プロダクトイノベーション

天然食材中の超微量重要香気成分の研究合成化学を通じた食品香料への応用

Hiroyuki Watanabe

渡辺 広幸

長谷川香料株式会社

Published: 2016-04-20

はじめに

香料産業はBusiness to Business形態であり,香料自体が商品として直接消費者に届くことはない.食品や香粧品の付加価値付与の手段として使用される.そういった観点では,広く香料産業が世間に認知されているとは言い難いため,本稿では,香料の意義と香料ならではの研究開発体制の解説に多少の紙面を使わせていただき,その後に実際の研究例を,筆者の所属する部署である有機合成化学による香気成分の合成に焦点をあてて紹介したい.

食品香料の意義

流通産業や容器産業を加えた加工食品産業の発展によって,われわれは豊かで安全な食生活を送ることができている.食品は栄養摂取という食品の一次機能に加え,“おいしさ”あるいは嗜好機能と呼ばれる二次機能を兼ね備える必要がある.

香りは食品の“おいしさ”を左右する重要ファクターの一つである.香りは揮発性が高く,それゆえ嗅覚を通じて伝達されるのであって,またそれゆえに食品から優先的に失われやすいというはかない性質も避けられぬ宿命である.すりたてのゴマやいれたてのコーヒーの香りが経時的に急速に失われていくことでも実感できよう.

日々進歩する食品加工技術においても香りは失われやすく,その結果低下する風味を補って“おいしさ”を維持することが食品香料の大きな役割である.また,現代のライフスタイルの変遷により,減塩,低糖,低脂肪などが加工食品に求められ,それによって低下する風味の底上げにも食品香料は有用な手段となる.

世界での食品香料市場は1兆5千億円規模と言われており,一方,国内では1,275億円の市場である(1)1) (株)香料産業新聞社:香料産業新聞,2015年5月25日.

食品香料開発

食品の香気は複雑であり,通常数百種類の揮発性の香気化合物の混合物としてわれわれは感じている.香料を産業として見た場合,数百種類の香気化合物を混合することは経済的にかなわない.香料開発で重要なことは,いかに重要となる化合物を選択して組み合わせることにより,目標とする香りを表現できるかである(香料研究においては調香と呼ぶ).この部分を担うのが,食品香料の調香を専門にするフレーバリストと呼ばれる調香師である.通常熟練調香師の育成には10年以上を要し,優に千を超える香気化合物の特性を記憶し,自由自在に使い分ける能力を要求される.

素材の選定と比率は調香師の経験と感性によるところであるが,その研究対象の食品の鍵となる香気成分を分析して調香師に情報提供するのが分析部門である.

合成部門は,重要な香気成分が未知の場合に入手可能な原料から有機合成の手段を用いて化学合成し,構造決定を行う.また,分析データから得られる情報が限られ,提示構造が立体化学を含めて推定である場合は,一致するまで合成を繰り返す必要がある.さらには,そのものを香料素材として活用する場合は,商業的に入手できない場合が多く,経済的な有機合成経路を確立し,自社で工業生産体制を整える役目がある.

このように,調香,分析,合成の連携により重要香気成分を活用した新たな香料開発がなされる.

ユズ香料の研究

さて,商業化に繋がった実際の研究開発例として,ユズ香料の研究,新規重要香気成分YUZUNONE®,YUZUOL®の発見と構造決定,YUZUNONE®の合成供給経路の確立について順次述べさせていただく.

日本にはユズにかかわる多くの文化がある.果皮を料理の香り付けに用いたり,ユズポン酢のように果汁を料理に取り入れたり,また丸ごと風呂に入れてユズ湯にしたりする.ユズが日本人に慣れ親しまれる理由の一つはその特有の香りであろう.ユズの産地は日本とそのほか僅かな地域に限られ,良質な天然のユズ油を食品香料にふんだんに使用することは困難であり,ユズ油を用いない完成度の高いユズ香料の開発が望まれていた.

ほかの柑橘とは異なるユズらしさを,従来知られた香気成分だけで表現することは非常に困難であり,微量であるがゆえにまだ知られていない重要な香気成分がユズ中に存在していることが推測され,ユズの微量香気成分の解明に取り組んだ.

新規天然物YUZUNONE®,YUZUOL®の発見と構造決定

数百種類の天然素材の香気成分からどのように微量重要香気成分を絞り込んで分析していくかは,香料開発ならではの開発手法であり紹介したいところであるが,本稿では紙面の都合上思い切って割愛させていただく(2, 3)2) N. Miyazawa, N. Tomita, Y. Kurobayashi, A. Nakanishi, Y. Ohkubo, T. Maeda & A. Fujita: J. Agric. Food Chem., 57, 1990 (1996).3) N. Tomita:香料, 248, 69 (2010)..結果として分析部門と調香師の共同での詳細研究の末,ユズの特徴香に寄与すると思われた強い香気を有する超微量香気化合物2成分が見いだされた(化合物A, B).両者ともに得られたマススペクトルは弊社データベースに未登録であり,この段階では不明成分であったが,公知物質とのスペクトル比較などにより,末端からの3連続共役二重結合を有したウンデカトリエン骨格を有した直鎖化合物であり,Aは3位が酸化されたケトン体,Bはどこかの位置が酸化されたアルコール体とそれぞれ推定された(図1図1■ユズ中の不明成分のマススペクトルと推定構造).

そこで,候補化合物の合成を行った.異性体によってはマススペクトルやGC保持時間,あるいは香気特性が類似なものも経験上多くあり,構造決定ミスを避けるため全異性体を合成することとした.また,構造と香気の相関関係(ほかの研究分野で言うところの構造活性相関)を研究するうえでも手間はかかるが必要なプロセスである.有機合成化学として特異な方法は用いずにすべての候補化合物を調製することができた(図2~4図2■3-One体および3-ol体の合成図4■4-One体および4-ol体の合成).

図1■ユズ中の不明成分のマススペクトルと推定構造

図2■3-One体および3-ol体の合成

図3■2-One体および2-ol体の合成

図4■4-One体および4-ol体の合成

マススペクトルの比較から,天然物中の不明成分Aは推定どおり,6,8,10-Undecatrien-3-one(化合物5)であり,不明成分Bは6,8,10-Undecatrien-4-ol(化合物14)であることがわかった(ほかの異性体はマススペクトルが大きく異なる).その後の詳細研究により,立体配置の確定も行った.すなわち,天然物中の不明成分と香気特性を含めたすべての物性の一致により,不明成分Aは,化合物5の(6Z, 8E)-体(後の研究により,(6E, 8E)-体もマイナー成分として天然中に検出されている),不明成分Bは化合物14の(6Z, 8E)-体と確定した(図5, 6図5■(6Z, 8E)-体のYUZUNONE®の構造決定図6■(6Z, 8E)-体のYUZUOL®の構造決定).

調査を行ったところ,化合物514は両者ともに文献未収載の新規化合物であり,ユズからの発見に因んで,YUZUNONE®,YUZUOL®とそれぞれ命名した.

図5■(6Z, 8E)-体のYUZUNONE®の構造決定

図6■(6Z, 8E)-体のYUZUOL®の構造決定

果皮油中のYUZUNONE®,YUZUOL®の存在量は,それぞれ5.5 ppm, 1.6 ppmとごく微量であり,強力な香気化合物であることが類推され,香気強度の測定を行った(図7図7■水中閾値(単位ppt)).香気化合物の強度は閾値(いきち)として示され,どの濃度まで匂うかを数値化したものである(数値が小さいほど,香気が強いことを示す).

図7■水中閾値(単位ppt)

YUZUNONE®,YUZUOL®の閾値はそれぞれ10 ppt, 42 pptと極めて小さく,予想どおり強力な香気物質であることが数値でも確認された.因みに閾値10 pptという数値は,例えるならば幅10 m,深さ2 mの50 mプールに水をはって,そこに僅か10 mgを添加するとプールの水全体が匂う濃度である.

YUZUNONE®の効率的合成法の開発

合成したYUZUNONE®,YUZUOL®をそれぞれ調香研究に用いたところ,ともに効果が高く,特にYUZUNONE®はユズ香料を作成するうえで極めて重要で欠かせない素材であることが調香師の研究によりわかった.新規化合物であり,天然中の存在量が極めて低いため,YUZUNONE®を香料素材として活用するためには自社で製造供給する必要性があり,効率的合成法の開発に研究のステージを進めた.

図2図2■3-One体および3-ol体の合成に示したYUZUNONE®の合成法を見返してみると(第1世代合成法),僅か3工程の合成ルートであるが,その中の2工程を酸化反応と還元反応が占めており,さらなる改良が望まれた.

次に考案した第2世代合成法を,図8図8■YUZUNONE®の第2世代合成法に示した.第1世代合成法と同じ工程数と総収率の製法であり,安価で入手容易な原料を使用しているため,一見よさそうに見えるが,このルートには合成スキーム上に現れない大きな欠点があった.

図8■YUZUNONE®の第2世代合成法

4-Oxohexanal(化合物17)は極めて水溶性が高く,16からの変換反応後のaqueous work-upでの抽出効率が極めて悪い化合物であった.加えて蒸留単離は可能であるが,不安定な性質であり,図に示した収率を確保するための労力と不安定な中間体の利用に問題を抱えることになる.食品香料は,食品に僅かに添加されるという食品添加物としての性質上,物量的に小規模であり,その中でもYUZUNONE®のような超微量で効果がある素材は,“手早く”“簡潔に”,そして“高品質に”の3拍子が揃った製造方法でなければ活用が困難である.

そこで酸化,還元反応を用いず,C-C連結をホスホニウム塩3とのWittig反応により構築する別経路を設定した(図9図9■YUZUNONE®の第3世代合成法).

図9■YUZUNONE®の第3世代合成法

4-Oxohexanal(化合物17)の等価体として,入手容易な2-Ethylfuran(化合物18)を用いた.アセタール体19へ変換後,脱保護を酸性水溶液中で行い,17を単離することなく亜硫酸付加体20としたところ,条件をうまく設定することにより20が反応系から結晶化合物として系外に効率よく析出してくる現象を見いだした(第2世代合成法の反応系からはうまく析出しなかった).最後に2017に戻すことなく,直接ホスホニウム塩3とのWittig反応を行ったところ,YUZUNONE®へ効率よく導くことができた.不安定な17をいっさい単離しないことが第3世代合成法のポイントではあるが,この製法のほかの製法にはない最も大きなアドバンテージは最終工程原料の安定性にある.亜硫酸付加体20とホスホニウム塩3はともに無色の結晶であり(図10図10■最終工程原料),高温,多湿,空気中の酸素に対してほぼ影響を受けず,安定に長期間保管することができる.このことにより,高純度のフレッシュなYUZUNONE®を調香素材として常に迅速に供給可能となり,“手早く”“簡潔に”“高品質に”を満たす製造方法として現在収率のさらなる向上を検討中である.

図10■最終工程原料

おわりに

料理に加える隠し味は通常僅かな量が用いられ,家庭でも料理店でも,それによってほかとの差別化がなされている.超微量であっても,香気全体に影響を与える成分の利用は,香料の差別化,付加価値付与,完成度の向上のいずれをも達成するうえで欠かせない奥義のように思う.

近年の分析技術と香料開発技術の発展は目覚ましいものがあり,新たな超微量重要香気成分が今後も次々に発見され,香料素材として活用されていくことだろう.“天然”という名の調香師の隠し味と奥義を解き明かすことで,豊かな香りに包まれた明るい未来に香料の分野から貢献していきたい.

Reference

1) (株)香料産業新聞社:香料産業新聞,2015年5月25日.

2) N. Miyazawa, N. Tomita, Y. Kurobayashi, A. Nakanishi, Y. Ohkubo, T. Maeda & A. Fujita: J. Agric. Food Chem., 57, 1990 (1996).

3) N. Tomita:香料, 248, 69 (2010).