解説

農学的利用に向けたゲノム編集の現状・将来の展望

The Prospects of the Genome Editing Technology for Agricultural Application

藤井

Wataru Fujii

東京大学大学院農学生命科学研究科

Published: 2016-07-20

近年注目を集めているゲノム編集技術は,従来では作製コストや労力を要したゲノム改変細胞・生物の作製を容易とし,その汎用性を拡張することで,生命科学における逆遺伝学的研究アプローチの加速化に大いに貢献している.農学分野でもさまざまな利用が進んでいるが,その一方で,今後解決すべき技術的課題が次第に明らかになりつつあり,応用分野によっては社会的議論を呼んでいる.本稿では,ゲノム編集技術の理解に必要な基礎情報や応用を解説するとともに,農学応用のための課題について提案する.

はじめに

“ゲノム編集”技術は,人工的な制限酵素である“人工ヌクレアーゼ”を利用して,細胞内で任意のゲノム配列情報を書き換える技術である.ゲノム編集技術は煩雑な操作を必要としないため,遺伝子破壊(ノックアウト)や任意の座位への外来配列導入(ノックイン)が身近なものとなった.さらに,これまではゲノム改変が困難であった多くの動物や植物,昆虫,微生物でも,ゲノム編集技術によってノックアウトやノックインが可能となった.農学分野は幅広い生物種を扱うが,こうしたゲノム編集技術を利用した研究が広まるにつれ,これまでの研究戦略が変貌を遂げつつある.たとえば農作物や畜産物の育種分野では,順遺伝学的な解析によって有用形質に関するゲノム情報の知見が蓄積されてきたが,ゲノム編集技術の登場により,これらの遺伝情報と形質との因果関係やその分子メカニズムの逆遺伝学的な検証が開始されている.さらには,ゲノム改変によって,直接,高機能な農畜産物を作製するという試みも報告されている.一方で,遺伝子組換え農産物は社会での抵抗感がいまだに根強く,実際の研究成果が社会に還元されうるかはいまだ不透明である.そのため,農学分野でゲノム編集技術が利用されていくうえで,実際にゲノム編集技術そのものを利用している研究者だけでなく,農学・生命科学研究分野全体でゲノム編集技術の可能性や課題を共有し,多角的な議論を行う必要があると思われる.

そこで本稿では,ゲノム編集技術についての基礎原理を改めて解説するとともに,農学分野における現状や今後の課題について提案する.筆者が哺乳動物を中心に扱っている都合上,動物に片寄った内容となっているが,ご容赦いただきたい.なお,ゲノム編集技術の応用に関する国内外の政策動向や社会・科学界での議論推移については,他稿に明るいため,ぜひ参照いただきたい(1~3)

ゲノム編集技術の基礎知識

ゲノム編集技術が登場する前は,ゲノム配列上の目的の場所(座位)に変異を導入するには,細胞内のDNA組換え反応を介した相同組換え法が主であった.これは,置換したい座位の周辺配列と相同なDNA配列をもつベクター(ターゲティングベクター)を細胞に導入し,相同組換え反応(Homologous Recombination; HR)と呼ばれるDNA修復機構によって外来配列であるターゲティングベクターを標的のゲノムDNA配列と置換する方法である.しかし,相同組換え法は一般に組換え効率が著しく低いために,薬剤耐性遺伝子などを利用して組換えが成功した細胞を選抜する必要があり,その選抜過程で細胞の元々の形質が変化するなどの問題があった.また,個体レベルでゲノム改変を行う場合,動物では胚性幹細胞や生殖幹細胞などで相同組換えを行い,初期発生胚や精巣などに移植して配偶子形成を経たのち,交配を介して個体発生させることになる.植物についてもいくつかの方法が報告されているが,たとえばアグロバクテリウムによるカルスの形質転換系などを用いてターゲティングベクターを導入し,目的の改変植物を得る.しかしながら,このような相同組換えに依存したゲノム改変法は,非常に効率が悪いうえ,利用できる種は限られている.そのため,個体レベルのノックアウトやノックインといった逆遺伝学的手法は,その有用性にもかかわらず,研究戦略のなかで選択しにくい状況にあった.

このような状況で開発されたのが,人工ヌクレアーゼによるゲノム編集技術である(図1図1■人工ヌクレアーゼによるゲノム改変の概略図).人工ヌクレアーゼは,DNA結合ユニットとDNA切断ユニットからなる人工的な制限酵素であり,細胞内で標的座位のみに結合しDNA2本鎖切断(DNA double strand break; DSB)を導入するように設計することができる.細胞内でDSBが導入されると,DNA修復機構が活性化し直ちに切断部位が修復される.DNA修復経路の一つである非相同末端結合修復(Non-homologous end joining; NHEJ)では,切断部同士を再結合させて修復するが,その際に一定の頻度で挿入や欠損変異(indel)を伴う.この修復エラーを介して任意のゲノム配列情報を破壊することができる.たとえば,ある遺伝子の翻訳領域内に人工ヌクレアーゼの標的を設計することによって,修復エラーによって導入されたindelがフレームシフトを引き起こし,結果的にその遺伝子を破壊することができる.また,同一染色体上の2つの部位へDSBを導入した場合,切断点同士で結合修復し,切断部位で挟まれた領域が欠失するか,あるいは逆位に修復される.さらに,異なる染色体にDSBを導入することで転座を引き起こすことも可能である.DSBに伴うDNA修復経路には,前述のHRも関与する.HRでは,DSBが導入された座位に関連タンパク質が集合し,これを足場に,相同配列をもつDNAとの組換え反応が起こり,DSBは修復される.この反応自体は,前述の従来法と同じだが,人工ヌクレアーゼによるHRでは,DSBの導入によって修復シグナルが活性化するため,組換え効率は飛躍的に向上する.そのため,ターゲティングベクターとともに人工ヌクレアーゼを導入することで,効率良くノックインを行えるのである.一方で,人工ヌクレアーゼによるDSBに続くDNA修復機構は,上記で述べた経路のみで説明できるかは議論の余地がある(4)4) M. McVey & S. E. Lee: Trends Genet., 24, 529 (2008)..また,細胞種や細胞周期により,利用するDNA修復経路の選択性が異なると考えられているが,基本的にはNHEJによる修復がHRよりも優勢であるとされている(5)5) W. D. Heyer, K. T. Ehmsen & J. Liu: Annu. Rev. Genet., 44, 113 (2010)..そのため,ノックインをより効率良く行うために,阻害剤による細胞周期制御や修復経路を人為的に操作することでノックイン効率を上昇させる試みも報告されている.

図1■人工ヌクレアーゼによるゲノム改変の概略図

これまでに,さまざまな種類の人工ヌクレアーゼが開発されている.その中でも,広く利用されているのが次に説明する3種類の人工ヌクレアーゼである(6)6) T. Gaj, C. A. Gersbach & C. F. Barbas III: Trends Biotechnol., 31, 397 (2013).

Zinc Finger Nuclease(ZFN)

人工ヌクレアーゼとして最初に登場したのがZFNである(図2図2■ZFNによる標的配列の認識と切断).ZFNは,DNA結合ユニットとして亜鉛フィンガーモチーフ(ZF)を利用する.ZFは一つのユニットで3塩基を認識するため,ZFNでは3~6個のZFを連結して長い塩基配列を認識できるようにする.ZFNはさらにF. okeanokoites由来のヌクレアーゼドメインがDNA切断ユニットとして連結されている.このドメインは2量体を形成することでDNA切断活性を発揮するため,標的座位を挟むような形で+鎖,-鎖DNAに結合するようにそれぞれのZFNを設計し,標的座位上でヘテロ2量体となることでDSBを導入することができる.これまでにさまざまな組み合わせの3塩基に対するZFが開発されているが,それでもすべてのパターンに対して高親和性のZF配列が見つかっているわけではないため,ZFNが標的にできるDNA配列は限定されている(7, 8)7) D. Carroll, J. J. Morton, K. J. Beumer & D. J. Segal: Nat. Protoc., 1, 1329 (2006).8) J. P. Mackay & D. J. Segal: “Engineered Zinc Finger Proteins,” Humana Press, 2010..また,ちょうど良い配列が目的遺伝子内にあったとしても,ゲノム上のほかの部位に似た配列が存在する場合は,異所的にindelを導入してしまう可能性もある(オフターゲット変異).これを克服するため,ZFNの標的配列を設計するためのバイオインフォマティクスツールの開発が進められた.ZFN発現コンストラクトの作製についても当初は手間のかかるものであったが,その後,効率良く作製できる方法が報告された(7~9).このような技術発展によってより効率的にさまざまなゲノム改変を行うことが可能となったうえ,こうした技術開発基盤はその後のほかの人工ヌクレアーゼ開発にも大きく貢献した.

図2■ZFNによる標的配列の認識と切断

Transcription activator-like endonuclease(TALEN)

次いで登場したのがTALENである(図3図3■TALENによる標的配列の認識と切断).TALENはXanthomonasに由来するDNA結合タンパク質であるTAL-effectorが利用されている.DNA切断ユニットはZFNと同じものが利用されているため,ZFNと同様に標的座位でヘテロ2量体形成することでヌクレアーゼ活性を発揮する.TALENはTAL-effectorの一つのユニットで1塩基を認識することから,ZFNと比べて標的設計の自由度が高いという利点がある.また,plasmid DNAリソース組織であるAddgeneへTALEN構築キットがデポジットされたこともあって,さまざまな研究者が技術導入しやすくなり,徐々に利用する研究者が増えていった.

図3■TALENによる標的配列の認識と切断

CRISPR/Cas

ZFNやTALENによってゲノム編集技術が注目されつつある中で登場したのがCRISPR/Casである(図4図4■CRISPR/Casによる標的配列の認識と切断).CRISPRは大腸菌ゲノムの機能不明な繰り返し配列領域として最初に発見され,その後,ほかの原核生物ゲノムにも同様の配列が存在することがわかった(10)10) Y. Ishino, H. Shinagawa, K. Makino, M. Amemura & A. Nakata: J. Bacteriol., 169, 5429 (1987)..その後,この繰り返し配列は外部から侵入したDNA配列に由来することが明らかとなり,さらに,この配列からcrRNAと呼ばれるRNAが転写され,tracrRNAおよびCas9エンドヌクレアーゼとともにRNA–タンパク質複合体を形成し,crRNAと相同な配列をもつ侵入者に対してエンドヌクレアーゼ活性を発揮するという,真核生物における獲得免疫のような機能を担うことが明らかとなった.CRISPRは標的配列を短いRNAによって認識するため,ZFNやTALENなどのタンパク質型人工ヌクレアーゼよりも設計や構築が容易になると期待された.そこで,この機構を人工酵素として利用する試みが開始された.2012年に,S. pyogenesに由来するcrRNA–tracrRNA,またはこれらのキメラRNAであるガイドRNA(gRNA)と,Cas9エンドヌクレアーゼを用いることで,試験管内で任意のDNA配列の切断が可能であることが報告され,次いで2013年に,哺乳動物の培養細胞内でゲノム改変に利用可能であることが複数のグループによって報告された(11)11) P. D. Hsu, E. S. Lander & F. Zhang: Cell, 157, 1262 (2014)..CRISPR/Casは,Protospacer adjacent motif(PAM)と呼ばれる配列を含む座位のみにDSBを導入することができる.現在広く利用されているS. pyogenes由来CRISPR/Casは,5′-NGGという制限の小さい配列をPAMとして認識するため,ゲノム上の多くの座位を標的とすることができる.さらには,そのほかの原核生物に由来するオーソログを利用したCRISPR/Casや,人工改変したCas9酵素など,異なるPAMを認識するCRISPR/Casもゲノム編集ツールとして利用できることが報告されており,より広範な座位でのゲノム改変が可能となっている.

図4■CRISPR/Casによる標的配列の認識と切断

CRISPR/Casシステムは,これまでの人工ヌクレアーゼとは異なりDNA標的認識ユニットとDNA切断ユニットとが独立している.DNA結合ユニットであるgRNAは100塩基程度のRNAであり,その中でも標的を認識するおよそ20塩基のみを変更すれば良いため,これまでの人工ヌクレアーゼよりも設計が格段に簡便になった.そのため,複数座位に対するアプローチが可能となり,マルチノックアウト細胞の作出や,領域欠失や逆異,染色体転座などへの応用も報告された.こうした方法によって大規模な染色体改変研究や,機能補償が予想されるファミリー遺伝子群の同時破壊による解析が進むことが期待される.また,gRNA構築の簡便さを生かして,網羅的な遺伝子破壊が可能なノックアウトスクリーニング法も開発されている(11)11) P. D. Hsu, E. S. Lander & F. Zhang: Cell, 157, 1262 (2014)..近年では,簡単なgRNAライブラリ構築法も提案されており,こうしたシステムを利用することで,非モデル動物へも拡張できると期待される.

その他の人工酵素

ゲノム編集ツールとして,ヌクレアーゼのほかに,DNA組換え酵素ドメイン(リコンビナーゼ)を利用した人工酵素も開発されている.これまでにZFやTALEとリコンビナーゼドメインを連結したものが報告されているが(8)8) J. P. Mackay & D. J. Segal: “Engineered Zinc Finger Proteins,” Humana Press, 2010.,リコンビナーゼドメイン自身に標的配列の制限があるため,人工リコンビナーゼ酵素は利用できる座位が著しく限定されている.しかし,配列の置換を効率良く行えることから,自由な設計が可能となれば非常に強力なツールになると期待される.また,ゲノム配列を改変せず転写活性化または抑制する方法やエピゲノム修飾を改変する試み(8)8) J. P. Mackay & D. J. Segal: “Engineered Zinc Finger Proteins,” Humana Press, 2010.も進められており,遺伝子発現制御のためのより多様なアプローチが可能となりつつある.

生物個体への利用と技術的課題

開発されたさまざまなツールは,個体レベルのアプローチにも利用されている.動物分野では,マウスやラットなどの実験小動物のみならず,ブタ,ウシ,ヤギ,ヒツジなどの大動物家畜や,アカゲザル,カニクイザルなどの霊長類でも,ゲノム編集による変異体の作出が報告されている(2, 6, 11)2) 真下知士,城石俊彦監修:“進化するゲノム編集技術”,エヌティーエス,2015.6) T. Gaj, C. A. Gersbach & C. F. Barbas III: Trends Biotechnol., 31, 397 (2013).11) P. D. Hsu, E. S. Lander & F. Zhang: Cell, 157, 1262 (2014)..多くの動物種では,人工ヌクレアーゼをDNAやRNA,タンパク質の状態で受精卵に顕微注入し,仮親に移植することで変異体を作出する方法がとられている.動物種や標的座位,使用ツールによってその効率は異なるが,受精卵内で直接ゲノム改変できるこの方法は,従来法と比較してコストや作製期間を大幅に短縮できる.さらに,CRISPR/Casによる複数座位を標的としたアプローチも受精卵で可能であり,従来法では作製に手間のかかった大規模領域欠失個体やマルチノックアウト個体なども簡単に作出できるようになっている(11~13)

ウシのように産子が少なく妊娠期間も長い動物種では,飼育コストを節約するためにできるだけ確実にF0世代でノックアウト変異体を得られるようにしたいところであるが,受精卵を介した変異導入法はリスクがある.たとえば,導入した人工ヌクレアーゼが卵割後も活性を維持し,割球間で独立した変異を導入してしまった場合は,得られた個体はモザイク変異となるというリスクがある(13)13) W. Fujii, A. Onuma, K. Sugiura & K. Naito: J. Reprod. Dev., 60, 324 (2014)..また,NHEJによるindelパターンはランダムであるため,フレームシフトなどのノックアウトとなる変異が必ずしも導入されるとは限らない.そこで,体細胞核移植,いわゆるクローン技術を介した改変法が有効となってくる.体細胞核移植によるゲノム改変家畜の作出についてはかねてより報告されていたが,従来の相同組換え法による体細胞のゲノム改変は効率が悪いため,ドナーとなるゲノム改変細胞の樹立が律速であった.しかしながら人工ヌクレアーゼによってドナー培養細胞のゲノム改変が簡単になったため,変異導入を行った細胞株を短期間に樹立し,体細胞核移植を行うことで,目的とする変異を全身にもつ個体の効率的な作出が可能となった(14)14) S. Yu, J. Luo, Z. Song, F. Ding, Y. Dai & N. Li: Cell Res., 21, 1638 (2011).

受精卵を介した改変法では,顕微注入を行うためのマイクロマニピュレータ装置が高価であり技術習得にも時間が掛かる点が別の課題として存在する.また,熟練した研究者でも一度に処理できる受精卵の数に限界がある.そこで,顕微注入法に代わる新たな方法としてエレクトロポレーションによる受精卵への導入技術が開発された(15)15) T. Kaneko, T. Sakuma, T. Yamamoto & T. Mashimo: Sci. Rep., 4, 6382 (2014)..この方法によって,技術習熟なしに顕微注入と同等の成績で受精卵への人工ヌクレアーゼの導入が可能となり,ハイスループットなゲノム改変個体の作製への応用が期待されている.ほかにも,CRISPR/Casを利用し,卵管内にCas9 mRNAおよびgRNAを注入したうえで電気パルスを掛けることで,卵管内の受精卵へ人工ヌクレアーゼを導入し,ノックアウトマウスの作製が可能であることが報告されている(16)16) G. Takahashi, C. B. Gurumurthy, K. Wada, H. Miura, M. Sato & M. Ohtsuka: Sci. Rep., 5, 11406 (2015)..GONADと命名されたこの方法を利用すれば,受精卵の体外操作技術が確立されていないような動物種でもノックアウト個体を作出できると期待される.現状では効率に課題があるようではあるが,さまざまな動物種が対象となる農学分野では強力なツールとなると期待される.

動物以外の生物種でもゲノム編集技術の応用が進んでいる.植物でも人工ヌクレアーゼの登場によって標的遺伝子の破壊が容易となった.アグロバクテリウムによるカルスへの形質転換など,すでに確立されている遺伝子組換え方法を利用することで植物体に人工ヌクレアーゼを導入し,標的遺伝子の破壊が可能であることが報告されている(2, 17)2) 真下知士,城石俊彦監修:“進化するゲノム編集技術”,エヌティーエス,2015.17) M. M. Andersen, X. Landes, W. Xiang, A. Anyshchenko, J. Falhof, J. T. Østerberg, L. I. Olsen, A. K. Edenbrandt, S. E. Vedel, B. J. Thorsen et al.: Trends Plant Sci., 20, 426 (2015)..一方,遺伝子導入効率やその後の個体化の効率は植物種や品種によって異なるため,マイクロインジェクション法やエレクトロポレーション法などの新たな導入方法も検討が進められている.これまでに,シロイヌナズナやイネ,トウモロコシ,タバコ,トマト,オレンジ,オオムギ,コムギなど幅広い植物種でゲノム編集が成功しており,耐病性や収量などに関する逆遺伝学的検討がなされている.さらに,CRISPR/Cas発現ユニットの安定的発現株を作出し,外来のウイルスに対して耐性をもたせた作物の作出も報告されている(18, 19)18) X. Ji, H. Zhang, Y. Zhang, Y. Wang & C. Gao: Nat. Plants, 1, 15144 (2015).19) N. J. Baltes, A. W. Hummel, E. Konecna, R. Cegan, A. N. Bruns, D. M. Bisaro & D. F. Voytas: Nat. Plants, 1, 15145 (2015)..そのほかの生物種として,家禽,メダカなどの魚類,酵母,大腸菌など,農学分野でもなじみのあるさまざまな生物種やそのほかのモデル,非モデル生物でゲノム編集技術による変異体の作出が報告されている(2, 3, 6, 11)2) 真下知士,城石俊彦監修:“進化するゲノム編集技術”,エヌティーエス,2015.3) 日本学術会議:報告「植物における新育種技術(NPBT: New Plant Breeding Techniques)の現状と課題」,http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h140826.pdf6) T. Gaj, C. A. Gersbach & C. F. Barbas III: Trends Biotechnol., 31, 397 (2013).11) P. D. Hsu, E. S. Lander & F. Zhang: Cell, 157, 1262 (2014).

また,個体レベルのアプローチを超えて,“生態”レベルの操作を行う方法も開発されている.その一つが“遺伝子ドライブ法”と呼ばれる生態系制御のアイディアに,ゲノム編集技術を応用するという方法である(20)20) K. M. Esvelt, A. L. Smidler, F. Catteruccia & G. M. Church: eLife, 3, 03401 (2014)..この方法は,外来遺伝子と人工ヌクレアーゼとの発現ユニットの導入系統を作製し,人工ヌクレアーゼによるDSB導入とHRを介して,対立アレルにこの発現ユニットをコピーさせ,交配を介して集団に浸透させるという戦略である.これによって任意の集団の繁殖性や薬剤への感受性を制御することが可能となれば,外来種や病気のキャリアとなる昆虫など特定の生物を標的に,生態系から排除することができるかもしれない.ゲノム編集技術のユニークな応用方法ではあるものの,遺伝子ドライブ法についてはさまざまな懸念も挙げられており(21)21) O. S. Akbari, H. J. Bellen, E. Bier, S. L. Bullock, A. Burt, G. M. Church, K. R. Cook, P. Duchek, O. R. Edwards, K. M. Esvelt et al.: Science, 349, 927 (2015).,現段階では実用は現実的ではない.今後,実用可能性も含めて議論を行う必要がある.

以上のように,従来法では困難なさまざまなゲノム改変アプローチが可能となっており,今後はさらに多くの種でも応用されていくと予想される.その一方で,これまで遺伝学的な研究が進んでいなかった生物種では,人工ヌクレアーゼの標的配列の設計が課題となる.大部分の生物は全ゲノム配列が決定されておらず,また,全ゲノム配列がすでに決定されている生物でも,近交系マウスなどを除けばSNPなどの配列のバリエーションが種内のゲノム上に散在している.これまでに,さまざまな標的設計ツールが開発されているが,これらはNCBIなどで公開されている全ゲノム配列情報を基にして演算するため,生物種によってはゲノム多型によって正確に設計できない可能性がある.特に,オフターゲット候補配列予想の正確性についてはその生物種のゲノム配列のバリエーションが強く影響する.培養細胞では,人工ヌクレアーゼの標的配列に似た配列座位のみならず,ゲノム全体からオフターゲット変異を検出する方法が報告されているものの(22)22) R. Gabriel, C. von Kalle & M. Schmidt: Nat. Biotechnol., 33, 150 (2015).,受精卵を介したゲノム改変やすでに作出された個体において,こうした方法を応用するのは非常に困難である.では,どうすればオフターゲット変異によるリスクを回避できるだろうか? これには,RNA干渉法におけるオフターゲット回避のための慣習が応用できる.すなわち,標的遺伝子内の異なる部分を標的とした独立の変異体を作出し,変異体同士で表現型を比較することで,オフターゲット変異由来ではない本来の目的遺伝子の変異による形質変化を観察することができる.一方,特定塩基の置換やペプチドタグ配列の挿入を行う場合など,標的配列の設計が極めて限定される場合では,上記のようなアプローチは困難である.その場合は,Cas9変異体であるCas9ニッカーゼを利用したオフセットニッキング法(ダブルニッキング法)が有用である(11, 23)11) P. D. Hsu, E. S. Lander & F. Zhang: Cell, 157, 1262 (2014).23) W. Fujii, A. Onuma, K. Sugiura & K. Naito: Biochem. Biophys. Res. Commun., 445, 791 (2014)..野生型のCas9が標的座位にDSBを導入するのに対して,Cas9ニッカーゼは片側鎖のみへ切断(ニック)を導入するため,単独でオフターゲット候補座位に結合した際はindelが導入される確率が著しく低い.オフセットニッキング法では,標的座位の+,-鎖をそれぞれ標的としてCas9ニッカーゼによってニックを導入することで,DSBと同様の修復機構が働き,結果的に標的座位のみに変異を導入することができる.また,近年ではFokIヌクレアーゼとCas9を組み合わせたシステムや,標的に対してより親和性の高いCas9変異体も報告されており,オフターゲットリスクを回避するツールの開発は,今もなお積極的に進められている.

農学分野におけるゲノム編集技術の課題

ゲノム編集技術が急激に発展しさまざまな応用が報告される一方で,新たな議論も沸き起こっている.倫理的課題に関しては,中国・中山大学のグループによるヒト受精卵でのゲノム編集が記憶に新しい(24)24) P. Liang, Y. Xu, X. Zhang, C. Ding, R. Huang, Z. Zhang, J. Lv, X. Xie, Y. Chen, Y. Li et al.: Protein Cell, 6, 363 (2015)..彼らは,ヒト受精卵でCRISPR/Casによるノックインを介した塩基置換を試み,オフターゲット変異が認められるものの,目的のゲノム改変は可能であることを報告した.この報告では,大学倫理委員会の審査を経て通常の生殖補助医療では排除される3前核形成胚を利用して実験が行われた.しかし,主要な科学誌や研究者からは時期尚早であるとの批判が起こり,ヒト生殖細胞や受精卵に対するゲノム編集の応用の是非についてはいまだに議論が続いている(25)25) K. S. Bosley, M. Botchan, A. L. Bredenoord, D. Carroll, R. A. Charo, E. Charpentier, R. Cohen, J. Corn, J. Doudna, G. Feng et al.: Nat. Biotechnol., 33, 478 (2015)..その一方で,技術開発自体はこれからも進んでいくと予想される.農学分野でのゲノム編集技術の利用についても,議論が技術発展に間に合っておらず,現状では国際的なコンセンサスは得られていないが,今後収束していくものと思われる.わが国でも,農業戦略にゲノム改変技術を取り込もうとする動きはすでに始まっているようである(3, 26)3) 日本学術会議:報告「植物における新育種技術(NPBT: New Plant Breeding Techniques)の現状と課題」,http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h140826.pdf26) 内閣府戦略的イノベーション創造プログラム:次世代農林水産業創造技術(アグリイノベーション創出),http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/keikaku/9_nougyou.pdf.ゲノム編集技術の農学への応用はいくつかの方法が想定される.たとえば,生産性などに関与するとされる遺伝情報の知見について,逆遺伝学的な検討によって形質との因果関係を検証することは非常に重要であり,これにゲノム編集技術が大きく貢献することは間違いない.これまで蓄積した情報の機能的意義を確定し,その情報に基づいて育種を進めていくことで,より正確な有用農産物の育種が期待できる.一方,ゲノム改変生物を直接農産物として市場で利用しようとする場合は,現行のいわゆるカルタヘナ法関係法令などの制限に直面することとなる.植物分野では,Seed Production Technology(SPT)プロセスなど,部分的に遺伝子組換え植物を利用してきた経緯もあり,このような農作物の実用は早いかもしれない.特に,人工ヌクレアーゼによる改変はゲノム上に外来配列を残存させないとされており,単純なindelによる変異体であれば通常の突然変異による変異体と何ら変わりはないため,利用すべきであるという意見もある.わが国では,開発段階の中間体は規制対象となるものの,最終的に商品化する品種は外来の遺伝子を有していないことが確認できれば規制から除外される可能性がある,とされており,規制当局との事前協議を行い,個別に規制の適用判断を仰ぐことが適当とされている(27)27) 農林水産省:農林水産技術会議「新たな育種技術(NPBT)研究会」報告書の公表について,http://www.s.affrc.go.jp/docs/press/150911.htm.しかし一方で,人工ヌクレアーゼによってDSBを導入した際,外来RNAや内在RNAが鋳型となって逆転写された配列がDSB座位へ取り込まれるケースが報告されている(28)28) R. Ono, M. Ishii, Y. Fujihara, M. Kitazawa, T. Usami, T. Kaneko-Ishino, J. Kanno, M. Ikawa & F. Ishino: Sci. Rep, 5, 12281 (2015)..このような配列の取り込みは,標的座位のみならず,オフターゲット座位でも起こる可能性がある.つまり,たとえ標的座位に導入された変異が通常の突然変異体と同じようなものであったとしても,ゲノムのどこかで細胞内のRNA配列を取り込んでシスジェネシスや導入した人工ヌクレアーゼ配列のトランスジェネシスが起こっている可能性があるが,特にシスジェネシスのような配列は検出が困難である.内在RNA由来のシスジェネシスについてはいわゆるセルフクローニングに該当するため,現行では規制対象外であるものの,近年は再び規制対象外とするかについて議論が始まっている.このようなRNA取り込み現象がどの程度まで普遍的であるかは不明であるが,ゲノム編集による変異体を突然変異体と同様に扱っても良いのか,今後,技術的な側面からも十分に検討しなければならない.

ゲノム編集技術は,新規ツールの開発やさまざまな生物種への応用,その利用の是非についての議論など,農学分野のなかでも多様な研究領域がかかわる技術であり,今後はさらに多くの研究者が関与しうるトピックとなると予想される.一方で,それぞれの研究者は,ともすれば各々の専門分野にとらわれ,情報交換が不十分となり近視眼的な視点に陥る可能性もある.今後,農学を主体とした,幅広い専門の研究者による,分野横断的な議論が進められていくことを期待している.

Reference

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