Kagaku to Seibutsu 54(5): 300-302 (2016)
今日の話題
揮発性成分プロファイリングで香りのより良い農産物を育種する育種効率化を目指す香気成分マーカーの探索
Published: 2016-04-20
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
近年,スーパーマーケットの野菜売り場ではバラエティに富んだ品種が販売されており,消費者の購入選択肢の広がりが感じられる.これら品種の充実はブリーダーによる品種交配の苦労のたまものであるが,品種選抜には対象作物への莫大な知識を要求されるだけでなく,数万~数十万に及ぶ交配組み合わせから候補を絞っていくため長い年月を必要とする.そのため,育種の効率化を目的とした研究はさまざまな分野で行われているが,本稿では成分分析をメインとする品質評価を担う研究者の立場からニンジン(Daucus carota L.)を題材として,新しい育種の方向性や可能性について議論したい.
ニンジンは独特の香味を有するアフガニスタン原産の野菜であり,日本では北海道や千葉県,徳島県などで約60万トン(2013年)が生産されている.ニンジンの育種は20世紀の早い時期から日本を含め世界各地で盛んに行われている(1)1) P. W. Simon: “Plant Breeding Reviews 19: Domestication, historical development, and modern breeding of carrot.” Wiley, 2000, pp. 157–190..ニンジンに限らず農産物の育種戦略は,病害抵抗性と多収量性が第一義であるが,近年では栄養素や見た目,あるいは風味といった品質面にフォーカスした品種選抜もなされてきている.なかでも味や香りは消費者の嗜好に直接的にかかわることから非常に重要な因子といえる.ここで,もしニンジンの香りに強い影響を与える香り成分を把握することができれば,成分マーカーとして含量を基に選抜をすることが可能となる.そこで本稿では官能評価により数値化したニンジンの香りと成分測定値との関連性を見いだす(図1図1■複数品種のニンジンに対して,香りの官能評価と揮発性成分のGC/MS分析を行う),新しい農産物の育種への活用方法について紹介したい.
代謝物プロファイリング手法(メタボロミクス)は対象サンプルの成分を網羅的に観察することができ,医療・環境・エネルギー・食品といったさまざまな分野で用いられている(2)2) O. Fiehn: Plant Mol. Biol., 48, 155 (2002)..一方,農産物や食品の香りは単一の香り成分ではなく多くの揮発性成分の絶妙なバランスを基にして,その香りたらしめていることがわかっており,より多くの成分を解析対象とすることが望まれる.よって,今回は複数品種のニンジンの揮発性成分を対象としてガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)を用いたメタボロミクス手法により成分を網羅的に分析・解析し,香りに強く貢献する成分を探索した.揮発性成分のサンプリング方法は古くから用いられている溶媒抽出法や蒸留法などが挙げられるが,筆者らはTwister(ゲステル)を用いたヘッドスペースサンプリング法を用いた(3)3) B. Tienpont, F. David, C. Bicchi & P. Sandra: J. Microcolumn Sep., 12, 577 (2000)..この方法は試料を設置したヘッドスペース(密閉空間)において,吸着液相であるジメチルポリシロキサン(PDMS)をコーティングした撹拌子であるTwisterを一定時間暴露した後,GC試料注入部に直接Twisterを挿入し,吸着した成分を熱脱着することにより分析する.ここで,PDMSは無極性成分と強度な親和性を示すが,ニンジンの主要な揮発性成分であるテルペン炭化水素類も低極性であるため高効率な成分収集が可能であり,より実際の香りに近い成分情報が得られることが期待できる.これによりモノテルペン・セスキテルペンを主とした43の揮発性成分が定性・定量され,解析対象とした.
一方,目的変数である香りの官能評価はトレーニングを受けた複数のパネルにより行った.近年は科学的な議論に耐えうるさまざまな官能評価法が開発されているが,今回は特徴を項目化し,定量的に評価する定量的記述分析法(QDA法)を用いた(4)4) M. Meilgaard, G. V. Civille & B. T. Carr: “Sensory evaluation techniques, fourth edition.” CRC Press Inc., 2006..結果としてパネルの合意により8つの言葉がニンジンの香りを特徴づける項目として抽出された.これらすべての項目について官能評価を実施したところ,7つの特性について品種間における有意な差(p<0.05)が検出された.
本研究の目的はニンジンの香り特性に対して貢献度の高い成分を探索することであるため,香りの評価値を目的変数,成分分析結果を従属変数としてPLS回帰分析を行った.PLS回帰分析は重回帰分析などと同じ多変量回帰分析の一手法であるが,変数間の相関や変数の項目数などに制約がある重回帰分析と異なり適用範囲の広い強力な解析法である.実際にPLS回帰分析によりそれぞれの香りの官能評価値(y)と43の揮発性成分定量値(x)の関連性について解析した結果,8つの項目のうち「インクのような」香りが最も高い関連性が得られた.ちなみに「インクのような」香りは「全体的なニンジン臭さ」と強い相関がある項目であり“いわゆるニンジン臭さ”と近いイメージを持ってもらっても実験結果とのかい離は大きくない.
では,測定した43の揮発性成分の中でどれが「インクのような」に寄与の高い成分なのであろうか.PLS回帰分析の結果から香りへの貢献度を数値化した結果,サビネンや酢酸ボルニルなどの主にモノテルペン類が高く寄与していることが明らかとなった(表1表1■「インクのような」香りに対する貢献成分).すなわち,これらの成分をマーカーとしてモニタリングすれば,育種途中の交配産物に対してもある程度「インクのような」香りを予測することができることが明らかとなった.今回は紙面の関係上,「インクのような」についてのみ記載したが当然同じ方法でほかの香り項目の強度と関連づけることが可能である.
成分 | 貢献度(VIP値) |
---|---|
サビネン | 2.901 |
ボルニルアセテート | 2.372 |
テルピノレン | 2.171 |
β-ミルセン | 2.078 |
γ-テルピネン | 1.814 |
Volatile_24 | 1.399 |
α-テルピネン | 1.276 |
β-ピネン | 1.174 |
ボルネオール | 1.062 |
本稿では成分分析をいかに農産物の育種へ活用するかということについて紹介した.本研究により官能評価によって得られた香り特性を指標として成分マーカーとなりうる高度寄与成分を見いだしたが(5)5) T. Fukuda, K. Okazaki & T. Shinano: J. Food Sci., 78, S1800 (2013).,指標は定量的なデータであればいかなる形質に対しても適応が可能である.実際に農業王国オランダでは育種現場での活用を目論み,トマトの香りに対して成分を特定しDNAマーカーに落とし込んだ報告も見られる(6)6) Y. Tikunov, J. Molthoff, R. C. de Vos, J. Beekwilder, A. van Houwelingen, J. J. van der Hooft, M. Nijenhuis-de Vries, C. W. Labrie, W. Verkerke, H. van de Geest et al.: Plant Cell, 25, 3067 (2013)..このようなツールの開発は莫大な種類の交配組合わせに対する官能評価にかかる労力を低減することから,育種の効率化にも貢献できる可能性を有する.近年のライフスタイルの複雑化に伴い,食料消費は量的拡大から質的向上へシフトし,ますます食の価値観に対する高度化・多様化が求められていくと考えられる.社会ニーズが目まぐるしく変わる中で,本研究が未来の新しい食品素材を提供する農産物の育種における効率化・迅速化に向けた取り組みに対して役立てられれば幸いである.
Reference
1) P. W. Simon: “Plant Breeding Reviews 19: Domestication, historical development, and modern breeding of carrot.” Wiley, 2000, pp. 157–190.
2) O. Fiehn: Plant Mol. Biol., 48, 155 (2002).
3) B. Tienpont, F. David, C. Bicchi & P. Sandra: J. Microcolumn Sep., 12, 577 (2000).
4) M. Meilgaard, G. V. Civille & B. T. Carr: “Sensory evaluation techniques, fourth edition.” CRC Press Inc., 2006.
5) T. Fukuda, K. Okazaki & T. Shinano: J. Food Sci., 78, S1800 (2013).