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一細胞からの植物ホルモン質量分析法微量な低分子化合物の内生量を細胞レベルで明らかにする

Takafumi Shimizu

清水 崇史

理化学研究所環境資源科学研究センター

Mitsunori Seo

瀬尾 光範

理化学研究所環境資源科学研究センター

Published: 2016-06-20

植物ホルモンは,植物自身が産生し,成長調節や環境応答を制御する生理活性を有した植物に普遍的に存在する(主に低分子の)化合物群であり,植物の乾燥重量1 mg当たり数ng~pgという極めて低濃度で作用することが知られている.植物ホルモンを介した生理応答は,しばしば内生のホルモン濃度の変化によって引き起こされる.たとえば,アブシシン酸(abscisic acid; ABA)は乾燥ストレスにより内生量が上昇し,気孔閉鎖などの乾燥応答反応を誘導する(1, 2)1) E. Nambara & A. Marion-Poll: Annu. Rev. Plant Biol., 56, 165 (2005).2) J. A. D. Zeevaart & R. A. Creelman: Annu. Rev. Plant Physiol. Plant Mol. Biol., 39, 439 (1988)..また,ジャスモン酸類(jasmonates; JAs)は傷害や病害などのストレスで一過的に高濃度に蓄積し,傷害や病害応答性遺伝子の発現を誘導する(3)3) A. J. Koo & G. A. Howe: Phytochemistry, 70, 1571 (2009)..一方で,ある個体や器官・組織における全体的なホルモン量の変化を伴わないままに,ABAやJAsに対する応答が観察されることも報告されており(2, 4)2) J. A. D. Zeevaart & R. A. Creelman: Annu. Rev. Plant Physiol. Plant Mol. Biol., 39, 439 (1988).4) P. Schweizer, A. Buchala, P. Silverman, M. Seskar, I. Raskin & J. P. Metraux: Plant Physiol., 114, 79 (1997).,植物ホルモンの局在・分布が厳密に制御されていることも考えられている.細胞内のホルモン濃度はその生合成,代謝(不活性化)および輸送のバランスによって調節されていると考えられる.動物の場合とは異なり,植物では何処で作られたホルモンが植物体内をどのように輸送され,何処で作用するのか.必ずしもはっきりしていないが,たとえばABAについては,その主要な生合成酵素は維管束組織に多く局在しており,そこで作られたABAが孔辺細胞へ輸送されて機能していることが近年明らかになりつつある(5, 6)5) A. Endo, Y. Sawada, H. Takahashi, M. Okamoto, K. Ikegami, H. Koiwai, M. Seo, T. Toyomasu, W. Mitsuhashi, K. Shinozaki et al.: Plant Physiol., 147, 1984 (2008).6) H. Koiwai, K. Nakaminami, M. Seo, W. Mitsuhashi, T. Toyomasu & T. Koshiba: Plant Physiol., 134, 1697 (2004)..またJAsは傷害ストレスを受けた際に傷害部位の近傍数mmの範囲で一過的に高蓄積し,局所的にJAs応答性遺伝子の発現を誘導する(7)7) K. Miyamoto, T. Shimizu, S. Mochizuki, Y. Nishizawa, E. Minami, H. Nojiri, H. Yamane & K. Okada: Protoplasma, 250, 241 (2013).が,その一方で,傷害を受けていないほかの組織へも輸送され,そこでも応答性遺伝子の発現を誘導することが知られている(8~10)8) H. Matsuura, S. Takeishi, N. Kiatoka, C. Sato, K. Sueda, C. Masuta & K. Nabeta: Phytochemistry, 83, 25 (2012).9) E. E. Farmer & C. A. Ryan: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 87, 7713 (1990).10) C. Wasternack & B. Hause: Ann. Bot. (Lond.), 111, 1021 (2013)..しかしながら,いずれのホルモンについても,細胞レベルでの局所的な内生量の変動はほとんど明らかにされておらず,また,実際に各化合物が細胞間をどの程度移動しているのかなどの知見も乏しい.

このように,植物ホルモンの生理機能や作用のメカニズムを理解するためには,その局在と細胞内の濃度を正確に,できれば植物が生きたままの状態で把握することが極めて重要になる.従来,細胞レベルでのホルモンの局在や濃度については,マーカー遺伝子の発現を,そのプロモーターとGFPなどのレポーターを用いて間接的に可視化することが試みられてきた.一方で筆者らの研究グループは,これまでにほとんどの植物ホルモンとその類縁化合物についてLC-MS/MSを用いた定量分析法を確立しており,分析対象にもよるが乾燥重量1 mgにも満たない葉の切片や,シロイヌナズナの種子一粒からでも正確な内生量を定量することを可能としてきた(11)11) Y. Kanno, Y. Jikumaru, A. Hanada, E. Nambara, S. R. Abrams, Y. Kamiya & M. Seo: Plant Cell Physiol., 51, 1988 (2010)..しかしながら依然,植物の特定の一細胞を取り出し,そこに含まれるホルモンを定量することは困難であった.以上のような背景から筆者らは,近年理化学研究所生命システム研究センターの升島 努博士のもとで開発された一細胞質量分析の手法(12~14)12) M. Lorenzo Tejedor, H. Mizuno, N. Tsuyama, T. Harada & T. Masujima: Anal. Chem., 84, 5221 (2012).13) H. Mizuno, N. Tsuyama, T. Harada & T. Masujima: J. Mass Spectrom., 43, 1692 (2008).14) N. Tsuyama, H. Mizuno & T. Masujima: Biol. Pharm. Bull., 35, 1425 (2012).を用いることで,ABAとJAsの主要な活性型化合物であるジャスモノイルイソロイシン(JA-Ile)の内生量を一細胞から分析する手法の開発に取り組むことにした(15)15) T. Shimizu, S. Miyakawa, T. Esaki, H. Mizuno, T. Masujima, T. Koshiba & M. Seo: Plant Cell Physiol., 56, 1287 (2015).

図1■一細胞質量分析実験の流れ

この手法では,顕微鏡下で一細胞の内容物を採取し,それを質量分析器に直接供することで,一細胞内に含まれる化合物の質量分析を高感度に行う.細胞内容物の採取にはnano-electrospray ionization (ESI) tipと呼ばれる,金属コーティングを施されたガラスキャピラリーを用い,そこに少量のイオン化溶媒を加えることで,そのまま質量分析器のイオン源として用いることができる.

筆者らは実験手法立上げに際し,まずは一細胞のサンプリングのしやすさを考え,表皮上では長軸方向に数十から数百µmと細胞が比較的大きなソラマメを実験材料として用いることにした.先端経が1 µmのnano-ESI tipを用い,実体顕微鏡下で一細胞の内容物を取得した後,内部標準として一定量の安定同位体標識されたABA([D6]ABA)およびJA-Ile (JA-[13C6]Ile)を,溶媒となる80%メタノールとともに添加し,それをそのまま質量分析器のイオン源に供して分析を行った.分析ごとのイオン化効率の違いなどを補正するために,目的化合物のイオン強度と,加えた内部標準物質のイオン強度の比を算出し,その値から細胞内の目的化合物の量を見積もるのである(図1図1■一細胞質量分析実験の流れ).植物ホルモンの内生量は非常に低く,また,本手法では従来までの植物ホルモン定量分析の方法と異なり,固相抽出などによる対象化合物の精製や,HPLCの溶出時間を指標とした物質同定ができないため,対象化合物由来のイオンの同定には十分に注意を払う必要がある.質量分析器には,検出感度に優れるトリプル四重極型のものと,質量分解能に優れるフーリエ変換型のものを使用した.標準物質を用いて検量線を作成し,さらに植物の粗抽出液を未精製のまま一細胞分析と同様にnano-ESI tipを用いて直接質量分析を行った.その結果,トリプル四重極型の質量分析器を用いた場合には,幸いにも今回ターゲットとしたABA, JA-Ileについては,MS/MS分析で得られる特定のフラグメントイオンをモニターすることでLC-MS/MSによる従来法と同程度に定量性が得られることが確認できた.このように分析の対象となる化合物に対する詳細な実験条件の検討を十分に行うことではじめて,一細胞分析によって得られる結果に信頼性をもたせられると筆者らは考えている.

これを踏まえて,実際にソラマメの葉の一細胞から乾燥や傷害に応答したABAとJA-Ileの内生量の変化を検出できるか検討した.その結果,未処理の葉に比べ,乾燥処理を行った葉の一細胞からは有意に多量のABAが,また傷害処理を行った葉の一細胞からは有意に多量のJA-Ileが検出されることが示された.現状ではnano-ESI tip中に吸い取られている細胞内容物の量を知る方法が確立されていないため,ABAやJA-Ileの細胞内濃度の正確な算出には至っていないが,仮に一細胞の内容物ほぼすべてをサンプリングできているとすると,一細胞から得られたホルモン定量値を葉全体の重量当たりに換算した値は従来までの葉全体からのABAやJA-Ile定量値とよく一致しており,これらのことからも乾燥や傷害によるABA, JA-Ileの増加を一細胞からある程度正確に検出できているものと考えている.

以上のように,われわれは生きた植物におけるホルモンレベルの変化を,一細胞由来のサンプルから検出できるようになったと考えている.今後はより正確な内生量の「定量」に向けて,化合物同定や定量性の評価法の改善や,サンプル量の正確な見積もり方法の確立に取り組む必要があると考えている.また,今回は分析法の確立が主な目的であるため,ABAが全体に高蓄積していると考えられる状態の葉,もしくはJA-Ileが高蓄積していると予想される傷害部付近から得た一細胞をサンプルとして用いたが,われわれの本来の目的は一細胞分析でしか検出できない局所的なホルモンの蓄積量の違いを明らかにすることである.この場合,得られた結果の信頼性をどう評価するのかなども,今後解決すべき重要な問題であると考えられる.このように,まだ解決すべき問題は多いが,今回のわれわれの試みによって,一細胞内のホルモンの正確な定量という目的の達成に向けて,着実な一歩を踏み出せたのではないかと考えている.

Reference

1) E. Nambara & A. Marion-Poll: Annu. Rev. Plant Biol., 56, 165 (2005).

2) J. A. D. Zeevaart & R. A. Creelman: Annu. Rev. Plant Physiol. Plant Mol. Biol., 39, 439 (1988).

3) A. J. Koo & G. A. Howe: Phytochemistry, 70, 1571 (2009).

4) P. Schweizer, A. Buchala, P. Silverman, M. Seskar, I. Raskin & J. P. Metraux: Plant Physiol., 114, 79 (1997).

5) A. Endo, Y. Sawada, H. Takahashi, M. Okamoto, K. Ikegami, H. Koiwai, M. Seo, T. Toyomasu, W. Mitsuhashi, K. Shinozaki et al.: Plant Physiol., 147, 1984 (2008).

6) H. Koiwai, K. Nakaminami, M. Seo, W. Mitsuhashi, T. Toyomasu & T. Koshiba: Plant Physiol., 134, 1697 (2004).

7) K. Miyamoto, T. Shimizu, S. Mochizuki, Y. Nishizawa, E. Minami, H. Nojiri, H. Yamane & K. Okada: Protoplasma, 250, 241 (2013).

8) H. Matsuura, S. Takeishi, N. Kiatoka, C. Sato, K. Sueda, C. Masuta & K. Nabeta: Phytochemistry, 83, 25 (2012).

9) E. E. Farmer & C. A. Ryan: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 87, 7713 (1990).

10) C. Wasternack & B. Hause: Ann. Bot. (Lond.), 111, 1021 (2013).

11) Y. Kanno, Y. Jikumaru, A. Hanada, E. Nambara, S. R. Abrams, Y. Kamiya & M. Seo: Plant Cell Physiol., 51, 1988 (2010).

12) M. Lorenzo Tejedor, H. Mizuno, N. Tsuyama, T. Harada & T. Masujima: Anal. Chem., 84, 5221 (2012).

13) H. Mizuno, N. Tsuyama, T. Harada & T. Masujima: J. Mass Spectrom., 43, 1692 (2008).

14) N. Tsuyama, H. Mizuno & T. Masujima: Biol. Pharm. Bull., 35, 1425 (2012).

15) T. Shimizu, S. Miyakawa, T. Esaki, H. Mizuno, T. Masujima, T. Koshiba & M. Seo: Plant Cell Physiol., 56, 1287 (2015).