Kagaku to Seibutsu 54(4): 289-293 (2016)
プロダクトイノベーション
「そらなっとう」開発秘話空飛ぶ納豆菌はなぜ発見されたのか?
Published: 2016-03-20
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
能登半島3,000 m上空を漂う納豆菌で作った納豆「そらなっとう」が,石川県内の金城納豆食品から販売されている(1)1) 岩坂泰信: “空飛ぶ納豆菌”, PHPサイエンスワールド新書,2012, p. 106..納豆臭と粘りが通常の納豆に比べ弱く,味がまろやかなのが特徴である.納豆菌も石川県産なら,大豆もタレも石川県産でそろえ,地産地消にこだわっている.納豆嫌いな人でも食べられると好評を得ており,まろやかな味わいは納豆通の人をも虜にしているらしい.さらには,臭い控えめが幸いし,最近,JAL(日本航空)の機内食でも提供され,『「そらなっとう」が空に帰る』というキャッチフレーズで親しまれている.実は,「そらなっとう」に使用される納豆菌は,大気微生物の生理生態を研究調査する一環で得られた研究成果であり,納豆菌が高高度の大気中に居るという事実自体が,大気微生物の生態を考えるうえで重要な知見となる.ここでは,空飛ぶ納豆菌が発見された経緯を,これまでの研究過程と成果を踏まえ紹介する.
大気中を浮遊する粒子(エアロゾル)で,細菌,真菌,ウイルス,花粉,動植物の細胞断片など生物に由来する粒子を「バイオエアロゾル」と呼ぶ(2)2) Y. Iwasaka, G.-Y. Shi, M. Yamada, F. Kobayashi, M. Kakikawa, T. Maki, T. Naganuma, B. Chen, Y. Tobo & C. Hong: Air Qual. Atmos. Health, 2, 29 (2009).(図1図1■黄砂によって越境輸送されるバイオエアロゾルの研究背景と蛍光顕微鏡写真).高度数千メートルの上空で微生物が生命を維持するには,大気中の環境ストレスに耐える必要がある(3)3) F. Kobayashi, T. Maki, M. Kakikawa, M. Yamada, F. Puspitasari & Y. Iwasaka: J. Biosci. Bioeng., 119, 570 (2015)..大気環境中を漂う微生物の細胞は,紫外線にさらされ,乾燥によって水分を奪われ,温度変化の影響でダメージを負い,生体機能を維持するのは極めて難しいと思われる.数千メートル上空から採取したエアロゾルを蛍光顕微鏡で観察すると,微生物細胞は,単独ではなく,黄砂などの大きな粒子に付着した状態でよく見られる(図1図1■黄砂によって越境輸送されるバイオエアロゾルの研究背景と蛍光顕微鏡写真).より大きな粒子に付着した微生物は,粒子の陰で紫外線から間逃れ,水分の蒸発を抑え,急激な温度変化をしのいでいるのかもしれない(4)4) T. Maki, S. Susuki, F. Kobayashi, M. Kakikawa, M. Yamada, T. Higashi, B. Chen, G. Shi, C. Hong, Y. Tobo et al.: Air Qual. Atmos. Health, 1, 81 (2008)..このため,黄砂鉱物粒子などの大型の粒子は,ノアの方舟になぞらえて,「微生物の空飛ぶ箱船」と比喩される.
これまで,気象学や大気エアロゾル学の分野では,鉱物粒子や窒素・硫酸ガスなどの無機物粒子が主に研究対象にされ,微生物などの生体粒子に関する研究は手薄であった.大気中の微生物を検出・採取するには高度な観測技術を要し,異分野である環境微生物学の手間のかかる研究手法を必要とするのが,研究遂行の壁となっていた.一方,環境微生物学の分野では,土壌や湖沼,海洋の微生物学が,成熟した学問領域をなしつつあるものの,大気中を浮遊する微生物を専門とした学問はなく,その研究者も研究例も希有である.
しかし,昨今のPM2.5汚染問題や黄砂頻発化などで大気粒子(エアロゾル)に社会的関心が集まり,風送された微生物によるヒト健康・動植物被害や環境影響も懸念されるようになった(図1図1■黄砂によって越境輸送されるバイオエアロゾルの研究背景と蛍光顕微鏡写真).また,大気には,氷核活性をもち,雲形成に関与する微生物も見つかっており,欧米では,気候変動の観点からバイオエアロゾル研究が盛んになりつつある.こうした背景,まずは「どのような微生物が大気中を風送されているのか?」という課題に応えるべく,筆者らはバイオエアロゾル研究に取り組んだ.具体的には,大気中のエアロゾル試料を採取し,試料から微生物を分離培養し,分離株の種類とその性質を調べる,という従来の微生物研究手法を実践した.
中国乾燥地の砂漠地帯から巻き上がった鉱物粒子は,高度数千メートルを吹く偏西風に乗って,東アジア全域に越境輸送され,黄砂現象を引き起こす.黄砂の鉱物粒子が微生物の乗り物となれば,微生物は黄砂とともに,高高度の上空を長距離拡散される(図1図1■黄砂によって越境輸送されるバイオエアロゾルの研究背景と蛍光顕微鏡写真).筆者らは,上空を風送される微生物を捕らえるため,航空機,係留気球,山岳積雪などを利用した高高度観測を8年間にわたり実施してきた.主な観測サイトとしては,黄砂発生源であるタクラマカン砂漠(敦煌)(4)4) T. Maki, S. Susuki, F. Kobayashi, M. Kakikawa, M. Yamada, T. Higashi, B. Chen, G. Shi, C. Hong, Y. Tobo et al.: Air Qual. Atmos. Health, 1, 81 (2008).,および黄砂沈着地である能登半島(珠洲)(5)5) 牧 輝弥,小林史尚,柿川真紀子,鈴木振二,當房 豊,山田 丸,松木 篤,洪 天祥,長谷川 浩,岩坂泰信:エアロゾル研究,25, 35 (2010).と富山県立山連峰(室堂平)(6)6) 牧 輝弥,青木一真,小林史尚,柿川真紀子,松木 篤,木野恵太,長谷川 浩,岩坂泰信:エアロゾル研究,26, 332 (2011).がある(図2図2■東アジア一円でのバイオエアロゾルを捕らえる高高度大気観測).敦煌と珠洲の両観測サイトでは,エアポンプを搭載した係留気球を上空600から1,000 mにまで上げ,孔径0.2 µmのポリカーボネート製フィルター上に,大気量数百リットルの気塊に含まれるエアロゾルを,微生物粒子とともに吸引捕集する.珠洲沖合にかけては,一時期,上空1,000から3,000 mのエアロゾルを捕集する航空機観測も併用する(7).秋(10月)から春(4月)までエアロゾルとともに雪が降り積もる立山・室堂平では,深度6から10 mの積雪から黄砂粒子や微生物を雪ごと採取する積雪調査を毎年4月に実施している.そのほかに,金沢市内の金沢大学建物屋上で,エアロゾル試料を継続的に採取し,黄砂発生時に大気中を舞う微生物の経時的変化も調査した(8)8) 牧 輝弥,福島理英,小林史尚,山田 丸,長谷川 浩,岩坂泰信:分析化学,62, 1095 (2013)..
大気微生物の生理生態学的な特徴を調べるため,捕集したエアロゾル試料から微生物を分離培養するという微生物研究の定跡に従った.まず,フィルター上の粒子を懸濁させた生理食塩水,あるいは積雪試料の融解液を,細菌用液体培地に接種し,数日間集積培養する(5)5) 牧 輝弥,小林史尚,柿川真紀子,鈴木振二,當房 豊,山田 丸,松木 篤,洪 天祥,長谷川 浩,岩坂泰信:エアロゾル研究,25, 35 (2010)..次に,集積培養あるいはエアロゾル懸濁液自体を寒天培地に塗沫し,細菌株を分離培養する.この方法で,これまで全244株の細菌株が得られ,内訳は,敦煌市で60株(敦煌株),珠洲市で53株(珠洲株),立山積雪層で50株(立山株),金沢市で81株(金沢株)となった.培養株の中には,上空3,000 mで採取したエアロゾルから得た株も含まれていたため,かなり高高度を風送される微生物は生きていることがわかる.
全244株の細菌種を調べるには,細菌株の16S rRNA遺伝子(16S rDNA)の核酸塩基配列を解読し,既知細菌種の遺伝子データベースと比較する遺伝学的分類手法を駆使した.16S rDNAは,すべての細菌が有する遺伝子であり,種ごとに僅かながら配列の差異をもつため,細菌種の特定や細菌群のグループ分けに頻繁に使われる.結果,いずれの観測サイトから得られた細菌株であっても,大部分は土壌細菌として知られるファーミキューテス門の細菌群に分類され,残りの株は,同様に土壌細菌によく見られるやアクチノバクテリア門や植物表面や海洋環境で優占して検出されるプロテオバクテリア門に属した.特に,ファーミキューテス門の中でも,バチルスサブチリス(Bacillus subtilis)グループには,4つの観測サイトから得られた151株が共通して属し,99%以上の高い相同性で大きなグループを形成した.
バチルスサブチリスに近縁な細菌株の地域的な差異を調べるため,16S rDNAよりも配列の変異が大きい遺伝子(DNAジャイレース遺伝子)を使って解析した.解析した全31株のうち,敦煌株4株,および金沢株1株,立山株3株の核酸塩基配列には,地域差は見られず,互いに近い遺伝子タイプを示し,既知配列とも異なる一つのクラスター(黄砂クラスター)を形成した.したがって,黄砂クラスターのバチルスサブチリスは,黄砂によって中国大陸から日本にまで運ばれた可能性が極めて高い.バチルス属は,細胞内に胞子を形成し,塩度や乾燥などのストレス因子に耐性をもつ通性好気性の桿菌であるため,エアロゾルとして生きて伝播されやすく,優占種となると考えられる.
当初,バイオエアロゾルが沈着先で引き起こす健康被害や動植物への病害を調べる目的で,本研究調査は始まった.ヒト健康にかかわる研究には予算もつきやすいこともあり,バイオエアロゾルの悪影響を殊更強調してきた.研究成果をまとめる際にも,悪影響の観点からデータを見取り,分離株が食中毒菌や病原性細菌と同種であれば,学会発表や学術論文でヒト健康被害および動植物病害の可能性を言及した(4)4) T. Maki, S. Susuki, F. Kobayashi, M. Kakikawa, M. Yamada, T. Higashi, B. Chen, G. Shi, C. Hong, Y. Tobo et al.: Air Qual. Atmos. Health, 1, 81 (2008).(図3図3■大気試料から分離培養した細菌株(244株中40株を使用)の16S rRNA遺伝子塩基配列を用いた系統学的分類).もちろん,同種であっても微生物株の有害性を断言できないため,動物実験を行い,黄砂粒子から分離培養された真菌類(ビルカンデラ)をマウスの鼻先に付着する試験で,黄砂粒子に起因するアレルギー疾患が悪化(増悪)する現象を突き止めた(9)9) 市瀬孝道,牧 輝弥:アレルギーの臨床,7月臨時増刊, 34 (2011)..さらに,真菌に含まれるβグルカンとグラム陽性菌のペプチドグリカンが,アレルギーの増悪作用の原因であることも実証した.しかし,これらの成果発表が自らの首を絞めることになったのである.数々の発表論文が目に触れたのか,中国から政府的圧力がかかり,中国敦煌での大気観測を禁じられてしまった.黄砂発生源での試料やデータが入手できないのは痛手である.ただ,「悪いことばかり言われたら,誰でも気を悪くするよなぁ.」と反省もした.
心機一転,風送バイオエアロゾルの良いところを考えようと,先ほどの細菌株の近縁種を見直し,論文を読み返したところ,「食品醗酵」「バイオレメディエーション」および「人工降雪剤」などとヒトにとって有用な細菌種も見つかった(図3図3■大気試料から分離培養した細菌株(244株中40株を使用)の16S rRNA遺伝子塩基配列を用いた系統学的分類).特に,長距離輸送される可能性の高いバチルスサブチリスには,納豆の醗酵能をもつ株も多く含まれ,納豆の生産に欠かせない.動物実験でも良い面が見つかり,エアロゾル試料から得たバチルスの分離株では,アレルギー増悪がなく,むしろアレルギーの程度が軽減されていた結果を思い出した.もしバチルス株が納豆菌であれば,アレルギーが増悪されなくとも不思議ではない.
ただ,納豆菌と同種であることだけでは,分離培養株が納豆醗酵能をもつことにはならない.そこで,能登半島上空3,000 m(珠洲株:Si-37, 41)と立山積雪(立山株:Ti-6)のエアロゾル試料から得たバチルスサブチリス株を使って,実際に納豆を作ってみた.大豆を煮込み,熱い大豆に細菌株の培養を混ぜ,大豆を室温40°Cで保温するだけで納豆はできる.すると試作の保温2日目あたりで,発酵・熟成が進むと,研究室内に納豆の匂いが漂い始めた.できあがった納豆の試作品は,納豆のようにうっすらと白い衣をまとい,弱いながら納豆臭を醸し出していた.大豆をかき混ぜると,細菌株ごとに糸引きの程度が異なり,味も株ごとに違った.珠洲株Si-37と立山株Ti-6の納豆は,よく粘り,糸引きし,通常の納豆らしい味がしたのに対し,珠洲株Si-41では,粘りはあるが糸引きはなく,大豆の甘みが引き立っていた.粘り成分であるポリグルタミン酸の含有量は,糸引きのあった珠洲株Si-37と立山株Ti-6で多く,珠洲株Si-41に比べ,2~3倍の濃度になった.したがって,バチルスサブチリスと同種であっても,株レベルで納豆の醗酵能力は異なると言える.
大豆の発酵食品は,納豆トライアングルと呼ばれる日本,ネパール,インドネシアを結んだ三角地帯で,主に製造・消費されている.特に三角地帯の北部に,バチルスサブチリスで醗酵させた納豆食品が多く見られ,中国雲南省から各地に納豆文化が広がったとする「起源一元論説」と,それぞれ地域別に納豆文化が生じたとする「起源多元論説」とがある(10)10) 横山 智:“納豆の起源”, NHK出版,2014, p. 275..大豆を発酵品する行程で,大陸由来の大気中微生物が食材に混入したと考えると,各地域で別々に大豆醗酵食品が生まれた可能性のほうが高い.太古の日本でも,黄砂で風送された微生物が,食品醗酵に利用され,日本の醗酵食品文化の変遷と歴史にかかわったのかもしれない.
試作を終えた後,試作品を金城納豆食品に持ち込み,当初は怪しがった吉田取締役を仲間に迎え,学生さんには試食を拒否されつつも,研究者仲間だけで試食を続け,商品化に向け試行錯誤を重ねた.そして,完成したのが「そらなっとう」である.現在,石川県内のスーパーで販売中ですので,よろしればご賞味ください.まろやかな空の味がするかもしれません.
Reference
1) 岩坂泰信: “空飛ぶ納豆菌”, PHPサイエンスワールド新書,2012, p. 106.
5) 牧 輝弥,小林史尚,柿川真紀子,鈴木振二,當房 豊,山田 丸,松木 篤,洪 天祥,長谷川 浩,岩坂泰信:エアロゾル研究,25, 35 (2010).
6) 牧 輝弥,青木一真,小林史尚,柿川真紀子,松木 篤,木野恵太,長谷川 浩,岩坂泰信:エアロゾル研究,26, 332 (2011).
8) 牧 輝弥,福島理英,小林史尚,山田 丸,長谷川 浩,岩坂泰信:分析化学,62, 1095 (2013).
9) 市瀬孝道,牧 輝弥:アレルギーの臨床,7月臨時増刊, 34 (2011).
10) 横山 智:“納豆の起源”, NHK出版,2014, p. 275.