今日の話題

ルチンが多く苦味が弱いダッタンソバ新品種「満天きらり」ルチノシダーゼの制御による作物の食味改善

Tatsuro Suzuki

鈴木 達郎

農業・食品産業技術総合研究機構九州沖縄農業研究センター

Toshikazu Morishita

森下 敏和

農業・食品産業技術総合研究機構北海道農業研究センター

Published: 2016-02-20

ダッタンソバ(Fagopyrum tataricum Gaertn.)はソバ属の栽培作物の一種で,中国,ロシア,ネパール,EU諸国などで栽培されている.ダッタンソバは自殖性であるため,他殖性の普通ソバとは異なりハエやハチなどの訪花昆虫の活動が制限される畑作北限地域でも栽培可能である.また,ルチンを普通ソバの100倍程度多く含有することが大きな特徴である(1)1) H. Kitabayashi, A. Ujihara, T. Hirose & M. Minami: Breed. Sci., 45, 189 (1995)..ルチンは植物界に広く存在するポリフェノールの一種だが,穀物ではソバのみが含有するとされる.ダッタンソバの粉の約1.5%はルチンであり健康食品原料として注目されている.ところが,ダッタンソバはその強烈な苦さから別名「苦ソバ」と呼ばれ(2)2) 川上 晃,茅原 紘,氏原暉男:日本食品科学工学会誌,42, 892 (1995).,一般的には嗜好性が劣るとされる.「苦味」の原因物質として,少なくともケルセチンと2点の未同定物質が関与するとの報告がある(3)3) 李 時珍:“本草綱目”,1578..そのうちケルセチンは,ダッタンソバ粉中のルチノシダーゼが触媒するルチンの加水分解反応により生じる(図1図1■A. ルチノシダーゼによるルチンの脱配糖化,B. ルチノシダーゼのゲル内染色による品種比較).ルチノシダーゼは,ルチンをケルセチンと2糖類のルチノースに加水分解するユニークな特性の酵素である(4)4) T. Yasuda & H. Nakagawa: Phytochemistry, 37, 133 (1994).図1図1■A. ルチノシダーゼによるルチンの脱配糖化,B. ルチノシダーゼのゲル内染色による品種比較).その活性は極めて強力で,ひとたび粉へ加水すると,ダッタンソバ粉中のルチンは数分のうちにほぼ完全に分解されてしまう.粉への加熱処理でルチノシダーゼを抑制する技術はあるが,風味や物性の劣化,コスト増などの課題があるため,加熱処理をしなくてもルチン分解や苦味が生じない新品種への強い要望があった.

図1■A. ルチノシダーゼによるルチンの脱配糖化,B. ルチノシダーゼのゲル内染色による品種比較

このような背景を受け,ルチノシダーゼ活性の弱いダッタンソバ品種の育成を試みた.ダッタンソバの種子には少なくとも2つのルチノシダーゼのアイソザイムが存在する.どちらも非常に強力な活性をもつため,ルチンの分解を抑えるためには両アイソザイムの活性を同時に抑制する必要がある.当初は,どちらか片方のアイソザイムが弱い系統がみつかれば,もうひとつが弱いものと交配することで,両方が弱い系統を開発できると考えた.ところが両アイソザイムは基質特異性,最適温度・pHなどの諸性質がほぼ同じのため,比色分析などで簡易に区別することができなかった.一方,精製したルチノシダーゼのnative-PAGE(非変性ポリアクリルアミド電気泳動)では両アイソザイムの移動距離が異なった.そこで,ゲル上のルチノシダーゼを銅-ルチン錯体で染色する方法を開発し,遺伝資源や突然変異系統(約400系統)のスクリーニングを経て,ルチノシダーゼ活性の極めて弱い系統を開発した(5)5) T. Suzuki, T. Morishita, Y. Mukasa, S. Takigawa, S. Yokota, K. Ishiguro & T. Noda: Breed. Sci., 64, 339 (2014)..その後,草丈や収量性,成熟期など農業特性の改善を行い(6)6) T. Suzuki, T. Morishita, Y. Mukasa, S. Takigawa, S. Yokota, K. Ishiguro & T. Noda: Breed. Sci., 64, 344 (2014).,2014年には「満天きらり」の名称で品種登録された.

「満天きらり」のルチノシダーゼ活性は,通常品種の数百分の1程度と弱い.ソバ麺などに加工した場合,従来品種(「北海T8号」=強いルチン分解酵素活性を有する)ではほぼ完全にルチンが分解したが,「満天きらり」は95%以上が残存した.パンやクッキー・パウンドケーキにおいても,従来品種よりも多くのルチンが残存する結果であった.苦味については,まず最も直接的に評価できる粉を用いての評価を行った.29人を対象に1 gの粉を1分間口に含み,苦味を4段階(かなり苦い,苦い,ほとんど苦くない,苦くない)で評価した.その結果,従来品種では「かなり苦い」,あるいは「苦い」と回答した者は27人であったが,「満天きらり」では0人であった.ソバ麺の官能評価試験においても,「満天きらり」は苦み・えぐみが弱くおいしいとの評価を得た.上記試験は3年間繰り返したが,いずれの年も同様の結果であったことから「満天きらり」の麺は収穫年次を超えて良食味であると考えられる.また,ダッタンソバには前述のとおり複数の苦味成分が報告されているが,ルチノシダーゼを抑えることで苦味を抑制できたことから,ルチン分解反応がケルセチン以外の物質も含めた苦味成分生成のトリガーとなっている可能性が考えられる.

以上の結果から,「満天きらり」はルチンが多い食品原料として有望と考えられる.現在,北海道を中心に本州や九州で産地が形成されつつある.栽培面積は200ヘクタール弱と小規模ではあるが,6次産業化の取り組みを通じ麺や菓子などの製品が販売されている.さらに,農林水産省の補正予算プロにて本品種を用いたルチンの多い麺のヒト試験が実施されており結果が待たれる.「満天きらり」は日本のみが有する資源のため,今後は海外展開につながる産業まで育つことを期待する.また,ルチノシダーゼのようなフラボノイド配糖体の加水分解酵素の制御により作物の食味を改善できることがわかったためほかの作物などへの応用にも期待したい.

Reference

1) H. Kitabayashi, A. Ujihara, T. Hirose & M. Minami: Breed. Sci., 45, 189 (1995).

2) 川上 晃,茅原 紘,氏原暉男:日本食品科学工学会誌,42, 892 (1995).

3) 李 時珍:“本草綱目”,1578.

4) T. Yasuda & H. Nakagawa: Phytochemistry, 37, 133 (1994).

5) T. Suzuki, T. Morishita, Y. Mukasa, S. Takigawa, S. Yokota, K. Ishiguro & T. Noda: Breed. Sci., 64, 339 (2014).

6) T. Suzuki, T. Morishita, Y. Mukasa, S. Takigawa, S. Yokota, K. Ishiguro & T. Noda: Breed. Sci., 64, 344 (2014).