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なぜ冷夏でイネが「いもち病」にかかりやすくなるのか冷夏によるいもち病被害拡大を防ぐ技術に向けて

Hiroshi Takatsuji

高辻 博志

国立研究開発法人農業生物資源研究所

Published: 2016-08-20

いもち病は,イネの病気で最も被害が大きいため昔から恐れられてきた.糸状菌に属するいもち病菌(Magnaporthe oryzae)が主因であるが,冷夏などの環境条件が被害を大きくすることが知られている.植物が病気と戦う力を活性化する薬剤である抵抗性誘導剤が開発されて,昔に比べると被害は軽減されつつある.しかし,冷夏の低温条件下では抵抗性誘導剤が効きにくくなることから,現在でも冷夏の年にはいもち病被害が問題になる.この問題には,植物ホルモンのアブシジン酸(ABA)が関与し(1)1) H. Koga, K. Dohi & M. Mori: Physiol. Mol. Plant Pathol., 65, 3 (2004).,ABAがイネ本来の耐病性機構であるサリチル酸シグナル伝達を抑制するためであることが明らかになった(2)2) C.-J. Jiang, M. Shimono, S. Sugano, M. Kojima, K. Yazawa, R. Yoshida, H. Inoue, N. Hayashi, H. Sakakibara & H. Takatsuji: Mol. Plant Microbe Interact., 23, 791 (2010)..サリチル酸シグナル伝達は,ベンゾチアジアゾール(BTH)などの抵抗性誘導剤の作用点でもあり,常温でBTHを処理したイネでは,いもち病菌の増殖が百分の一程度に抑えられる(3)3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015)..ところがABAが共存すると,BTHの効果が打ち消され,無処理の場合と同じようにいもち病にかかりやすくなった(3)3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015)..また,BTH処理を低温(昼15°C,夜9°C)で行った場合にも,無処理やBTH+ABAと同様,いもち病の程度がひどくなった(3)3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015)..これは,BTHによるサリチル酸経路の活性化を介したいもち病抵抗性の誘導が,低温によって生じたABAシグナルによって抑制されたからである.

イネのサリチル酸経路では,転写因子のWRKY45が重要な役割を担っている(4, 5)4) M. Shimono, S. Sugano, A. Nakayama, C. J. Jiang, K. Ono, S. Toki & H. Takatsuji: Plant Cell, 19, 2064 (2007).5) M. Shimono, H. Koga, A. Akagi, N. Hayashi, S. Goto, M. Sawada, T. Kurihara, A. Matsushita, S. Sugano, C. J. Jiang et al.: Mol. Plant Pathol., 13, 83 (2012)..最近,BTHによって耐病性が誘導されるとき,WRKY45がMAPキナーゼによってリン酸化されて活性化することがわかった(6)6) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: Plant Signal. Behav., 8, e24510 (2013).図1図1■低温によるいもち病誘導抵抗性の低下とPTP抑制によるその防止).またWRKY45をリン酸化するMAPキナーゼは,ABAが存在すると,チロシン脱リン酸化酵素(PTP)によって脱リン酸化されて不活性化する(3)3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015)..またその結果,非リン酸型の不活性なWRKY45が増加し,それに伴ってイネがいもち病にかかりやすくなることがわかった(3)3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015).図1図1■低温によるいもち病誘導抵抗性の低下とPTP抑制によるその防止).これらのことは,RNAiによってPTPの遺伝子の発現を約十分の一に抑えたPTPノックダウンイネの解析結果からわかった.PTPノックダウンイネでは,ABAが存在しても,BTHによってWRKY45が活性化し,強いいもち病抵抗性が誘導される(3)3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015)..また対照の非形質転換イネでは,ABAを共存させる代わりに低温条件下(昼15°C,夜9°C,2日)でBTH処理を行うと,ABAを共存させた場合と同じように,BTHによるいもち病抵抗性誘導作用がほとんど失われた(3)3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015)..それに対してPTPノックダウンイネでは,低温でも,常温の場合と同じようにBTHによって強いいもち病抵抗性が誘導された(3)3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015).図1図1■低温によるいもち病誘導抵抗性の低下とPTP抑制によるその防止).

図1■低温によるいもち病誘導抵抗性の低下とPTP抑制によるその防止

(A)非組換えイネでは,常温においては,抵抗性誘導剤によってMAPキナーゼによるWRKY45のリン酸化/活性化が進んでいもち病抵抗性になる.(B)非組換えイネでは,低温においては,抵抗性誘導剤処理してもPTPによってMAPキナーゼが不活性化し,WRKY45のリン酸化/活性化が進まずいもち病抵抗性にならない.(C)PTP抑制イネでは,低温においても抵抗性誘導剤によるWRKY45のリン酸化/活性化が進み,いもち病抵抗性になる.

以上の結果は,何らかの方法でPTPの働きを抑制することができれば,抵抗性誘導剤を散布することにより,低温条件下でもイネがいもち病にかかりにくくなる可能性を示している.今後は,このことをほ場で検証する実験が必要であろう.今回用いたPTPノックダウンイネは遺伝子組換え体であり,遺伝子組換え体の受容が進んでいないわが国の現状では,これをそのまま実用化するのは当面困難である.しかしながら,最近注目されているゲノム編集技術を用いてPTP遺伝子を破壊できれば,組換え遺伝子によらないPTP遺伝子抑制イネの作製が期待できる.また別のアプローチとして,PTPの酵素活性を特異的に阻害する薬剤によって同様の効果が得られるであろう.これらにより,冷夏などの気候条件下でもいもち病の心配のない安定した稲作が可能になると期待される.

Reference

1) H. Koga, K. Dohi & M. Mori: Physiol. Mol. Plant Pathol., 65, 3 (2004).

2) C.-J. Jiang, M. Shimono, S. Sugano, M. Kojima, K. Yazawa, R. Yoshida, H. Inoue, N. Hayashi, H. Sakakibara & H. Takatsuji: Mol. Plant Microbe Interact., 23, 791 (2010).

3) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: PLoS Pathog., 11, e1005231 (2015).

4) M. Shimono, S. Sugano, A. Nakayama, C. J. Jiang, K. Ono, S. Toki & H. Takatsuji: Plant Cell, 19, 2064 (2007).

5) M. Shimono, H. Koga, A. Akagi, N. Hayashi, S. Goto, M. Sawada, T. Kurihara, A. Matsushita, S. Sugano, C. J. Jiang et al.: Mol. Plant Pathol., 13, 83 (2012).

6) Y. Ueno, R. Yoshida, M. Kishi-Kaboshi, A. Matsushita, C. J. Jiang, S. Goto, A. Takahashi, H. Hirochika & H. Takatsuji: Plant Signal. Behav., 8, e24510 (2013).