Kagaku to Seibutsu 54(9): 650-656 (2016)
解説
ケトジェニックダイエットがヒトの健康に及ぼす影響について
Effect of Ketogenic Diet on Human Health
Published: 2016-08-20
糖尿病患者数は増加の一途をたどっており,Ketogenic diet(KD)はその独自性や特殊性から薬剤治療と異なる治療食としての効果が期待されている.また,癲癇やがんへの効果も報告されつつあるが,KDの生体にどのように作用し,影響を与えるかについての生化学的・分子生物学的な報告が少ないことと相まって,KDの使用には疑問が残らざるをえないのが現状といえる.また,KDが生体に及ぼす影響についても多くが事象論にとどまっているが現状である.本稿では,KDの作用メカニズムとして近年の報告を紹介し,その有効性をエビデンスに基づいて示したい.
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
ケトジェニックダイエット(KD)とは,糖質を制限し,糖質の代替エネルギー源として脂質を摂取する食事療法のことを一般的に指し,血中のケトン体(β-ヒドロキシ酪酸,アセト酢酸,アセトンの総称)が増加するのが特徴である.体重減少や糖尿病治療食として世間に知られているが,もともとは癲癇の治療食として一般的に知られていた.その起源は古代ギリシアや古代インドにまでさかのぼり,紀元前500年にはすでに癲癇の治療法として絶食が用いられていたことが記されている.近代になって1911年にGulep医師,Marie医師らによって癲癇の治療法として絶食の有効性について発表されている.その後,絶食中にβ-ヒドロキシ酪酸とアセト酢酸の濃度が上昇することが1921年にWoodyatt博士らにより明らかになったことから,これらの総称としての血中ケトン体の量を増加させる食事の有効性についての提案がWilder博士らによってなされた(1)1) R. M. Wilder: Mayo Clin. Proc., 2, 307 (1921)..ここでは,1 gのタンパク質,10~15 gの炭水化物,そして脂肪分でエネルギーを充足させる食事がベースとなり,KDの基礎的な概念がここで確立された.その後1920年代から積極的にこの食事療法を用いて,癲癇治療が広く行われてきた.KDを摂取することにより,体内で炭水化物が不足するため,それに代替するエネルギー源としてケトン体の合成が促進され,体内で主要なエネルギー源として使用されることが知られている(図1図1■KDが肝臓代謝に及ぼす影響).この食事に「Ketogenic」という呼称がついているのは,このケトン体生合成を伴う食事であることに起因し,この生理的な状態が絶食時と類似しているため,KDは「擬似絶食」とも呼ばれている(2, 3)2) E. H. Kossoff & A. L. Hartman: Curr. Opin. Neurol., 25, 173 (2012).3) J. W. Wheless: Epilepsia, 49 (Suppl. 8), 3 (2008)..
しかし,その後ジフェニルヒダントイン(diphenylhydantoin)が抗癲癇薬として使用されるようになるとKDによる治療ではなく薬による治療法にシフトするようになり,KDが薬剤治療に取って代わられることとなる.2000年になるとダイエットブームや2型糖尿病の治療法として再び着目され始め,Robert Atkins博士の著書「アトキンス博士の食事革命:Dr. Atkins’ Diet Revolution」により広く社会に再認識されるようになった.また,現在では年に100報近い研究論文が発表されており,国際学会の年次開催も行われるようになっている.さらに古典的KDに加えて,medium-chain triglyceride(MCT)dietや,modified Atkins diet(修正アトキンス食:MAD),low glycemic index treatment(低グリセミック指標食:LGIT)などが提供され,これらは癲癇や糖尿病治療のほかにアルツハイマー病やパーキンソン病,心血管疾患,がん,にきびの治療方法としての効果が期待されている(2)2) E. H. Kossoff & A. L. Hartman: Curr. Opin. Neurol., 25, 173 (2012)..しかし,これらの効果がどのような作用メカニズムで発揮されるのかについてはいまだ統一的な見解がなされていないのが現状である.
KDは,低炭水化物・高脂肪食ダイエットであり,炭水化物源を極力減らし,その代わりエネルギー源として脂肪を摂取する食事療法を指す.糖尿病の治療へは一般的にケトン比が4 : 1または3 : 1の食事がよく使用される.ケトン比とは(脂質の重量) : (炭水化物+タンパク質の総重量)で表したものである.ちなみに,この組成の食事をカロリーで換算すると8%がタンパク質由来,2%が炭水化物由来で,90%が脂質由来のカロリーとなり,KDが脂質に富んだ食事であることがわかる.現在,KDはヒトにおいては1日の炭水化物の摂取量を20~40 g程度に制限する食事と定義されている(4)4) A. R. Last & S. A. Wilson: Am. Fam. Physician, 73, 1951 (2006)..しかし,写真に示すとおりかなり偏った食事であり(図2図2■KDについて),その食事療法に合わせた生活スタイルを維持するのは極めて困難である.特に,小児への癲癇治療を目的と食事としては,長期間に食べなければならないことに加え,後述の副作用もあり,難しいとされている.そこで,同様の効果が期待される食事療法の開発が望まれた(図2図2■KDについて).MCTは1970年代に提唱され,ココナッツオイルなどに含まれる中鎖脂肪酸で構成される中性脂肪を脂肪源として食事を構成しているのが特徴である.吸収後に肝臓中で中鎖脂肪酸が中性脂肪に再構成されることなくβ酸化を受けて分解され,ケトン体の生合成を活発にする食事である.このため,炭水化物やタンパク質の含有率を増やすことが可能となっている.
一方で,2003年に発表されたMADはダイエット効果よりも癲癇治療に重点をおいた組成であり,特徴としてKDよりタンパク質や炭水化物源を多く含有し(成人20 g/1日),制限を緩和しながらケトン体生成のための脂肪の摂取量を多くしている.MADはKDより癲癇に対する効果は高いとの報告もある(5)5) H. E. Kossoff, H. Rowley, S. R. Shinha & E. P. Vining: Epilepsia, 49, 216 (2008)..LGITは,Thieleらによって提唱されたグリセミックインデクス<50に抑えることで血中グルコース値を維持する食事療法である.このダイエットでは,40~60 gの炭水化物を摂取可能となり,ほかのダイエットと比較しても遥かに多くの炭水化物を摂取できるのが特徴である.また,血中ケトン体量は増加するものの,KDやMADと比較して穏やかであることが特徴である.これらのダイエットのいずれも,癲癇に対して一定の改善効果が見られた(2)2) E. H. Kossoff & A. L. Hartman: Curr. Opin. Neurol., 25, 173 (2012)..
KDでは低炭水化物であるため,血糖値は上昇せず,インスリン濃度が低下する.グルコースの消費を抑えるために,代替えエネルギー源としてケトン体は主に肝臓で遊離脂肪酸を基質として生成されるが一部腎皮質でも生成される.血中のインスリン濃度の低下により脂肪組織のホルモン感受性リパーゼの抑制が解除され,生じた遊離脂肪酸は血中を介して肝臓へ送られる(6)6) G. I. Shulman: Am. J. Cardiol., 84, 3 (1999)..その後,ミトコンドリア内でβ酸化によりアセチルCoAとなり,細胞内のアセチルCoA量が増加する.増加したアセチルCoAはTCAサイクルのクエン酸シンターゼ活性を阻害し,TCAサイクルが抑制されることでケトン体生合成が活性化される.ケトン体合成は,まず脂肪酸のβ酸化の最終段階の逆反応である2分子のアセチルCoAの縮合によるアセトアセチルCoAの合成がミトコンドリアマトリックスで行われる.さらに1分子のアセチルCoAがHMG-CoAシンターゼの作用によりβ-ヒドロキシ-β-メチルグルタリルCoA (HMG-CoA)を生成する.なお,コレステロール構成にかかわるHMG-CoAシンターゼは細胞質に存在するため,この反応とは無関係である.その後,HMG-CoAリアーゼがHMG-CoAを分解し,アセチルCoAとアセト酢酸を産生する.アセト酢酸はβ-D-ヒドロキシ酪酸デヒドロゲナーゼによりβ-ヒドロキシ酪酸に還元される.この反応過程はミトコンドリア内の[NAD+]/[NADH]比に依存する.したがって,血中のβ-ヒドロキシ酪酸のアセト酢酸に対する比率は,肝臓中のミトコンドリアにおける[NAD+]/[NADH]比を反映することになる.さらに,絶食時は脂肪酸の酸化が亢進するためにNADH産生が増大し,β-ヒドロキシ酪酸産生に傾くようになる.血中に放出されたβ-ヒドロキシ酪酸とアセト酢酸は脳や筋肉で再びアセチルCoAとなり,TCAサイクルを介してエネルギー産生に用いられるとともに,血中グルコースの消費を抑制する作用をもっている(2)2) E. H. Kossoff & A. L. Hartman: Curr. Opin. Neurol., 25, 173 (2012)..また,アセト酢酸の一部は非酵素的に脱カルボキシル化を受けてアセトンになる.正常な健康状態ではβ-ヒドロキシ酪酸はマイクロオーダーの低濃度に維持されているが,90分の激しい運動後や,2日の絶食後には1~2 mMまで上昇する.この濃度はKD摂取時でも観察されている(7, 8)7) A. M. Robinson & D. H. Williamson: Physiol. Rev., 60, 143 (1980).8) J. H. Koeslag, L. I. Levinrad, J. D. Lochner & A. A. Sive: J. Physiol., 358, 395 (1985)..
肝臓で生成されたβ-ヒドロキシ酪酸とアセト酢酸は,血中に放出されて肝臓以外の臓器(心筋,骨格筋,脳など)に送られ,ミトコンドリア内で代謝される.標的組織ではモノカルボン酸トランスポーターを介して細胞内取り込まれるが(9)9) A. A. M. Morris: J. Inherit. Metab. Dis., 28, 109 (2005).,肝臓ではケトン体をアセチルCoAに変換する酵素が発現していないため利用できない.しかし,そのほかの組織,特に筋肉や脳ではβ-ヒドロキシ酪酸はβ-ヒドロキシ酪酸デヒドロゲナーゼの作用によりNAD+に共役した酸化反応でアセト酢酸となった後,チオラーゼの作用によりアセトアセチルCoAを経て,再びアセチルCoAへ変換後TCAサイクルでATP産生に用いられる.
KDが生体に与える影響の分子基盤を,実験動物などを用いて生化学,分子生物学的に検討している報告は意外と少ない.また,KDにダイエット効果があることは明白であるが,そのメカニズムについてはいまだ詳細に解明されていない.タンパク質摂取量が多いことによる食欲減退,脂質代謝の亢進,糖原性アミノ酸による糖新生経路の活性化による代謝変化が,体重の減少に関与するなど諸説ある.特に,タンパク質を起源とする糖新生には400から600 kcal/dayのエネルギーを消費されたと計算されることが,その根拠となっている.また,ケトン体によるghrelinやleptinのなどのホルモン作用の変動などの報告もされている(10)10) A. Paoli, A. Rubini, J. S. Volek & K. A. Grimaldi: Eur. J. Clin. Nutr., 67, 789 (2013)..
他方で,脂質代謝への変化に着目した研究結果も報告されており,KennedyらはKDをC57/BL6 miceに7週間負荷し解析を行った結果では,KDが肝臓でケトン体合成を亢進し,脂肪酸分解を促進することや,脂肪酸合成を抑制することを明らかにした(11)11) A. R. Kennedy, P. Pissios, H. Otu, B. Xue, K. Asakura, N. Furukawa, F. E. Marino, F.-F. Liu, B. B. Kahn, T. A. Libermann et al.: Am. J. Physiol. Endocrinol. Metab., 292, E1724 (2007)..これらの結果から,KDは脂肪酸合成を抑制し,脂肪分解を促進することで,ダイエット効果をもたらすものと考えられている(10)10) A. Paoli, A. Rubini, J. S. Volek & K. A. Grimaldi: Eur. J. Clin. Nutr., 67, 789 (2013)..興味深いことに,脂肪酸代謝に関するこれらの遺伝子発現パターンは絶食(カロリー制限)とは違う挙動であった(11)11) A. R. Kennedy, P. Pissios, H. Otu, B. Xue, K. Asakura, N. Furukawa, F. E. Marino, F.-F. Liu, B. B. Kahn, T. A. Libermann et al.: Am. J. Physiol. Endocrinol. Metab., 292, E1724 (2007).ことから,この2つの生理状態は必ずしも一致していないことが示されたことも興味深い報告である.
1987年にはTisdaleらが,KDが腫瘍の縮小作用をもつ可能性についてマウスを用いた実験系で報告している.そのほか,大腸がん,胃がん,前立腺などに対しても有効性が報告されている(12)12) S. Vidali, S. Aminzadeh, B. Lambert, T. Rutherford, W. Sperl, B. Kofler & R. Feichtinger: Int. J. Biochem. Cell Biol., 63, 55 (2015)..がん細胞では,正常細胞と比較して嫌気的条件下で生存するために代謝を大きく変化させることが知られており,Warburg効果に代表される嫌気的な解糖によるグルコースの消費に依存してATPの産生を行うようになる.また,同時にペントースリン酸経路も活性化され,DNA複製に用いられるリボース生合成に寄与する.KDではグルコースの利用が制限されるうえ,ペントースリン酸経路の基質となるグルコース6-リン酸量も減少するためにこの経路も阻害されることから,がんが生存するのに必要なエネルギー確保が難しくなるとされている.また,ケトン体を基質としてアセチルCoAがミトコンドリア内でTCAサイクルから電子伝達系を経てATP産生を行うため,活性酸素種(ROS)の産生が増大する(13)13) B. G. Allen, S. K. Bhatia, C. M. Anderson, J. M. Eichenberger-Gilmore, Z. A. Sibenaller, K. A. Mapuskar, J. D. Schoenfeld, J. M. Buatti, D. R. Spitz & M. A. Fath: Redox Biology, 2, 963 (2014)..細胞培養実験系でケトン体を添加した細胞中のグルタチオンの低下および過酸化脂質が増大することが報告されていることからも,がん細胞において,KDが酸化ストレスを介して細胞の増殖を抑制する可能性が示されている(図4図4■がん細胞へのKDの影響).さらに,多くのがん細胞でミトコンドリア機能障害と個数の減少が観察されているが,β-ヒドロキシ酪酸が上昇する条件ではミトコンドリア機能の回復が報告されており,KDはがん細胞増殖能の低下に寄与しているものと考えられている(14)14) S. Srivastava, Y. Kashiwaya, M. Tadd King, U. Baxa, J. Tam, G. Niu, X. Chen, K. Clarke & R. L. Veech: FASEB J., 26, 2351 (2012)..
脳において,ケトン体はアセチルCoAへ変換後,TCAサイクルでATPを産生する.この過程で,2-オキソグルタル酸からグルタミン酸の生合成が上昇し,γ-アミノ酪酸(GABA)の産生増大を誘導し抗癲癇効果を有するのではないかと考えられている(15)15) M. Yudkoff, Y. Daikhin, I. Nissim, O. Horyn, A. Lazarow, B. Luhovyy, S. Wehrli & I. Nissim: Neurochem. Int., 47, 119 (2005)..一方,ケトン体生成による血中pHの変化は,acid-sensing ion channel (ASICIa)の変動を介して神経細胞の活動に影響を及ぼすことも,KDによる癲癇の軽減効果の一要因として考えられている.また,N-methyl-D-aspartate (NMDA)受容体やGABA受容体の作用発現にpHが影響を及ぼす可能性についても考えられている(16)16) A. E. Ziemann, M. K. Schnizler, G. W. Albert, M. A. Severson, M. A. Howard 3rd, M. J. Welsh & J. A. Wemmie: Nat. Neurosci., 11, 816 (2008)..さらに,癲癇に対する作用もKDとカロリー制限(絶食)では異なり,両者で抗けいれん効果は見られたものの,脳波の癲癇性異常波,およびカイニン酸誘発性癲癇に対する応答は正反対であった.このことからも,脂質代謝同様, KDと絶食は必ずしも同様のメカニズムで作用するのではないことが改めて示された(17)17) A. L. Hartman, X. Zheng, E. Bergbower, M. Kennedy & J. M. Hardwick: Epilepsia, 51, 1395 (2010)..
ダイエット効果に加えて近年着目されているのが,糖尿病改善を目的とした食事療法としてのKDである.インスリン抵抗性を伴う2型糖尿病とはインスリンの作用不足によって起こる異常な高血糖を主徴とする代謝異常である.その発病には生活習慣が大きく関連していることから,生活習慣病の一つとされている.糖尿病の治療にKDを用いた例としては多く存在し(18)18) H. M. Dashti, T. C. Mathew, M. Khadada, M. Al-Mousawi, H. Talib, S. K. Asfar, A. I. Behbahani & N. S. Al-Zaid: Mol. Cell. Biochem., 302, 249 (2007).,Yancy, Jr.らによると,中年の肥満併発型糖尿病患者にKDを摂取させたところ,16週間後には体重・ウエスト・HbA1c・Serum TGなどの値が顕著に減少したことが報告されている.また,この際には被験者の80%は試験前より試験後で糖尿病薬の処方量が減少した(19)19) J. Wylie-Rosett & N. J. Davis: Curr. Diab. Rep., 9, 396 (2009)..そのほかにも,いくつかの論文でKDが空腹時血糖値やHbA1cの減少に有効であることが報告されている.さらに,WestmanらによってKDが低GI食と比較しても空腹時血糖値やHbA1c・体重の減少に対して効果的であることが示されている(20)20) E. C. Westman, W. S. Yancy Jr., J. C. Mavropoulos, M. Marquart & J. R. McDuffie: Nutrition & Metabolism, 5, 36 (2008)..これらは主に,KD摂取により食後血糖値の上昇が緩和されインスリン分泌が抑えられることで2型糖尿病の改善が起こることが報告されている(10)10) A. Paoli, A. Rubini, J. S. Volek & K. A. Grimaldi: Eur. J. Clin. Nutr., 67, 789 (2013)..
KDが糖尿病や肥満の改善に有効だという認識が高まっている一方で,それを否定する論文(21)21) J. C. Newman & E. Verdin: Trends Endocrinol. Metab., 25, 42 (2014).や,ほかの既存の糖尿病治療と比較して良好な血糖のコントロールを示さないことを報告する論文(22)22) J. Wylie-Rosett, A. A. Albright, C. Apovian, N. G. Clark, L. Delahanty, M. J. Franz, B. Hoogwerf, K. Kulkarni, A. H. Lichtenstein, E. Mayer-Davis et al.: J. Am. Diet. Assoc., 107, 1296 (2007).も存在している.また,KDを摂取することによる弊害も示されており,急性の副作用については,無気力感やむかつき感,さらに吐き気などがある.KDはケトン体生成に伴いアシドーシスおよび呼吸機能の低下や意識の低下,脱水症状などを引き起こす原因となる.また,長期の副作用としてLDL-コレステロール値の増加,セレニウムや銅,亜鉛などの微量ミネラル欠乏などが報告されている.さらに,骨のミネラル量の減少なども報告されている.一方,代表的な症状としてアシドーシスや高尿酸血症,腎臓結石や尿結石などが挙げられている(23)23) D. Papandreou, E. Pavlou, E. Kalimeri & I. Mavromichalis: Br. J. Nutr., 95, 5 (2006)..Jornayvazらは,KDがエネルギー産生を増加させ体重増加を防ぐ一方で,肝臓インスリン抵抗性を引き起こすことを報告している(24)24) F. R. Jornayvaz, M. J. Jurczak, H.-Y. Lee, A. L. Birkenfeld, D. W. Frederick, D. Zhang, X.-M. Zhang, V. T. Samuel & G. I. Shulman: Am. J. Physiol. Endocrinol. Metab., 299, E808 (2010)..また,この報告では,脂肪肝を引き起こすDGの増加がインスリン受容体の下流因子であるIRSのリン酸化レベルを低下させ,インスリンシグナルの阻害を行うことも示されている.多くのKDによる動物実験では,脂質の占めるエネルギーが全体の90%ほどの飼料が用いられており,この結果はKDの「高脂肪な食事」による悪影響の存在を露呈したものである.
以上述べてきたように,KDは代謝を変動させることでその作用を発揮するものと理解されてきた.しかし,絶食や低血糖状態を模した実験動物を用いた実験結果から,KDはこれらとは明らかに異なることが示されてきた.このことは,KDなどのケトン体を増加させる食事を摂取することで生じるβ-ヒドロキシ酪酸,アセト酢酸に何らかの特異的作用があるものと考えられてきている.特に,代謝の過程で生じる中間産物や,最終産物がシグナル因子に作用し,生体調整に大きく関与する事例が報告されつつあり,このような考えはメタボリックシグナルと呼ばれている(22)22) J. Wylie-Rosett, A. A. Albright, C. Apovian, N. G. Clark, L. Delahanty, M. J. Franz, B. Hoogwerf, K. Kulkarni, A. H. Lichtenstein, E. Mayer-Davis et al.: J. Am. Diet. Assoc., 107, 1296 (2007)..
三量体Gタンパク質共役受容体であるHCAR2(PUMA-GやGpr109とも呼ばれる)にβ-ヒドロキシ酪酸が結合することでシグナルを活性化し,脂肪細胞での脂肪分解を阻害することが報告されている.これは,ケトン体合成のフィードバック阻害としての作用と考えられている(25)25) A. K. P. Taggart, J. Kero, X. Gan, T.-Q. Cai, K. Cheng, M. Ippolito, N. Ren, R. Kaplan, K. Wu, T.-J. Wu et al.: J. Biol. Chem., 280, 26649 (2005)..また,遊離脂肪酸の受容体であるFFAR3と結合し,その活性を阻害することで脂肪酸分解を阻害することも報告されているおり,これら膜受容体に結合することでその作用を発揮する(26)26) I. Kimura, D. Inoue, T. Maeda, T. Hara, A. Ichimura, S. Miyauchi, M. Kobayashi, A. Hirasawa & G. Tsujimoto: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 108, 8030 (2011)..
ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)は,ヒストンや非ヒストンタンパク質(p53, c-myc, MyoDなど)のリジン残基の脱アセチル化修飾を介して遺伝子発現を抑制する酵素である.クラス1HDACにβ-ヒドロキシ酪酸が結合し,その活性を阻害することで,線虫の寿命にかかわる遺伝子でヒト相同遺伝子FOXO3遺伝子の発現量が上昇することが報告されている.一方で,β-ヒドロキシ酪酸は細胞内でアセチルCoAに代謝されることでアセチルCoAを基質としたタンパク質のアセチル化を促進する可能性も示されている(22)22) J. Wylie-Rosett, A. A. Albright, C. Apovian, N. G. Clark, L. Delahanty, M. J. Franz, B. Hoogwerf, K. Kulkarni, A. H. Lichtenstein, E. Mayer-Davis et al.: J. Am. Diet. Assoc., 107, 1296 (2007)..
タンパク質リン酸化もタンパク質の活性化や不活性化に大きくかかわる修飾の一つである.動物実験系でKDを摂取することで,脳内タンパク質のリン酸化パターンが変化することが報告されており,さまざまなシグナル因子や代謝関連酵素の活性がKD摂取により変動する可能性が示された(27)27) D. R. Ziegler, E. Araújo, L. N. Rotta, M. L. Perry & C.-A. Gonçalves: J. Nutr., 132, 483 (2002)..筆者らも,KD摂取で核内受容体であるSREBPのリン酸化が臓器特異的に変動する結果を得ており,リン酸化を介して遺伝子発現制御にかかわっている可能性を強く支持する結果である(加藤ら,投稿準備中).
Sirtuin(SIRT1)はカロリー制限をしたときに寿命が延びることに着目した際に同定された遺伝子である.その後,SIRT1はNAD+依存性脱アセチル化酵素としての機能が明らかとなり,長寿や脂質代謝の制御,アポトーシスなどのさまざまな生体機能の制御を行うことが報告されている(28)28) J. T. Rodgers, C. Lerin, Z. Gerhart-Hines & P. Puigserver: FEBS Lett., 582, 46 (2008)..一方,SIRT1の活性はタンパク質発現量のみならず,細胞内のNAD+([NAD+]/[NADH]比)に依存することが報告されている.そこで,筆者らはラットを用いてSirt1に注目し,KDがSirt1を介して代謝の制御を行っているのかを検討した結果,Sirt1のターゲット因子の一つである転写因子PGC-1αをはじめとする下流因子への脱アセチル化が亢進し,遺伝子発現の制御を介してエネルギー産生の増加や脂肪酸合成の抑制,コレステロール異化の亢進などが生じる可能性を明らかにした(図5図5■SIRT1を介したKD作用発現メカニズム).これらの結果は,アセト酢酸のβ-ヒドロキシ酪酸への還元反応に多量のNADHが用いられるため[NAD+]/[NADH]比が減少したことでSirt1を介した遺伝子発現が変化したものと推察した(志知ら,投稿準備中).今回の発見は,NAD+が酸化還元反応の補酵素としてだけではなく,NAD+の存在量や,[NAD+]/[NADH]のバランスの変化が生体に大きな影響を与えることを意味する.特にSIRT1は生体のさまざまな器官で多種多様な働きをすることが知られてきており,近年では「[NAD+]/[NADH]の比の変化」「SIRT1」という概念は遺伝子発現や代謝を考察するうえでの重要なファクターとなりつつある.特に今回のラットを用いた実験結果からKDを摂取することで骨格筋では[NAD+]/[NADH]比が有意に変動しなかったのに対して肝臓では劇的に上昇したことから,KD摂取により肝臓特異的にSirt1が活性化し,脂質代謝やエネルギー代謝が変動するモデルとなると考えている.
最近の研究結果から,アセト酢酸にROSの産生を阻害するといった研究結果がある一方で,ROSの産生を促進するとの報告もある(29, 30)29) H. S. Noh, Y.-S. Hah, R. Nilufar, J. Han, J.-H. Bong, S. S. Kang, G. J. Cho & W. S. Choi: J. Neurosci. Res., 83, 702 (2006).30) P. Kanikarla-Marie & S. K. Jain: Cell. Physiol. Biochem., 35, 364 (2015)..しかし,どちらもβ-ヒドロキシ酪酸よりその効果は強いことから,β-ヒドロキシ酪酸がアセト酢酸と異なるシグナルに作用する可能性も考えられている.また,melanomaで多く見られるBRAF V600F変異体のMAPKシグナルがアセト酢酸により活性化し,細胞増殖を促進する報告もあり,アセト酢酸固有の機能も明らかになりつつある(31)31) H. Kang, J. Fan, R. Lin, S. Elf, Q. Ji, L. Zhao, L. Jin, J. H. Seo, C. Shan, J. L. Arbiser et al.: Mol. Cell, 59, 345 (2015)..筆者らは,がん抑制遺伝子TSC2の片アレル変異が認められ1年で腎臓に腫瘍を形成する結節性硬化症モデルラット(Eker rat)を用いた実験結果から,Ekerラットでは血中のアセト酢酸量がβ-ヒドロキシ酪酸の産生量を上回り,通常のケトン体生成と異なっていることを明らかにした.現在,このアセト酢酸がリスク因子として腫瘍形成に関与する可能性について解析を行っている(32, 33)32) Y. Aizawa, T. Shirai, T. Kobayashi, O. Hino, Y. Tsujii, H. Inoue, M. Kazami, T. Tadokoro, T. Suzuki, K. Kobayashi et al.: Arch. Biochem. Biophys., 590, 48 (2016).33) Y. Aizawa, T. Shirai, T. Kobayashi, O. Hino, Y. Tsujii, H. Inoue, M. Kazami, T. Tadokoro, T. Suzuki, K. Kobayashi et al.: Biosci. Biotechnol. Biochem., 80, 1513 (2016)..
古代より知られていた絶食が今現在KDという形を変えて,さまざまな病気に対していまだ有効であるという事実は驚きに値すると思っている.また,その有効性が明らかにもかかわらず,その分子メカニズムについて明確な説明がなされていないことに驚きを隠せない.しかし,さまざまな病気の治療や改善の可能性があるからこそ,世界中の研究者の注目の的になっていると考える.これまでは,糖の供給が絶たれたときに,糖の消費を回避し生命体を維持するための生体防御機構として考えられていたケトン体生合成である.しかし,最近の実験結果からケトン体そのものがシグナル因子として肝臓以外の臓器に作用する可能性が示され,細胞活動を積極的に変化させることが明らかとなりつつある.また,肝臓がケトン体を利用できないにもかかわらず,ケトン体生合成経路の亢進が細胞内のNADH量を変化させることでSIRT1活性を介した肝臓の遺伝子発現を変える可能性が示された.すなわち,KDは細胞の代謝を変化させたり,シグナルとなったりすることで,体全体にさまざまな異なる効果を及ぼすものと考えられている.今後,KDの効果の全容を分子生物学的,栄養学的立場から少しずつ明らかにできれば,食事療法を通じ,その有効性や効果的な利用方法の確立につながるものと期待される.
Acknowledgments
本実験は大学院博士前期課程の志知雄太氏と加藤延郎氏が精力的に実験に携わってくれました.この研究が一歩前に進みましたのは,二人の日々の弛まない努力の結果であります.この場を借りて感謝申し上げます.
Reference
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3) J. W. Wheless: Epilepsia, 49 (Suppl. 8), 3 (2008).
4) A. R. Last & S. A. Wilson: Am. Fam. Physician, 73, 1951 (2006).
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