Kagaku to Seibutsu 54(2): 71 (2016)
巻頭言
伝統野菜の向こうに
Published: 2016-01-20
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
最近,私は地域の「伝統野菜」の普及活動とその研究にかかわっている.
私は実学とは無関係と思われがちな理学部化学科の出身である.しかし,大学院生として在籍した研究室が,地元の課題に研究題材を求めて解決に取り組むという方針をもっていたため,私は地域の主要農産物であるジャガイモの抗菌性成分を研究テーマとしていただくこととなった.その研究を通じて農芸化学という学問分野を知り,そこで展開される研究に深い関心を抱くようになった.今思うと,物質科学的なアプローチをしながら,生物現象の解明を実用面に向けて応用するという視点を育てていただいた気がしている.大学院修了後,ポスドクとして農芸化学分野のプロジェクトに参加したことをきっかけとして日本農芸化学会に入会した.その後,私の所属は食物栄養学科や応用生物科学科と変わったが,本学会に四半世紀を超えてお世話になっている.
現在所属している大学で植物中の生理活性物質や食品成分に関する研究に携わり,育種や園芸や食品の先生方とお付き合いするなかで,「伝統野菜」の存在を知った.伝統野菜は,「在来品種」や「地方野菜」とも呼ばれ,日本各地で古くから栽培されてきたものである.この中には,経済性や栽培特性の面から大規模生産に向かないものも多く,生産農家が減少し,すでに種子が存在しないものもある.一方,独特の風味や地域食文化との結びつきにより,「復活」が熱望されているものもあり,さらに生物多様性の観点からも遺伝資源保存の必要性が指摘されている.各地で伝統野菜を見直して地域振興へ結びつけようとする動きが活発化しており,農林水産省でも和食の世界遺産認定と相まって,取り組むべき課題として伝統野菜を取り上げている.
伝統野菜の種子の採取や保存,栽培方法の改良は農学分野の研究であるが,その地域に根ざした独自性・固有性を探るには,ほかの品種・系統との遺伝子レベルでの比較が重要である.また食品としての有用性・機能性を明らかにするためには,栄養学的成分や機能性成分の定量分析が必要となる.このように伝統野菜の振興を図るには,農芸化学が中心的な役割を果たす必要がある.すでに各種の発表もされているが,さらに各地の伝統野菜にも対象が広がり相互に情報交換ができるようになることが,伝統野菜のさらなる振興につながると期待している.
農芸化学の真髄は,物理化学的分析により得られた物質的消長を基に生命現象を理解することにある.さらに,その知見を食糧分野や環境分野の課題解決に応用することで,貴重な生物資源をよりよく活用するための道筋をつけなくてはならない.伝統野菜の研究においてこのような流れをつくるには,伝統野菜にかかわる人たちと幅広く交流することが大切である.私が伝統野菜研究に携わるようになってから,伝統野菜の生産者,これを扱う流通関係者,伝統野菜を使った料理を作る人たちと幅広く交流するようになり,大学や研究機関だけの情報交換だけでは見過ごされがちな点がいかに多いか感じさせられている.日常的に伝統野菜を扱っている生産者や調理人の方々の観察力は素晴らしく,ふとした発言が有用成分探索のきっかけとなったり,忘れ去られていた伝統野菜の再発見につながったりする.このように,伝統野菜を通じて生命・食・環境に関係するさまざまな分野の方々が一堂に会して交流する場を作ることが,農芸化学のさらなる発展につながるのではないかと夢想している.