Kagaku to Seibutsu 54(6): 396-402 (2016)
解説
1分子シークエンサーの現状と可能性
Progress and Perspective of Single-Molecule Sequencers
Published: 2016-05-20
電流を用いる1分子シークエンサーは究極のシークエンサーと期待されている.この1分子シークエンサーは,1分子の電気抵抗の違いを電流で直接読み出すため,色素修飾や酵素反応を必要としない.現在,DNAとRNAの塩基配列決定と,ペプチドの部分アミノ酸配列決定に加え,エピジェネティック修飾や翻訳後修飾の1分子識別が実現されている.さらに,これまでのDNAシークエンサーにはない特徴的な機能として,配列決定と同時に,その配列をもつ生体分子の存在比がわかる定量解析の可能性が示されている.本稿では,1~3世代目のシークエンサーと比較しながら,4世代目となる1分子シークエンサーの現状と可能性について解説する.
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
2003年,13年と約3,000億円をかけてヒトゲノムを解読したプロジェクトが終了した.世界中を巻き込んだ壮大なプロジェクトの終わりは,遺伝情報を元に画期的な薬や治療法を開発する新たな競争の始まりと認識されていた.ところが,ゲノムを解読する費用と時間が大きな足かせとなり,ゲノムに基づく個別化医療の実現には,低コストで高速なDNAシークエンサーの開発が必要となった.このような状況を突破するため,ヒトゲノムプロジェクトを主導した米国立衛生研究所(NIH)は,ヒトゲノムプロジェクト終了の翌年から,ヒトゲノムを$10,000,$1,000で解読する,$10,000ゲノムプロジェクト,$1,000ゲノムプロジェクトを次々と打ち出した.このプロジェクトは,大学と企業の全米体制で行われ,米国内におけるDNAシークエンサーの開発を強く後押しした.その結果,DNAシークエンサーは,この10年間で第4世代まで進化し,新たなシークエンサーが医科学や分子生物学に革新的なインパクトを与え続けている.
1・2世代目のシークエンサーは,PCRで増幅したDNAを蛍光分子で標識して,光を検出プローブとする(1)1) 菅野純夫,鈴木 穣:“次世代シークエンサー 目的アドバンストメソッド”,秀潤社,2012..一人のゲノムを解読するのにかかるコストと時間は,1世代目で$1,000万と3カ月,2世代目でも$10万と2カ月である(表1表1■DNAシークエンサーの比較).高い試薬とPCRによる増幅操作が高コストと低スループットの主な原因になっている.1世代目(ABIジェネティックアナライザなど)の代表的な塩基配列決定の原理を見てみると,DNAを断片化した後,増幅して,4色の蛍光色素でDNAを修飾する(図1A図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理).最後に,電気泳動で鎖長の短いDNAが早く流れてくるのを利用して,色素を光で検出し,塩基配列を決定する.2世代目(イルミナなど)では,断片化した後,アダプターを付加させ,油滴の中にアダプターで修飾されたマイクロビーズとアダプター付DNAを入れて,高い効率で増幅を行う(図1B図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理).この後,4つのデオキシリボヌクレオチド三リン酸を順次,サンプルに入れていくと,相補対を作るヌクレオチドだけがピロリン酸を放出し,ピロリン酸とATPが反応して発光する.図1B図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理の場合は,dCTPを入れたときのみ相補対を作り発光するので鋳型の配列をグアニンと決定できる.
世代 | 1世代 | 2世代 | 3・4世代 |
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検出プローブ | 光 | 光 | 電流 |
増幅操作 | 必要 | 必要 | 不要 |
標識 | 必要 | 必要 | 不要 |
スループット* | 3カ月 | 2カ月 | 1日 |
コスト* | $1,000万 | $10万 | $1,000 |
*一人の全ゲノム解析にかかる時間とコスト |
3世代目のシークエンサー(ライフテクノロジーIon Protonなど)と1・2世代目の大きな違いは,塩基分子の検出方法が,光から電気に代わった点にある(1)1) 菅野純夫,鈴木 穣:“次世代シークエンサー 目的アドバンストメソッド”,秀潤社,2012..3世代目は,塩基分子を電流変化で検出するため,蛍光修飾が不要で,原理的には検出対象となるDNAが1分子あればよくPCRを必要としない(表1表1■DNAシークエンサーの比較).このため,低コストとハイスループットが期待されている.市販されているシークエンサーの原理を見てみると,直径数μmの穴の中に,テンプレートDNAで修飾したマイクロビーズが固定されている(図1C図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理).穴の底にある金属酸化物表面に存在するプロトンの量に応じて,電極1と電極2の間に流れる電流が変化する.このシークエンサーでは,4つのヌクレオチドを順次,検出デバイスに加えていき,ポリメラーゼによるDNA伸長反応で生成されるプロトンを検出している.図1C図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理では,相補対であるAを加えるとプロトンが生成されるが,ほかの3つのヌクレオチドを加えたときにはプロトンが生成されない.
このように,1・2世代目と3世代目の検出原理は光と電気で大きく異なるが,共通点は,塩基分子を直接識別していないこと,検出原理に酵素反応が含まれていることである.直接塩基分子を識別できれば,現在のDNAシークエンサーでは直接識別できないメチル化シトシンなどのエピジェネティック修飾の検出が期待される.一方,酵素反応が化学反応である限り,その速度制御には限界があるため,スループットを上げるためには,検出デバイスの集積化が有効な手段となる.事実,すべてのDNAシークエンサーで,検出デバイスの集積度を向上させる戦略が取られている.スループットを革新するには,酵素反応をシークエンサー原理に含まないことが理想的である.
電流で分子情報を直接読取るのが,ナノポアシークエンサーである(2~4).ナノポアシークエンサーには,3つのデバイス構造があり,ナノギャップナノポアは究極のDNAシークエンサーと考えられている(図2A図2■4世代目のシークエンサーの代表的な原理-3).バイオナノポアは,ナノポアを流れるイオン電流変化で,塩基分子を識別する原理をもつ(図2B図2■4世代目のシークエンサーの代表的な原理).デバイスにバッファーなどのイオンが溶けた水溶液を入れて,脂質二重膜を挟む形で1対の電極を設置して電圧をかけると,ナノポア内を大きなイオン電流が流れる.ナノポア内に塩基分子が入ると,分子の体積に応じて,イオンの流れが阻害されるので,大きな体積をもつ塩基分子ほど,大きなイオン電流変化が得られる.特殊な計測条件下では,4つの塩基分子がイオン電流変化により識別されるが,開発の進むバイオナノポアシークエンサーでは,4個の塩基分子をひとまとまりの分子としてイオン電流変化を計測している(5)5) M. Jain, I. T. Fiddes, K. H. Miga, H. E. Olsen, B. Paten & M. Akeson: Nat. Methods, 12, 351 (2015)..このため,単純計算で,4×4×4×4=256分の1の確率でひとまとまりの塩基配列を情報科学で決定する方法が用いられている(5)5) M. Jain, I. T. Fiddes, K. H. Miga, H. E. Olsen, B. Paten & M. Akeson: Nat. Methods, 12, 351 (2015)..
(A)シークエンサーデバイスの構造.(B)バイオナノポアを用いた塩基識別の原理.脂質二重膜を挟んで設置された電極間を流れるイオン電流の変化が,4つの塩基分子で異なる.(C)ナノギャップナノポアを用いた塩基識別の原理.ナノ電極間を流れるトンネル電流が,ナノ電極間に存在する1塩基分子の僅かな電子状態(電気抵抗)の違いを読み出す.4つの塩基分子の電気抵抗が異なるため,4つの塩基分子は,トンネル電流により識別される.
バイオナノポアは,チャネルタンパク質を用いるため,機械的耐久性や安定性に課題があると考えられている.この課題を解決するために開発されたのが,バイオナノポアと同じ直径をもつ固体ナノポアである(2~4).半導体材料で作られる固体ナノポアの検出原理は,バイオナノポアと同じであるが,1塩基分子の識別はこれまで実現されていない.これは,バイオナノポアの最も狭いナノポア部分の厚みが数Åと1原子レベルであるのに対して,固体ナノポアの厚みが数十nmあるため,1分子解像度が得られていないと考えられている.
ナノギャップナノポアは,機械的耐久性と安定性をもつ固体ナノポアに,1分子を識別するナノギャップ電極を融合させた構造をもつ(2, 3)2) D. Branton, D. W. Deamer, A. Marziali, H. Bayley, S. A. Benner, T. Butler, M. Di Ventra, S. Garaj, A. Hibbs, X. Huang et al.: Nat. Biotechnol., 26, 1146 (2008).3) C. Dekker: Nat. Nanotechnol., 2, 209 (2007)..ナノ電極間の距離が,一つのヌクレオチドの大きさに対応する1 nm程度であるとき,ナノ電極→1ヌクレオチド→ナノ電極の経路で電流が流れる.この電流は,トンネル電流と呼ばれる量子力学で説明される電流で,1塩基分子の僅かな電子状態(電気抵抗)を読み出す.トンネル電流は,電極間に存在する分子種の電子状態を読み出すため,塩基分子のみならず,修飾塩基分子やアミノ酸分子の識別も可能である.
ナノギャップナノポアシークエンサーは,究極のDNAシークエンサーであると期待されているため,$1,000ゲノムプロジェクトのターゲットとなり,全米体制で研究開発が行われてきた.しかし,最先端の半導体技術をもってしても,1 nmのギャップをもつナノギャップ電極を作ることができなかったため,夢のシークエンサーと考えられていた.ところが筆者らは最近,3点曲げの要領で金属細線を破断する方法を用いて,1 nmのナノギャップ電極を実現した(6)6) M. Tsutsui, M. Taniguchi, K. Yokota & T. Kawai: Nat. Nanotechnol., 5, 286 (2010)..
金属板に成膜した絶縁体上に,金属細線を微細加工技術で作製する(図3A図3■ナノギャップの作製法と,1塩基分子の計測).この金属細線の真下に数μmの切れ込みを入れて,ピエゾ素子を押し上げると,金属細線が破断してナノギャップが作られる.次に,ピエゾ素子を引き下げると,ナノギャップがなくなり,金属細線が再び形成される.金は,室温で非常に柔らかい金属なので,電極間に電圧をかけて金属細線の破断と接合を繰り返すと,徐々にナノギャップの先端が先鋭になり,最後は,ナノギャップに1個の金原子が接合される状態が作られて,破断する.つまり,ナノギャップ電極の先端は,1原子レベルでとがっている.この現象は,透過電子顕微鏡で観察されている(7)7) H. Ohnishi, Y. Kondo & K. Takayanagi: Nature, 395, 780 (1998)..このナノギャップ作製法は,機械的破断接合(Mechanically Controllable Break-Junction; MCBJ)と呼ばれており,1個の原子や分子の電気伝導度を計測する1分子手法として知られている.