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加水分解酵素を用いる不斉合成反応の新展開異分野との融合

Shuji Akai

赤井 周司

大阪大学大学院薬学研究科

Published: 2016-05-20

リパーゼは本来,脂質のエステル結合を加水分解する酵素であるが,有機溶媒中でも同等の高い活性とエナンチオ選択性を示す.この特性は,ラセミ体のカルボン酸やアルコールの速度論的光学分割に汎用されている.しかし,当然,生成物の収率は最大で50%となる.反応しなかったエナンチオマーを回収し,何らかの方法でラセミ体に戻して光学分割を行う操作を何度も繰り返せば,収率は100%に近づいていくが,これはたいへんな労力を要する作業である.光学活性体をラセミ化させる触媒をリパーゼと同時に用いて,一つのフラスコ内で速度論的光学分割とラセミ化を同時進行させることができれば,光学的に純粋な化合物が収率100%で得られる.本法は動的光学分割(dynamic kinetic resolution,以下DKRと略す)と呼ばれる(1, 2)1) O. Verho & J.-E. Bäckvall: J. Am. Chem. Soc., 137, 3996 (2015).2) S. Akai: Chem. Lett., 43, 746 (2014)..このように,酵素触媒化学に金属触媒化学などの異分野を融合することで,全く新しい不斉合成法が生まれる.本稿では,筆者らが最近開発したリパーゼとバナジウム触媒を併用するDKRを中心に,この領域の最先端を紹介する.

DKRを高収率で達成するためには,いくつかの要件を同時に満たさなければならない(詳細は総説(1, 2)1) O. Verho & J.-E. Bäckvall: J. Am. Chem. Soc., 137, 3996 (2015).2) S. Akai: Chem. Lett., 43, 746 (2014).参照).なかでも最大の難関は,リパーゼとラセミ化触媒の共存性である.リパーゼの表面には多数の反応性官能基が存在するために,両触媒が反応して互いに失活することが多い.また,リパーゼが触媒活性を維持するために表面に抱えている多数の水分子によってもラセミ化触媒が失活することがある.

リパーゼとラセミ化触媒を併用するDKR法の成功例は1990年代の後半から報告され始め,主にパラジウムやルテニウムなどの後周期遷移金属錯体が利用されている.たとえば,ルテニウムによるラセミ化は,酸化還元反応で進行する(図1A図1■2種類の動的光学分割法(DKR)とラセミ化の反応機構).ルテニウムとリパーゼとの共存性は概ね良好であり,多くの応用例が報告された(1)1) O. Verho & J.-E. Bäckvall: J. Am. Chem. Soc., 137, 3996 (2015).

一方,筆者らはラセミ化触媒にオキソバナジウム(7a, 7b)を利用することで,従来とは全く異なるDKR法を開発した.すなわち,オキソバナジウムは水酸基の1,3-転位反応を伴いながらラセミ化を起こし,4種の異性体[(R)-4, (S)-4, (R)-5, (S)-5]の間で動的平衡を生じる.同時に,リパーゼはその混合物のなかから(R)-4を高選択的にエステル化することでDKRが達成された(3, 4)3) S. Akai, K. Tanimoto, Y. Kanao, M. Egi, T. Yanamoto & Y. Kita: Angew. Chem. Int. Ed., 45, 2592 (2006).4) S. Akai, R. Hanada, N. Fujiwara, Y. Kita & M. Egi: Org. Lett., 12, 4900 (2010).図1B図1■2種類の動的光学分割法(DKR)とラセミ化の反応機構).それぞれの触媒を単独に用いては,この成果は得られない.また,本法ではアルコール45を等価な原料として利用できる.これは,ルテニウム錯体を用いる図1A図1■2種類の動的光学分割法(DKR)とラセミ化の反応機構の反応には無い,合成化学上の大きな利点である(その応用例は後述).しかし,これらのオキソバナジウム(7a, 7b)はラセミ化活性が十分とは言えず,生成物の収率や光学純度が低い場合があった.一方,オキソバナジウムの反応性を高めるとリパーゼとの共存性が悪化した.

図1■2種類の動的光学分割法(DKR)とラセミ化の反応機構

(A)ルテニウム錯体を用いるDKR.(B) V-MPSを用いるDKR.(C) MPSの細孔を利用した反応場の分離の概念図.

筆者らは,オキソバナジウムをメソポーラスシリカ(以下MPSと略す)の細孔内部に固定化したV-MPSを創製し,これらの問題点を一挙に解決した(5, 6)5) M. Egi, K. Sugiyama, M. Saneto, R. Hanada, K. Kato & S. Akai: Angew. Chem. Int. Ed., 52, 3654 (2013).6) K. Sugiyama, Y. Oki, S. Kawanishi, K. Kato, T. Ikawa, M. Egi & S. Akai: Catal. Sci. Technol., Ahead of print (2016)..シリカ(二酸化ケイ素)のみで構成されているMPSは,均一で規則的な細孔を無数に有する(図1B図1■2種類の動的光学分割法(DKR)とラセミ化の反応機構).2~50 nmの範囲で細孔径サイズが異なる種々のMPSを入手できるが,本DKRには細孔径約3 nmのMPSを利用し,細孔内部表面のシラノールにバナジウムを共有結合したV-MPSを調製した.分子量1,000程度以下の小分子有機化合物はV-MPSの細孔に簡単に出入りすることができるが,巨大なリパーゼは細孔に入ることができない.このようにして反応場を物理的に分離するというコンセプトである(図1C図1■2種類の動的光学分割法(DKR)とラセミ化の反応機構).調製したV-MPSは,従来の触媒(7a, 7b)よりもラセミ化活性が10倍以上高く,また,V-MPSをラセミ体(4, 5)のDKRに使用すると,光学活性体6(95~99% ee)が90%以上の収率で得られた.さらに,反応後にリパーゼとV-MPSの混合物を回収し,再利用することもできた.

筆者らのDKR法の応用例として,抗菌剤(+)-タニコライドの不斉全合成を示す(図2A図2■天然物の不斉合成への応用).反応系中で水酸基の1,3-転位を伴う利点を生かし,安価なエノンから合成した第3級アルコール5aをDKRの基質とし,光学的に純粋な(R)-4aを高収率で得た.通常,光学活性な環状アリルアルコールの不斉合成には対応するエノンの不斉還元が汎用されるが,そのためには,酸化状態が一つ高い基質が必要となる.一方,筆者らのDKRでは酸化状態が変わらないことや,4と等価な基質として5が使えるために,より安価で入手容易な原料の選択,全工程の短縮,全収率の向上,廃棄物の削減などの利点を有している(5)5) M. Egi, K. Sugiyama, M. Saneto, R. Hanada, K. Kato & S. Akai: Angew. Chem. Int. Ed., 52, 3654 (2013)..今後,工業的な利用が期待される.

筆者らは一方で,DKRによって導入されたアシル基を環状分子構築の部分構造として有効利用する研究も並行して行っている(7)7) S. Akai, K. Tanimoto & Y. Kita: Angew. Chem. Int. Ed., 43, 1407 (2004)..たとえば,活性オレフィン部位を組み込んだアシル化剤9を用時調製し,これにニトロンを有するラセミ体アルコール11をリパーゼと共に反応させると,生成する光学活性エステル(R)-12は直ぐさま分子内(3+2)環化付加反応を起こし,多数の不斉炭素を有する環状化合物13を一挙に不斉構築できた.この変換を鍵工程として,市販のラセミ体ヒドロキシアミン10から全4工程で天然物(-)-ロスマリネシンの不斉全合成が達成された.合成途中で保護基を一切用いず,また,原料のカルボン酸8(赤色)とアルコール10(青色)の構成原子が最終化合物に効率的に組み込まれている.このように,リパーゼを活用すると原子効率に優れた不斉合成法が創製できる(8)8) H. Nemoto, K. Tanimoto, Y. Kanao, S. Omura, Y. Kita & S. Akai: Tetrahedron, 68, 7295 (2012).図2B図2■天然物の不斉合成への応用).

図2■天然物の不斉合成への応用

(A)(+)-タニコライドの不斉全合成,(B)(-)-ロスマリネシンの不斉全合成.

上記のように,リパーゼ(生体触媒)とオキソバナジウム化合物(金属触媒)という異質な触媒を1つのフラスコ内で同時に用いることにより,入手容易なラセミ体アルコールを1つの光学活性体にほぼ定量的に変換することが可能になった.さらに,無機多孔質材料の細孔を活用すれば,両触媒の共存性を劇的に高めることもできる.このような異分野融合によって,それぞれの触媒を単独に用いては為し得ない複雑な化学変換が可能になる.

最近,リパーゼと金属触媒を一つの細孔内部に固定した新触媒の開発(9)9) K. Engström, E. V. Johnston, O. Verho, K. P. J. Gustafson, M. Shakeri, C.-W. Tai & J.-E. Bäckvall: Angew. Chem. Int. Ed., 52, 14006 (2013).や,酵素と,金属触媒や有機触媒を同時に用いる反応開発(10)10) C. A. Denard, J. F. Hartwig & H. Zhao: ACS Catal., 3, 2856 (2013).など,さまざまな異分野融合が進んでいる.酵素という精緻な触媒に,ほかの触媒を用いて“ひと味付ける”ことで,従来類を見ない変換法や人工触媒が開発できる可能性は大きい.

Reference

1) O. Verho & J.-E. Bäckvall: J. Am. Chem. Soc., 137, 3996 (2015).

2) S. Akai: Chem. Lett., 43, 746 (2014).

3) S. Akai, K. Tanimoto, Y. Kanao, M. Egi, T. Yanamoto & Y. Kita: Angew. Chem. Int. Ed., 45, 2592 (2006).

4) S. Akai, R. Hanada, N. Fujiwara, Y. Kita & M. Egi: Org. Lett., 12, 4900 (2010).

5) M. Egi, K. Sugiyama, M. Saneto, R. Hanada, K. Kato & S. Akai: Angew. Chem. Int. Ed., 52, 3654 (2013).

6) K. Sugiyama, Y. Oki, S. Kawanishi, K. Kato, T. Ikawa, M. Egi & S. Akai: Catal. Sci. Technol., Ahead of print (2016).

7) S. Akai, K. Tanimoto & Y. Kita: Angew. Chem. Int. Ed., 43, 1407 (2004).

8) H. Nemoto, K. Tanimoto, Y. Kanao, S. Omura, Y. Kita & S. Akai: Tetrahedron, 68, 7295 (2012).

9) K. Engström, E. V. Johnston, O. Verho, K. P. J. Gustafson, M. Shakeri, C.-W. Tai & J.-E. Bäckvall: Angew. Chem. Int. Ed., 52, 14006 (2013).

10) C. A. Denard, J. F. Hartwig & H. Zhao: ACS Catal., 3, 2856 (2013).