バイオサイエンススコープ

生物多様性条約と科学のかかわり(第4回)合成生物学に潜むバイオセキュリティ・バイオセーフティと倫理的な課題とは

Hideyuki Shirae

白江 英之

一般財団法人バイオインダストリー協会 ◇ 〒104-0032 東京都中央区八丁堀二丁目26番9号 グランデビル8階

Japan Bioindustry Association ◇ Grande Building 8F, 2-26-9 Hacchobori, Chuo-ku, Tokyo 104-0032, Japan

Published: 2016-01-20

2015年5月米国のDueberらのグループから,酵母によるS-レチクリンの生産に成功したという報告がなされた.S-レチクリンは,ベンジルイソキノリンアルカロイドの一種で,ベルベリンなどの医薬品の原料にもなるが,なによりもモルヒネの生合成経路の中間体であり,その後の生合成系の酵素を酵母に導入することで,酵母による麻薬の製造も可能となる(1)1) W. C. DeLoache, Z. N. Russ, L. Narcross, A. M. Gonzales, V. J. J. Martin & J. E. Dueber: Nat. Chem. Biol., 11, 465 (2015)..別の論文では,酵母によるS-レチクリンからコデインまでの生合成に成功した報告もなされている(2)2) E. Fossati, L. Narcross, A. Ekins, J.-P. Falgueyret & V. J. J. Martin: PLoS ONE, 10, e0124459 (2015)..これらを2つつなげると,グルコースからコデインが作れることになる.これに対して,合成生物学者からも,合成生物学の研究に関する監視と規制の必要性が発せられた.また合成生物学に携わる研究者への倫理教育もいっそう重要になってくる.

本誌でのこれまでの3回の連載で,なぜ合成生物学が国際的な課題として取り上げられるようになったのか,その経緯と議論の背景について報告してきた.上記の植物アルカロイドのような複雑な化合物まで,合成生物学の手法を用いれば酵母による製造が実現可能になることに懸念を抱く研究者は多い.いわんや科学の知識のない一般の人々の合成生物学への脅威の程度を,合成生物学に携わる科学者が推し量るのは難しいと言わざるをえない.今回,合成生物学の登場によって巻き起こった,各国でのバイオセキュリティ・バイオセーフティの過度な懸念についてのご紹介と,合成生物学の学問やその利点をもっと一般の方に理解してもらい,一般の方の抱いているこの学問領域に対する懸念の払拭に取り組む欧米の活動を中心に報告したい.

合成生物学に潜むバイオセキュリティ・バイオセーフティの課題

合成生物学の登場は,病原体などの生命機能の操作を可能とするため,当初は生物兵器製造やバイオテロへの応用の懸念が過大視され,各国において合成生物学によって作出される生物に対するバイオセキュリティとバイオセーフティ対策の検討が真剣になされた.ここでいうバイオセーフティとは非意図的で予期しない影響を対象とすることであり,一方バイオセキュリティは故意や悪意による反社会的な目的のために生体システムが作製・利用されることへの対策を指す.

米国での取り組み

2010年5月に米国のベンター研究所(JCVI)が,マイコプラズマの合成ゲノムを導入した自己再生が可能な人工細菌の作製に世界で初めて成功したと発表した(3)3) D. Gibson, J. I. Glass, C. Lartigue, V. N. Noskov, R.-Y. Chuang, M. A. Algire, G. A. Benders, G. Michael, M. L. Montague, M. M. Moodie et al.: Science, 329, 52 (2010)..これを受けて,同年オバマ大統領の指令で,新たな生命体創造のために生命体の遺伝子操作を行う合成生物学のリスクを検証する目的で,生命倫理問題研究に関する大統領諮問委員会(PCSBI)が設立された.そして半年後の12月16日に,PCSBIは,「合成生物学のリスクは限定的であり,慎重な自己規制のもとに同技術を新たな生命体の創造手法として研究することで,クリーンエネルギー,汚染管理,医療などの各分野で有益な革新をもたらす可能性があると述べ,また,その研究開発に伴うリスクも限定的と結論づけて,合成生物学の研究推進を今後も許可すべきである」と勧告した.さらに,「将来この分野の研究が進めば別の障害が発生するかもしれないが,現時点では同分野に対する連邦規制やモラトリアム(一時停止)を支持する理由は見あたらない」と説明した(4)4) PCSBI:「合成生物学」に対する公開レポート(http://bioethics.gov/node/750).この声明発表と同時に,新指令「合成生物学および新規技術の倫理」(5)5) PCSBI:「合成生物学」に対する新指針“NEW DIRECTIONS: The Ethics of Synthetic Biology and Emerging Technologies” (http://bioethics.gov/sites/default/files/PCSBI- Synthetic-Biology-Report-12.16.10_0.pdf#search='Synthetic+biology+PCSBI')を発行して,合成生物学に対象を限定しない形で,「新規の科学技術」の評価における倫理原則(大衆の利益の最大化とリスクの最小化,研究開発過程の監督・報告の責務,知的自由と責任,民主的な協議による意思決定,社会への研究成果の還元における公正と平等)を示したほか,合成生物学に特化した18の勧告を出した.18の勧告とは,「公的資金配分の評価ならびに評価結果の公開,研究推進の支援,成果の分配を通した技術革新,合成生物学への調和のとれたアプローチ,リスク評価と合成された生命体様物の自然界放出におけるギャップ分析,合成された生命体様物の監視・封じ込め・制御,自然界放出前のリスク評価,国際協調と対話,倫理教育,反対意見の継続的な評価,職責と説明責任の醸成,セキュリティならびに安全上のリスクの定期的な評価,管理規則の制定,科学,宗教,文化面の整合性のとれた研究の実施,正確な情報の把握,大衆への教育,研究上のリスクの把握,製品化と普及におけるリスクとベネフィットの把握とバランス」である.

国際機関や科学アカデミーグローバルネットワーク(IAP)の取り組み

2012年3月に,経済協力開発機構(OECD)の科学技術政策委員会は「合成生物学から生じる経済的価値に関する国際サミット-最近の挑戦と機会」および「合成生物学フォーラム:オーストラリアの挑戦と機会」に関する2つの国際会議をオーストラリアのシドニーで主催した.両会合は,ヒトゲノム国際会議と同時開催され,合成生物学から生じるバイオセキュリティ・セーフティリスクについて真剣な議論が行われた.同会議の内容は,2014年6月4日にOECDより出版された“Emerging Policy Issues in Synthetic Biology”にも掲載されている.

また科学アカデミー・グローバルネットワーク(IAP)は,2014年5月7日付で「合成生物学におけるグローバル・ポテンシャルの実現:科学の好機と適切なガバナンス」についての声明を発表している(6)6) 科学アカデミー・グローバルネットワーク:「合成生物学におけるグローバル・ポテンシャルの実現:科学の好機と適切なガバナンス」についての声明,2014(http://www.scj.go.jp/ja/int/other/pdf/gouseiseibutugaku_yaku.pdf).特にバイオセキュリティとバイオセーフティに関する問題についてのさまざまな議論に対して,「合成生物学に対して過度に警戒をこめた規制を導入することを,意図的にまたは安易に助長しないことが重要である」とし,合成生物学が食糧やエネルギーといった社会的重要事項などへの対応に有益になることを認め,併せて,自然界の生物系への理解の深化に貢献する基礎研究の実施を妨げないようにすることも重要であると結論づけた.同時に合成生物学を今後も実施していくにあたり,「合成生物学に従事する研究者の育成」,「一般市民との関与,倫理および社会問題の明確化」,「研究成果の所有と共有に関してこれまでのものと異なるモデルの検討」,「合成生物学をどのように規制するかの決定」,「ガイドラインの普及と科学者の責務についての呼びかけ」の5項目を,これからの課題として挙げた.

合成生物学とバイオセキュリティ:神話への挑戦

2014年2月28日に英国ロンドン大学キングズカレッジに集まったさまざまな分野のエキスパートたちが,合成生物学で唱えられている数々のバイオセキュリティ上の問題を5課題に集約し,その問題に至る脅威として挙げられている実例を列挙して,それらの実例の検証を実施した.その結果は,後日一般向けにセミナーで発表され,また「公衆衛生のフロンティア」という雑誌にも論文が掲載されている(7)7) C. Jefferson, F. Lentzos & C. Marris: Frontier in Public Health, 115, 3 (2014)..ここで検討された5つの課題は以下のとおりである.

【課題】

  • 1. 合成生物学は脱スキル生物学(技術の習熟なしに実施できる生物学)で,それによりテロリストが生物科学の進歩を利用しやすくなる.
  • 2. 合成生物学はDIYBio活動(バイオテクノロジー愛好家による民間レベルの生物実験の実施)の成長をもたらし,このことが危害を加えようとしている生物テロリストにデュアルユース(民用・軍用いずれにも利用可能な)の知識,ツール,装置を提供することになる.
  • 3. DNA合成は安価になってきており,外注が可能で,それによってテロリストは恐ろしい生物学的脅威物質を容易に作れるようになる.
  • 4. 合成生物学を用いて根本的に新しい病原体を設計することができる.
  • 5. テロリストは,重大な結果を引き起こし大量の死傷者を出す生物兵器を欲する.

キングズカレッジに集まった各分野のエキスパートの議論では,合成生物学の実態が不明確なために各課題のリスクが誇張された表現となっていることが指摘された.また,これまでの合成生物学への懸念を精査すると,この科学領域を簡単に応用して,バイオテロにつなげることは専門家でも困難であり,いわんや,一般人が公開情報をもとに,バイオテロを起こすリスクは考えにくいと結論づけている.

日本でのバイオセキュリティ,セーフティの取り組み

日本でも2010年3月に,独立行政法人科学技術振興機構研究開発戦略センター(JST-CRDS)から特定課題ベンチマーク「合成生物学」の報告書が提出されている(8)8) 特定課題ベンチマーク報告書「合成生物学」(JST-CRDS ライフサイエンスユニット編):http://www.jst.go.jp/crds/pdf/2009/GR/CRDS-FY2009-GR-02.pdf#search='%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E8%A1%8C%E6%94%BF%E6%B3%95%E4%BA%BA%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E6%8C%AF%E8%88%88%E6%A9%9F%E6%A7%8B+%E7%A0%94%E7%A9%B6%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%88%A6%E7%95%A5%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC+%E5%90%88%E6%88%90%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6'.しかし,同報告書には日本と海外での合成生物学の実態調査を実施して,欧米と日本では合成生物学へのスタンスが異なる点を報告しただけで,そのリスクに関する解析までには至っていない.JST-CRDSは,その後バイオセキュリティ,バイオセーフティに関する3つの報告書を提出し,各報告の中に合成生物学の最近の進展とそのバイオセキュリティやデュアルユースへの懸念を報告しているが,具体的な対策は述べられていない(9~11)9) 科学技術振興機構:バイオセキュリティに関する研究機関,資金配分機関,政府機関,国際機関等の対応の現状調査報告,2012(www.jst.go.jp/crds/pdf/2011/RR/CRDS-FY2011-RR-07.pdf)11) ライフサイエンス研究開発におけるバイオセキュリティの実装戦略,2013(www.jst.go.jp/crds/pdf/2013/WR/CRDS-FY2013-WR-02.pdf)

1975年に発効された「生物兵器禁止条約(BTWC)」は(12)12) 生物兵器禁止条約(BTWC: Biological and Toxin Weapons Convention)のホームページ(http://www.opbw.org/),2014年12月25日現在で171カ国が加盟し,署名国は9カ国,未署名国は16カ国である.BTWCでは,5年おきに運用検討会議(Review Conference)を開催しており,直近の第7回運用検討会議(2011年12月開催)では,今後の検討事項の項目の一つに合成(構成)生物学を含む,新規科学技術の動向把握が掲げられた.また,2012年ならびに2013年の専門家会合においては,合成生物学に関連する専門家のセッションが実施されている(13)13) BTWCの第7回運用検討会議での科学と技術の進展に関する決議を受けた専門家会議の意見をまとめたバックグラウンド文書:(http://www.unog.ch/80256EDD006B8954/(httpAssets)/B7A11251AF5FCB3AC1257CEC004976C7/$file/advance+version+MX2014+S&T+paper.pdf).次回の第8回の運用検討会議は2016年に開催が予定されており,その席でも合成生物学のバイオセキュリティ,バイオセーフティの検討が行われると予想される.日本が今後この問題をどう取り上げていくのか,その検討が待たれる.

倫理的な課題への取り組みについて

合成生物学は,生命の源となる遺伝子の改変操作を伴うことから,さまざまな種類の倫理的な課題が生じている.特に合成生物学に対する人々の捉え方が,専門家が考えるこれまでの遺伝子組換え技術(GMT)の発展形として捉えるのか,それとも一般の人が思い描くような全く未知の新しい学問体系として捉えるのかで,その倫理的な考え方も変わってくる.特に後者は,未知の学問に対する知識が十分でないために,そのリスクが誇張されて,サイエンスを十分理解していない一般の人に過大な恐怖あるいは懸念を抱かせる.生物多様性に係る国際会議(CBD)の本会議でも,あるアフリカの代表から「合成生物学はモンスターを作りだす」といった発言があったことからも考察できるように,この科学領域の倫理的な側面を考えることは非常に重要である.

米国のMSPES運動による合成生物学の普及活動

先に述べたように,米国では,JCVIでのマイコプラズマの完全合成ゲノムによる自己再生が可能な人工細菌の作製の成功を受けて,オバマ大統領の号令のもとPCSBIが設立され,合成生物学が同委員会の最初の取り組みとなり,それに対する“新指令”が提案された.

新指令には,合成生物学がもたらす潜在的な利益を損なわない範囲において注意を払わなければならない倫理原則として,次の5つの項目を打ち出した.

1. 「公共の利益」とは,社会全体の利益を考慮して行動すべきであるという倫理原則である.2. の「責任ある管理」は,将来の世代への環境や生物多様性の保持のための考え方を表すと考えられる.3. 「研究の自由と責任」は,研究という専門的な行為については,それを実施する科学者自身が自主的にその責任を果たすべきという考え方である.4. 「民主的な熟議」にある「熟議」という考え方は,この報告書において非常に新しくまた特徴的なもので,その概念自体がまだ日本では十分に浸透していない.「熟議」とは,直接民主主義の色合いをもった考え方で,誰に対しても開かれた場が設けられ,反対の立場の人々も尊重されるような議論が行われて,そういった手続きを通じて物事が決定していくプロセスを大切にしようとする考え方である.最後に,5.「正義と公正」では,「正義」は「人の道にかなっていて正しいこと」であるが,「公正」とは何に対する「公正」なのかの説明が必要である.ここでは,科学研究が利益を生み出したとき,その利益はどのように分配されるべきか,あるいは,科学技術がリスクを伴う場合,そのリスクは誰が引き受けるべきかなどが公正になされているかどうかに対するものであると考えられる.

これらの5つの項目は,必ずしも合成生物学に固有のものではない.たとえば2.「責任ある管理」の考え方は主にバイオセーフティとつながるのに対して,3.「研究の自由と責任」の考え方はバイオセキュリティともつながっているなど,これまで,ほかの生命科学,とりわけ従来のGMTについて述べられてきたこととの共通性を見ることができる.

上記の4. 「民主的な熟議」の考え方に基づき,米国の民間団体であるSynberc(2006年に開始されたMIT,ハーバード大学,スタンフォード大学,UCBなどの著名大学の合成生物学のネットワーク組織)が,米国科学財団から3,000万ドルの援助を受けて,2014年10月より3年間の予定で,全米でのMSPES(Multi-Site Public Engagement with Science)プロジェクトの展開を開始した(14)14) SynbercのMSPES活動に関するホームページ(http://www.synberc.org/engagement).PES(Public Engagement with Science)とは,もともと2011年にボストンの科学博物館で始まった運動を起源とするものであり,科学者と市民が会話を通して,一つの事柄の理解を深めていく活動のことである.今回のMSPESは全米200カ所以上のサイトで実施され,合成生物学の技術と有用性,利益,リスクが議論されるとともに,合成生物学が社会および私たちの価値観と非常に密接な関係にあるという意識の共有化を図るためのプロジェクトとなる.そして最終年の2016年には,合成生物学についての全米規模のEXPOも計画されている.このような取り組みを通して,一般人の合成生物学に対する理解を深め,過度の脅威や無理解を解決していこうとしている.

英国のBBSRC(Biotechnology and Biological Sciences Research Council)でも合成生物学に関する社会的倫理的課題のレビューを実施し,インターネット上で公開している(15)15) BBSRC(Biotechnology and Biological Sciences Research Council)バイオテクノロジー・生物科学研究会議の掲載した「社会的倫理的課題のレビュー」のホームページ(http://www.bbsrc.ac.uk/web/FILES/Reviews/0806_synthetic_biology.pdf).この報告書もまた包括的に倫理的な課題を指摘しているが,特徴的なのは,今後の指針が与えられているところである.以下にその内容をまとめた.

1. 公共的な正当性と支援を獲得することが重要であるとの認識が不可欠である.そのためには,科学研究が公衆の思いから離れて先に行きすぎるべきではない.また,社会的な利益が明確でなければならない.さらに,その潜在的な利益は大げさに強調されすぎてはならない.なぜなら,過剰な心配や非現実的な期待の双方をもたらす危険性があるから.

2. 科学者の団体は,合成生物学の研究がもたらしうる結果について議論したり,そこから生じる問題をめぐって広く社会と関与することを積極的に進め,その活動が社会一般に認知されなければならない.

3. 市民社会の団体,社会科学者,倫理学者との協同が,重要な問題は何であるかを理解し,公衆と関与し,萌芽する科学領域への支持を獲得するための効果的な方法として追及されなければならない.市民社会やそれら専門家の関与や公衆の意見聴取といった試みは,何が社会的に受容可能な科学であるのかという境界を取り決めるための貴重な手段の提供として受け取られなければならない.

4. 明確なガバナンスの枠組みが,合成生物学の応用の実現化よりも前に確立されているべきである.そのためには,既存の禁止や規制の枠組みの全体的な見直し,とりわけバイオセーフティ,環境放出,バイオセキュリティに関する新たな手法の開発が必要となる.

BBSRCの指針には,さまざまな倫理的な問題があるということだけでなく,それをどのようにして解決していくかという道筋の必要性が提言されている.これがまさに,科学への公衆関与(PES)ということになっている.科学者共同体が積極的に果たす役割があると同時に,それが内側に閉じたものではなく,積極的に外に開かれて,市民による関与を求めるようなものになっていることが特徴的である.

日本でもこの流れを受けて,東京工業大学の博士課程の特別教育コースでは,社会とのかかわりを強く意識させるために「技術者倫理」の単位が必修科目となったと聞く.また2014年11月29日には,知財,倫理,バイオセーフティ・バイオセキュリティの各専門家を招いて,修士課程や学部学生対象の「合成生物学と社会」ワークショップを開催して,科学社会とのかかわりについての教育活動も実施されている.

まとめ

21世紀に入って,一段と発展する科学技術とその恩恵を受けている一般人の間での科学に対する知識や理解の乖離が,20世紀に比べてますます広がっているように感じる.そしてこの乖離は,一般の人に対する科学への過度の不安や脅威を生み出す原因ともなっている.特に合成生物学は,生命の源である遺伝子を改変して新たな機能をもった生物体を作りだす学問であるため,バイオセキュリティやバイオセーフティなどの社会的課題や倫理的,宗教的課題などのさまざまな問題の指摘が多いのも事実である.このような問題に対して欧米では,科学者が自ら行うサイエンスの内容説明を一方的に大衆に論じるのではなく,大衆のレベルまで目線を下げて,一般の人々とともに学びながら理解を深めていくという新しいPES活動が始まっている.

CBDでの合成生物学の議論も,上記に述べたような定義が定まらない合成生物学という学問に対する大衆の不安や過度の恐れが議論の発端であり,その問題が国際会議にまで拡大したのである.定義もなく,その研究内容も定まらないまま急速に発展を続けている合成生物学に対して,それを理解できない一般人が,この学問領域に脅威を抱き,規制しろという動きに発展していったことはある程度は理解できる.サイエンスに携わる者として,日頃から一般人とのコミュニケーションの重要性とその意義を十分に理解して活動することを心がけたいと思う.

Acknowledgments

本稿の内容は,経済産業省平成26年度環境対応技術開発等(遺伝子組換え微生物等の産業活用促進基盤整備事業)の「生物多様性関連の遺伝子組換え技術の国際交渉に係る調査検討委員会」での議論ならびに調査研究に基づいたものである.同調査検討委員会の委員の皆様および報告者の執筆にご協力をいただいた関係各位の皆様に,改めて御礼申し上げます.

Reference

1) W. C. DeLoache, Z. N. Russ, L. Narcross, A. M. Gonzales, V. J. J. Martin & J. E. Dueber: Nat. Chem. Biol., 11, 465 (2015).

2) E. Fossati, L. Narcross, A. Ekins, J.-P. Falgueyret & V. J. J. Martin: PLoS ONE, 10, e0124459 (2015).

3) D. Gibson, J. I. Glass, C. Lartigue, V. N. Noskov, R.-Y. Chuang, M. A. Algire, G. A. Benders, G. Michael, M. L. Montague, M. M. Moodie et al.: Science, 329, 52 (2010).

4) PCSBI:「合成生物学」に対する公開レポート(http://bioethics.gov/node/750)

5) PCSBI:「合成生物学」に対する新指針“NEW DIRECTIONS: The Ethics of Synthetic Biology and Emerging Technologies” (http://bioethics.gov/sites/default/files/PCSBI- Synthetic-Biology-Report-12.16.10_0.pdf#search='Synthetic+biology+PCSBI')

6) 科学アカデミー・グローバルネットワーク:「合成生物学におけるグローバル・ポテンシャルの実現:科学の好機と適切なガバナンス」についての声明,2014(http://www.scj.go.jp/ja/int/other/pdf/gouseiseibutugaku_yaku.pdf)

7) C. Jefferson, F. Lentzos & C. Marris: Frontier in Public Health, 115, 3 (2014).

8) 特定課題ベンチマーク報告書「合成生物学」(JST-CRDS ライフサイエンスユニット編):http://www.jst.go.jp/crds/pdf/2009/GR/CRDS-FY2009-GR-02.pdf#search='%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E8%A1%8C%E6%94%BF%E6%B3%95%E4%BA%BA%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E6%8C%AF%E8%88%88%E6%A9%9F%E6%A7%8B+%E7%A0%94%E7%A9%B6%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%88%A6%E7%95%A5%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC+%E5%90%88%E6%88%90%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6'

9) 科学技術振興機構:バイオセキュリティに関する研究機関,資金配分機関,政府機関,国際機関等の対応の現状調査報告,2012(www.jst.go.jp/crds/pdf/2011/RR/CRDS-FY2011-RR-07.pdf)

10) 科学技術振興機構:ライフサイエンス研究の将来性ある発展のためのデュアルユース対策とそのガバナンス体制整備,2013(www.jst.go.jp/crds/pdf/2012/SP/CRDS-FY2012-SP-02.pdf7)

11) ライフサイエンス研究開発におけるバイオセキュリティの実装戦略,2013(www.jst.go.jp/crds/pdf/2013/WR/CRDS-FY2013-WR-02.pdf)

12) 生物兵器禁止条約(BTWC: Biological and Toxin Weapons Convention)のホームページ(http://www.opbw.org/)

13) BTWCの第7回運用検討会議での科学と技術の進展に関する決議を受けた専門家会議の意見をまとめたバックグラウンド文書:(http://www.unog.ch/80256EDD006B8954/(httpAssets)/B7A11251AF5FCB3AC1257CEC004976C7/$file/advance+version+MX2014+S&T+paper.pdf)

14) SynbercのMSPES活動に関するホームページ(http://www.synberc.org/engagement)

15) BBSRC(Biotechnology and Biological Sciences Research Council)バイオテクノロジー・生物科学研究会議の掲載した「社会的倫理的課題のレビュー」のホームページ(http://www.bbsrc.ac.uk/web/FILES/Reviews/0806_synthetic_biology.pdf)