巻頭言

非論理的化学としての「物取り」の快感

Hirokazu Kawagishi

河岸 洋和

静岡大学グリーン科学技術研究所

Published: 2016-07-20

私は1985年に静岡大学に助手として赴任して以来,主にキノコからの「物取り」(生物活性物質を精製し構造を決めること)を続けている.博士課程では天然物の全合成を行い,学位取得後は米国へのポスドクも決まり,合成化学者として生きていくつもりだった.しかし突然,合成化学とは無縁な助手のポストの話が舞い込み,悩んだ末に,すでに結婚し妻が生計を立てていた(所謂ヒモであった)こともあり安定な職業を選び静岡に赴任した.いずれは海外に行ってみたいと思い続けていたが,1998年に文部省長期在外研究員としてやっと海外に赴く機会が与えられた.当時,静岡大学理学部におられた上村大輔先生(現神奈川大学特別招聘教授)に「超一流を見ておけ!」と背中を押され,ハーバード大学の岸 義人先生(合成化学)にお世話になることになった.40歳を過ぎてからの,小中学生の子どもたち3人を連れての家族大移動となった.研究室では「昔取った杵柄」と多少の反応も行ったが,「これはダメだ」と降参し,岸研のメンバーが合成した化合物のNMR測定や構造解析を主に担当した.そのうちムラムラと物取りをやりたくなり,岸先生の了解を得て,自宅からミキサーを持参しスーパーマーケットで買ったキノコの破砕,抽出を始めた.天然素材からの化合物の抽出,分画,精製など見たこともない学生やポスドクたちは私の周りに集まり,ある博士課程の女子学生は「New Chemistry!」と騒いでいた.当時も今も米国ではアカデミアに属する「物取り屋」は日本に比べて極めて少ない.こんな経験もあり,ある機会に岸先生に「どうしてアメリカの大学には物取り屋は少ないのですか?」という質問をぶつけてみた.「そりゃ河岸さん,アメリカ人はロジックが好きなんだよ.物取りにロジックがあるかい?」と岸先生,「そうだよな,合成スキームをまず考える合成と違って,僕の仕事は「何が取れるかわからない」から始まるからな.」と思った.しかし,岸先生ご自身は,先生の代表的研究であるパリトキシンやハリコンドリンの仕事は物取り屋の上村先生との二人三脚で成し遂げられており,物取り屋に大きな敬意を示されていた.そのときの会話でも「でもね,下村さん(2008年ノーベル化学賞)はすごいんだよ.まだ,何が取れるかわからないのに硝酸を入れてしまうんだから,そして,それが当たるんだ.」とおっしゃった.硝酸の添加など目的の物質の安定性がわからない段階でするようなことではない.昨年,ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村 智先生も歴史に残る化合物を山のように発見されている.

上記の物取り屋の泰斗は,私のような凡人には理解できない論理があるのだろう.したがって,この小文のタイトルの「非論理的」はあくまでも私レベルの物取りのことである.私の研究は,主にキノコ抽出物に対してバイオアッセイを行い,その結果を指標にクロマトグラフィーを繰り返し活性物質の精製を行う,という単純作業である.しかし,掲げる目標は「生命現象を分子で説明する」ということである.ゲノム全盛時代に物取りは分が悪いが,「生命現象を直に動かしているのは小さな分子である」と日々学生を叱咤激励している.時折,私の研究室では「面白い化合物が見つかる」と研究者仲間に言われることがあるが,それは,研究対象を選ぶちょっとした「(非論理的)勘」と学生たちの精進のおかげかもしれない.体力任せで見つけた化合物によって,ゲノム(設計図)の意味が明らかになっていく過程は,正に「快感」である.