Kagaku to Seibutsu 54(1): 65 (2016)
思い出コラム
大村智先生スピリッツ
Published: 2015-12-20
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
特集号に思い出コラムを執筆しないかと声をかけていただきましたが,私なんぞ滅相もないと当初はご辞退申し上げようと考えました.しかし,ここは,お傍からみた大村 智先生のお人柄をご紹介するのも良いかと考え筆を取らせていただきました.
私は1992年から,先生が率いられる創薬グループで放線菌の分離とスクリーニングサンプルの調製を開始しました.2,3年が過ぎた頃でしょうか.日々のスクリーニングに追われるなか,仕事が一段落し新たな分離法のアイデアが浮かぶわけでもなくちょっと気を抜いたときのことです.私の背後から大村先生が現れ,「ボーッとしている時間はないよ」といった内容の言葉をかけられました.仰天しました.私はただ机に向かっていただけでしたが,「見抜かれた」と思いました.当時まだ接点がほとんどない私の心境をなぜ読まれたのか不思議でなりませんでした.
当時も今も,先生率いる創薬グループは,微生物分離とサンプル調製のグループ,生物活性と化合物の単離グループそして有機合成グループの3グループからなり,学生を含めると多いときは100名近くにのぼったこともあったと記憶しています.その大所帯にもかかわらず,常に各研究室に足を運ばれます.微生物は,有用物質が見いだされるとわれわれの手を離れがちですが,先生は必ず微生物の部屋にも通い声を掛けてくださいます.ノーベル賞受賞時の会見で「(ノーベル賞を)微生物にあげたい」とおっしゃったのもその自然な流れだと思っています.
さて,なぜ私が「見抜かれた」かです.当時,私は自覚のないままに慣れと申しますか一種の惰性が生じていたのでしょう.それを見透かされていたわけです.それは,先生の洞察力だけで説明できるものではなく,常に人に接し,研究だけでなく人をご覧になり人を大切にされるからです.われわれの仕事は人と人のつながりなくしては成し遂げられない仕事です.その基本の仕組みを大切にされているのです.そして,分け隔てなく皆にチャンスを与えてくださいます.私もまたその恩恵に賜り学位を取らせていただいた一人なのです.
そんな先生ですがみなさんがご存じない側面をあえて紹介させていただきます.「見抜かれた」事件と時を同じくして,大所帯のグループで苫小牧に泊まり込みで土壌採取とセミナーがあり,あまり事態を把握しないまま同行させていただきました.確かに昼間はしっかりセミナーがありました.ところが,夜は大宴会で,常日頃は直接お話をさせていただく機会はほとんどない私がそこで目にしたのは「気さくなおじさま」でした.根本的には今もお変わりなく,研究室に顔を出され学生に声をかけ,長年続く研究討論会(学生の研究報告会)や忘年会には必ず出席されます.
この研究は微生物が起点となり,多分野の人と人,研究と研究をつないで成果をもたらします.その組織の中で微生物に携わる機会を与えていただく幸運に恵まれた私は,未利用な微生物の能力を活かし次の研究者につなぐとともにその行く末を見届ける役目を担っていると考えています.私の机の前には,今年の元日に先生が書かれた書があります.「至誠惻怛」,まごころ(至誠)といたみ悲しむ心(惻怛)という意味だそうです.大村先生が築き上げてこられた研究を精神とともに次世代へと引き継いでいかなければならないと痛切に感じています.
最後に大村記念館をご紹介したいと思います.エバーメクチンの特許料で設立された埼玉県北本市にある北里研究所(現,北里大学)メディカルセンターの敷地内に,2012年「大村記念館」が開館しました.こちらには先生のご業績はもちろんのこと「人」が垣間見える品々が展示されていますのでぜひ一度足をお運びいただくことをお勧めします.