解説

ネムリユスリカの極限的な乾燥耐性のしくみなぜ干からびても死なないのか

Molecular Mechanisms Underpinning Anhydrobiosis in the Sleeping Chironomid: What Do We Know So Far?

Yoichiro Sogame

十亀 陽一郎

農業資源生物研究所

Takahiro Kikawada

黄川田 隆洋

農業資源生物研究所

東京大学大学院新領域創成科学研究科

Published: 2016-03-20

もし,今皆さんがいる場所が急に日差しが強くなり,水分がどんどん蒸発して,砂漠のような乾燥状態に半日でなってしまうとしたらどうするであろうか.私なら即座に水の豊富な場所に逃げるだろう.水はわれわれの生体中でさまざまな生体反応を行う場所として重要であり,水の消失はすなわちわれわれの死を連想させる.生物種によってもばらつきがあるが,少なくとも体重の6割以上は水が含まれ,半分を失うと生存が危うくなる.すなわち乾燥とは,われわれの最も身近にある極限環境といえよう.しかしながらこのような状況下でも乾燥から逃避しない生物が存在する.「カラカラに干からびても水戻しすれば蘇る」という乾燥無代謝休眠(アンヒドロビオシス)の能力を発揮できる生物が,それである.カラカラに干からびた状態では,水分がないので当然代謝はできないはずである.しかしながら水をかけると蘇生するので,死んでいるわけではない.果たして彼らはどのようにして「生きてもいないし死んでもいない状態」を作り出しているのであろうか.本稿では,乾燥無代謝休眠の能力をもつ最大の動物,ネムリユスリカを題材に乾燥無代謝休眠のしくみについて最新の研究も紹介しながらこれまでにわれわれが明らかにしてきたことを概説する.

ネムリユスリカの乾燥無代謝休眠

ネムリユスリカは,ナイジェリアなどのアフリカの半乾燥地帯に生息している昆虫である.夏に日本でよく見られるユスリカの幼虫(赤虫)が水中で生活するように,ネムリユスリカの幼虫も岩場のくぼみなどにできた水たまりで水中生活している(1)1) H. E. Hinton: Proc. Zool. Soc. (Lond.), 121, 371 (1951)..半乾燥地帯では,雨季と乾季がはっきり分かれており,乾季は何カ月もの間一滴も雨が降らない.そのような状態では,たちまち水分は蒸発し,カラカラに乾いた灼熱の状態が続く.ネムリユスリカの幼虫は,この水分蒸発に伴う体内のイオン濃度変化という化学的な刺激を受容し,乾燥無代謝休眠の状態に変化する(2)2) M. Watanabe, T. Kikawada & T. Okuda: J. Exp. Biol., 206, 2281 (2003).図1図1■ネムリユスリカのアンヒドロビオシスと生活環(文献3より改変)).乾燥に伴いほかの生物が次々と命を落としていくなか,ネムリユスリカはカラカラの状態で雨季を待ち,再び水が張ると1時間程度で何事もなかったかのように蘇生する.彼らはこの乾燥と蘇生を何度も繰り返すことができ,日常的に起こる突然の日照りによる水環境の消失にも対応することができる.また,この乾燥無代謝休眠状態の幼虫は,水分の供給がなければ半永久的に眠り続けることが可能で(論文記載上の最長記録は17年間),90°Cの高温から−270°Cの極低温,アセトンのような有機溶剤,真空,7 kGyもの放射線など乾燥以外のストレスに対しても驚異的な耐性を備えており(3)3) R. Cornette & T. Kikawada: IUBMB Life, 63, 419 (2011).,宇宙空間に2年半もの間置いても地球に戻り水をかければ蘇生する(4)4) N. Novikova, O. Gusev, N. Polikarpov, E. Deshevaya, M. Levinskikh, V. Alekseev, T. Okuda, M. Sugimoto, V. Sychev & A. Grigoriev: Acta Astronaut., 68, 1574 (2011)..ただし,ここでいう「耐性」とは,それらの環境ストレスに乾燥状態で暴露させた後,再水和させれば蘇生したということであり,通常の状態で耐性を示すということではない.この点において,極限環境で生活している超高熱菌などとは区別される.また,ネムリユスリカの幼虫が乾燥無代謝休眠能力を有する乾燥状態になるためには,2日程度かけてゆっくり乾燥させることが必要であり,急速な乾燥には対応できない.さらにネムリユスリカの乾燥無代謝休眠の特徴として,この驚異的な能力は幼虫期にしか見られないことが挙げられる.おそらくこれは,幼虫の期間に比べ卵や蛹,成虫の期間が非常に短いことに起因するのであろう.例えば,成虫に至っては生殖を行うのみで,口器がないため何も口にすることなく1~2日程度で死んでしまう(図1図1■ネムリユスリカのアンヒドロビオシスと生活環(文献3より改変)).

図1■ネムリユスリカのアンヒドロビオシスと生活環(文献3より改変)

ところで,休眠を行う多くの生物は,日長や気温の変化などを脳で感知し,ホルモンを通じて冬の到来を各組織に伝達しているが,ネムリユスリカの幼虫も同様に乾燥の到来を感知し,神経系で休眠を調節しているのであろうか.このことを確かめるため,脳を含む頭部と胸部の間を糸で縛り断頭した幼虫を乾燥処理した後に蘇生させる実験を行ったところ,脳がなくてもカラカラに乾燥した状態から蘇生した(5)5) M. Watanabe, T. Kikawada, N. Minagawa, F. Yukuhiro & T. Okuda: J. Exp. Biol., 205, 2799 (2002)..さらに幼虫体からわれわれの肝臓に相当する組織である脂肪体を取り出し,培地上でゆっくり乾燥させ,デシケーターで3カ月以上保存して再度培地に戻したところ蘇生した(6)6) M. Watanabe, T. Kikawada, A. Fujita & T. Okuda: J. Insect Physiol., 51, 727 (2005)..興味深いことにネムリユスリカの乾燥無代謝休眠は神経系とは無関係であり,単細胞生物の無代謝休眠と同じように細胞レベルで調節されているようである.

乾燥無代謝休眠とトレハロース

水分が消失し,生体からの脱水が進行してくると,細胞内では過度な浸透圧変化やイオンの高濃度化が起こり生命は危機的状況に陥る.さらに,タンパク質などの生体の構成成分の表面に水素結合していた水が失われ,変成すなわち不可逆的な凝集が起こり完全に生理活性が消失する.はたしてネムリユスリカの幼虫はどのようにしてこの危機的状況を回避しているのであろうか.その鍵を握る重要な因子の一つがトレハロースである.

トレハロースは糖の一種で,化学的に非常に安定で,生体成分の表面に結合していた水と容易に置換し,水の代わりに生体成分と水素結合を形成(水置換説)する.同時に,水分が消失しアモルファス状態に変化したトレハロースは,そのなかの分子運動を極限まで遅くすることで,生体成分を物理的に安定化(ガラス化説)させる.これらの機能により,トレハロースは生体成分の保護機能を担っている(3)3) R. Cornette & T. Kikawada: IUBMB Life, 63, 419 (2011)..ネムリユスリカでは,乾燥時にはこのトレハロースを幼虫体内にほぼ均一に乾燥重量の20%程度まで蓄積する(5)5) M. Watanabe, T. Kikawada, N. Minagawa, F. Yukuhiro & T. Okuda: J. Exp. Biol., 205, 2799 (2002)..その結果,幼虫そのものがガラスのように変化する(7)7) M. Sakurai, T. Furuki, K. Akao, D. Tanaka, Y. Nakahara, T. Kikawada, M. Watanabe & T. Okuda: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 5093 (2008)..蓄積されたトレハロースは細胞膜のリン脂質の極性基に水素結合することで,細胞膜の健常性を保持する(7)7) M. Sakurai, T. Furuki, K. Akao, D. Tanaka, Y. Nakahara, T. Kikawada, M. Watanabe & T. Okuda: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 5093 (2008)..ネムリユスリカは乾燥に先駆けトレハロースを合成し,失われていく水と置換させた状態でガラス化させることにより生体成分を保護していると考えられる.これを裏づけするように急速に乾燥させたネムリユスリカは十分量のトレハロースを蓄積しておらず,再水和させても蘇生しない(7)7) M. Sakurai, T. Furuki, K. Akao, D. Tanaka, Y. Nakahara, T. Kikawada, M. Watanabe & T. Okuda: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 5093 (2008).

トレハロースはネムリユスリカ以外の生物でも乾燥ストレス応答時に蓄積されることがわかっている.たとえば,近年乾燥耐性を示すことが報告されたC. elegansもネムリユスリカと同様にトレハロースの合成が乾燥耐性を獲得するために必要である(8)8) C. Erkut, S. Penkov, H. Khesbak, D. Vorkel, J. M. Verbavatz, K. Fahmy & T. V. Kurzchalia: Curr. Biol., 21, 1331 (2011)..一方,極限環境耐性生物でありながらトレハロースを蓄積しない生物も知られている.極限耐性生物として著名なクマムシがその一例で,最大でも3%程度の蓄積しか行わないが,1~数時間程度の急速な乾燥にも耐性を示す(9)9) 國枝武和:生物科学,63, 205 (2012)..ヒルガタワムシにいたっては,トレハロース合成酵素がゲノム上に存在しないため,トレハロースを全く蓄積できない(10)10) J. Lapinski & A. Tunnacliffe: FEBS Lett., 553, 387 (2003).

ネムリユスリカの場合,乾燥によってトレハロース合成系が活性化し,脂肪体細胞内に大量に存在するグリコーゲンの加リン酸分解を初発とする一連の反応によりトレハロースが合成される(11)11) K. Mitsumasu, Y. Kanamori, M. Fujita, K. Iwata, D. Tanaka, S. Kikuta, M. Watanabe, R. Cornette, T. Okuda & T. Kikawada: FEBS J., 277, 4215 (2010)..この合成系はセキツイ動物を除く多くの真核生物に普遍的に存在するが,この系が乾燥ストレスに応答する性質は,乾燥無代謝休眠を行う生物特有である.乾燥過程で合成されたトレハロースは,最終的に幼虫体全体に均一に存在している(7).したがって,脂肪体から体液中にトレハロースを分泌するためのしくみが必要である.その役割を担っているのがトレハローストランスポーター(PvTRET1)である(12)12) T. Kikawada, A. Saito, Y. Kanamori, Y. Nakahara, K. Iwata, D. Tanaka, M. Watanabe & T. Okuda: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 104, 11585 (2007)..PvTRET1は,脂肪体で特異的に発現しており,カイコなどほかの昆虫に存在するトレハローストランスポーターに比べ高濃度のトレハロースであっても輸送速度が頭打ちになることがないことから,効率よく体内にトレハロースを行き渡らせることを実現させている.このことから,PvTRET1は乾燥無代謝休眠に大きく貢献するトレハローストランスポーターといえる.

乾燥無代謝休眠とLEAタンパク質

植物は自ら移動することができないため,動物に比べ環境変化に対するさまざまな耐性をもつ.特に種子ではそれが顕著で,大賀ハスのように遺跡から種子が発掘され,2000年にも及ぶ時を超えて発芽したという例もある.このように植物の種子は乾燥環境などの不適切な環境下で発芽しないように長期間の休眠状態を維持する能力を有している.種子が休眠に入り水分が消失していく後期胚発生時期に大量に合成されるタンパク質としてLEAタンパク質(late embryogenesis abundant protein)は1980年代に発見され,種子の乾燥耐性にかかわる因子として研究されてきた(13)13) A. Tunnacliffe & M. Wise: Naturwissenschaften, 94, 791 (2007)..近年になり,このLEAタンパク質が植物だけでなく,同じように高い乾燥耐性を必要とする動物にも存在することが明らかになった.2006年に,動物としては2例目としてネムリユスリカからもLEAタンパク質が同定された(14)14) T. Kikawada, Y. Nakahara, Y. Kanamori, K. Iwata, M. Watanabe, B. McGee, A. Tunnacliffe & T. Okuda: Biochem. Biophys. Res. Commun., 348, 56 (2006)..LEAタンパク質は天然変性タンパク質であるため水和状態でランダム構造をとるが,乾燥状態になると可逆的にα-helical coiled-coil 構造に変化する特徴をもつ.また,高い親水性を示し,ほかのタンパク質同士の間に入り凝集を妨げる分子シールドとしての活性をもつ(13)13) A. Tunnacliffe & M. Wise: Naturwissenschaften, 94, 791 (2007).(分子シールド効果,図2図2■LEAタンパク質の分子シールド効果).ネムリユスリカにおいても,乾燥により誘発されるタンパク質の凝集を分子シールド効果によって防いでいると考えられている(15)15) R. Hatanaka, Y. Hagiwara-Komoda, T. Furuki, Y. Kanamori, M. Fujita, R. Cornette, M. Sakurai, T. Okuda & T. Kikawada: Insect Biochem. Mol. Biol., 43, 1055 (2013)..後で述べるが,LEAタンパク質もネムリユスリカの乾燥過程において特異的な発現の増加を示すタンパク質である.このことからもネムリユスリカの乾燥耐性においてLEAタンパク質も大きな役割を果たす因子であると推測することができる.

図2■LEAタンパク質の分子シールド効果

LEAタンパク質は生体膜やタンパク質などの生体高分子と結合し,生体高分子同士の接触を防ぐことで,乾燥に伴う不可逆的な凝集を阻止する.

ネムリユスリカの乾燥無代謝休眠に関与する遺伝子群

これまでにトレハロースとLEAタンパク質がネムリユスリカの乾燥耐性獲得機構に重要であることを述べてきた.しかしながら,この2つの因子のみでは乾燥耐性を発揮することは不可能である.これを裏付けするように,トレハロースとLEAタンパク質を導入したヒト肝臓がん培養細胞は,ネムリユスリカの幼虫と同等の乾燥耐性を発揮しなかった(16)16) S. Li, N. Chakraborty, A. Borcar, M. A. Menze, M. Toner & S. C. Hand: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 109, 20859 (2012)..この事実は,ネムリユスリカの乾燥耐性獲得にはさらなる因子が存在していることを示唆している.

それらの因子を探索するため,異なる乾燥過程の幼虫に発現する遺伝子を比較し乾燥特異的に発現誘導される遺伝子群の解析を行った.乾燥処理していない幼虫,乾燥処理後12時間,36時間の幼虫から遺伝子転写産物を抽出してcDNAライブラリーを作成し,塩基配列を決定後それぞれの乾燥時期で発現している遺伝子のESTデーターベースを構築した.これをもとにそれぞれの乾燥時期で特異的に発現する遺伝子の種類と量を比較解析した(17)17) R. Cornette, Y. Kanamori, M. Watanabe, Y. Nakahara, O. Gusev, K. Mitsumasu, K. Kadono-Okuda, M. Shimomura, K. Mita, T. Kikawada et al.: J. Biol. Chem., 285, 35889 (2010)..その結果,トレハロースの合成経路の律速段階を占める2つの酵素(トレハロース-6-リン酸合成酵素とトレハロースホスファターゼ)やPvTRET1などの乾燥過程のトレハロース蓄積に必要な遺伝子,ストレスタンパク質のLEAタンパク質やヒートショックタンパク質,抗酸化因子としてタンパク質や脂質の酸化を抑制するチオレドキシンやグルタチオンに関連した酵素,さらに乾燥ストレスにより細胞内に生じ脂質やタンパク質の変性やDNAの損傷をきたす活性酸素を直接的に除外するカタラーゼやスーパーオキシドジムターゼなどの発現が乾燥依存的に誘導されることが明らかになった.このようにネムリユスリカの乾燥耐性獲得のプロセスは,少なくとも転写レベルでの多くの遺伝子の活性化を伴っている.一方,クマムシの場合,乾燥前後の生体を用い,トランスクリプトーム解析により発現遺伝子の比較解析を行った結果,乾燥前後のクマムシ間において顕著な遺伝子の発現変動は認められなかった(9).おそらく乾燥無代謝休眠のメカニズムはいくつか存在するのであろう.ネムリユスリカとクマムシの比較によりいえることは,ネムリユスリカは乾燥無代謝休眠のために転写を伴う遺伝子の発現調節が必要であるが,クマムシの場合は乾燥課程で遺伝子の発現調節を行わないため,通常の活動状態から乾燥に耐えられるようなしくみになっているということである.これはネムリユスリカが乾燥無代謝休眠を行うためにはある程度時間をかけて乾燥誘導される必要があるが,クマムシは乾燥状態への移行時間が非常に短くても良い事実とも矛盾しない.おそらくクマムシは,ネムリユスリカの生息地よりもより頻繁に乾燥と給水が繰り返されるコケの上という生活環境に順応したのであろう.

ゲノム解析

ネムリユスリカの乾燥無代謝休眠の過程においては,多数の遺伝子が乾燥により発現誘導されることがESTデータベースを用いた比較解析により明らかになった.この事実を踏まえ,乾燥耐性を有する生物特有の遺伝子やそれらの遺伝子が構築するゲノムの特徴を明らかにするため,ネムリユスリカの全ゲノム配列を解読し,同属の乾燥耐性能をもたないが非常に遺伝背景の近いユスリカ:ヤモンユスリカ(Polypedilum nubifer)との比較ゲノム解析を行った(18)18) O. Gusev, Y. Suetsugu, R. Cornette, T. Kawashima, M. D. Logacheva, A. S. Kondrashov, A. A. Penin, R. Hatanaka, S. Kikuta, S. Shimura et al.: Nat. Commun., 5, 4784 (2014)..その結果,ネムリユスリカのゲノムには,乾燥耐性獲得にかかわると思われる特徴的な領域が見つかった.その領域には,LEAタンパク質やシャペロンなど,乾燥ストレスから生体物質を保護する役割をもつ遺伝子のパラログが連続して存在する多重化領域が存在しており,筆者らはこれらの多重化領域をARId(anhydrobiosis related gene island)と命名した.このARIdは,ネムリユスリカゲノム上に9カ所存在しているが,ヤモンユスリカゲノム上にはない.たとえば,老化したタンパク質の機能回復に寄与する異性化タンパク質修復酵素であるPIMT(Protein L-isoaspartyl methyltransferase)遺伝子は,ARIdを形成している遺伝子のうちの一つであり,ネムリユスリカのARId中には13コピーもパラログが存在するが,ヤモンユスリカには1コピーしか存在しなかった.前述したLEAタンパク質遺伝子のARIdには27個のパラログが存在していた.しかしながら,LEAタンパク質はネムリユスリカ以外の昆虫では発見されていない.その一方,土壌に含まれる硫黄細菌の一種Thiothrix flexilesに存在するタンパク質は,ネムリユスリカのLEAタンパク質に似た配列をもっていた.このことから,ネムリユスリカのLEAタンパク質遺伝子は,生息地の土壌細菌から水平伝播によってネムリユスリカゲノムに取り込まれ,遺伝子重複によって多重化したと考えられる.さらに,ネムリユスリカとヤモンユスリカでは,乾燥に対する遺伝子応答に大きな違いがある.たとえば,乾燥過程で効率良い脱水を実現させる水チャネル(アクアポリン)は,ネムリユスリカでは発現上昇するのに対し,ヤモンユスリカは発現が変化しない.トレハロース合成系の酵素群も同様である.すなわち,ネムリユスリカは,特殊な乾燥応答遺伝子発現調節機構をもっていることを示している.以上のことから,おそらくネムリユスリカは,進化の過程で乾燥耐性関連遺伝子を多重化させ,独自の乾燥応答性の遺伝子発現機構を構築させることにより,乾燥耐性を獲得したのであろう(図3図3■ARIdの形成とネムリユスリカのアンヒドロシオシス能獲得の進化(文献18より改変)参照).

図3■ARIdの形成とネムリユスリカのアンヒドロシオシス能獲得の進化(文献18より改変)

図4■アンヒドロビオシス誘導に至るまでのネムリユスリカ体内で生じる主要イベント(文献3より改変)

(A)乾燥に伴って生じるROSの発生が引き金となり,アンヒドロビオシスに関連した遺伝子の発現が誘導される.(B)脱水が進行するとタンパク質や生体膜の凝集変性が起こるはずだが,LEAタンパク質やHSPがその凝集を阻害する.同時に,劣化したタンパク質をPIMTが修復する.脂肪体で大量に合成されるトレハロースは体内に拡散していく.抗酸化剤であるチオレドキシンの存在によりROSの蓄積は抑制される.(C)ほとんどの自由水が体外に排出されると,トレハロースとLEAタンパク質はガラス化して,生体成分を物理的に保護する.低分子量HSPもガラス化と抗凝集に貢献することで,最終的に完全に代謝を停止させて,アンヒドロビオシスの状態になる.

ネムリユスリカ培養細胞の樹立

これまでに本稿では,図4図4■アンヒドロビオシス誘導に至るまでのネムリユスリカ体内で生じる主要イベント(文献3より改変)に示すようにネムリユスリカの幼虫体における乾燥無代謝休眠には,トレハロースやLEAタンパク質,乾燥誘導性遺伝子など,さまざまな因子がかかわることを述べてきた.しかしながら,本種の場合,生物体を用いた遺伝子導入やRNAiなどの実験系が確立できないため,多くの遺伝子群については遺伝子の同定はできてもそれらの生体における機能の解析は不十分なままである.一方,幸運なことにネムリユスリカの乾燥無代謝休眠の場合,先に述べたように神経系は関与しておらず,幼虫体を解剖して得られた組織は幼虫体と同様に乾燥処理しても再水和させれば蘇生する.これらの事実は,ネムリユスリカにおいては細胞レベルで通常の状態から乾燥無代謝休眠の状態に移行する能力を備えているということを示している.すなわち,ネムリユスリカの培養細胞を樹立できれば,乾燥無代謝休眠の分子機構を細胞レベルで解析することができる.そこでわれわれは,ネムリユスリカの胚子から初代培養を行うことにより培養細胞系を確立することを試みた.その結果,われわれはネムリユスリカ培養細胞Pv11の樹立に成功し(19)19) Y. Nakahara, S. Imanishi, K. Mitsumasu, Y. Kanamori, K. Iwata, M. Watanabe, T. Kikawada & T. Okuda: Cryobiology, 60, 138 (2010).図5図5■乾燥耐性能を有する唯一の多細胞生物由来樹立培養細胞Pv11(文献19より改変)),この細胞を乾燥処理しても再水和させれば蘇生と増殖するということを証明できつつある.さらにこの細胞が蛍光タンパク質や酵素などの一般的なタンパク質を発現させることが可能であるならば,単なる乾燥無代謝休眠という現象解明のマテリアルとしてだけでなく,細胞,組織,生体などの乾燥常温保存技術の開発など,さまざまな面で産業利用できることが期待される.

図5■乾燥耐性能を有する唯一の多細胞生物由来樹立培養細胞Pv11(文献19より改変)

おわりに

本稿では,ネムリユスリカの乾燥無代謝休眠についてわれわれが知る限りを紹介したが,ネムリユスリカが見せる「カラカラに干からびた生物が単なる物質のような状態から息を吹き返すしくみ」は,新しい知見が得られるたびにさらなる不思議と興味が増す一方で,まだまだ未解明の謎が多いことも痛感させられる.これらの謎の解明は,科学の常識を覆すような未知への遭遇や組織や細胞の乾燥常温保存といった大きな可能性をはらんでいる.そのうちスーパーで買った乾燥煮干しを水槽のなかに入れると動き出すという,現在ではありえないたとえ話がわれわれの一般的認識になる未来がくるかもしれない.

Reference

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