セミナー室

蝶や蛾の擬態模様の遺伝的基盤とその進化

Takao K. Suzuki

鈴木 誉保

農業・食品産業技術総合研究機構

Published: 2016-04-20

はじめに

蝶や蛾の翅の模様は多様に富み,特に枯葉や樹皮などへの擬態模様は多くの人々を魅了してきた(1)1) 海野和男:“自然のだまし絵 昆虫の擬態:進化が生んだ驚異の姿”,誠文堂新光社,2015..ダーウィン(Charles Robert Darwin)とウォレス(Alfred Russel Wallace)により始まる進化生物学において,生物のかたちや模様の多様性は進化による産物であると説明される.擬態は自然選択による進化を検証するための恰好の対象であり,その価値は現在でも変わらず重要である(2)2) 藤原晴彦:“だましのテクニックの進化—昆虫の擬態の不思議—”,オーム社,2015..擬態には,実にさまざまな戦略がある.代表的なものとして,背景に隠れる隠蔽擬態(crypsis),枯葉や枝などの自然物をそっくりまねる扮装擬態(masquerade),目立つ色や斑紋で注意を促す警告擬態(aposematism),毒をもった別種に似せるベーツ擬態(Batesian mimicry),毒をもった種どうしで似せあうミュラー擬態(Müllerian mimicry)などが挙げられる.21世紀になり分子生物学に関連した技術が大きく進展し,また計算機技術の大規模化により,擬態模様がどのように形成されるのか,あるいは,どのように進化してきたのかが解明されつつある.本稿では,それぞれの擬態戦略ごとに代表的な蝶や蛾の翅の模様を題材にして,現在進んでいる研究を紹介したい.特に,擬態していることが実験的にどのように証明されたのか,またその遺伝子的基盤はどのようなものなのかについて焦点をあてたい.

背景に溶け込む隠蔽擬態:オオシモフリエダシャク

背景にすっかり溶け込んでしまい,捕食者が見つけられなくなってしまう戦略がある.隠蔽擬態と呼ばれる適応戦略である.シャクガ科の蛾であるオオシモフリエダシャク(大霜降り枝尺;Biston betularia)の翅の模様は,隠蔽擬態の代表例として知られている(3)3) L. M. Cook & I. J. Saccheri: Heredity, 110, 207 (2013).図1図1■オオシモフリエダシャク).この蛾の翅は白色の下地に黒色の小さな紋が散った模様をしたものが大部分であり,ごくごく一部に翅全体が黒くなった個体が見られた.ところが,イギリスが産業革命期に入ると,工業地帯では黒色個体が多数出現し年々増加する現象が確認され始めた.この現象は,工業暗化として知られる.同じ個体の色が白色から黒色へと変わったのではなく,世代を経ながら集団内での頻度が変化して黒色個体が多くなったことに起因している.この頻度変化は,工業の発達により黒くすすけた樹木が増加したために黒色個体がより隠れやすくなったからだという研究成果が発表された.しかし,この報告への反駁も発表されるなど,黒色個体の増加が果たして本当に隠蔽擬態によるものか否かについて長い論争が続いた.現在では,隠蔽擬態だけが原因であるとは言い切れないが,隠蔽擬態も関係していることがほぼ証明されている(といって良いだろう).

図1■オオシモフリエダシャク

(ア)Biston betularia betularia morpha typica,(イ)Biston betularia betularia morpha carbonaria.写真はOlaf Leillinger氏により撮影.wikipediaより一部改変して転載.CC-BY-SA-2.5

さて,この黒色模様はどのような遺伝子により作りだされているのだろうか? イギリスの研究チームは,ショウジョウバエやアゲハチョウといったほかの昆虫の黒色形成遺伝子を調べた研究を手がかりとして,これらの遺伝子がオオシモフリエダシャクの翅でも利用されているかどうかを調べた.残念ながら,いずれの遺伝子も利用されていないことがわかった.一方,同じ研究チームは黒色模様の形成に関与しているゲノム領域の同定に成功した.興味深いことに,このゲノム領域は,ジャノメチョウの目玉模様の形成,カイコ変異体の翅の模様異常の形成,ドクチョウのミュラー擬態模様の形成などさまざまな擬態模様に広くかかわりがあることがわかってきた(4)4) K. Ito, S. Katsuma, S. Kuwazaki, A. Jouraku, T. Fujimoto, K. Sahara, Y. Yasukochi, K. Yamamoto, H. Tabunoki, T. Yokoyama et al.: Heredity, 116, 52 (2016)..このゲノム領域は,蝶や蛾の翅の模様の色の制御に重要な働きをしていると推察される.このゲノム領域にひそむ遺伝子制御機構の解明は,隠蔽擬態を含めた蝶や蛾の模様の多様性を解く重要なカギになると期待される.

目玉模様で捕食者を驚かす警告模様:ジャノメチョウ

目立つ色をまとったり,注意をひく斑紋を呈したりすることで,捕食者からの致命的な攻撃を避ける戦略がある.蝶の翅に広く見られる目玉模様はその典型例といって良いだろう(5)5) A. Monteiro: Annu. Rev. Entomol., 60, 253 (2015)..この目玉模様が捕食者である鳥を驚かせる役割をしていることは,実際の鳥を用いた実験により証明されている(※すべての目玉模様で証明されたわけではないので注意されたい).

この目玉模様がどのような遺伝子のはたらきにより形成されているのかは,非常によく研究が進んでいる.1994年に,ショーン・キャロルらの研究グループは世界にさきがけてアメリカタテハモドキ(アメリカ立羽擬;Junonia coenia)の目玉模様の分子生物学的な研究に取り組んだ.次いで,1996年にはポール・ブレイクフィールドらの研究グループにより,ジャノメチョウ(蛇の目蝶;Bicyclus anynana)の目玉模様の研究が進められた(図2図2■Bicyclus anynana. ).目玉模様は三重の同心円構造をしており,そのそれぞれに対応するように遺伝子群が発現していることがわかった(6)6) C. R. Brunetti, J. E. Selegue, A. Monteiro, V. French, P. M. Brakefield & S. B. Carroll: Curr. Biol., 11, 1578 (2001)..興味深いことに,これらの遺伝子群はほかの動物の体づくりで汎用的に利用されている遺伝子群であり,目玉模様を形成するために特別に獲得した遺伝子は現在のところ見つかっていない.どうやら同じ遺伝子を使い回しても,いろいろな模様やかたちを作りだせるようだ.

図2■Bicyclus anynana.

写真はGilles San Martin氏により撮影.wikipediaより一部改変して転載.CC-BY-SA-3.0

蝶の目玉模様はいつごろ出現したのだろうか? 2012年にアントニア・モンテイロらの研究チームにより複数の蝶で目玉模様がどのような遺伝子で形成されるのかが調べられ,その進化について興味深い結果が得られた(7)7) J. C. Oliver, X.-L. Tong, L. F. Gall, W. H. Piel & A. Monteiro: PLoS Genet., 8, e1002893 (2012)..非常に近縁の種であっても全く同じように目玉模様が作られているわけではなく,engrailed, notch, spalt, distal-lessの4つの遺伝子のうちいずれかを使っているものの,種によってどの遺伝子を使っているかが異なっていることがわかった.さらに興味深いことに,タテハチョウ科以外の蝶2種(Parnassius apollo, Lycaena phlaeas)のスポットパターン(目玉模様のような模様をしている)の遺伝子発現を調べたところ,これら4つの遺伝子のいずれも利用していないことがわかった.以上の結果は目玉模様といっても,タテハチョウ科の蝶とそれ以外の蝶のものでは由来が異なる可能性があり,少なくともタテハチョウ科に見られる目玉模様はこの系統において新規に獲得されたものであると,彼女らは主張している.今後の進展が待ち望まれる.

毒をもつ種に似せるベーツ擬態:シロオビアゲハ

毒を体内にもった動物は,捕食者に不味いことを学習されることで,食べられにくくなり生存の確率が高くなる.そこで,毒をもっていない種が毒をもっている種のかたちや模様を真似ることで,捕食者からの攻撃を避けようとする戦略が生まれた.この現象は,発見者であるヘンリー・ウォルター・ベーツの名にちなんでベーツ擬態と呼ばれる.ベーツ擬態をする蝶としてアゲハチョウ科の蝶であるシロオビアゲハ(白帯揚羽;Papilio polytes)が知られる(2)2) 藤原晴彦:“だましのテクニックの進化—昆虫の擬態の不思議—”,オーム社,2015.図3図3■シロオビアゲハ(♀)の擬態(ア)).シロオビアゲハの雌は2種類の翅の模様を示し,一方には後翅に紅色の斑紋を示す.この紅紋を作りだすことでベニモンアゲハ(紅紋揚羽;Pachiliopta aristrochiae)の模様を真似ていることがわかっている(図3図3■シロオビアゲハ(♀)の擬態(イ)).ベニモンアゲハは,幼虫期にウマノスズクサ類からアルカロイドであるアリストロキア酸を取り込んで体内に毒をため込む.成虫期の翅に呈示される紅色の紋は捕食者に注意を促す警戒色である.シロオビアゲハは,幼虫期にミカン類を食草とし体内に毒をため込んでいない無毒種である.しかし,成虫期の翅に紅紋を呈示することで,捕食者にたいしてあたかも自身が毒をもっている種であるかのように誤解させ,自身の生存率を高めていることがわかっている.

図3■シロオビアゲハ(♀)の擬態

(ア)Papilio polytes, female, stichius form, (イ)Pachiliopta aristrochiae, male. 写真(ア)はViren Vaz氏により撮影.CC-BY-SA-2.5.写真(イ)はDidier Descouens氏により撮影.CC-BY-SA-3.0.両写真ともwikipediaより一部改変して転載.

さて,シロオビアゲハの紅紋はどのような遺伝子によって生みだされているのだろうか? KunteとKronfrostらの研究チームは,次世代シークエンス技術を駆使することによって,紅紋を作りだす原因遺伝子にdoublesex遺伝子が関与していることを発見した(8)8) K. Kunte, W. Zhang, A. Tenger-Trolander, D. H. Palmer, A. Martin, R. D. Reed, S. P. Mullen & M. R. Kronforst: Nature, 507, 229 (2014)..しかし,彼らの研究ではdoublesex遺伝子が翅でどのような発現パターンをしているかを示したのみであり,doublesex遺伝子を欠損させると紅紋が消失するのか否かは全く調べられておらず片手落ちであった.藤原晴彦先生の研究グループは,これらに丁寧な解析を加えられ,さらに逆位というゲノム構造がベーツ擬態の進化に重要な役割を果たしていることを解明された(9)9) H. Nishikawa, T. Iijima, R. Kajitani, J. Yamaguchi, T. Ando, Y. Suzuki, S. Sugano, A. Fujiyama, S. Kosugi, H. Hirakawa et al.: Nat. Genet., 47, 405 (2015)..まずdoublesex遺伝子を欠損させると,紅紋が失われ,雄と同じ通常型の模様になることを明確に示された.さらにシロオビアゲハの全ゲノム配列を解読し,doublesex遺伝子がH遺伝子座と呼ばれるゲノム領域に存在していることとつきとめた.興味深いことに,このH遺伝子座は逆位を起こしており,ほかのアゲハチョウのゲノムと比較してゲノムが逆向きになっていることを見つけた.逆位をしているゲノム領域はゲノムの複製のときに組換えが起こりにくいことがしられており,したがって紅紋を失いにくい仕組みが備わっていると推察される.今後の進展が楽しみである.

毒をもった種どうしが互いに似せあうミュラー擬態:ドクチョウ

毒を体内にもった動物を真似るというベーツ擬態があるならば,毒をもっている複数の種が互いに模様を似せあうことで捕食者から逃れるという擬態も存在する.この現象は発見者であるフリッツ・ミュラーの名にちなんでミュラー擬態と呼ばれる.ミュラー擬態の代表例として,ドクチョウ(毒蝶;Heliconius)属の蝶が挙げられる(10, 11)10) R. M. Merrill, K. K. Dasmahapatra, J. W. Davey, D. D. Dell'Aglio, J. J. Hanly, B. Huber, C. D. Jiggins, M. Joron, K. M. Kozak, V. Llaurens et al.: J. Evol. Biol., 28, 1417 (2015).11) A. Meyer: PLoS Biol., 4, e341 (2006).図4図4■ドクチョウの擬態).ミュラー擬態はこのドクチョウで発見された現象であるが,現在では多くの動物がこの戦略をとることがわかっている.

図4■ドクチョウの擬態

Meyer Aによる文献11より一部改変して転載.CC-BY

ドクチョウの翅の模様がミュラー擬態をしているか否かについては,いくつかの実験により証明されている.ドクチョウの翅は黒地に赤色を配した模様を呈しており,とても目立つ.捕食者の鳥は以前に食べたドクチョウの不味さ(体内に蓄えた毒成分のため)とその目立つ模様を結びつけて学習し,徐々にドクチョウを口にすることが少なくなるとされる.そこで,以前にドクチョウを食べた経験を学習して次に見ただけで食べるのを避けるかどうかが実験された.人工室内での実験でも,野外での観察でも,実際に鳥がドクチョウを食べる率が低下したことが確認されている.また,人工的にドクチョウの模様に似せた模型をつくり,それをドクチョウが住んでいる地域に設置したところ,捕食者である鳥により狙われる率がほかの地域でのものよりも低かったことも示された.これらの実験より,ドクチョウの模様は捕食者から逃れるのに役立っていると推察されている.

ドクチョウの翅の模様はどのような遺伝子によって作りだされているのだろうか? 候補遺伝子の一つとして,optix遺伝子が同定されている.optix遺伝子は,赤色の斑紋づくりに強く関与していることが示唆された(12)12) R. D. Reed, R. Papa, A. Martin, H. M. Hines, B. A. Counterman, C. Pardo-Diaz, C. D. Jiggins, N. L. Chamberlain, M. R. Kronforst, R. Chen et al.: Science, 333, 1137 (2011)..なぜoptix遺伝子が常に自然選択の標的となるのかは,よくわかっていない.赤色斑紋が形成される位置は種によって異なるが,これはどのようにして決まっているのだろうか? さらに研究が進められ,ドクチョウの模様形成にwntA遺伝子が関与していることが示された.複数のHeliconius属の蝶で調べられたところ,黒色斑紋部分にwntAの発現が見られた.さらに,ヘパリンによってwntAの拡散を促進したところ黒色斑紋の領域が拡大したことから,wntA遺伝子が黒色斑紋の形成に関与していることが強く示された.また,Heliconius属間で黒色斑紋の領域の広さの違いを生み出すために,wntA遺伝子の発現量の調節が利用されている可能性が示唆された(13)13) A. Martin, R. Papa, N. J. Nadeau, R. I. Hill, B. A. Counterman, G. Halder, C. D. Jiggins, M. R. Kronforst, A. D. Long, W. O. McMillan et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 109, 12632 (2012).optix遺伝子とwntA遺伝子は排他的な関係にあるように発現しており,両者には何らかの相互作用関係があるものと推察されるがどのような分子メカニズムが背景にあるのかは明らかとなっていない.今後ますます重要な発見が相次ぐと期待される.

翅の模様の基本設計図:グラウンドプラン

擬態模様も含めて蝶や蛾は実にさまざまな模様を呈している.この多様な模様は行き当たりばったりに進化してきたのだろうか? あるいは,何か共通のルールに従って進化してきたのだろうか? 20世紀の初めに形態学者たちはこの問題に取り組み,一見すると自由自在に進化してきたようにみえる蝶や蛾の翅の模様にも普遍則が存在していることを見いだした(14)14) H. F. Nijhout: “The Development and Evolution of Butterfly Wing Patterns,” Smithson. Inst. Press, 1991..1924年にSchwanwichにより,1927年にSüffertにより独立に発見されたこの普遍側は,グラウンドプラン(Nymphalid Ground Plan)と名づけられた(図5図5■蝶と蛾の翅の模様のグラウンドプラン(ア)).蛾のグラウンドプランは,3つの対称系(Basal symmetry system(B),Central symmetry system(C),Border symmetry system(BO))と3つの要素(Discal spot(DS),Root(R),Marginal and submarginal bands(M))からなる.蝶のグラウンドプランは,蛾のグラウンドプランに眼状紋(Eye spots(ESs))が加わる.どんなに複雑な模様であっても,これらの模様要素を変形することによって生みだされるというのだ.一例を挙げてみよう.図5図5■蝶と蛾の翅の模様のグラウンドプラン(イ)は,ヤガ科の蛾であるアカエグリバ(Oraesia excavata)である.枯葉にそっくりな翅の模様をしており,葉脈模様さえをも模している.筆者の研究により,この翅の模様もグラウンドプランに従っていることが示された(15)15) T. K. Suzuki: BMC Evol. Biol., 13, 158 (2013).

図5■蝶と蛾の翅の模様のグラウンドプラン

(ア)グラウンドプラン,(イ)アカエグリバ(Oraesia excavata)とそのグラウンドプラン.文献15, 20より一部改変して転載.

グラウンドプランはどのような遺伝子によって形成されているのだろうか? その取り組みが始まりつつある.2010年に4種の蝶や蛾(Junonia coenia, Limenitis arthemis, Spodoptera omithogalli, Ephestia kuehniella)について調べられ,wingless遺伝子とaristaless遺伝子が関与していることが示唆された(16)16) A. Martin & R. D. Reed: Mol. Biol. Evol., 27, 2864 (2010)..しかし,これらの実験は翅原基にて模様に似た(ように見える)パターンで発現していることを主として調べたのみであり,その遺伝子のはたらきを抑制すると模様が形成されなくなることなどを検証した実験を欠いており,確証が得られた結果とみなしてよいかどうかの判断はなかなか難しい.2014年にタテハチョウ科の蝶4種(Euphydryas chalcedona, Junonia coenia, Vanessa cardui, Agraulis vanillae)についてwntA遺伝子が関与していることが示唆された(17)17) A. Martin & R. D. Reed: Dev. Biol., 395, 367 (2014)..また,Euphydryas chalcedona 1種での結果ではあるが,wnt6 遺伝子とwnt10 遺伝子が関与しうることも示唆された.加えて,ヘパリンによりwnt系遺伝子発現を促進する実験を行い,またデキストランにより抑制する実験を行って,模様形成にWNT系遺伝子が関与していることを強く示した.WNT系遺伝子は細胞外に分泌される拡散性タンパク質(モルフォゲン)であることが知られているため,パターン形成における位置情報の生成に重要な役割を担っていることが推察される.wntA遺伝子はドクチョウの翅の黒色斑紋の形成にもかかわっていることがわかっているが(上述),この黒色斑紋がグラウンドプランの要素に相当するのかどうかはよくわかっていない.近年では,次世代シークエンス技術といった新しい技術も大いに進展しつつあり,さまざまな蝶や蛾の遺伝子を同定できるようになりつつある.いずれにしても,今後グラウンドプランの分子生物学による取り組みが期待される.

葉脈模様さえをも模した扮装擬態:コノハチョウ

枯葉や枝など自然物にそっくりに化ける擬態は古くから多くの人を魅了してきた.この擬態を扮装擬態という.さて,これまでの章で解説したように,いろいろな擬態の研究が進んでいる一方で,扮装擬態については全くといってよいほど研究が進んでこなかった.実際に,2004年に出版されたレビュー本では,扮装擬態については僅か数ページしか記述がなく「有名であるにもかかわらずほとんど研究は進んでいない」とさえ書かれている(18)18) G. D. Ruxton, T. N. Sherratt & M. P. Speed: “Avoiding Attack: The Evolutionary Ecology of Crypsis, Warning Signals and Mimicry,” Oxford University Press, 2004..しかし,新しいアイデアと新たな技術とが結びつくことにより,2010年代に入って扮装擬態の重要な問題が解決され始め,大きな前進をみせつつある(19)19) J. Skelhorn: Curr. Biol., 25, R643 (2015).

自然物にそっくりに化けることで,本当に捕食者からの攻撃を免れているのだろうか? あるいは,単純に,黒っぽい色をしていることで,隠れやすくなっているだけなのではなかろうか? 扮装擬態は,よく混同されるのだが,隠蔽擬態とは学術的には区別される.扮装擬態と隠蔽擬態の区別は捕食者の視覚能力の違いに基づいている.隠蔽擬態は,捕食者に物体としての存在すら気づかれることがなく,捕食者の視覚の検出能力と関係があるとされる.例えば,樹皮などに擬態して背景に溶け込んでしまって姿かたちが見えなくなる擬態がそうだ.一方,扮装擬態は,捕食者に物体としての存在は気づかれているのだが食べられない枯葉や枝として認識されるために生き延びられると考えられており,捕食者の視覚の物体認識能力と関係があるとされる.自然物にそっくりな姿をしていることはぱっと見た目にはそうではあるが,捕食者の物体認識によって識別されているのか否かについては証明されていなかった.2010年になってSkelhornらは,枝に擬態した蛾の幼虫と実際の鳥を用いた捕食実験を行い,物体認識能力と関連があることを世界で初めて証明し,隠蔽擬態とは異なるメカニズムをもつ扮装擬態の存在を示した.

さて,こうした擬態模様はどのように進化してきたのだろうか? これまでの研究の多くが比較的シンプルな模様の理解に焦点をあててきたものであり,複雑な模様の理解は不十分であった.たとえば,枯葉の葉脈模様さえをもそっくりに化けた扮装擬態模様がどのように進化してきたのかについては,全く手掛かりがなかった.特に,脊椎動物の骨の化石とは異なり,蝶の翅の模様が保存状態の良い化石が発掘されることはなく,進化のプロセスを追うことは不可能だと考えられてきた.計算機技術が進展することにより,高度な計算技術を利用することが可能になり,この結果,現在の状況から過去の状況を推定する逆問題を解けるようになってきた.2014年に筆者らの研究チームは,上記したグラウンドプランと系統ベイズ解析法を組み合わせることによって葉っぱにそっくりな模様が,葉っぱに似ても似つかない模様からどのように進化してきたのかを明らかにした(20)20) T. K. Suzuki, S. Tomita & H. Sezutsu: BMC Evol. Biol., 14, 229 (2014).

扮装擬態の最も典型的な例として,コノハチョウ(木の葉蝶;Kallima inachus)が広く知られている(図6図6■コノハチョウとその進化プロセス(ア)).コノハチョウの枯葉模様は葉脈模様をも再現した,非常に複雑な模様をしている.この枯葉模様は,ありふれた蝶の模様からどのような道筋をたどって進化してきたのだろうか? 最初に,コノハチョウの枯葉模様がグラウンドプランに従っているか否かを調べた.グラウンドプランについての知識体系は比較形態学が基礎となっている.筆者らは比較形態学にて提案されているレマネ規準を用いて,できうるかぎり客観的に翅の模様についてグラウンドプランの同定を行った.その結果,コノハチョウの模様がレマネ規準に基づいてもグラウンドプランに従うことを明らかにした(図6図6■コノハチョウとその進化プロセス(イ)).さらに,コノハチョウの近縁種についてもグラウンドプランで説明できるかどうかを調べた.その結果,いずれの模様もその範疇で説明できることが明らかにされた.興味深いことに,コノハチョウの葉っぱ模様とほかの蝶の模様は同じ模様要素を使い回して生み出されたものであり,その違いは模様要素の並べ方や直線にするなどといった幾何学的な性質の違いに過ぎないことがわかった.しかし,それではこの変化はどのような順序で変化してきたのだろうか? 推定するために,系統樹形を考慮した確率過程とベイズ統計モデリングという数理手法を用いた.詳細は他誌に譲る(21, 22)21) 鈴木誉保:現代化学,2015年8月号,pp. 33–37.22) 鈴木誉保:パリティ,2015年11月号,pp. 57–69..結果として,コノハチョウの枯葉模様は,少しずつ変化を蓄積して進化してきたことがわかった(図6図6■コノハチョウとその進化プロセス(ウ)).この進化は,およそ7,000万年程度かかったことになる.遺伝子解析技術も大きく進展しつつあり,枯葉擬態も含めて複雑な扮装擬態模様がどのような遺伝子による作られているのかを明らかにする取り組みが今後期待される.扮装擬態研究は今まさに始まったところである.

図6■コノハチョウとその進化プロセス

(ア)コノハチョウ,(イ)コノハチョウのグラウンドプラン,(ウ)コノハチョウの進化.文献20より一部改変して転載.

おわりに

擬態模様は多くの人を魅了しつづけている.またその学術的価値は揺るぎない.その模様づくりについて,遺伝子の言葉で説明される時代が到来している.さらに新しい数理解析技術の開発は,擬態模様について複合的な理解を可能にするだろう.一方で,これら実に多様に富んだ模様を俯瞰できる共通の法則がありうるのだろうか? もしそうであるならば,その共通の法則はどのようにして生じたのだろうか? 蝶や蛾の翅の模様の多様性について個別事例についての研究は進みつつあるものの,多様性と複雑性を可能にしている根本的な原理の解明は全くといってよいほど進んでいない.比較ゲノムの時代からゲノム編集,さらにはかたちや模様の数理解析技術の融合,フィールド調査による新たな昆虫の探索,博物館などに集積された情報の駆使など,大規模かつ高度な融合研究が今後強く推進されることは間違いない.今後の研究として,原因遺伝子の探索に加えて,そうした概念の整備と理論的な研究の萌芽を期待している.

Reference

1) 海野和男:“自然のだまし絵 昆虫の擬態:進化が生んだ驚異の姿”,誠文堂新光社,2015.

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19) J. Skelhorn: Curr. Biol., 25, R643 (2015).

20) T. K. Suzuki, S. Tomita & H. Sezutsu: BMC Evol. Biol., 14, 229 (2014).

21) 鈴木誉保:現代化学,2015年8月号,pp. 33–37.

22) 鈴木誉保:パリティ,2015年11月号,pp. 57–69.