解説

1分子シークエンサーの現状と可能性

Progress and Perspective of Single-Molecule Sequencers

Masateru Taniguchi

谷口 正輝

大阪大学産業科学研究所

Published: 2016-05-20

電流を用いる1分子シークエンサーは究極のシークエンサーと期待されている.この1分子シークエンサーは,1分子の電気抵抗の違いを電流で直接読み出すため,色素修飾や酵素反応を必要としない.現在,DNAとRNAの塩基配列決定と,ペプチドの部分アミノ酸配列決定に加え,エピジェネティック修飾や翻訳後修飾の1分子識別が実現されている.さらに,これまでのDNAシークエンサーにはない特徴的な機能として,配列決定と同時に,その配列をもつ生体分子の存在比がわかる定量解析の可能性が示されている.本稿では,1~3世代目のシークエンサーと比較しながら,4世代目となる1分子シークエンサーの現状と可能性について解説する.

個別化医療に向けたシークエンサー開発

2003年,13年と約3,000億円をかけてヒトゲノムを解読したプロジェクトが終了した.世界中を巻き込んだ壮大なプロジェクトの終わりは,遺伝情報を元に画期的な薬や治療法を開発する新たな競争の始まりと認識されていた.ところが,ゲノムを解読する費用と時間が大きな足かせとなり,ゲノムに基づく個別化医療の実現には,低コストで高速なDNAシークエンサーの開発が必要となった.このような状況を突破するため,ヒトゲノムプロジェクトを主導した米国立衛生研究所(NIH)は,ヒトゲノムプロジェクト終了の翌年から,ヒトゲノムを$10,000,$1,000で解読する,$10,000ゲノムプロジェクト,$1,000ゲノムプロジェクトを次々と打ち出した.このプロジェクトは,大学と企業の全米体制で行われ,米国内におけるDNAシークエンサーの開発を強く後押しした.その結果,DNAシークエンサーは,この10年間で第4世代まで進化し,新たなシークエンサーが医科学や分子生物学に革新的なインパクトを与え続けている.

1・2世代目のシークエンサー

1・2世代目のシークエンサーは,PCRで増幅したDNAを蛍光分子で標識して,光を検出プローブとする(1)1) 菅野純夫,鈴木 穣:“次世代シークエンサー 目的アドバンストメソッド”,秀潤社,2012..一人のゲノムを解読するのにかかるコストと時間は,1世代目で$1,000万と3カ月,2世代目でも$10万と2カ月である(表1表1■DNAシークエンサーの比較).高い試薬とPCRによる増幅操作が高コストと低スループットの主な原因になっている.1世代目(ABIジェネティックアナライザなど)の代表的な塩基配列決定の原理を見てみると,DNAを断片化した後,増幅して,4色の蛍光色素でDNAを修飾する(図1A図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理).最後に,電気泳動で鎖長の短いDNAが早く流れてくるのを利用して,色素を光で検出し,塩基配列を決定する.2世代目(イルミナなど)では,断片化した後,アダプターを付加させ,油滴の中にアダプターで修飾されたマイクロビーズとアダプター付DNAを入れて,高い効率で増幅を行う(図1B図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理).この後,4つのデオキシリボヌクレオチド三リン酸を順次,サンプルに入れていくと,相補対を作るヌクレオチドだけがピロリン酸を放出し,ピロリン酸とATPが反応して発光する.図1B図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理の場合は,dCTPを入れたときのみ相補対を作り発光するので鋳型の配列をグアニンと決定できる.

表1■DNAシークエンサーの比較
世代1世代2世代3・4世代
検出プローブ電流
増幅操作必要必要不要
標識必要必要不要
スループット*3カ月2カ月1日
コスト*$1,000万$10万$1,000
*一人の全ゲノム解析にかかる時間とコスト

図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理

(A)1世代目,(B)2世代目,(C)3世代目のシークエンサーの原理.

3世代目のシークエンサー

3世代目のシークエンサー(ライフテクノロジーIon Protonなど)と1・2世代目の大きな違いは,塩基分子の検出方法が,光から電気に代わった点にある(1)1) 菅野純夫,鈴木 穣:“次世代シークエンサー 目的アドバンストメソッド”,秀潤社,2012..3世代目は,塩基分子を電流変化で検出するため,蛍光修飾が不要で,原理的には検出対象となるDNAが1分子あればよくPCRを必要としない(表1表1■DNAシークエンサーの比較).このため,低コストとハイスループットが期待されている.市販されているシークエンサーの原理を見てみると,直径数μmの穴の中に,テンプレートDNAで修飾したマイクロビーズが固定されている(図1C図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理).穴の底にある金属酸化物表面に存在するプロトンの量に応じて,電極1と電極2の間に流れる電流が変化する.このシークエンサーでは,4つのヌクレオチドを順次,検出デバイスに加えていき,ポリメラーゼによるDNA伸長反応で生成されるプロトンを検出している.図1C図1■1~3世代目のシークエンサーの代表的な原理では,相補対であるAを加えるとプロトンが生成されるが,ほかの3つのヌクレオチドを加えたときにはプロトンが生成されない.

このように,1・2世代目と3世代目の検出原理は光と電気で大きく異なるが,共通点は,塩基分子を直接識別していないこと,検出原理に酵素反応が含まれていることである.直接塩基分子を識別できれば,現在のDNAシークエンサーでは直接識別できないメチル化シトシンなどのエピジェネティック修飾の検出が期待される.一方,酵素反応が化学反応である限り,その速度制御には限界があるため,スループットを上げるためには,検出デバイスの集積化が有効な手段となる.事実,すべてのDNAシークエンサーで,検出デバイスの集積度を向上させる戦略が取られている.スループットを革新するには,酵素反応をシークエンサー原理に含まないことが理想的である.

4世代目のシークエンサー:ナノポアシークエンサー

電流で分子情報を直接読取るのが,ナノポアシークエンサーである(2~4).ナノポアシークエンサーには,3つのデバイス構造があり,ナノギャップナノポアは究極のDNAシークエンサーと考えられている(図2A図2■4世代目のシークエンサーの代表的な原理-3).バイオナノポアは,ナノポアを流れるイオン電流変化で,塩基分子を識別する原理をもつ(図2B図2■4世代目のシークエンサーの代表的な原理).デバイスにバッファーなどのイオンが溶けた水溶液を入れて,脂質二重膜を挟む形で1対の電極を設置して電圧をかけると,ナノポア内を大きなイオン電流が流れる.ナノポア内に塩基分子が入ると,分子の体積に応じて,イオンの流れが阻害されるので,大きな体積をもつ塩基分子ほど,大きなイオン電流変化が得られる.特殊な計測条件下では,4つの塩基分子がイオン電流変化により識別されるが,開発の進むバイオナノポアシークエンサーでは,4個の塩基分子をひとまとまりの分子としてイオン電流変化を計測している(5)5) M. Jain, I. T. Fiddes, K. H. Miga, H. E. Olsen, B. Paten & M. Akeson: Nat. Methods, 12, 351 (2015)..このため,単純計算で,4×4×4×4=256分の1の確率でひとまとまりの塩基配列を情報科学で決定する方法が用いられている(5)5) M. Jain, I. T. Fiddes, K. H. Miga, H. E. Olsen, B. Paten & M. Akeson: Nat. Methods, 12, 351 (2015).

図2■4世代目のシークエンサーの代表的な原理

(A)シークエンサーデバイスの構造.(B)バイオナノポアを用いた塩基識別の原理.脂質二重膜を挟んで設置された電極間を流れるイオン電流の変化が,4つの塩基分子で異なる.(C)ナノギャップナノポアを用いた塩基識別の原理.ナノ電極間を流れるトンネル電流が,ナノ電極間に存在する1塩基分子の僅かな電子状態(電気抵抗)の違いを読み出す.4つの塩基分子の電気抵抗が異なるため,4つの塩基分子は,トンネル電流により識別される.

バイオナノポアは,チャネルタンパク質を用いるため,機械的耐久性や安定性に課題があると考えられている.この課題を解決するために開発されたのが,バイオナノポアと同じ直径をもつ固体ナノポアである(2~4).半導体材料で作られる固体ナノポアの検出原理は,バイオナノポアと同じであるが,1塩基分子の識別はこれまで実現されていない.これは,バイオナノポアの最も狭いナノポア部分の厚みが数Åと1原子レベルであるのに対して,固体ナノポアの厚みが数十nmあるため,1分子解像度が得られていないと考えられている.

ナノギャップナノポアは,機械的耐久性と安定性をもつ固体ナノポアに,1分子を識別するナノギャップ電極を融合させた構造をもつ(2, 3)2) D. Branton, D. W. Deamer, A. Marziali, H. Bayley, S. A. Benner, T. Butler, M. Di Ventra, S. Garaj, A. Hibbs, X. Huang et al.: Nat. Biotechnol., 26, 1146 (2008).3) C. Dekker: Nat. Nanotechnol., 2, 209 (2007)..ナノ電極間の距離が,一つのヌクレオチドの大きさに対応する1 nm程度であるとき,ナノ電極→1ヌクレオチド→ナノ電極の経路で電流が流れる.この電流は,トンネル電流と呼ばれる量子力学で説明される電流で,1塩基分子の僅かな電子状態(電気抵抗)を読み出す.トンネル電流は,電極間に存在する分子種の電子状態を読み出すため,塩基分子のみならず,修飾塩基分子やアミノ酸分子の識別も可能である.

1分子を計測するナノギャップ電極

ナノギャップナノポアシークエンサーは,究極のDNAシークエンサーであると期待されているため,$1,000ゲノムプロジェクトのターゲットとなり,全米体制で研究開発が行われてきた.しかし,最先端の半導体技術をもってしても,1 nmのギャップをもつナノギャップ電極を作ることができなかったため,夢のシークエンサーと考えられていた.ところが筆者らは最近,3点曲げの要領で金属細線を破断する方法を用いて,1 nmのナノギャップ電極を実現した(6)6) M. Tsutsui, M. Taniguchi, K. Yokota & T. Kawai: Nat. Nanotechnol., 5, 286 (2010).

金属板に成膜した絶縁体上に,金属細線を微細加工技術で作製する(図3A図3■ナノギャップの作製法と,1塩基分子の計測).この金属細線の真下に数μmの切れ込みを入れて,ピエゾ素子を押し上げると,金属細線が破断してナノギャップが作られる.次に,ピエゾ素子を引き下げると,ナノギャップがなくなり,金属細線が再び形成される.金は,室温で非常に柔らかい金属なので,電極間に電圧をかけて金属細線の破断と接合を繰り返すと,徐々にナノギャップの先端が先鋭になり,最後は,ナノギャップに1個の金原子が接合される状態が作られて,破断する.つまり,ナノギャップ電極の先端は,1原子レベルでとがっている.この現象は,透過電子顕微鏡で観察されている(7)7) H. Ohnishi, Y. Kondo & K. Takayanagi: Nature, 395, 780 (1998)..このナノギャップ作製法は,機械的破断接合(Mechanically Controllable Break-Junction; MCBJ)と呼ばれており,1個の原子や分子の電気伝導度を計測する1分子手法として知られている.

図3■ナノギャップの作製法と,1塩基分子の計測

(A)絶縁膜に作製された金属細線が,ピエゾ素子の上下運動により,破断・接合を繰り返す.(B)1塩基分子の電流–時間プロファイル.1塩基分子のシグナルは,最大電流値(Ip)と電流持続時間(td)の2つのパラメータで特徴づけられる.(C)4つの塩基分子の電流のヒストグラム.①の電流が得られると,グアニンであることがわかるが,②~④の電流のときは,確率的にどの塩基分子であるか決定される.

電気伝導度で1分子を識別

MCBJを用いて,1ヌクレオチドが溶けた水溶液の電流の時間変化を計測すると,多数のスパイク状のシグナルが観察される(図2C図2■4世代目のシークエンサーの代表的な原理).このスパイク状のシグナルは,最大電流値(Ip)と電流の持続時間(td)の2つのパラメータで特徴づけられる(図3B図3■ナノギャップの作製法と,1塩基分子の計測).電流持続時間は,1ヌクレオチドがナノ電極間を通過する時間に対応する.4つのヌクレオチドの水溶液の電流–時間プロファイルを計測し,Ipのヒストグラムを作成すると,図3C図3■ナノギャップの作製法と,1塩基分子の計測が得られる.ヒストグラムのピーク電流はグアニン>アデニン>シトシン>チミンの順であり,この順序は各ヌクレオチドの酸化還元電位の順序と一致している(6, 8)6) M. Tsutsui, M. Taniguchi, K. Yokota & T. Kawai: Nat. Nanotechnol., 5, 286 (2010).8) T. Ohshiro, K. Matsubara, M. Tsutsui, M. Furuhashi, M. Taniguchi & T. Kawai: Sci. Rep., 2, 00501 (2012)..この一致は,トンネル電流の理論から予測され,得られた電流がトンネル電流であることを示している.

電流のヒストグラムの分散を用いて,ある電流を示すヌクレオチドが何であるかを決定するには情報科学を用いる.たとえば,大きなトンネル電流①が得られた場合,グアニンであることがわかる.ところが,トンネル電流②~④は,シトシンとチミンがある確率で混ざっているため,その確率を情報科学で求めて塩基種を決定する.このような確率的な解析は不安を感じるかもしれないが,実は,すべてのDNAシークエンサーは,同様の解析を行って,確率的に塩基配列を決定している.

DNAとRNAの塩基配列決定

TAT(A:アデニン,T:チミン)の配列をもつDNA水溶液の電流–時間プロファイルを計測すると,TATのシグナルのほかに,部分配列であるTA, T, Aのシグナルが観察される(8)8) T. Ohshiro, K. Matsubara, M. Tsutsui, M. Furuhashi, M. Taniguchi & T. Kawai: Sci. Rep., 2, 00501 (2012).図4A図4■DNAの電流–時間プロファイルと,断片配列から全配列を決定する方法).理想的には,上から下への等速運動を想定しているが,現実には1分子DNAの受けるブラウン運動の影響が大きいため,ランダムな動きが観察される.たとえば,TATからナノギャップ電極に進入した後,遠ざかる場合には,Tのシグナルしか得られず,異なる立体配置からナノギャップ電極に近づき,遠ざかる場合には,Aのシグナルしか得られない.DNAの塩基配列を頭から尻尾まで一筆読みするためには,1分子DNAの運動を制御する1分子技術が必要となるが,このランダムな読み方を利用することができる.

図4■DNAの電流–時間プロファイルと,断片配列から全配列を決定する方法

(A)TATのDNAを計測するときに得られる電流–時間プロファイルと,対応する1分子の運動.(B)断片配列の中から,共通部分配列を抜き出し,のりしろ部分で張り合わせる方法.

DNAやRNAの水溶液の電流–時間プロファイルを測定すると,ブラウン運動の影響を受けた階段状のシグナルが得られてくる(8)8) T. Ohshiro, K. Matsubara, M. Tsutsui, M. Furuhashi, M. Taniguchi & T. Kawai: Sci. Rep., 2, 00501 (2012).図5図5■ナノギャップナノポアシークエンサーの解析機能).この階段状のシグナルは,DNAやRNAの断片配列であり,断片配列を組み合わせて,最終的な塩基配列が決定される.たとえば,図4B図4■DNAの電流–時間プロファイルと,断片配列から全配列を決定する方法のような塩基配列を計測すると,異なる断片配列が得られる.この断片配列の共通部分を抜き出し,のりしろ部分を見つけて,確率的に全塩基配列を決定することができる.トンネル電流による1分子シークエンサーは,1塩基分子の電子状態の違いを電流で読み出すので,化学処理や逆転写などを必要とせず,DNAだけでなくRNAの塩基配列も直接決定することができる.

図5■ナノギャップナノポアシークエンサーの解析機能

現在までに実験で実証されている解析機能.

修飾塩基分子の識別

トンネル電流は,1分子の僅かな電子状態を読み出すため,既存のDNAシークエンサーでは直接識別できない修飾塩基分子を識別できると期待される.1分子の電子状態を理論計算すると,シトシンとメチル化シトシン,グアニンと酸化グアニンの間には,僅かなエネルギー差が示唆される.メチル化シトシンと酸化グアニンの水溶液の電流–時間ファイルを計測すると,ヌクレオチドと同様なスパイク状のシグナルが得られた(9)9) M. Tsutsui, K. Matsubara, T. Ohshiro, M. Furuhashi, M. Taniguchi & T. Kawai: J. Am. Chem. Soc., 133, 9124 (2011)..これらの修飾ヌクレオチドを流れる電流のヒストグラムを作成すると,一つのピーク電流が得られ,ピーク電流の大きさは,メチル化シトシン>シトシン,酸化グアニン>グアニンの順番であり,理論計算結果と一致している.

ペプチドのアミノ酸配列決定と翻訳後修飾の識別

ペプチドとタンパク質のアミノ酸配列決定法は,化学反応を用いるエドマン法,質量分析法,これらの複合解析法などがあるが,DNAシークエンサーのようなアミノ酸シークエンサーは存在しない.また,DNAは,PCRにより,少量のサンプル量から計測可能なサンプル量まで増幅されるが,ペプチドとタンパク質にはPCRに類似した増幅法がないため,少量サンプルで解析可能な計測技術の開発が求められている.トンネル電流による1分子識別技術は,1分子の僅かな電子状態を読み取るため,異なる電子状態をもつアミノ酸の配列も決定できると期待される.

まず,アミノ酸20種類の1分子に流れる電流を調べるため,1種類のアミノ酸分子水溶液の電流–時間プロファイルを計測した(10)10) T. Ohshiro, M. Tsutsui, K. Yokota, M. Furuhashi, M. Taniguchi & T. Kawai: Nat. Nanotechnol., 9, 835 (2014)..DNAとRNAを構成する塩基分子が,ほぼ同程度の大きさをもつのに対して,アミノ酸分子の大きさには違いがある.このため,塩基分子の計測では,ナノ電極間の距離を0.7~1 nmの間の1点に固定して計測を行ったが,アミノ酸分子の計測では,0.5と0.7 nmの2つの異なる電極間距離を用いた.得られた電流–時間プロファイルから電流のヒストグラムを作成したところ,20種類中12種類のアミノ酸分子でピーク電流が得られた.また,ペプチドの機能をオン・オフする翻訳後修飾でよく知られるリン酸化チロシンを計測したところ,ヒストグラムに一つのピーク電流が得られ,チロシンとは異なるピーク電流をもつことがわかった.

12種類のアミノ酸と1種類の修飾アミノ酸が1分子で識別できたので,ペプチドの部分アミノ酸配列の決定と,修飾・非修飾ペプチドの識別の実験を行った.用いたペプチドは,成長増殖因子を制御するペプチド(IEEEIYGEFDとIEEEIpYGEFD: Iイソロイシン,Eグルタミン酸,Yチロシン,pYリン酸化チロシン,Gグリシン,Fフェニルアラニン,Dアスパラギン酸)として知られており,チロシンがリン酸化されると機能がオンになる.それぞれのペプチド水溶液の電流–時間プロファイルを0.7 nmのナノギャップ電極を用いて計測すると,DNAやRNAと同様な階段状のシグナルが得られた(図5図5■ナノギャップナノポアシークエンサーの解析機能).これらのシグナルはペプチドの部分アミノ酸配列であり,DNAとRNAで開発した方法を用いて解析したところ,チロシン,フェニルアラニン,リン酸化チロシンが明確に識別された.

修飾・非修飾ペプチドの定量解析

トンネル電流による1分子識別技術は,ナノ電極間を通過する1分子のDNAとRNAの断片塩基配列と同様,1分子のペプチドの断片アミノ酸配列を決定できる.この計測では,一つの断片配列=1分子,という関係が成り立つため,ある断片配列をもつDNA, RNA,ペプチドの分子数を推定することができる.たとえば,先の非修飾・修飾ペプチドについて考えてみる.非修飾・修飾ペプチドには,それぞれ,チロシンとリン酸化チロシンがそれぞれ1分子ずつ含まれている.したがって,この2種類のペプチドを,非修飾:修飾=1 : 5で混合した水溶液の電流–時間プロファイルを計測すると,チロシンとリン酸化チロシンを含む断片配列のカウント数の比が1 : 5になると期待される.つまり,ある特定のマーカーを基準にすれば,アミノ酸配列とともに,その配列をもつペプチドの存在比が求まる定量解析が可能になると考えられる.非修飾・修飾ペプチドを1 : 5のモル比で混合した水溶液の電流–時間プロファイルを計測し,チロシンとリン酸化チロシンのカウント数を比較すると,1 : 4.3の混合比が得られた.

おわりに

究極のシークエンサーと期待される,トンネル電流を用いた1分子DNAシークエンサーの現状と課題について解説してきた.トンネル電流は,1分子の僅かな電子状態(電気抵抗)の違いを読み出すため,塩基分子とアミノ酸分子を1分子で識別でき,DNAとRNAの塩基配列とペプチドの部分アミノ酸配列を決定することができる.また,現在のDNAシークエンサーでは直接識別することはできないが,エピジェネティックマーカーやガンマーカーとして知られる修飾塩基分子も1分子で識別することができる.さらに,ペプチドの翻訳後修飾も1分子で識別できるとともに,配列決定と同時に,その配列をもつペプチドの存在比がわかる定量解析の可能性が見えてきた.この定量解析は,DNAとRNAにも拡張することが可能であるため,今後,ガンマーカーとして注目を集めているmiRNAの定量解析に応用可能である.

高い読取精度,速いスループット,さらに長い読取長を実現するためには,1分子識別技術に加え,1分子の流れる向きを制御する速度制御技術の開発が必須となる.長いDNA, RNA,ペプチドを1本鎖の状態にして,1分子を一つの方向に等速で流すことが理想的である.現在,世界中で1分子速度制御技術の開発が盛んに行われているが,数nm領域では,水がさらさら流れるのではなく,固い球がぶつかり合うイメージに近いので,これまでの流体技術とは異なる技術の開発が必要である.一方,ナノデバイスを作る半導体技術は,ナノ電極を高度に集積化することを得意とし,大量生産すればするほど,デバイス価格を安くできる特徴をもつ.したがって,1分子識別技術と1分子速度制御技術が一つの半導体チップの上に集積されてしまえば,読取価格は破壊的な安さになることが予測される.

Reference

1) 菅野純夫,鈴木 穣:“次世代シークエンサー 目的アドバンストメソッド”,秀潤社,2012.

2) D. Branton, D. W. Deamer, A. Marziali, H. Bayley, S. A. Benner, T. Butler, M. Di Ventra, S. Garaj, A. Hibbs, X. Huang et al.: Nat. Biotechnol., 26, 1146 (2008).

3) C. Dekker: Nat. Nanotechnol., 2, 209 (2007).

4) M. Taniguchi: Anal. Chem., 87, 188 (2015).

5) M. Jain, I. T. Fiddes, K. H. Miga, H. E. Olsen, B. Paten & M. Akeson: Nat. Methods, 12, 351 (2015).

6) M. Tsutsui, M. Taniguchi, K. Yokota & T. Kawai: Nat. Nanotechnol., 5, 286 (2010).

7) H. Ohnishi, Y. Kondo & K. Takayanagi: Nature, 395, 780 (1998).

8) T. Ohshiro, K. Matsubara, M. Tsutsui, M. Furuhashi, M. Taniguchi & T. Kawai: Sci. Rep., 2, 00501 (2012).

9) M. Tsutsui, K. Matsubara, T. Ohshiro, M. Furuhashi, M. Taniguchi & T. Kawai: J. Am. Chem. Soc., 133, 9124 (2011).

10) T. Ohshiro, M. Tsutsui, K. Yokota, M. Furuhashi, M. Taniguchi & T. Kawai: Nat. Nanotechnol., 9, 835 (2014).