Kagaku to Seibutsu 54(5): 299 (2016)
巻頭言
“ノウゲイ・カガク・カ”讃歌
Published: 2016-04-20
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
農芸化学科がほとんどの大学から姿を消してから30年近く経つという.改めて,私の農芸化学科へのノスタルジーを書き綴ってみた.
退屈極まりない受験勉強の世界から解き放たれ,晴れて大学の門をくぐった頃,農芸化学なる学問領域が存在することなど知る由もなかった.そもそも自分は何に興味をもっているのか,何を学ぶべきか,そして何を志すのか,人生の指針と言えるものは微塵もなかった.開放感のなか,ただひたすら名画座巡りをして映画の世界を彷徨い,小説を読みふけり,クラシック音楽に身を浸して時を過ごした.かろうじて興味を感じられる小片を寄せ集めてみると,不思議なことに“ノウゲイ・カガク・カ”という文字が浮かび上がってきた.学部,大学院時代を過ごした農芸化学科にはそんな青春の淡い思い出が常に付きまとう.カ行と濁音が重なる“ノウゲイ・カガク・カ”には甘酸っぱい響きを感じる.
こうして過ごした学生時代に感銘を受けた小説に野上弥生子の「迷路」がある.思う所があり,最近再び手にした.東京帝大出の若き主人公が,第2次世界大戦へと突き進む暗い時代に迷路を彷徨がごとく過ごす様を描いた長編小説(文庫本で上下巻厚さ5センチほど)であるが,第1章は「五月祭」で始まる.小説の筆頭で,久しぶりに母校を訪ねた主人公が構内で出会うのが,親友の“農化学実験所にいる小田健”である.二人して弥生門を出て小田の研究室へと向かう.正確な表記はしていないが,紛れもなく農芸化学科なのである.小説の中で小田は戦地へ赴く前に自殺とも思える非業の死を遂げる.今でも弥生キャンパスを歩いていると,農芸化学科の先輩である小田健が白衣に身を包み,研究室へと急ぐ後ろ姿にふと出会うことがある.70年続いた平和な世の中が,このまま何事もなく続いてくれることを切に願わざるをえない,そんな不安な気持ちが年甲斐もなくヘビーな古典的小説を読み返す機会を作ってくれた.小説の世界では“ノウゲイ・カガク・カ”(農化学)は永久に不滅だ.
2016年初頭に2015年を振り返ったとき,最も印象深かった出来事はW杯ラグビーでの南アフリカ戦勝利である.エディ・ジョーンズ監督は,他国に比べて体格,体力で劣る日本チームにハードワークを課して基礎体力強化を図った.前半は接戦をしても,結局体力が続かず後半に大差をつけられてしまうという負け癖を排し,体力強化により後半も互角に戦えるという「カルチャー」を選手に叩き込んだと言う.南アフリカ戦ではノーサイドまであとワンプレイの時点で,スタジアムにいる監督は同点ペナルティーゴールを望んでいた.しかしグランドでプレイする選手たちは相手選手の体力の落ち込みを実感し,無謀にも逆転トライを選択した.監督の目指した意識変革の「カルチャー」がまさしく具現化した震える瞬間である! こうして番狂わせの歴史的勝利を日本チームは勝ち取った.どんな小さな組織にも,そこにはカルチャーがある.健全で有意義なカルチャーを確立するには相当な時間を要する.同時に,確立したカルチャーを継承していくには相応の努力と気構えが要求される.学会名だけに残った感のある農芸化学であるが,その底流をなす,生命現象を化学的に解析し,その有用機能を応用展開する「カルチャー」が毅然と維持される限り,1万人を超す集合体としての日本農芸化学会は機能を果たしうると信じたい.ただし日本チームのように,その「カルチャー」を共有し,育んでいく努力を惜しまないことは言うまでもないことであろう.