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株式会社カネカバイオテクノロジー開発研究所所長 中井孝尚氏

中井 孝尚

Takahisa Nakai

株式会社カネカバイオテクノロジー開発研究所

由里本 博也

Hiroya Yurimoto

京都大学大学院農学研究科

石黒 澄衞

Sumie Ishiguro

名古屋大学大学院生命農学研究科

Published: 2016-07-20

株式会社カネカは,化成品,樹脂,食品,ライフサイエンス,合成繊維など幅広い分野の製品製造・技術開発を行っており,特にバイオテクノロジー関連事業では農芸化学会との関連も深い.今回は,兵庫県高砂市にある高砂工業所内のバイオテクノロジー開発研究所にて,ご自身のご経験から若手研究者・学生へのメッセージも含めて忌憚なくお話いただきました.

入社後すぐに出向に

—— はじめにご経歴をお聞かせください.

中井 1986年に大阪大学大学院理学研究科の有機化学専攻を修了しました.学生のときの研究テーマは抗菌性ペプチドの全合成でした.その縁もあって,当時の鐘淵化学(現カネカ)に入社しました.実はカネカという会社を知らないまま入社したのですが,2カ月ほど工場で3交代実習をした後,今の研究所の前身である生物化学研究所に配属になりました.当時はバイオ医薬品の第1期ブームで,インターフェロンやTNFのようなサイトカインをCHO細胞で生産する研究チームに入りました.化学系の研究室出身なので,ポリマーなど材料系の研究所に配属されるのかなと思っていたのですが,ペプチドをやっていたということでバイオ系の配属になったのだと思います.

細胞培養とタンパク質精製の研究に従事していましたが,2カ月ほどで蛋白質工学研究所という国のプロジェクトに出向することになりました.プロテインエンジニアリングという言葉が1983年ぐらいに出て,それで国のプロジェクトができたんですね.当時の通産省が7割,カネカを含む民間企業18社が3割出資して設立され,そこに行きなさいということで,新入社員にもかかわらず出向を命ぜられました.それから6年余り帰ってこないという,今では考えられない経験をしました(笑).

大学で合成をやり,少し細胞培養をかじって,行った先は計算科学が研究テーマ.タンパク質の設計をやりなさいということで,現在阪大・蛋白質工学研究所所長をされている中村春木先生と一緒に,タンパク質のシミュレーションや立体構造決定,いわゆるstructural biologyやバイオインフォマティクスの走りを研究することになりました.2013年にノーベル化学賞を受賞されたマーティン・カープラス先生のプログラムなどを使いながら,タンパク質の分子動力学計算やバイオインフォマティクスでタンパク質を安定化する変異設計,そしてNMR法による立体構造決定の両方をやりながら6年を過ごしました.その後,ゼロから作ったNMR法による立体構造決定プログラムとその応用で阪大の京極先生のところで学位をいただきました.学生時代は有機化学専攻だったのに,物理化学専攻での学位取得ということになりました.

—— 当時日本では計算科学分野の方は多くなかったのではないでしょうか? ご自身で勉強されたのでしょうか?

中井 蛋白質工学研究所がそういう部門をあえて作り,各社の若い人たち,つまり私と同じように新入社員で出向した人たちを集めて,中村春木先生や,郷 信広先生,郷 通子先生などの,当時の計算科学の著名な先生方が毎週講義をされていました.素人を教育する人材作りから始めるという優雅な時代でしたね.プログラミングは自分で勉強しましたが,中村先生はその分野のプロだったので教わることも多く,まるで大学の研究室にもう1回入ったみたいな感じでした.私がいたのは中村先生がトップの第2研究部で,10人ぐらいの出向社員と,大学を辞めて専属の研究員になられたプロパー社員が5名ぐらいおられ,共同研究の学生さんも頻繁に出入りされていました.当時お世話になった人たちの多くが,今アカデミアの計算科学分野で教授をされています.そういう面でいうと,いい時代でしたね.

当時はプロテインエンジニアリングという技術でタンパク質を自由自在に設計,合成できて,人間の思いどおりの立体構造を造ったり,機能をもたせることができるんだ,みたいな夢を語っていた時代でした.そんなことが本当にできるんだと当時は思って分子設計の世界にいましたが,今でもまだ自由自在とはいきませんね.

一緒に研究をしていた他社からの出向メンバーの中には,会社を辞めて大学の先生になった方もかなりおられますが,私は1992年にカネカへ戻りました.大学と変わらない研究生活のあと,会社に戻ってきたら,昔やっていたバイオ医薬の研究はなくなっていて,計算科学を活かしてドラッグデザインでもやろうかなと思ってもこの分野の研究もありませんでした.そこで,身近にあった工業用酵素の改変をやろうと思い,立体構造も決まってない組換え酵素(アミダーゼ類)の結晶化,構造解析から始め,その構造を使った熱安定化のデザインや計算に関する仕事をしました.出向時代も遺伝子組換えで研究に使うタンパク質を作ったことはありましたが,実際に事業に役立つ酵素の仕事にかかわって,初めて会社に貢献する仕事をしたと感じました.その後も酸化還元酵素の改変や,医療機器のリガンド用ペプチドの設計など,いろいろなテーマでほかの研究グループとコラボレーションしながら,企業で計算科学を活かす,根付かせるという思いで研究を進めてきました.一方で,ものづくりのメーカーにいるのに本格的な製造を経験することなく,ずっと基盤的な研究をやってきて,それで今所長になっているので,自分でも,研究所長がこのキャリアでいいのかなという思いも片隅にありますが(笑).

そうこうして,40歳ぐらいのときに転機があり,本社事業部の開発に異動しました.そこでは,新しいサプリメント素材の市場開発やバイオ医薬品関連の事業企画などの新規事業テーマ探索,立上げにかかわりました.バイオ医薬品企業のユーロジェンテック(Eurogentec)社や,今も非常勤で取締役を務めているジーンフロンティアというバイオベンチャーのM&Aなど新しい領域に踏み出すチャレンジ的な仕事をしながら3年半ぐらい本社勤務を経験しました.その後の組織改訂で設立されたフロンティアバイオ・メディカル研究所に研究テーマ企画室長として戻り,新しい研究テーマの探索,立上げという企画畑の仕事をずっと歩んできて今を迎えています.

エビデンスと安全性

—— 会社として作りたいものが先にあるのか,外からのニーズに応えるものを作るのか,どちらが多いのでしょうか?

中井 カネカ全体としては,たとえばポリマーなど材料系だとこういうスペックの樹脂が欲しいとか,お客さまに言われて作る場合が多いようです.ライフサイエンスの場合も医薬中間体はそうですね.製薬メーカーが「こういうキラルな化合物が欲しい.その製法も含めて開発してほしい.」と要求してきます.それが不斉触媒を使う化学反応でも,酵素を使うバイオトランスフォーメーションでも構わないということであれば,われわれの研究者が合成ルートを考えて,ここはバイオ反応のほうがいいとか,バイオを使ったほうが大幅にコストダウンできるとかいう検討をしてプロセス開発,製造までやります.一方,全くのシーズからやるということもありますが,この場合は事業化が遠いというか,売れるかどうかわからないという面で事業部門や経営陣からは,「いつになったらもうかるのか,市場(顧客)を本当に見ているのか」などかなり厳しいことを言われます.当然,企業の場合は,事業にして売上を出して初めて意味のある研究なので,売りにつながるまで長い時間がかかるテーマはなかなかマネジメントが難しいですね.特にライフサイエンス分野の研究は時間のかかるものが多いので,経営陣に理解していただきながら適切に人やお金を入れていく,その辺りのマネジメントに日々苦労しています.医薬中間体のような既存事業では,作るものは決まっていて競合がいるのが前提なので,新しい技術でコスト競争に勝つという技術開発をやることになりますが,新しい事業領域での研究はシーズ志向が強いかもしれません.

—— ホームページを拝見しますと,たとえば機能性食品でもいろいろな種類のものがありますが,こんなに多岐にわたるものをどうやって製品化までもってこられるのでしょうか?

中井 機能性食品に関しては,コエンザイムQ10は特別で,日本ではもともとは薬でした.それがアメリカでブレイクして,日本は2001年の食薬区分の改訂で食品として使ってもいいということになって逆輸入でブレイクしました.この追い風に乗って,新しい素材も出そうということで取り組みましたが,このときはシーズ志向でした.生活習慣病に注目し,これにターゲッティングして,膨大なスクリーニングから効果のある素材,成分を見つけていきました.またどういう現象,どういうメカニズムで効くのかについても,大学の先生方とも一緒に研究しました.カネカは,やはり科学的なエビデンスを大事にし,なかでも一番に安全性ということを大事にして研究してきました.当社は重い過去があって安全性には非常に慎重なスタンスなので,自然の素材から,しかもエビデンスがきちんと出るものを開発する方針で大真面目に研究しました.生活習慣病をターゲットにした新しいサプリメントを世に出したいという研究者の強い思いがあって,今のいろいろな製品が生まれました.もっともっと売れてくれると嬉しいです(笑).

—— そういう自由な発想というか,どんどん提案できる雰囲気が常にあるということでしょうか?

中井 そうですね.カネカ全体は社風に「自由闊達」を掲げていますので,ボトムアップというか,下からの提案は結構あります.そういうものがくみ上げられてきたという歴史も積み重ねてきています.私の研究所でも,必ず年に何回かはアイデア提案会やテーマ提案会をやっています.もちろんそんな簡単にテーマが出てきたり,これが事業にできたら面白いねというアイデアがたくさん出てくるわけではないですが,普段からそういう活動をやっていないと研究所の高いアクティビティを持続できないと思います.それはアカデミアでも同じで,次の研究ネタをどうするかというのを常に考えておられるのだと思います.今のご時世オリジナルというのは相当難しいですが,人の真似をしても仕方がないので,そういう取り組みはずっと続けてきましたし,これからも続けたいと思っています.

—— 提案されてきたものの中からでも,やってみないとわからないですよね.

中井 当社の研究所がすべて同じかはわからないですが,私の研究所の研究テーマ企画室では机上の調査や企画だけではなく,面白そうだったらフィージビリティのために実験もやってみるという期間は作っています.触ってみないと想像力,直感も湧きませんからね.たとえば「この微生物は面白いよ」とか「たくさん物を作るよ」と聞いても,本当に自分たちが納得できるレベルで作るのかどうかわからないですから.納得すれば次のステージの共同研究契約を結んだり,コラボレーションに進んだりとか,いろいろな形を試しています.それなりのお金や人を使い出すと,ちゃんと研究テーマにしなさいと言われますし,私もそれを言う立場にあるので,「遊んでばっかりいずに,そろそろ見極めろ」ということになります.道筋はいろいろあっても会社のルールに従って認められる研究テーマにしていくプロセスが大事ですし,苦労もあります.もちろん事業部門から「これをやってくれ」と降ってくるテーマもたくさんあります.お客さまから,「これは急ぎだから,いつまでに開発しないといけない.何とかしてくれ.」という要望も当然ありますので,優先順位をつけることになります.どうしてもステージの若いテーマのウエイトがついつい下がってしまうということも多いのですが,提案した研究者の思いも大事にしてあげたいので,その辺りはバランスを見ながらマネジメントしているつもりです.

T型よりπ型

—— いい人材を採用するポイントはどんなところでしょうか?

中井 やはり資質というのはありますよね.思っていてもなかなか言えない,アイデアをたくさんもっていてよく考えているんだけど言えない(出せない)メンバーは評価が難しいです.ですから採用のときには,積極的に自分から提案できる人かどうかを一生懸命見るようにしています.単に調子がいいだけでは困りますので,当然ですが専門性の裏づけとそれなりの見識をもっているうえでということになります.最近は大人しい真面目な学生さんが多いですよね.その中から,やはり芯があって,ちゃんと言うべきところで,ものが言える学生さんを一生懸命見極めたいと思っていますが,所詮,人間が見ますから(笑),わからない,見抜けないことのほうが多いですね.確かにずけずけ言いたいことを言う人は少ないですね.いい意味でも悪い意味でも非常にバランス感覚がいいということなのでしょうか.

—— 言われたことはやるけれども,なかなか自分で新しいことをできないという人が多いということはないでしょうか?

中井 そうかもしれませんね.研究所の朝礼や飲み会の機会で,「研究者とは何ぞや」との問答や「研究所で働くことと研究者であることは違うんだ」というメッセージを特に若い人に投げかけているつもりです.やはり研究者って,自分がこれをやりたいとか,こう考えているということを,自分の意見,考えにして発信できて,それでディスカッション,ディベートできて,初めて一人前の研究者だと私は思っています.言われたことをやっているだけならテクニシャンになってしまう.会社に入ってしまうとそれは学歴とはあまり関係なくて,修士卒でもドクター卒でも関係なく研究マインドがあるかどうかが大事です.私の研究所では管理職も含めてPh.D.は二十数名います.ドクター卒で新入社員として入ってくる人も最近はかなりたくさんいますが,ドクター卒はそれなりの訓練(修羅場経験も)を受けてきて,発言を求められる立場にいたという点では,面接のときは修士卒とは明らかに違うように見えます.でも,会社の中に入ってきてどうかというと意外に大人しくなったりするので(笑),「もうちょっと元気に」とハッパをかけることもありますね.

—— 今,学位のお話が出ましたが,やはり学位をもっていたほうが研究者としてはいいというお考えでしょうか?

中井 日本で研究している分には,基本的にはあまり関係ないと思います.海外に出たときは,研究でも事業部門の開発担当でもPh.D.の名刺があるのとないのではかなり違いますね.研究者として海外に行くときは,Ph.D.をもってないと一人前の研究者とは見られません.私も開発担当のときにアメリカなど海外に何度も行きましたが,Ph.D.をもっているのでそれなりにリスペクトしてもらえました.当社もそうですが,研究活動のグローバル化がどんどん進む時代には学位はもっているほうがいいと思います.私は修士を出て会社から出向したときの仕事で学位を取らせてもらいましたし,会社の仕事で博士を取っている研究者もたくさんいます.私は,会社に入った後にドクターを取るというのを妨げるつもりはないですし,逆に推奨しているつもりです,カネカのほかの研究所もそうだと思います.取れるものなら取ったらいいということを,若い人には常に言っていますが,積極的に自分で動く人はあまり多くないかもしれません.最近はもって入ってくる人のほうが多いですね.

—— たとえばドクターの場合は,学生のときに会社での研究に近いことをやっていたほうがいいということはありますか?

中井 特定の研究テーマで即戦力が欲しいという場合は,ドクターの新卒やキャリア採用者を当てることはよくあります.一般的には,ドクターだからといってその専門領域をそのまま会社で研究するということはまずありません.基本的にはライフサイエンスという大きな領域の中でテーマも変わりつつ新たなことにも取り組んでいくという感じです.大学で一生懸命勉強してきて,たとえば博士課程で5年,6年研究をやってきたなら,それは自分の一つの専門になる.そこから会社に入って,企業での研究生活が十数年続くのであれば,その研究の中で2つ目の専門を作って欲しいと思います.ずっと一つの専門性で生きていけるほど甘い世界でもない.よく世間で言うπ型ですね.T型で一つを極めているのもいいですが,会社に入って企業研究に身を投じるなら,もう一つぐらい専門をもてないと.新入社員や若い人には,修士,ドクター関係なく,これからの仕事を通じてもう一つこだわる分野,専門を作ってくれと言っています.

—— 大学でどういうことを勉強していたらよいとお考えでしょうか?

中井 基礎教育はもちろんですが,研究者を目指すならば,まず一つとして,大学で自分が選んだ専門は徹底的に.大学のときはいくつもできないでしょうから,一つを徹底的に鍛えてもらうことですね.それから,自分自身の反省で言うと,専門とは別に,やはり社会科学,リベラルアーツとか,若いときは私も全然興味がなかったのですが,いわゆる教養というのが年を取るといろんな場面で結構利いてきますよね.私はなくて恥ずかしい思いをすることもよくあります(笑).今の日本の大学は教養や文系の学部を減らすみたいなことになっていますが,逆にこれはよくないんじゃないかなと思いますね.いい歳になっても研修などを受けたりしますが,リベラルアーツとかを勉強し教養を積むと,会社の外に出たときに外の人といろいろな話題でお話しできますよね.英語で仕事の話はできても,世界の歴史を知らなかったら普段の会話が弾まないし,人間関係が深まらないんですよね.いろんな意味で教養というのは大切,大学の間は時間があるのだから,サイエンス以外で興味がもてる分野で何か一つ真剣に深く勉強しておけばいいと思います.たとえば宗教とか若いときに少しでも基礎的なところを勉強していればよかったなと思います.今はなかなか脳に染み込んでこないので.

会社で仕事を始めると時間がなくなります.大学のほうが,隣の研究室や隣の建物,あとセミナーでもいろいろなものに参加するチャンスがはるかにたくさんあって,全然違うものが周りにいっぱいあるわけですよね.何でもいいので,無理にでもそういうところに自分で行ってみる,触れることで目線を振る,違うものを見ることをやってほしいなと思いますね.

たとえばカネカの中でも,樹脂などの材料系や医療器系などとの異分野の融合研究,業際領域での研究があり,仕事も一緒にすることになります.その分野の知識はどうするかというと,もちろん仕事の中で勉強すればいいのだけど,もっと大事なことは,異分野に抵抗なく,すっと入れるかどうかだと思います.大学でそういう練習,経験をしていれば,そんなのがあるんだ,面白いからやってみようという,違うものに前向きに触れるメンタリティというか,行動パターンのようなものにつながると思っています.大学の場合はそういうチャンスがいくらでも周りにあるんですよね.農芸化学の学生さんに求めるとすれば,月に一度でも,空いている時間でもいいから自分の専門と違うどこか,たとえば理学部や工学部の話をちょっと聞きに行ってみるとか,化学工学の人に少しでも触れてみるとか.自分が一番興味をもてそうなところにちょっと行く,そういうのをやっておいてほしいなと思いますね.

—— 今はどこでもそうだと思いますが,海外で活躍できるような人,グローバルな人材というのが望まれるのでしょうか?

中井 すべてがそうである必要はないと思いますが….私もあまり話せないですが海外に行かないといけない場面も多いので,そこで拒絶反応を起こすようだと結構つらいですね.そこは開き直って,受け入れてやる,チャレンジするというマインドとか,やってもいいよというオープンな気持ちになるかどうかだけだと思います.今はやはりグローバルを強く求められるので,少なくともその覚悟はマストですね.私も面接のときには,必ず「海外での仕事は大丈夫か」と聞きます.みんな,「大丈夫です,やってみたいです」って答えてくれますが,入ってきたら意外に,「いや,ちょっと困ります」とか(笑)になってしまう人も中にはいます.われわれの研究でもすでにベルギーのバイオ医薬品関連の子会社と一緒に進めているテーマもあります.テレビ会議も最初始めた頃はみんなたいへんでしたが,最近はだんだん慣れてきて,それなりにできていますね.

キャリアデザインが重要

—— ポスドクを含めたキャリア採用についてはいかがでしょうか?

中井 ポスドクだったとか他社から転職してきた人も研究所にはかなりいます.ある領域の研究開発やマーケティングで,その道のプロが欲しいというときにキャリア採用しています.キャリアで来た人たちには,生え抜きの人と自分たちは違うんだという意識が少しあるようですが,個人的には特に意識せずに接しています.当社は,キャリア採用組の定着率が比較的高いそうです.ポスドクから入社した人もいますし,意外に就職のときの門戸は広いのかなと思っています.

—— いわゆるポスドク問題についてはいかがでしょうか?

中井 これはポスドク問題というより,研究者個々人のキャリアデザインの問題だと思います.研究者としての自分のキャリアをどう考えるかだと思いますね.それは会社でも同じで,会社の中で研究者としてやっていけるのは何歳までかの議論があります.全員定年まで研究所に勤められることはありません.私の場合は研究所長として今も研究の現場にいられるので,企業研究者のキャリアとしては,恵まれていると思っています.実際には40歳を超えても研究リーダーになれないということはよくあるケースです.じゃあそのまま研究所に居られるのかというと,若い人が毎年入ってくるので当然誰かがどこかへ出ていかないといけない.そういうときに自分がどういうキャリアを積んでいくのかを普段からどれだけ真剣に考えているかが重要で,この問題の本質ですよね.

企業の研究所だと40歳前後になったら,その後のキャリアを意識させられる状況になります.そのときに,自分はどんな仕事がしたい,それができるのか,次は開発に行くのか,製造に行くのか,もっと跳んで営業に行くのか,などいろいろなキャリアを考えることになります.考えてなくても,転勤というのもありますが.大学のポスドクの人たちにとっても,自分は大学の先生になるのか,なれなかったらどういうキャリアを描くのか,自分の職をどのようにして選んでいく,獲得していくかという,個々人のキャリアデザインへの意識の問題が大きく絡んでいると思います.だからポスドクも,35歳ぐらいになったら企業に出るとか,海外で職を得ることも含めて,自分がどこに行くんだという明確なビジョンをもつことが大事で,そういうこともある程度は教育すべきだと思います.つまり大学の教育として,ドクターへ行く学生さんにはキャリアデザイン教育というのをやらないといけない.少し前にどこかの学会で聞きましたが,アメリカの大学にはそういうプログラムがあるそうです.たとえばアメリカならベンチャーを起業するとかも含めて,キャリアデザインを考えるようなプログラムを大学としてやっている.日本の大学もそういう教育をやらないといけないのではと思いますね.それを学会が支援するのもいいかもしれません.

—— キャリアデザインというのは一つだけではなくて,いろいろな選択肢をもつということなんですね.

中井 そうです.そのときに自分がどういう風にどのタイミングで決めるか.もうこれしかないと思っていて幸運にもそこへ行ければいいですが,そこに枠がないから誰か作ってくれと言っても誰も作ってくれるわけではありません.それは自分で描くしかないですね.いろんな選択肢があるんだということを知らないといけないし,キャリアを考えることそのものを大学,特に博士課程で教育あるいは研修したほうがいいと思います.そのまま大学の先生になるのか,違う道を選ぶのか,いろいろな考え方ができるようになると思うんです.ドクターを出た学生が企業に就職するつもりになればそれなりにポジションはあると思います.逆に,企業からアカデミアに戻る道もあり得ますし,そのような事例は当社でもかなりあります.

これからの農芸化学に望むこと

—— 最後に農芸化学に望むことは何かありますでしょうか?

中井 当社はメーカーですのでもの作りが基本で自信もありますが,たくさん作るときには,スケールアップとかプロセス工学的なところで苦労することがよくあるのも現実なんです.最初のラボ実験はいいけど,たとえば坂口フラスコの2 Lはうまく培養できるが,そこから先500 L, 1,000 Lを同じように培養できるかと言うと,そんなに簡単ではない.基本的に技術やノウハウが全然違うんですね.農芸化学の研究室を出ても,大学ではそういう経験はしていない.大学の先生方にプロセス開発的な研究をお願いしたいと思っても,論文を書けないし…みたいな話になります.農芸化学は生物と化学の両方がかかわって領域は広いのだけれども,研究の道具立てがやはりバイオ,生物信奉が強いのかなという気がします.そこにプロセス工学のような工学の視点を融合できたら,もっとすごいことができると思います.是非,工学的な視点をミックスされた研究をお願いしたいと思います.私は生物物理学会に入っていますが,生物物理というのは異分野融合,交流の色彩が強い学会です.農芸化学にも物理学的な視点も融合できたら面白いのかなとも思います.メーカーの立場から言うと,物理や工学的な考え方とか,そういう学会とのコラボレーション,融合で新領域を開拓していただきたいなと思います.あとはもう一つ,すごく抽象的ですが,私が若かったころは遺伝子組換えやバイオの技術,たとえばPCRなどエポックメイキングな大きな技術ブレイクスルーがありました.最近だとゲノム編集がそうなっていくのでしょうか.農芸化学でも次世代のバイオテクノロジーのコア技術といえるものを生み出していただきたいし,学会としてバイオテクノロジーの将来に向けた大きな方向性,ビジョンみたいなものを見せていただけたらなと思いますね.

—— 本日は興味深いお話をどうもありがとうございました.