Kagaku to Seibutsu 54(03): 212-215 (2016)
プロダクトイノベーション
ビール泡品質向上への一貫した取組み
Published: 2016-02-20
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
黄金の液色に白い泡,その2色のコントラストがビールならではの美しさを演出する.泡はビールの酸化やガスの揮散を防ぐだけでなく,その白くきめ細やかな性状のためビールのおいしさを視覚から伝える重要な手段である.泡に関する研究は国内外のビール会社にとって古くから,そして今もなお盛んに取組まれている分野である.
70年以上前,つまり戦時中の話になるが,東京上野のカフェで来店者から「ビールの泡の量が多い」という苦情が発生した.話が大きくなりビヤホール3社を被告とした「ビールの泡がビールと言えるかどうか」といった裁判にまで発展した.法廷で当時東京大学農学部教授であった坂口謹一郎先生が,ビールの泡はビールとほぼ同じ成分である,また量として15~30%が適当であると証言したことにより,1942年9月東京区裁判所から「泡もまたビールなり」と無罪判決が言い渡された(1)1) 坂口謹一郎:“坂口謹一郎酒学集成4”,岩波書店,1998, p. 229..冗談のような話であるが,この事件をきっかけに日本のビール各社は泡を重視するようになったのではないかと個人的に思う次第である.
ビールの泡の研究は,主に泡がいかに長持ちするか,すなわち「泡持ち」にフォーカスして行われてきた.泡の構成因子としては大麦由来のタンパク質,ホップ苦味成分,ビール中の炭酸ガスなどがあり,逆に脂肪酸,脂質,酵母から排出されるタンパク質分解酵素などが阻害物質として知られている.また,ビールが飲まれるその瞬間までを考えると容器・グラスの形状,流通過程での取り扱い,飲食店向け商品では注出サーバーの性能も重要である.
当社はビールの泡品質に関する研究を長年広範囲に取組んできた.今回はその中でも,醸造工程でのビール泡品質向上策,泡持ちに優れたビール大麦の開発,飲食店での付加価値提供を実現する生ビールサーバーの開発,この3点について紹介する.
なお文中に登場するNIBEM法とはオランダHaffmans社のNIBEM FOAM STABILITY TESTERを用い,所定のグラスに一定条件で注いだ泡の高さが3 cm低下する秒数を計測する世界で標準的に用いられているビールの泡持ち測定法で,NIBEM値が高いということはビールの泡持ちが良いということを示す.
大麦は発芽することによって自らの酵素でデンプン,タンパク質を糖類やアミノ酸へ分解し酵母に栄養源として供給するだけでなく,ビールの香りや味,そして泡にも大きく影響している.ビールの泡にとって大麦のタンパク質がプラス成分,脂質がマイナス成分と言える.
ビール大麦は重量比で2~3%と脂質を比較的多く含み,その構成脂肪酸の大半はリノール酸とオレイン酸である.脂肪酸は発芽工程やビール工場での仕込工程で酸化され泡持ちの悪化や香味の老化を引き起す.特に泡持ちの場合,リノール酸が複数の過程を経て9,12,13-トリヒドロキシオクタデセン酸(THOD)となり泡持ちを悪化させることが知られており,われわれは小スケールでの試験を重ね,脂質酸化を触媒する酵素リポキシゲナーゼ(以下LOXと表記)の活性を抑える仕込条件を確立しビール工場へ展開した.
泡プラス成分のタンパク質は発芽の過程で徐々に分解される.酵母の発酵性やその他最終製品の品質を考えるとタンパク質分解の程度は重要な管理指標である.当社では,複数の大麦品種を用い発芽条件を変えた試験で,ある大麦品種で発芽によるタンパク質分解が進んでも泡持ちが影響を受けにくい,言い換えれば泡安定性の高い品種があることを発見し,採用することとした.
また泡持ちにプラスとなるタンパク質は熱凝固性も高いため,熱エネルギー管理のためにカロリー制御を導入し,醸造工程で最も熱負荷の高い煮沸工程の熱エネルギーを適正化した.
わが国を代表するビール製造技術の一つである生ビールでは,非熱処理のため酵母由来のタンパク質分解酵素が製品中でも失活されず経時的にタンパク質に作用しビールの泡持ちを悪化させる.この酵素はProteinase A(以下PrAと表記)と呼ばれ酵母の弱化や自己消化の際に細胞外へ漏出されると言われていた(2)2) S. Yokoi, T. Shigyo & T. Tamaki: J. Inst. Brew., 102, 33 (1996)..最近の研究により健全な酵母であっても,また酵母の増殖時にもPrAが排出されることが判明し,また酵母細胞外へのPrA排出のメカニズムも明らかになりつつある.使用する酵母株や,発酵・貯酒中の栄養条件やその温度,期間によって最終製品のPrA活性は大きく変化する.実際のビール製造においてPrA排出の低い酵母株の確認・選定や酵母の弱化を起こしにくい管理を発酵および貯酒工程で導入し,製品中のPrA活性低減を実現した.
なお流通における取り扱い(温度,振動,日光の影響など)も製品中のPrA活性の影響を最小化するためには重要であるが今回は紙面の都合もあり省略させていただくこととする.
これら醸造工程での施策は2000年から2002年にかけて立上げた社内横断組織「泡プロジェクト」により,全工場へ展開した.定着化した2004年以降の当社主要製品のNIBEM法による測定値は2006年まで上昇し,これから述べるLOXレス麦芽の使用を開始した2012年も含め近年その数値は275前後で安定的に推移している.
前述のとおり大麦の脂質酸化は泡持ちを悪化させるだけでなく,香味の老化を引き起こす原因でもある.当社は岡山大学資源植物科学研究所と共同で,泡持ちと香味耐久性の向上を目的として在来大麦遺伝資源から脂質酸化を触媒する酵素リポキシゲナーゼ-1(以下LOX-1と表記)のないLOX-1レス変異を探索した.数千系統のスクリーニングからLOX-1の活性を欠く自然変異を発見し(3)3) N. Hirota, T. Kaneko, H. Kuroda, H. Kaneda, M. Takashio, K. Ito & K. Takeda: Theor. Appl. Genet., 111, 1580 (2005).,この形質を導入した大麦を醸造試験に用いると,大麦そのものでも,発芽させた麦芽においても泡持ちが向上することを確認した(4)4) N. Hirota, H. Kuroda, K. Takoi, T. Kaneko, H. Kaneda, I. Yoshida, M. Takashio, K. Ito & K. Takeda: Cereal Chem., 83, 250 (2006).(図1図1■泡持ちとLOX-1の関係(A)およびLOX-1レス麦芽・大麦による醸造試験の泡持ち(B)).
9-HPOD: 9-hydroperoxy-10,12-octadecadienoic acid. THOD: 9,12,13-trihydroxy octadecanoic acid. 試験1: 麦芽での比較(麦芽24%発泡酒仕様).試験2: 大麦での比較(大麦76%発泡酒仕様).
2001年より,このLOX-1レス形質を栽培性や他の品質面でビール醸造に適した大麦に導入するため,カナダのサスカチュワン大学との共同で戻し交雑育種法によるLOX-1レス大麦の開発を開始した.ビール泡持ちの高い性質をもつ「CDC Kendall」との5回連続戻し交雑により「CDC Kendall」の遺伝的背景をもち,なおかつLOX-1レス形質を示す系統の育成に成功し,その後この系統はカナダでの品種認定試験に合格し北米初のLOX-1レス品種「CDC PolarStar」として2008年に品種登録を出願した(5)5) T. Hoki, W. Saito, N. Hirota, M. Shirai, K. Takoi, I. Yoshida, M. Shimase, T. Saito, T. Takaoka, M. Kihara et al.: Brew. Sci., 66, 37 (2013)..以後,本品種の普及を進め,開発スタートから10年以上を経て約17,000ヘクタール(2013年度)という大規模な栽培実績に到達した.
またオーストラリアでもLOX-1レス品種の戻し交雑育種を進めアデレード大学と共同でオーストラリア初のLOX-1レス品種「SouthernStar」を2012年に出願し,2013年に商業規模の生産を開始した.日本では2013年12月に国内初となるLOX-1レス品種「札育2号」を出願し,さらに世界主要産地へのLOX-1レス大麦の普及を目指してヨーロッパでも同様のプログラムを進めている.
ビールの泡品質を原料大麦から向上させるという取組みは,交雑という手間暇のかかる地道な手法であるが当社で長年培ってきた技術を活用したイノベーションと言える.開発には交雑品種の栽培性やほかの品質面で多くの課題に直面し,幾多の改良を重ねたが10年以上の歳月を経て商品へ使用できるレベルにまで実用化できたことは感無量である.
なお当社のほかの研究事例では,脂質関連酵素ではなくタンパク質に着目し,ビールおよび麦汁のプロテオーム解析により新規な泡関連タンパク質を同定することに成功し,大麦種子中の泡関連タンパク質含量に関与するDNAマーカーを開発,泡持ちの良い大麦新品種開発における選抜に利用している(6)6) T. Iimure & K. Sato: Food Res. Int., 54, 1013 (2013)..本研究成果については2015年5月ポルトガルで開催されたビール国際学会35th EBC Congressで発表者の飯牟礼がBest Paper賞を受賞した.
飲食店で提供する生ビールはビールの泡が実感できる格別なシーンである.最終的な提供品質を維持・向上させるために生ビールを樽から注出するビールサーバーの性能は重要である.サーバーの衛生状態が清潔に保たれていないとビールの泡品質はもちろん香りや味にも悪影響を及ぼすため常に良好な状態を維持する必要がある.
当社では2002年より,構造上複雑なサーバーの冷却部分を定期的に交換し自社の洗浄施設で分解洗浄する独自の生ビール品質管理システム「サッポロセパレシステム」を導入した(7)7) 門奈哲也:包装技術,42, 227 (2004)..2014年での導入店舗数は65,000店を超え,分解洗浄の際に老朽部品の交換やメンテナンスを行うため,サーバーは長寿命化され新規投資コストの軽減という経済的なメリット,そして廃棄物の削減というエコロジーの観点でも各方面から評価をいただいている.
近年このサーバーを改良し泡付け機能を進化させたものを開発した.これまで泡付けのノズルはビールに対して垂直方向に実施していたが,角度を90度変えることでグラス壁面接線方向へ泡付けすることにした(図2図2■新型サーバーによる泡持ち向上効果左).これにより,泡付け時のビール液面の“もまれ”がなくなり,ガスの揮散を防ぎ,粒径の細かい泡をより長く維持させることが可能となった(図2図2■新型サーバーによる泡持ち向上効果右).さらに飲むごとに泡が再生し最後の一杯まで泡持ちの良いビールが楽しめるようになった.ノズルの向きを変えるという単純な発想であるが,ビールサーバー誕生から100年近く誰も気がつかなかったイノベーションと言える.当サーバーは専用グラスや液温管理とともに「パーフェクト樽生ビール」として2014年春より飲食店へ導入している.
「美しい泡」はビール製造にかかわるすべての研究者,技術者が追及すべき課題であり,ここで紹介した技術的成果はその一部に過ぎない.紹介しきれなかった泡品質向上に向けた多くの関係者の努力と成果に敬意を表したい.また農芸化学技術賞受賞をはじめ各方面からの評価を励みにし,今後もビール泡品質のさらなる向上を目指して努力を続けていきたい.
Acknowledgments
大麦の研究・開発においては岡山大学の武田和義名誉教授,佐藤和広教授,サスカチュアン大学(カナダ)のDr. Brian G. Rossnagel, Dr. Aaron Beattie,アデレード大学(オーストラリア)のDr. Jason Eglintonおよび関係いただいた多くの方々に感謝いたします.また2015年度農芸化学技術賞へのご推薦と適切なご指導をいただいた静岡大学の河岸洋和教授に厚く御礼申し上げます.
Reference
1) 坂口謹一郎:“坂口謹一郎酒学集成4”,岩波書店,1998, p. 229.
2) S. Yokoi, T. Shigyo & T. Tamaki: J. Inst. Brew., 102, 33 (1996).
5) T. Hoki, W. Saito, N. Hirota, M. Shirai, K. Takoi, I. Yoshida, M. Shimase, T. Saito, T. Takaoka, M. Kihara et al.: Brew. Sci., 66, 37 (2013).
6) T. Iimure & K. Sato: Food Res. Int., 54, 1013 (2013).
7) 門奈哲也:包装技術,42, 227 (2004).