Kagaku to Seibutsu 54(8): 548-554 (2016)
解説
植物の分子フェノロジー季節を測る分子メカニズム
Molecular Phenology in Plants: Molecular Mechanisms for Detecting Seasons
Published: 2016-07-20
植物は決まった季節に花を咲かせる.このような生物の季節現象をフェノロジーと呼ぶ.分子フェノロジーは,分子生物学の技術によって捕捉される生物の季節現象である.特に,遺伝子発現定量法の最近の進歩によって,分子フェノロジー研究は活発となった.高解像度分子フェノロジー(HMP)データとは,高時間分解能をもつ,十分頻繁に観察された時系列データである.花成調節遺伝子のHMPデータの解析は,植物が気温の長期記憶を有することを示唆していた.さらに植物が,日長,長期気温,短期気温という3つのシグナルの位相差を利用して季節を感知している可能性について論じる.
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
最近,自然条件下で生物を研究することの重要性が,分子遺伝学や細胞生物学の分野において強調されるようになった.こういったアプローチはイン・ナチュラ研究と呼ばれている.このイン・ナチュラという用語は,自然条件下(イン・ナチュラ)と実験室(イン・ビトロとイン・ビボ)を併せた研究が包括的理解をもたらすという考えを表すために作られた(図1図1■イン・ナチュラ研究の役割を示す概念図).これまでも分子生物学的アプローチは生態学や進化学に積極的に取り入れられてきたが,それとは違う意味がそこにはある.イン・ナチュラ研究が強調されているのは,遺伝子や細胞機能の理解という分子遺伝学や細胞生物学それ自身の目的にとって,自然生育地での研究が必要であるという考えに根差している.イン・ナチュラ研究では,実験室研究とは異なる問題が取り上げられる.変動する環境下で,生物はどのようにノイズの中からシグナルを取り出して応答しているのか? 生物の調節機構は,自然生育地で経験する幅広い物理的生物的環境下で機能するに足る頑健性をもっているのか? 特に,イン・ナチュラ研究においては,生物の機能を,変動する複合環境の中で進化してきた機能として見直すことが重要視される.この解説の目的は,分子フェノロジーという新しい研究領域を紹介するとともに,植物の季節応答の理解におけるイン・ナチュラ研究の必要性を示すことである.特に「高解像度分子フェノロジー」と「位相差カレンダー仮説」という重要な概念的枠組みを解説することで,イン・ナチュラ研究の果たす役割を浮き彫りにする.
植物の開花や展葉・落葉などは1年の決まった季節に観察される.開花期の季節性は温帯域では特に顕著であり,多くの植物種の開花のピークは年のうちで特定の10~20日の間に見られる.このような,生物の季節スケジュールのことをフェノロジー(phenology)と呼ぶ.
植物のフェノロジーは年間の変動が大きく,それがどのような気象要因によって決まるかを明らかにすることは,生態学や生物気象学の長きにわたる興味の対象である.そのため,何十年間にわたるフェノロジーデータ,特に開花フェノロジーのデータが蓄積されている.フェノロジーを予測することは,農学や林学においても主要な研究課題の一つであり,また,将来の地球環境の変化に対するフェノロジーの変化を予測することも求められている.
分子フェノロジーは,分子生物学の技術によって捕捉される生物の季節現象と定義される(1)1) H. Kudoh: New Phytol., 210, 399 (2016)..したがって,分子フェノロジーのデータは,遺伝子発現,エピジェネティック修飾の変化やタンパク質,代謝物およびほかの分子の量の季節パターンなどとなる.特に,遺伝子発現定量法の最近の進歩によって,分子フェノロジー研究は活発となった.分子フェノロジー研究は,自然生育地で遺伝子の機能および制御を研究するイン・ナチュラ研究の重要性を示すだけでなく,フェノロジーに対する見方を変えつつある.フェノロジーが年によって変動することは,環境変化に対する代謝や発生速度の単純な変化とみなすことはできなくなった.分子フェノロジーのアプローチによって,自然の生育地における環境変動の下で進化してきた植物の積極的な応答として,フェノロジーが分析されるようになった.
初期の分子フェノロジーデータは,遺伝子発現の季節的変化をRNAゲルブロット(ノーザンブロッティング)か逆転写PCRによって半定量的に調べたものである.その例の一つとして,砂漠のマメ科植物を対象に,高温,乾燥,酸化ストレスに関連する遺伝子の発現変化を毎月調べる研究が行われた(2)2) E. Merquiol, L. Pnueli, M. Cohen, M. Simovitch, S. Rachmilevitch, P. Goloubinoff, A. Kaplan & R. Mittler: Plant Cell Environ., 25, 1627 (2002)..その結果,夏期に40°C程度の温度を経験したときにヒートショックタンパク質(HSP)をコードする遺伝子が発現上昇することが見いだされている.ほかの例では,ジギタリス属(オオバコ科)の植物において春から夏に防御関連遺伝子(カルデノリド生合成関連遺伝子)の発現上昇が(3)3) L. Roca-Pérez, R. Boluda, I. Gavidia & P. Pérez-Berúúmdez: Phytochemistry, 65, 1869 (2004).,また,トウダイグサ属(トウダイグサ科)で休眠および炭水化物代謝関連遺伝子の季節変化が半定量的方法による研究で報告されている(4)4) J. V. Anderson, R. W. Gesch, Y. Jia, W. S. Chao & D. P. Horvath: Plant Cell Environ., 28, 1567 (2005)..
その後,リアルタイム定量PCR(定量PCR)が,遺伝子発現の分子フェノロジーを研究するための標準的な方法となった.この方法では,標的遺伝子の配列を決定し,定量PCRのためのプライマーを設計することによって,多様な植物種について遺伝子発現のより正確な定量が可能となった.この方法を用いて,モデル種で機能が十分に判明している遺伝子についての分子フェノロジー研究が行われている.FLOWERING LOCUS T(FT)およびそのホモログは,植物の花成(花芽を形成すること,植物の開花に向けて最初に起こる発生学的な変化)に先んじて,葉から茎頂へ移動するシグナルであるフロリゲンとして,シロイヌナズナおよびイネで同定された.これまでにFTホモログおよび関連する遺伝子の発現の分子フェノロジーが,自然条件下で,しかも多様な植物を対象に報告されている(ポプラ,ブナ,ウンシュウミカン,ブドウ,キャベツ,ハクサンハタザオ,リンゴ,シトラス,キンカン,マンゴー,イチジク,など).それらの研究のほとんどが,開花期に先駆けてFTホモログの遺伝子発現が上昇することを報告している(1)1) H. Kudoh: New Phytol., 210, 399 (2016)..ほかの例では,ポプラにおいて,植物におけるアンモニア代謝,窒素循環を調節する重要因子を含むグルタミンシンテターゼ遺伝子ファミリーの季節的発現が報告されている(5)5) V. Castro-Rodríguez, A. García-Gutiérez, J. Canales, C. Avila, E. G. Kirby & F. M. Cánovas: BMC Plant Biol., 11, 119 (2011)..
マイクロアレイ法およびRNAシークエンシング(RNA-seq)法は,自然条件下で複数のサンプルについて,ゲノムワイドに遺伝子発現(トランスクリプトーム)を測定する最も広範かつ強力な技術である.これらの方法により,時系列のトランスクリプトームデータを得ることが可能となり,分子フェノロジーの研究に適用されている(6, 7)6) C. L. Richards, U. Rosas, J. Banta, N. Bhambhra & M. D. Purugganan: PLoS Genet., 8, e1002662 (2012).7) A. J. Nagano, Y. Sato, M. Mihara, B. A. Antonio, R. Motoyama, H. Itoh, Y. Nagamura & T. Izawa: Cell, 51, 1358 (2012)..マイクロアレイ法は,シロイヌナズナなどのモデル種を用いた分子フェノロジーの研究に適用可能である.たとえば,屋外ほ場で,シロイヌナズナの2系統を生育させた研究では,5,352遺伝子の発現について9回の時系列データが報告されている(6)6) C. L. Richards, U. Rosas, J. Banta, N. Bhambhra & M. D. Purugganan: PLoS Genet., 8, e1002662 (2012)..栄養成長か繁殖成長段階にあるかが,遺伝子発現の分散を最も説明する要因であることと,栄養成長中に気温と降水量に高い相関を示す遺伝子発現の分散成分があることが見いだされている.それには,温度制御・乾燥応答に関連する遺伝子が多く含まれていた.
RNA-seq法の出現で,非モデル植物を対象としたトランスクリプトーム解析ができるようになり,分子フェノロジー研究にも取り入れられている.東南アジア熱帯林において,一斉開花現象の環境トリガーを推定するためにRNA-seq法による分子フェノロジー研究が行われた(8)8) M. J. Kobayashi, Y. Takeuchi, T. Kenta, T. Kume, B. Diway & K. K. Shimizu: Mol. Ecol., 22, 4767 (2013)..一斉開花現象は,熱帯林群集を構成する大半の種が,数年に一度,一斉に同調して開花する壮観な現象である.一斉開花現象の過程を通してフタバガキ科のShorea beccarianaのトランスクリプトームが解析された.開花の時期を決める2つの遺伝子のホモログが,乾燥に応答するタイミングで遺伝子発現を大きく変化させた.その2つの遺伝子とは,先述したFTと花成抑制因子SHORT VEGETATIVE PHASE(SVP)であった.ほかの乾燥応答遺伝子も同じ時期に変化を見せた.これらにより,乾燥が,一斉開花のトリガーと推定された.
従来のフェノロジーデータは,初開花日や開芽日などを年に1回記録するもので,解析可能なデータセットを得るのに数十年以上を要した.一方,分子フェノロジーの特徴は,必要に応じて観測の頻度を増やせることである.これまでの多くの分子フェノロジーの観測は,年4回(四季)~年12回(毎月)や季節イベントの前後といったものが多かった.
一方,高解像度分子フェノロジー(HMP: High-resolution Molecular Phenology)データとは,高時間分解能をもつ,十分頻繁に観察された時系列データである(1)1) H. Kudoh: New Phytol., 210, 399 (2016)..HMPの登場により,環境要因に対するモデリングが可能となった.私たちの研究グループでは,シロイヌナズナ属の多年草ハクサンハタザオ(Arabidopsis halleri subsp. gemmifera)の自然生育地にフィールド研究サイトを設けて,長期の分子フェノロジー研究を進めている(図2).世界で初めてのHMPデータを取得したのも,この研究サイトである(9)9) S. Aikawa, M. J. Kobayashi, A. Satake, K. K. Shimizu & H. Kudoh: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 107, 11632 (2010)..花成関連遺伝子の発現を毎週測定し(約50回/年),2年間にわたり6株×96時点からなる567のデータを報告した.このようなHMPデータにより,気象環境から遺伝子発現や表現型の季節的変化を予測するフェノロジーモデルの開発が可能になった.さらに重要なことは,単に環境要因と遺伝子発現を関連づけるだけでなく,システム生物学的アプローチを用いることで,遺伝子調節システムに関する複数のパラメータをもつより複雑な仮説を,自然条件下で検証することができるようになった.
ここでは,イン・ナチュラ研究によって遺伝子機能の理解が進んだ例として,先に挙げたハクサンハタザオのHMPデータによる研究を紹介する(9)9) S. Aikawa, M. J. Kobayashi, A. Satake, K. K. Shimizu & H. Kudoh: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 107, 11632 (2010)..最初に対象となった遺伝子は,花成を司る遺伝子の一つで,温度応答性の花成抑制因子をコードするFLOWERING LOCUS C(FLC)である.この遺伝子の調節機構については,実験室とフィールドの両方で広範に研究が進められており,遺伝子機能の包括的な理解がかなりのスピードで進んでいる(1, 10)1) H. Kudoh: New Phytol., 210, 399 (2016).10) S. Berry & C. Dean: Plant J., 83, 133 (2015)..
ここでまず,自然条件下における気温の季節変化について考えてみよう.気温の季節変化の振幅は十分に大きいため,植物が毎年恒例のスケジュールを決定するための主要な手がかりとなる.ところが,ここに自然条件独特のパターンがある.野外での実際の気温は,季節よりも短い時間スケールで非常に大きく変動する.たとえば,昼夜の温度変化は,隣接する月の月平均気温の違いよりも大きい.また,天候によっても日毎に気温は変化する.そのため,春だからと言って,気温が前日より必ず高くなるというわけではない.つまり,気温の季節変化とは,数週間単位の長期傾向なのである.そのため,植物が気温の変化から季節を捉えるためには,気温の長期情報を感受するしくみが必要となる(11)11) R. Wang, S. Farrona, C. Vincent, A. Joecker, H. Schoof, F. Turck, C. Alonso-Blanco, G. Coupland & M. C. Albani: Nature, 459, 423 (2009)..
植物の花成のタイミングにかかわる遺伝子として,モデル植物であるシロイヌナズナの研究を通して,これまでに約200の遺伝子が見つかっている.FLCはその中で,春化(vernalization)の鍵遺伝子として同定された.春化とは,植物が長期間の寒さを経験した後に花成が促進される応答のことである.これは,冬が過ぎてから春に花を咲かせるしくみと考えられている.FLCは,MADS Box遺伝子の一つであり,FTをはじめとするいくつかの花成を促進する遺伝子のプロモーター領域に結合し,それらの転写を抑制する転写因子をコードしている.したがって,FLCは花成を抑制する因子であり,FLCの発現が高い間は,植物の頂端分裂組織では,継続的に葉がつくられる.植物が長期の低温にさらされると,FLCの発現が抑制されるが,その抑制は暖かくなった後も維持される.そのために冬のあとに花成が促進される(10)10) S. Berry & C. Dean: Plant J., 83, 133 (2015)..
私たちは,このFLCの調節に,気温の長期傾向に応答する仕組みがあると考え,そのHMPデータを取得した.そのことにより,植物がもつ過去の温度記憶の長さを自然条件下で推定しようと考えたのである.ここで,モデル植物のシロイヌナズナのFLCではなく,多年草である近縁のハクサンハタザオのFLCを研究の対象とした.それには理由がある.シロイヌナズナは生活環が短く,一度花を咲かせると枯れてしまう一年草である.シロイヌナズナのFLCでは,長期の低温による発現抑制が生活環の終了まで維持される.この状況では,FLC調節における記憶の長さを定義できない.記憶の長さを測るには,一定期間維持された後に,記憶が一掃される現象が必要である.多年草では,FLCホモログの抑制が可逆的であることが報告されており(11)11) R. Wang, S. Farrona, C. Vincent, A. Joecker, H. Schoof, F. Turck, C. Alonso-Blanco, G. Coupland & M. C. Albani: Nature, 459, 423 (2009).,この系ならば,自然条件下で記憶の長さを決定することができると考えた.
私たちは,ハクサンハタザオの自然集団で,FLCホモログ(以後単にFLCと表記)のHMP研究を行った(9)9) S. Aikawa, M. J. Kobayashi, A. Satake, K. K. Shimizu & H. Kudoh: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 107, 11632 (2010)..2年間にわたって,毎週,遺伝子発現を定量した結果,FLCの遺伝子発現の明確な季節パターンを捉えることができた(図3a図3■ハクサンハタザオFLCホモログの高解像度分子フェノロジー(HMP)データの解析).遺伝子発現の顕著な変化は,秋から冬,そして冬から春の間に見られ,秋には徐々に減少し,春には徐々に増加した.それ以外の季節では(5月から11月),発現は高く維持されたままであった.兵庫県中部に位置するこの集団では,4月下旬に開花のピークを迎える.ハクサンハタザオの頂芽では3月初め頃から花芽が見られ始め,5月末には同じ芽が葉を作るようになる.FLCの季節変化のパターンはこれらのタイミングとよく一致している.
ハクサンハタザオは,2年間の間,毎日大きく変動する気温を経験していたが(図3b図3■ハクサンハタザオFLCホモログの高解像度分子フェノロジー(HMP)データの解析),それらの短期変動には惑わされることなくFLC遺伝子の発現が季節の長期傾向に沿って調節されていた.記憶の長さを定量的に評価するために,HMPデータに低温要求量モデルを適用することによって,ハクサンハタザオがどれくらいの長さの過去の気温を参照しているかを推定した(図3c図3■ハクサンハタザオFLCホモログの高解像度分子フェノロジー(HMP)データの解析).
その結果,過去の参照期間42日間について,閾値温度10.5°C以下の温度の積算量(CDH: Chilling degree hour)を計算したもので(図3d図3■ハクサンハタザオFLCホモログの高解像度分子フェノロジー(HMP)データの解析),FLC遺伝子の発現量がよく説明されることがわかった(図3e図3■ハクサンハタザオFLCホモログの高解像度分子フェノロジー(HMP)データの解析).解析の結果は,この42日間,つまり6週間の参照期間が重要であることを明確に示していた.参照期間がこれより短くても,また長くても,FLCの発現量を説明することができなくなることがわかった.驚くべきことに,過去6週間の気温から計算したCDHが,自然条件下におけるハクサンハタザオのFLC発現の2年間の変動の83%を説明した(図3f図3■ハクサンハタザオFLCホモログの高解像度分子フェノロジー(HMP)データの解析).
この研究が,温度以外の要因も大きく変動するハクサンハタザオの自然生育地で行われたことに注意する必要がある.解析した植物は,台風時に水没したり,積雪に覆われたり,乾燥ストレスを受けたり,あるいは食害を経験したりしていた.しかし,FLC発現の制御は,過去6週間の温度に単純に依存していた.このことは,FLCの制御は季節の温度を検出するだけでなく,複雑な自然条件の下で機能することができる頑健性を備えていることを意味している(図3g図3■ハクサンハタザオFLCホモログの高解像度分子フェノロジー(HMP)データの解析).
フェノロジーモデルとは,気象データに基づいて,生物のフェノロジーを予測するモデルのことである.従来のフェノロジーモデルは,初開花日などを年1回,数十年にわったて記録したデータを使って作られていた.それに対して,分子フェノロジーの手法を用いれば,植物の内部状態について年間を通して測定することが可能となる.そのため,HMPデータを用いることによって,フェノロジーモデルの開発が格段にスピードアップし,1年か2年のデータでフェノロジーモデルの開発と検証が可能となった(1, 12)1) H. Kudoh: New Phytol., 210, 399 (2016).12) H. Kudoh & A. J. Nagano: “Evolutionary Biology: Exobiology and Evolutionary Mechanisms,” ed. by P. Pontarotti, Springer, Berlin, 2013, p. 195..
遺伝子ネットワークを組み込むことによってハクサンハタザオの開花期の開始と終了を予測するモデルを構築する研究が行われた(13)13) A. Satake, T. Kawagoe, Y. Saburi, Y. Chiba, G. Sakurai & H. Kudoh: Nat. Commun., 4, 2303 (2013)..この研究では,最小の遺伝子ネットワークによってフェノロジーを予測することを目的としており,FLCとFTのホモログのという2つの遺伝子の発現動態からなるモデルでフェノロジーを予測することに成功した.冷温帯(北海道)と暖温帯(本州中部)に位置する2つのハクサンハタザオ集団から植物を採集し,研究に用いた.室内実験で,モデルのパラメータを決定した.さらに,2集団の植物を相互にそれぞれの気候帯に位置する屋外ほ場に移植し,4セットのHMPデータを得た.モデルは,正確にそれぞれのHMPデータでの2つの遺伝子の発現を予測した.また,開花期間の開始と終了をも正確に予測することが示された.
このモデルを使って,地球温暖化が進むとハクサンハタザオの開花期間が短くなることが予想された.気温が上昇すると開花の開始が早まるが,それよりも大きく終了が早まるために開花期間が短くなると予想されたのである.この研究は,室内実験によるパラメータ推定とHMPデータによる検証を組み合わせることで,フェノロジーモデルを極めて短期間に構築できることを示した.
これまで紹介したFLCの研究は,植物が長期の温度変化を記憶するとともに,短期的な変動を無視することにより,気温の季節変化に応答することを示した.しかし,気温の季節変化を感受できたとしても,周期をもって振動するシグナルには共通の問題がある.それは,最大値と最小値を除いて,同じシグナルレベルが年に2回現れるということである.この問題は,位相が異なる複数の周期シグナルを使用することによって解決することができる.
ここで「位相差カレンダー仮説」を紹介したい(1)1) H. Kudoh: New Phytol., 210, 399 (2016)..複数の季節シグナルの位相差を利用できるなら,植物は,1年中を通して季節を識別することが可能となる.これまでも,季節の検出のために植物が複数のシグナルを使用する経路をもつことが指摘されている.シロイヌナズナでは,光周期,長期の気温,短期の気温がそれぞれ,花成の時期に影響することが報告されている(図4a).しかし,自然条件下に存在するシグナルの間の位相差について議論されたことはなかった.ここでは,ハクサンハタザオのFLCホモログのHMPデータ(9)9) S. Aikawa, M. J. Kobayashi, A. Satake, K. K. Shimizu & H. Kudoh: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 107, 11632 (2010).を利用して,「位相差カレンダー仮説」を説明する.特に,植物の季節制御で主要な役割をもつ可能性がある2つの位相差カレンダーについて議論する,それは,すなわち,光周期–気温位相差カレンダー,短期–長期気温位相差カレンダーである.
自然条件下で普遍的な条件であるにもかかわらず,これまでほとんど研究されてこなかった環境条件が,季節的な光周期と温度変化との間の位相差である.1年間の光周期変化の中で,昼の長さの最長日(夏至)と最短日(冬至)は,6月22日と12月22日頃である.一方,最も暑い日と寒い日は,日本では,それぞれ夏至と冬至からおおよそ1.5カ月遅れてやってくる.
光周期は,暦どおりに変化するという点では,信頼性の高いシグナルである.光周期のパターンには年による変動がなく,その点が気温と対照的である.シロイヌナズナで明らかとなった光周期を感受して花成を促進するしくみは,この高い信頼性を反映するかのように,毎日の日長を測るしくみとなっている.これは,ハクサンハタザオFLCに見られたように,気温に対する応答が6週間もの長期の過去を参照するしくみをもつのと対照的である.
シロイヌナズナをはじめとする多くのアブラナ科植物は,長日条件下でFTの遺伝子発現が高くなることにより,花成が促進される長日植物である(14, 15)14) M. J. Yanovsky & S. A. Kay: Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 4, 265 (2003).15) F. Andrés & G. Coupland: Nat. Rev. Genet., 13, 627 (2012)..シロイヌナズナのFT遺伝子の発現は,夕暮れに向かって蓄積するCONSTANS(CO)タンパク質によって増加するように制御される.COの発現は,体内時計によって調節されて夕暮れに向かって高まっていくが,転写・翻訳されたCOタンパク質は,明条件下では安定化するが,暗黒化では急速に分解される.そのため,CO遺伝子の発現ピークに向かって,まだ明るければ(すなわち,長日)COタンパク質が蓄積され,その結果,FT遺伝子の上昇につながる(図4a図4■位相差カレンダー仮説を説明する図).このしくみは植物が光周期を測定し,毎日改訂していることを意味する.シロイヌナズナを,長日と短日の間で移動させると,3日以内に対応する光周期に遺伝子の発現が調整されることが報告されている.
FLCのような過去の気温の長期記憶を考えると,光周期シグナルと気温シグナルの間の位相差は,植物細胞においてはさらに拡大されていることが予想できる.ハクサンハタザオがシロイヌナズナと同様の光周期の測定システムをもっていると仮定すると,ハクサンハタザオにおけるFLCホモログの1年間の遺伝子発現を光周期に対してプロットすることにより,仮想的な光周期–気温位相差カレンダーを視覚化することができる(図4b図4■位相差カレンダー仮説を説明する図).この2次元の位相空間では,花芽形成のタイミング,それに引き続く開花期間,栄養成長への復帰による終了の時期がほかの季節から分離される.
過去の温度記憶の特性として,参照期間が長くなるほど,より最近の気温の変化に対して変化の遅れが生じる.この特性のために,短期と長期の気温情報の間で位相差の情報が得られる.シロイヌナズナの開花時期が温度に依存して調節される経路としては,FLCによる春化だけでなく,より暖かい気温に応答する経路も知られている(16, 17)16) P. A. Wigge: Curr. Opin. Plant Biol., 16, 661 (2013).17) L. Verhage, G. C. Angenent & R. G. Lmmink: Trends Plant Sci., 19, 583 (2014).(図4a図4■位相差カレンダー仮説を説明する図).
シロイヌナズナでは,長日条件下で16°Cに比べて23°C下で開花が早くなることが報告されている.また,23°Cから27°Cというわずかな温度上昇が,短日条件下での花成を誘導することも示されている.春化についての詳細なメカニズムがわかっているのとは対照的に,暖温に対する応答は,最近研究され始めたばかりである.長日条件下で気温が上昇するにつれ,抑制複合体の構成要素の一つであるSVPタンパク質が活発に分解され,FTなどの発現の活性化が可能となる(18)18) J. H. Lee, H.-S. Ryu, K. S. Chung, D. Posé, S. Kim, M. Schmid & J. H. Ahn: Science, 342, 628 (2013)..FLOWERIG LOCUS M(FLM)の温度依存性選択的スプライシングもまた,SVP–FLM複合体の活性に影響することがわかった(18)18) J. H. Lee, H.-S. Ryu, K. S. Chung, D. Posé, S. Kim, M. Schmid & J. H. Ahn: Science, 342, 628 (2013)..近年,マイクロRNA(miRNA)も花成の温度依存性調節に関与するとされている(19)19) H. Lee, S. J. Yoo, J. H. Lee, W. Kim, S. K. Yoo, H. Fitzgerald, J. C. Carrington & J. H. Ahn: Nucleic Acids Res., 38, 3081 (2010)..
比較的短い過去の暖温が花成を促進すると仮定すると,短期および長期の温度間の位相差カレンダーを仮定することができる(1)1) H. Kudoh: New Phytol., 210, 399 (2016)..このようなカレンダーを,ハクサンハタザオのFLCホモログの1年間の遺伝子発現値を短期の温度シグナルの代表値に対してプロットすることにより視覚化することができる(図3c図3■ハクサンハタザオFLCホモログの高解像度分子フェノロジー(HMP)データの解析).この図では,短期的な温度シグナルとして,過去2週間の5°C以上の温度の積算量(HDH: heating degree hour)を用いた.花芽形成とそれに引き続く開花期間のタイミングが,二次元位相空間でほかの季節から分離されることがわかる.
本稿で議論した,2つの位相差カレンダー仮説は,互いに排他的ではない.シロイヌナズナの花成タイミング制御についてこれまで報告されてきたメカニズムが自然条件下でどのように機能するかを考えた場合,3つのシグナルは,三次元の位相差カレンダーとして統合されている可能性さえある(1)1) H. Kudoh: New Phytol., 210, 399 (2016)..花成タイミング制御にかかわる代表的な環境シグナルが,自然条件下で季節的な位相差をもつこと,そしてそれが少なくとも温帯域では普遍的であることは強く意識されるべきであろう.光周期が最も先行し,その後4~6週間の位相差で短期の温度が変化していく.さらに,4~6週間の位相差で長期の気温記憶が変化する.自然条件下で季節シグナルの役割を解釈する際には,この位相差を考慮する必要がある.位相差の役割に関する研究はこれからであるが,シグナル間の位相差をコントロールした実験によって,複数の季節シグナルが植物細胞内で互いにどのように調整され統合されているかを理解する必要がある.最終的には,自然条件下におけるイン・ナチュラ研究が不可欠であり,それによって,変動する環境下で,植物が頑健に季節を測るメカニズムを理解することができる.
Reference
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