思い出コラム

大村智先生に聞きそびれた質問祝辞と思い出に代えて

Seiya Ogata

緒方 靖哉

九州大学名誉教授 ◇ 〒819-0395 福岡県福岡市西区元岡744番地

Professor Emeritus, Kyushu University ◇ Motooka 744, Nishi-ku, Fukuoka-shi, Fukuoka 819-0395, Japan

Published: 2015-12-20

筆者は大村先生の大ファンを自認しています.次々と有用な新しい菌株が分離されるラボに憧れています.1995年頃から約10年間,放線菌学会の役員をしていましたので,学会事務局のある先生の関連ラボをたびたび訪れ,大村先生をはじめ,グループの先生方々とも親しくさせていただくようになりました.

大村先生の研究に対する姿勢,ラボ内の雰囲気と放線菌の心地よい土の香りは,ペニシリンの力で大病を克服した幼少の頃,‘微生物’に興味をもった,研究者としての私の原点に連れ戻してくれます.特に“イベルメクチン”で思い出すのは,私の初めての研究です.当時,難病とされていた‘蚊媒介性の象皮病(リンパ系フィラリア症)’のことを父に聞き,興味をもった小学生の緒方少年は,‘蚊の研究’に取り組みました.その研究は熊本市長賞に選ばれ,その頃は珍しかった寒暖計をいただきました.その後は蚊の研究でなく,“農芸化学”の道を選び,‘微生物の研究’に進みました.大村先生の研究について考えるとき,これらのことを懐かしく思い出します.

ノーベル賞ご受賞を伝える報道を見ながら,大村先生に聞きそびれていたことが二つあることに気がつきました.先生の日頃のお人柄に思いをはせながら,自分なりに考えてみることで,先生への祝辞と思い出にしたいと思います.

一つ目.北里研究所の北里・コッホ神社を参られた方は多いと思います.私が北里研究所を訪れたときにも,ラボの先生方から「緒方さんもお参りされませんか?」と勧められました.北里,コッホの両巨頭のご利益に預かろうとお参りしましたが,研究の進展を願いながら,ふと疑問に思いました.「大村先生は神頼みされるのだろうか?」

ご受賞の報後に放送された大村先生の特集番組に答えがありました.先生は朝の散歩を日課にされていますが,その途中でご近所の神社にお参りし,研究のお礼と発展を祈願されていました.そのお姿を拝見して,納得した次第です.

二つ目.ある懇親会で大村先生に「緒方さんは結構面白いですね」と言われました.ユーモリストで知られる先生からの思いもよらない言葉に,私は有頂天になり,その理由を聞きそびれてしまいました.一番目より難解ですが,その理由を自分なりに考えてみました:①放線菌学会誌の会員交流コーナーに私が書いていた随筆風の短文が面白かった;②北里研究所のゼミに呼ばれ,‘プラスミドによる放線菌の生育阻害’について講演したとき,その内容か,話し方かが面白かった;③上記の‘象皮病’の中にホーデンが著しく大きくなる症状を九州弁で‘うー○○○○’と言ったのが面白かった;④大村先生をはじめラボの方々は,あの有名な“ビニールチャック袋と匙”を常に持参されるのに対し,学会員間で有名になっていた私の評判「緒方さんは“微生物屋の肝心の小道具”をたびたび忘れるが,‘虫屋の昆虫採集用の網と毒瓶’は絶対に忘れない」が面白かった.

この中に正解はあるのでしょうか? 真相を解明するよりも,「大村先生はこう考えられたのかもしれない」と,先生の人生観と併せて考えるほうが楽しめそうです.

以前,大村先生のポケットに入っている“ビニールチャック袋と匙”と一緒に,もう一つ大切にされているものも見せていただきました.ご受賞の報後よく話題になった“奥さまの写真”です.私もなかなかの愛妻家だと自負していたのですが,先生の奥さまに対する思いの深さには驚き,感動しました.出張が終わって,家内に話そうと思っていたことはほかにもあったのですが,しかし帰路の間ずっと写真のことを考えていたせいか,家に着くやいなや“奥さまの写真”のことを話ました.感銘を受けた家内は,そのとき以来先生のファンです.私だけでなく,家内も先生のノーベル賞ご受賞を喜んでいます.大村先生,ノーベル賞ご受賞誠におめでとうございます.