セミナー室

蝶や蛾の擬態模様の遺伝的基盤とその進化

Takao K. Suzuki

鈴木 誉保

農業・食品産業技術総合研究機構

Published: 2016-04-20

はじめに

蝶や蛾の翅の模様は多様に富み,特に枯葉や樹皮などへの擬態模様は多くの人々を魅了してきた(1)1) 海野和男:“自然のだまし絵 昆虫の擬態:進化が生んだ驚異の姿”,誠文堂新光社,2015..ダーウィン(Charles Robert Darwin)とウォレス(Alfred Russel Wallace)により始まる進化生物学において,生物のかたちや模様の多様性は進化による産物であると説明される.擬態は自然選択による進化を検証するための恰好の対象であり,その価値は現在でも変わらず重要である(2)2) 藤原晴彦:“だましのテクニックの進化—昆虫の擬態の不思議—”,オーム社,2015..擬態には,実にさまざまな戦略がある.代表的なものとして,背景に隠れる隠蔽擬態(crypsis),枯葉や枝などの自然物をそっくりまねる扮装擬態(masquerade),目立つ色や斑紋で注意を促す警告擬態(aposematism),毒をもった別種に似せるベーツ擬態(Batesian mimicry),毒をもった種どうしで似せあうミュラー擬態(Müllerian mimicry)などが挙げられる.21世紀になり分子生物学に関連した技術が大きく進展し,また計算機技術の大規模化により,擬態模様がどのように形成されるのか,あるいは,どのように進化してきたのかが解明されつつある.本稿では,それぞれの擬態戦略ごとに代表的な蝶や蛾の翅の模様を題材にして,現在進んでいる研究を紹介したい.特に,擬態していることが実験的にどのように証明されたのか,またその遺伝子的基盤はどのようなものなのかについて焦点をあてたい.

背景に溶け込む隠蔽擬態:オオシモフリエダシャク

背景にすっかり溶け込んでしまい,捕食者が見つけられなくなってしまう戦略がある.隠蔽擬態と呼ばれる適応戦略である.シャクガ科の蛾であるオオシモフリエダシャク(大霜降り枝尺;Biston betularia)の翅の模様は,隠蔽擬態の代表例として知られている(3)3) L. M. Cook & I. J. Saccheri: Heredity, 110, 207 (2013).図1図1■オオシモフリエダシャク).この蛾の翅は白色の下地に黒色の小さな紋が散った模様をしたものが大部分であり,ごくごく一部に翅全体が黒くなった個体が見られた.ところが,イギリスが産業革命期に入ると,工業地帯では黒色個体が多数出現し年々増加する現象が確認され始めた.この現象は,工業暗化として知られる.同じ個体の色が白色から黒色へと変わったのではなく,世代を経ながら集団内での頻度が変化して黒色個体が多くなったことに起因している.この頻度変化は,工業の発達により黒くすすけた樹木が増加したために黒色個体がより隠れやすくなったからだという研究成果が発表された.しかし,この報告への反駁も発表されるなど,黒色個体の増加が果たして本当に隠蔽擬態によるものか否かについて長い論争が続いた.現在では,隠蔽擬態だけが原因であるとは言い切れないが,隠蔽擬態も関係していることがほぼ証明されている(といって良いだろう).

図1■オオシモフリエダシャク

(ア)Biston betularia betularia morpha typica,(イ)Biston betularia betularia morpha carbonaria.写真はOlaf Leillinger氏により撮影.wikipediaより一部改変して転載.CC-BY-SA-2.5

さて,この黒色模様はどのような遺伝子により作りだされているのだろうか? イギリスの研究チームは,ショウジョウバエやアゲハチョウといったほかの昆虫の黒色形成遺伝子を調べた研究を手がかりとして,これらの遺伝子がオオシモフリエダシャクの翅でも利用されているかどうかを調べた.残念ながら,いずれの遺伝子も利用されていないことがわかった.一方,同じ研究チームは黒色模様の形成に関与しているゲノム領域の同定に成功した.興味深いことに,このゲノム領域は,ジャノメチョウの目玉模様の形成,カイコ変異体の翅の模様異常の形成,ドクチョウのミュラー擬態模様の形成などさまざまな擬態模様に広くかかわりがあることがわかってきた(4)4) K. Ito, S. Katsuma, S. Kuwazaki, A. Jouraku, T. Fujimoto, K. Sahara, Y. Yasukochi, K. Yamamoto, H. Tabunoki, T. Yokoyama et al.: Heredity, 116, 52 (2016)..このゲノム領域は,蝶や蛾の翅の模様の色の制御に重要な働きをしていると推察される.このゲノム領域にひそむ遺伝子制御機構の解明は,隠蔽擬態を含めた蝶や蛾の模様の多様性を解く重要なカギになると期待される.

目玉模様で捕食者を驚かす警告模様:ジャノメチョウ

目立つ色をまとったり,注意をひく斑紋を呈したりすることで,捕食者からの致命的な攻撃を避ける戦略がある.蝶の翅に広く見られる目玉模様はその典型例といって良いだろう(5)5) A. Monteiro: Annu. Rev. Entomol., 60, 253 (2015)..この目玉模様が捕食者である鳥を驚かせる役割をしていることは,実際の鳥を用いた実験により証明されている(※すべての目玉模様で証明されたわけではないので注意されたい).

この目玉模様がどのような遺伝子のはたらきにより形成されているのかは,非常によく研究が進んでいる.1994年に,ショーン・キャロルらの研究グループは世界にさきがけてアメリカタテハモドキ(アメリカ立羽擬;Junonia coenia)の目玉模様の分子生物学的な研究に取り組んだ.次いで,1996年にはポール・ブレイクフィールドらの研究グループにより,ジャノメチョウ(蛇の目蝶;Bicyclus anynana)の目玉模様の研究が進められた(図2図2■Bicyclus anynana. ).目玉模様は三重の同心円構造をしており,そのそれぞれに対応するように遺伝子群が発現していることがわかった(6)6) C. R. Brunetti, J. E. Selegue, A. Monteiro, V. French, P. M. Brakefield & S. B. Carroll: Curr. Biol., 11, 1578 (2001)..興味深いことに,これらの遺伝子群はほかの動物の体づくりで汎用的に利用されている遺伝子群であり,目玉模様を形成するために特別に獲得した遺伝子は現在のところ見つかっていない.どうやら同じ遺伝子を使い回しても,いろいろな模様やかたちを作りだせるようだ.

図2■Bicyclus anynana.

写真はGilles San Martin氏により撮影.wikipediaより一部改変して転載.CC-BY-SA-3.0

蝶の目玉模様はいつごろ出現したのだろうか? 2012年にアントニア・モンテイロらの研究チームにより複数の蝶で目玉模様がどのような遺伝子で形成されるのかが調べられ,その進化について興味深い結果が得られた(7)7) J. C. Oliver, X.-L. Tong, L. F. Gall, W. H. Piel & A. Monteiro: PLoS Genet., 8, e1002893 (2012)..非常に近縁の種であっても全く同じように目玉模様が作られているわけではなく,engrailed, notch, spalt, distal-lessの4つの遺伝子のうちいずれかを使っているものの,種によってどの遺伝子を使っているかが異なっていることがわかった.さらに興味深いことに,タテハチョウ科以外の蝶2種(Parnassius apollo, Lycaena phlaeas)のスポットパターン(目玉模様のような模様をしている)の遺伝子発現を調べたところ,これら4つの遺伝子のいずれも利用していないことがわかった.以上の結果は目玉模様といっても,タテハチョウ科の蝶とそれ以外の蝶のものでは由来が異なる可能性があり,少なくともタテハチョウ科に見られる目玉模様はこの系統において新規に獲得されたものであると,彼女らは主張している.今後の進展が待ち望まれる.

毒をもつ種に似せるベーツ擬態:シロオビアゲハ

毒を体内にもった動物は,捕食者に不味いことを学習されることで,食べられにくくなり生存の確率が高くなる.そこで,毒をもっていない種が毒をもっている種のかたちや模様を真似ることで,捕食者からの攻撃を避けようとする戦略が生まれた.この現象は,発見者であるヘンリー・ウォルター・ベーツの名にちなんでベーツ擬態と呼ばれる.ベーツ擬態をする蝶としてアゲハチョウ科の蝶であるシロオビアゲハ(白帯揚羽;Papilio polytes)が知られる(2)2) 藤原晴彦:“だましのテクニックの進化—昆虫の擬態の不思議—”,オーム社,2015.図3図3■シロオビアゲハ(♀)の擬態(ア)).シロオビアゲハの雌は2種類の翅の模様を示し,一方には後翅に紅色の斑紋を示す.この紅紋を作りだすことでベニモンアゲハ(紅紋揚羽;Pachiliopta aristrochiae)の模様を真似ていることがわかっている(図3図3■シロオビアゲハ(♀)の擬態(イ)).ベニモンアゲハは,幼虫期にウマノスズクサ類からアルカロイドであるアリストロキア酸を取り込んで体内に毒をため込む.成虫期の翅に呈示される紅色の紋は捕食者に注意を促す警戒色である.シロオビアゲハは,幼虫期にミカン類を食草とし体内に毒をため込んでいない無毒種である.しかし,成虫期の翅に紅紋を呈示することで,捕食者にたいしてあたかも自身が毒をもっている種であるかのように誤解させ,自身の生存率を高めていることがわかっている.