異株がイノシン酸やイノシンを培養液に蓄積することを報告した(9)9) K. Uchida, A. Kuninaka, H. Yoshino & M. Kibi: Agric. Biol. Chem., 25, 804 (1961)..その後,ヌクレオシド発酵やヌクレオチド発酵は大きく発展した.

うま味を示すヌクレオチドの現在の生産方法は,RNA分解法のほか,発酵法により生産したイノシンやグアノシンを酵素によってリン酸化する方法,5′-IMPを直接発酵する方法,発酵法により生産した5′-XMPを酵素によって5′-GMPに変換する方法などがある.なお,イノシンやグアノシンをリン酸化する際に用いられる酵素は,立体構造に基づいた産業用酵素の創製(10)10) K. Ishikawa, Y. Mihara, N. Shimba, N. Ohtsu, H. Kawasaki, E. Suzuki & Y. Asano: Protein Eng., 15, 539 (2002).における成功例として特筆すべきものである.

核酸発酵は,上述のアミノ酸発酵とともに,日本の伝統的食文化と先端的微生物研究・微生物利用技術の出会いが革新的な成果を上げた代表例である.うま味を示すヌクレオチドの世界の推定需要は年間31,000トン(2011年度)であり,その市場は現在も拡大している.

有機酸発酵

微生物の一次代謝産物の中には,アミノ酸や核酸のほかに多様な有機酸が含まれる.特定の菌が著量の有機酸を効率良く生産する性質を利用し,いくつもの有機酸の発酵生産系が実用化されてきた.発酵によって生産される有機酸の中でも特に生産量が多いものはクエン酸であり,以下,酢酸,乳酸,グルコン酸,イタコン酸などが続く.今日,有機酸はさまざまな用途に利用されているが,特に食品への添加では,酸味の調整,保存性の向上,保湿性の向上,脂肪成分の酸化防止,固化や凝固の促進,フレーバー向上,イオンの包摂など,幅広い効果が期待されている(11)11) H. Quitmann & R. Fan: Adv. Biochem. Eng. Biotechnol., 143, 91 (2014)..ここでは,優れた生産菌を見つけだすことで発酵生産系が確立した有機酸のうち,伝統的な発酵生産体制のもとに世界的な市場が今なお拡大を続ける3点(クエン酸・酢酸・乳酸)について,その生産系と代謝メカニズムを俯瞰する.

1. クエン酸

長年にわたり,清涼飲料をはじめとする爽快な風味を持ち味とした飲食品類への添加物などとして世界規模で高い需要があるクエン酸は,今日もなお大きな市場を抱える発酵生産物であり,クロカビAspergillus nigerを主な生産菌に用いて量産されている(12)12) M. Berovic & M. Legisa: Biotechnol. Annu. Rev., 13, 303 (2007)..古くは柑橘類から抽出することで生産されていたが,20世紀前半には発酵法による工業生産体制が確立された.たとえば,米国のファイザー社は1919年に発酵法を用いた量産を開始し,1939年には砂糖を基質に用いた発酵システムの確立によって大幅なコストダウンに成功した.このクエン酸発酵の技術は,時を同じくして発見されたペニシリンの発酵生産系を構築するための重要な基盤になった.

クエン酸発酵の条件は,生産諸国の経済的背景や原料供給体制に依存して多様であるが,主に糖蜜やデンプンを原料にして生産されている.培養方法もまた,表面培養,液体培養,固体培養とさまざまである.クエン酸の効率的な発酵には,(ⅰ)過剰量の炭素源の添加,(ⅱ)低いpHと高い溶存酸素量の維持,および(ⅲ)金属イオンとリンの制限などの特異的な条件設定が必要であることが知られている(13)13) M. Papagianni: Biotechnol. Adv., 25, 244 (2007).

クエン酸はTCAサイクルを構成する中間体の一つとしての役割がよく知られているが,その合成には,ピルビン酸にATP依存的に炭酸分子を付加してオキサロ酢酸を生成するピルビン酸カルボキシラーゼの反応(図4A図4■クエン酸(A)と乳酸(B)の主要生成反応)が重要な役割を担っている.しかし,クロカビによるクエン酸の合成と排出が高い効率でおこることの決定的な要因は明確になっていない.これまでの知見から,TCAサイクル中間体が細胞内に過剰に蓄積することでオーバーフローを引き起こす原因として次の事象がかかわっていると推測されている.すなわち,(ⅰ)単純拡散によりグルコースが速やかに細胞に取り込まれている,(ⅱ)解糖フローが脱制御され,そのためTCAサイクル中間体の前駆物質が高い効率で合成されている(ⅲ)NADHの酸化再生が脱共役しており,そのために細胞内ATPレベルと異化代謝活性が低く維持されていることの3点である(12)12) M. Berovic & M. Legisa: Biotechnol. Annu. Rev., 13, 303 (2007)..クエン酸の蓄積は,菌の栄養増殖中には起こらず,その停止と同時におこる点において,二次代謝の特性と類似している.

図4■クエン酸(A)と乳酸(B)の主要生成反応

2. 酢酸

酢酸発酵は,エタノールを基質とした不完全な酸化により酢酸を生成するプロセスであり,その能力を有する菌群が総じて酢酸菌と呼ばれる(14)14) 酢酸菌研究会編:“酢の機能と科学”,朝倉書店,2012..グラム陰性・好気性のバクテリアである酢酸菌が位置する分類群Family Acetobacteraceae(アセトバクテラセア科)には多くの属が含まれるが,そのうちのAcetobacter属とGluconacetobacter属に顕著な酢酸生産性を示すものが見いだされている.酢酸菌は多くの細胞膜結合型の酵素を有し,補酵素としてピロロキノリンキノン(PQQ)ならびにフラビンアデニンジヌクレオチド(FAD)を要求するものが多く存在する特徴が知られている.

酢酸菌による酢酸の生成は,酸素の消費を通じて基質を酸化することで達成されることから,嫌気条件下におけるエネルギー獲得方法として定義される狭義の発酵とは区別して酸化発酵と呼ばれている.酢酸発酵の場合,PQQを補酵素とする膜結合型アルコール脱水素酵素(ADH)によってエタノールがアセトアルデヒドに酸化され,生成したアセトアルデヒドは同じく膜結合型のアルデヒド脱水素酵素(ALDH)によって酢酸へと変換される.アルデヒド脱水素酵素の補欠分子族はモリブドプテリン–シトシン–ジヌクレオチド(MCD)であると推測されている.これらの膜結合型酵素は細胞膜のペリプラズム側に局在するため,酢酸発酵のプロセスは細胞の外側で完結する(図5図5■酢酸菌の膜結合型酵素が行うさまざまな酸化発酵).そのため,得られる発酵生産物の基質に対する収率が高いのが特徴である.酢酸菌はこの反応によって得た電子を電子受容体に受け渡すことでエネルギーとして利用している.電子受容体はユビキノンであると考えられているが,アルデヒド脱水素酵素を含む複数の酵素ではまだ同定されていない.

図5■酢酸菌の膜結合型酵素が行うさまざまな酸化発酵

松下・薬師(14)14) 酢酸菌研究会編:“酢の機能と科学”,朝倉書店,2012.から改変.SDH,ソルボース脱水素酵素;2KGADH, 2-ケトグルコン酸脱水素酵素;2, 5-DKGA,2, 5-ジケトグルコン酸.それ以外の略号は本文参照.

食品の製造や調理に多彩な用途で用いられる醸造酢は,穀物や果物および醸造用アルコールなどを原料に作られている.そのほとんどが通気撹拌培養法によって作られているが,一部では静置培養による表面発酵も用いられている.前者の培養法のうち,5~10%の中酸度深部発酵法ではAcetobacter xylinusが,10~20%の高酸度深部発酵法ではGluconacetobacter europaeusに代表される高濃度酢酸耐性菌が用いられる.一方,後者の培養法には,Acetobacter pasteurianusが主にかかわっている.高濃度酢酸耐性菌には通常のコロニー形成法が適用できないものが含まれるなど,取り扱いが困難なものが存在する.また,酢酸菌は遺伝的に不安定で形質の変化が起こりやすいことが経験的に知られており,その一つの要因として,ゲノム上にトランスポゾンやIS(Insertion Sequence;挿入配列)などの可動性の遺伝領域が多く存在することが挙げられている.

酢酸菌は,その高い酸化発酵特性により,酢酸以外にもいくつかの有機酸の発酵生産に活用されている(15)15) 星野達雄:Microbiol. Cult. Coll., 27, 83 (2011)図5図5■酢酸菌の膜結合型酵素が行うさまざまな酸化発酵).たとえば,Gluconobacter属には,D-ソルビトールをL-ソルボースを経て2-ケト-L-グロン酸に変換するものがある.炭素数6のカルボン酸である2-ケト-L-グロン酸は,ビタミンC(アスコルビン酸)の工業的生産プロセスにおける直接の前駆体である.また,ほとんどのGluconobacter属の菌は,グルコースを基質としてリン酸化を経ずにグルコン酸を生成・蓄積し,さらにグルコン酸は酸化されて2-ケト-D-グルコン酸(2KGA)と5-ケト-D-グルコン酸(5KGA)を生じる.5-ケト-D-グルコン酸は,L-酒石酸の原料として注目されている.グルコースからグルコノ-δ-ラクトン(グルコン酸と平衡にあるラクトン化合物)への反応は,膜結合型PQQ依存性のグルコース脱水素酵素(GDH)が触媒し,2-ケト-D-グルコン酸へはFAD依存性グルコン酸脱水素酵素(GADH),5-ケト-D-グルコン酸へはPQQ依存性グルコン酸脱水素酵素(GLDH)が触媒する.GLDHは,上述のソルビトールからソルボースを生成するソルビトール脱水素酵素(SLDH)と同一の酵素であることが知られている.また,グリセロールを酸化してジヒドロキシアセトン(DHA)を生成するグリセロール脱水素酵素としても機能する.

3. 乳酸

乳酸発酵は,嫌気条件下におけるエネルギー獲得方法として定義される狭義の発酵の典型的な体系によって進行する(11)11) H. Quitmann & R. Fan: Adv. Biochem. Eng. Biotechnol., 143, 91 (2014)..すなわち,ピルビン酸をNADH依存的に還元して乳酸を生成する乳酸脱水素酵素の反応が,解糖における酸化反応によって生じたNADHをNAD+へと再生する役割を果たし,それらの共役によって解糖によるエネルギー獲得と乳酸の蓄積が起こる(図4B図4■クエン酸(A)と乳酸(B)の主要生成反応).乳酸発酵を行う主要な菌群は,グラム陽性・低G+C含量に分類されるバクテリアの一群であり,乳酸菌と総称される.

乳酸菌は6単糖や5単糖を資化して上記の代謝を行うが,乳酸のみが生成するホモ乳酸発酵を行う場合と,乳酸以外にエタノールと炭酸ガスおよび酢酸などが副生するヘテロ乳酸発酵を行う場合がある.どちらを行うかはそれぞれの菌の重要な特性として捉えられる.前者は,1モルの6単糖から2モルの乳酸を生成する効率の良さから工業的な乳酸製造に利用され,後者は生産物にいろいろな風味を与えることから発酵食品の製造などに利用される.

乳酸発酵の工業化の歴史は古く,1881年にアメリカのAveryによって確立されたものが始まりである.乳酸の発酵生産に用いられる乳酸菌種は比較的限られており,高温でも酸生成力を維持しかつ糖蜜やデンプンも資化できる乳酸菌Lactobacillus delbrueckiiが主である(16)16) バイオインダストリー協会・発酵と代謝研究会編:“発酵ハンドブック”共立出版,2001..また,著量のL-乳酸を生成する活性を示す糸状菌Rhizopus oryzaeも用いられる.乳酸菌を用いた乳酸発酵では,炭素源としてブドウ糖をはじめショ糖やデンプンが用いられる.乳酸菌は複雑な栄養要求性を示すことから,それを満たすために酵母エキスなどを培地に添加する必要がある.そのため,培地に含まれる物質の種類が多くなり,高純度の乳酸を得るためには精製工程が複雑になりコストがかかる.一方,糸状菌R. oryzaeを用いたプロセスは,デンプンと僅かな無機塩のみを培地成分として発酵が行えるため,比較的高純度の乳酸を得やすいという利点がある.しかし,菌体がペレット状であることと,副生する有機酸の多さのために,収率は乳酸菌によるそれに比べて低い.

戦後,デンプンの価格の高騰と相まって,乳酸の生産には合成法が適用されるようになった.一方,近年では生分解性プラスチックの一つであるポリ乳酸の生産など,化学工業に於ける高純度の乳酸に対する需要の上昇から,改めて発酵生産法が注目されている.乳酸にはL-型とD-型の鏡像異性体が存在し(図4B図4■クエン酸(A)と乳酸(B)の主要生成反応),その一方のみが必要な場合,化学合成による生産ではコストがかかる.一方,乳酸発酵では乳酸脱水素酵素の特異性に依存して一方の鏡像体が高い純度で生成しうる.そうした特異性の高い生産菌を用いることで,光学純度が高くかつ精製度の高い乳酸の生産が行われるようになった.2008年のレポートによれば,世界で約15万トンのL-乳酸が発酵生産されている(17)17) M. Sauer, D. Porro, D. Mattanovich & P. Branduardi: Trends Biotechnol., 26, 100 (2008).

乳酸菌による生産物は,乳酸のほかにランチビオティックと呼ばれる抗菌ペプチドの一群も実用化されている(16)16) バイオインダストリー協会・発酵と代謝研究会編:“発酵ハンドブック”共立出版,2001..本ペプチドは,遺伝子にコードされた前駆体ペプチドがリボソーム依存的に発現しさらに翻訳後修飾を受けて生成する.修飾によって生成し分子内架橋を形成する異常アミノ酸の一つはランチオニン(lanthionine)と呼ばれ,それを構造に含む抗生物質(lanthionine-containing antibiotic)という意味でランチビオチック(lantibiotic)と呼ばれる.細菌の膜を損傷させることで抗菌活性を発揮する本ペプチドは,食品の保存に効果的であり,特にLactococcus lactisによって生産されるナイシン(nisin)Aは缶詰やマヨネーズなどに保存料として添加されている.

おわりに:時代が育む新たな発酵技術

戦後,感染症の制圧と食糧難の解決が急務であったわが国では,お家芸である微生物を活用した技術の開発が急発進した.ペニシリンとストレプトマイシンの発見を契機としてその潜在性が認識し始められていた抗生物質生産菌の探索は,たちまちに数々の生理活性物質の発見と発酵生産系の確立を実現させた.一方,本稿でその一部を取り上げた食品添加物の開発についても同様に,有用な生産菌を探索する努力によって効率的な発酵生産系の構築が実現し,用途拡大が後押しされてきた.今日では,食品製造における工学的技術の進展と相まって,より高い付加価値をもつ製品が生み出されており,食品添加物の役割は多様性を増している.

有用生産菌の獲得とそれを用いた生産系開発の過程はさらに,高生産の背景にある基礎代謝と遺伝制御のメカニズムを明らかにする研究の展開へとつながり,多くの分子生物学的知見を蓄積させてきた.現在,それらの知見を基礎とする代謝工学的アプローチによって,遺伝子組換えを用いた生産菌の育種が多方面で進められている.また,上述の例にも見られるように,生産菌が副生する物質にも有用なものが見つかることで,生産プロセスの付加価値を創出している.このように,一つの生産系をもとにして応用から基礎にわたる多面的な波及効果が得られる点も発酵生産の特長である.

環境とエネルギーの問題が大きな課題として捉えられるようになった今日,改めて発酵生産の可能性に大きな注目が集まっている.ポリ乳酸の例にあるような,新しい素材の開発に伴う需要の拡大に加え,未利用資源の有効利用に基づいた生産プロセスを確立する必要性からも,微生物を活用した技術に期待が高まっている.さらに,地球温暖化による気候の変動ならびに人間社会のグローバル化に伴う物流の変化は農畜水産物の生産性と流通に大きな影響を及ぼす可能性があり,そこに対応した技術開発も必要性を増すと考えられる.

微生物の能力を頼み,そこから生命の本質を教わる—伝統ある農芸化学・応用微生物学に受け継がれるこの信念は,長きにわたって医と食,さらに環境の分野に数多の基礎技術と知見を蓄積させてきた.本特集に際し,この先も泰然としてかつ柔軟に時代の要請に対応しながら基礎学問と技術開発を創出し続ける必要性を改めて実感する.

Acknowledgments

有機酸発酵の記述をご指導下さいました玉川大学・星野達雄先生に御礼申し上げます.

Reference

1) 池田菊苗:東京化学会誌,30, 820 (1909).

2) S. Kinoshita, S. Udaka & M. Shimono: J. Gen. Appl. Microbiol., 3, 193 (1957).

3) S. Udaka: J. Bacteriol., 79, 754 (1960).

4) A. Niebisch, A. Kabus, C. Schultz, B. Weil & M. Bott: J. Biol. Chem., 281, 12300 (2006).

5) K. Hashimoto, J. Murata, T. Konishi, I. Yabe, T. Nakamatsu & H. Kawasaki: Biosci. Biotechnol. Biochem., 76, 1422 (2012).

6) 小玉新太郎:東京化学会誌,34, 751 (1913).

7) 國中 明:日本農芸化学会誌,34, 489 (1960).

8) A. Kuninaka, S. Otsuka, Y. Kobayashi & K. Sakaguchi: Bull. Agr. Chem. Soc. Japan, 23, 239 (1959).

9) K. Uchida, A. Kuninaka, H. Yoshino & M. Kibi: Agric. Biol. Chem., 25, 804 (1961).

10) K. Ishikawa, Y. Mihara, N. Shimba, N. Ohtsu, H. Kawasaki, E. Suzuki & Y. Asano: Protein Eng., 15, 539 (2002).

11) H. Quitmann & R. Fan: Adv. Biochem. Eng. Biotechnol., 143, 91 (2014).

12) M. Berovic & M. Legisa: Biotechnol. Annu. Rev., 13, 303 (2007).

13) M. Papagianni: Biotechnol. Adv., 25, 244 (2007).

14) 酢酸菌研究会編:“酢の機能と科学”,朝倉書店,2012.

15) 星野達雄:Microbiol. Cult. Coll., 27, 83 (2011)

16) バイオインダストリー協会・発酵と代謝研究会編:“発酵ハンドブック”共立出版,2001.

17) M. Sauer, D. Porro, D. Mattanovich & P. Branduardi: Trends Biotechnol., 26, 100 (2008).