書評

大木理(著)『微生物学』(東京化学同人,2016年)

清水

Published: 2016-04-20

「化学と生物」誌 46巻5号の巻頭言「人間の未来と農芸化学」の中で,私は次のように書いた.「農芸化学は,自然の事物を常にパートナーと考える,いわば『性善説の自然科学』である.医学の世界では微生物と言えば病気を起こす悪玉だが,農芸化学では微生物は有用物質を作ってくれる善玉と考える」と.同じ頃,中学や高校で「役に立つ微生物」を学ぶ機会が少ないことを問題視する声が農芸化学者たちから上がり,文科省への働きかけも行われた.その活動に効果があったかどうかはあまり自信がないが,昨年の大村先生によるノーベル賞受賞は,われわれがごちゃごちゃ言うよりもはるかに能弁に微生物の有用性を国民に理解させたのだろうと思う.

その追い風の中で,われわれは胸を張り,学生たちに微生物の面白さをきちんと教えていかなければならないが,教えるためには良い教科書が必要である.私自身は微生物分野の研究者にはならなかったが,農学部に進学していくつかの微生物関係の講義を聞いた.当時の最新知見を含むレベルの高い講義が多く,メバロン酸を発見したT教授による微生物代謝の講義では,「リプレッション!」という言葉が唾とともに力強く飛んでくるなか,最前列で聴講して興奮はしたものの,なかなか理解は困難であった.適切な教科書もなく,結局,微生物学の勉強は全体像を把握しないうちに終わってしまったような気がする.

今回紹介する大木博士の「微生物学」は,初心者がまず微生物の全体像を捉えるうえでたいへん有用な書籍であると感じた.本書では,I.微生物学の歴史から始まり,II.微生物の性質(基本構造,代謝,増殖,変異,生態),III.微生物の分類(細菌,古細菌,原生生物,菌類,ウィルス),IV.微生物と人間生活(病気・腐敗,発酵,環境)というように,微生物学の基礎から応用までのほぼすべてがコンパクトに整理されている.さらにVとして微生物学の実験技術の章があるのも学生にとってはありがたいだろう.I~IVに相当する部分は全部で15章からなり,これを毎週講義していけば2単位の講義となるわけで,教員にとってもたいへん使いやすい本と言える.各章の最後には,重要事項が10項目ほど,それぞれ1~2行でまとめてあり,そこをきちんと把握すれば期末試験の勉強も楽になるだろう.一方,怠惰な教員はこのまとめの文章を少しいじるだけで試験問題が作れそうである.本文は丁寧でわかりやすい記述になっており,各ページの欄外には重要なキーワードが英語表記とともに示されているので,関連英語の習得にも役立つ.図表もたいへんわかりやすい.

このわかりやすさは何なのだろうか? その理由は,著者の大木博士が実は微生物の専門家ではないことによるのだろう.専門家ではないがゆえに書きうる「わかりやすい微生物学」なのである.実は大木氏は私にとって大学の同じサークルに属した後輩で,学生の頃,ともに野山を歩き植物や動物を観察する日々を過ごした.私は農芸化学科に進学したが,大木氏は農業生物学科(当時)の植物病理学研究室に進んだと記憶している.進む方向は違ったが,博士課程のとき,私の試料の電子顕微鏡写真を大木氏に撮ってもらったことがあった.そのとき,彼はたいへん丁寧にわかりやすく電子顕微鏡の手法を解説してくれたのだが,この「微生物学」を読んで,彼の優しい口調とわかりやすい説明を思い出した.書評らしくない書評になってしまったが,微生物を知りたい幅広い分野の方々にお薦めの一冊である.