バイオサイエンススコープ

植物検疫のはなし作物と緑を守る

Yukio Yokoi

横井 幸生

農林水産省横浜植物防疫所調査研究部長

Published: 2016-09-20

植物検疫のはじまり

今から約170年前に,アイルランドで主食のジャガイモに疫病という病害が発生し国中に広がりました.収穫は皆無となり,食糧不足などが原因で約100万人が亡くなり,約100万人が国外への脱出を余儀なくされました(1, 2)1) 舟木康郎:植物防疫,69,400–403, 461–463, 528–531 (2015).2) 横井幸生:国連研究,16,209–234(2015)..このときアメリカに移住した人の中にケネディ家の祖先がいて,後のジョン・F・ケネディ大統領に続いたと言われています.植物検疫がなかった時代の話です.

世界で最初の植物検疫は,その約30年後のドイツで始まりました.米国からフランスに侵入したブドウフィロキセラ(和名:ブドウネアブラムシ)という害虫から,ドイツ国内のブドウ園を守るため,繁殖用ブドウ苗木の輸入を禁止するという選択でした.この害虫は,ブドウの根に寄生して樹を枯らしてしまいます.当時フランスではブドウのうどんこ病による被害が問題になっていたため,この病害に抵抗性をもつブドウの苗木を米国から輸入したところ,その苗木に付いていたブドウフィロキセラが侵入してしまったのです.そのとき,併せて別の重要病害であるブドウべと病までもが一緒に入り込んでしまい,フランスのブドウ園は壊滅的な打撃を受けることになりましたが,一方,ドイツではぶどう園を守るために植物検疫が始まりました(1, 3)1) 舟木康郎:植物防疫,69,400–403, 461–463, 528–531 (2015).3) 農林水産省消費安全局植物防疫課:「日本の植物検疫(植物検疫100周年)」(2014)..ただ,その被害のおかげ? で国内にあったブドウの樹をほとんど改植することになったフランスでは,新しい品種への切り替えに成功し,現在のブドウとワインの大生産国がある,ということのようです.

日本でも同じように,歴史のなかでたびたび病害虫が農作物に被害を与え食糧の生産・確保に大きな影響を及ぼしています.江戸時代,8代将軍吉宗の治世であった1732年には,享保の飢饉により250万人以上の人々が苦しみました.ウンカ大発生による水稲での甚大な被害が要因となり,水稲は凶作となり多くの餓死者がでたことから,大きな社会不安にもつながったのです.当時の対策は,水田に油をまいてウンカを窒息させるか,神仏に祈るか,でした.

日本で植物検疫の制度が始まったのは,1914(大正3)年.輸出農産物が米国で拒否された事例を受け,その対策として発足しました.第一次世界大戦が始まった年で,以来100年以上の歴史があります.この間に世界は大きく変わりました.100年前,旅客機はなく,船の旅にも多くの日数を要した時代には,果物や野菜の輸送は近隣に限られていたので,病気や虫が長旅をする可能性はとても小さかったはず.それが今では地球の裏側から新鮮な農産物が届くようになりました.たった13名の職員で始まった植物防疫所も,100年後の今は,約1,000人が全国の港や空港などで職務にあたっています(3)3) 農林水産省消費安全局植物防疫課:「日本の植物検疫(植物検疫100周年)」(2014).

植物検疫が戦う相手

植物検疫は,動物の検疫やヒトの伝染病の検疫とともに,広い意味で「検疫」とひとくくりで呼ばれることもあります.空港などでの規制管理をまとめてCIQといいますが,税関(Customs)や出入国管理(Immigration)と並ぶ「検疫(Quarantine)」です.「Quarantine」の語源ですが,1348年にペストが大流行したとき,イタリアのヴェネチアに到着した外国船の乗客がペストにかかっていないことを確認するため,船ごと40日間(イタリア語で「40日」はQuaranta Giorni)海上に停泊し隔離されたことからきています(4)4) W. A. McCubbin: “The Plant Quarantine Problem,” E. Munksgaard, 1954.

植物検疫plant quarantineの目的は,農作物などに被害をもたらす病菌(植物の病菌には,糸状菌,細菌,ウイルスおよびウイロイドなどがある)や害虫(節足動物などの昆虫,ダニ,センチュウ,カタツムリなどの軟体動物がある)(以下,病菌と害虫を合わせて「病害虫」と呼びます)の海外からの侵入を防ぎ,病害虫による被害から守ることです(3, 4)3) 農林水産省消費安全局植物防疫課:「日本の植物検疫(植物検疫100周年)」(2014).4) W. A. McCubbin: “The Plant Quarantine Problem,” E. Munksgaard, 1954..病害虫は植生や気候に応じ分布が異なりますが,上に示したいくつかの例にもあるように,海外から輸入した植物などに病害虫がついていると,到着地の新しい環境の中で定着・増殖し,穀物,野菜,果物などの農作物や,森林,街路樹,野生の植物などに大きな被害を出してしまうことがあります.たとえば,東南アジア地域に発生しマンゴーなどの熱帯や亜熱帯系の果物に寄生することが知られているミカンコミバエ(「ミバエ」は実につくハエ:英語ではfruit fly)が日本に侵入した場合,ウンシュウミカンをはじめかんきつ類などに大きな被害を与えるおそれがあるため,寄生することが知られている植物の果実はミカンコミバエの発生地域から輸入(持ち込みを含む)できません.その反対に,日本に広く生息しているゴマダラカミキリは,森林に被害をもたらすおそれがあるとしてEUはその侵入を警戒しており,日本から一部の盆栽をEUに輸出するときにはこのカミキリムシがいないことの証明を求めています.

このように,国や地域によって警戒する対象が異なります.「害虫」という虫はいない,と言った人がいました.行先の生物相(植物と虫の分布)次第で,ある虫による被害が出るかどうか,ということなのです.たとえば,日本では深刻な被害はないけれど世界の多くの国が警戒しているものに,ゴムやバナナへの病害虫があります.

病菌・害虫たちの訪問経路

病害虫がやってくる経路はさまざまです.どのような道筋が考えられるでしょうか.

まず,船や飛行機で運ばれる貨物.船倉一杯に積まれた穀物や,コンテナ内の野菜・果物,飛行機で届く切り花・草花苗など,さまざまな品目が植物検疫の対象です.貿易の拡大により海外からの農産物輸入は30年前から数量・種類ともに増えており,また,保存技術の向上のおかげで以前に比べ,スーパーで珍しい果物や野菜を目にする機会も多くなっていますね.ちなみに,輸入植物検疫における貨物の検査件数は,過去30年で5倍以上となっています(図1図1■輸入植物検疫の検査件数(貨物)).

図1■輸入植物検疫の検査件数(貨物)

旅行者の手荷物の中にも病害虫が潜んでいます.海外から船や飛行機で到着するとさまざまな手続きが待っていますが,入国管理でのパスポート確認の後,税関での手荷物検査の前に植物の検査が行われます.植物検査を行っているのがわれわれ「植物防疫所」という農林水産省の機関です.ここ数年,日本にも外国から多くの大型クルーズ船が寄港するようになり,到着時には一隻から数千人の旅行客が上陸して,税関検査等の長い行列ができます.空港でも港でも,植物類を持ち込む人は,税関の前に植物検疫のカウンターで検査を受けます.過去40年間の「入国者数」(図2図2■わが国への年間入国者数の推移 出典:法務省出入国管理統計に基づき筆者作成)を見ると,日本人の旅行者数は1980年代から90年代にかけて大きく伸びました.また,40年前(1975年)の外国人の年間入国者数は80万人弱でしたが,昨年(2015年)はたった1カ月でその倍以上,年間では25倍の約2,000万人にもなっています.特に最近年の伸びは著しく,2012年からの3年間だけで倍増していることを見ると,インバウンドが話題になるのも当然ですね.2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて,今後もその傾向は続くことが予想されますが,人の移動が増えるに従い植物の病害虫が侵入するリスクも増大の一途です.

図2■わが国への年間入国者数の推移 出典:法務省出入国管理統計に基づき筆者作成

郵便物といった形でも,病害虫が侵入するおそれがあります.昨今,海外のさまざまなものがインターネットで簡単に購入できるようになりましたが,国際郵便局に届く大量の郵便物から植物検疫の検査が必要なものを的確に見つけ出すのは容易ではありません.植物検疫と郵便サービスの連携が必要です.数年前に,米国の人気シンガーが,CDアルバムに花の種を埋めたシートを挟み,「ファンのみなさん,世界を花でいっぱいにしようね!」と売り出しました(5)5) Y. Yokoi & C. Fedchock: “Katy Perry and Plant Protection,” The Guardian web news, 2013.が,インターネット販売を通じて世界中に花の種が広がる前に,オーストラリアの植物検疫当局が「待った」をかけました.小さな種子は,病菌などが付いていても見つけにくく,また,苗木などと同様に栽培のために農地で使われることから,侵入・定着のリスクが大きく,特に警戒が必要な経路(品目)なのです.

途上国への支援のなかで,食糧生産のために種子が送られることがあります.善意の支援のタネであっても,一時の致命的な病菌の混入はその国の農業発展を将来にわたって妨げてしまうことにもなりかねません.こんなところも病害虫の侵入経路になります.

植物類以外の品目の輸入にも注意が必要です.機械類をはじめさまざまな物品の輸送には木製の梱包材(木枠,パレットなど)がよく使われますが,この中に森林害虫が潜み到着地で猛威を振うおそれがあります.その品目特性から再利用されることが多く,国際移動が激しいことから,被害を避けるための植物検疫に関する国際ルールが設けられています.梱包材には輸出前に熱処理や薬剤によるくん蒸処理などが行われ,そうした処理の後には国際条約(6)6) International Plant Protection Convention (IPPC): www.ippc.intの下で合意された「処理済みのスタンプ」が押されます(図3図3■木材梱包材の処理に関する国際植物防疫条約の基準).このスタンプが押されていない木製の梱包材は輸入時に検査を受けて,森林害虫がいないことを確認する必要があります.

図3■木材梱包材の処理に関する国際植物防疫条約の基準

植物検疫と国境

ここまで,病害虫が「ほかの国から侵入する」というような言い方をしてきましたが,国と国との境目,すなわち「国境」を考えてみましょう.もしどの国にも同じ植物や病害虫が同じように分布・生息していたら,植物検疫はあまり意味がありませんね.植物や病害虫の分布が異なる境目があるからこそ病害虫の侵入を防ぐことが必要とされるのです.では,「国境」はその境目として適切なのでしょうか.日本の場合には周りを海で囲まれており,その「適切さ」をふつうに感じることができます.また,隣国との間に大きな河川,高い山脈,砂漠などがある国でも,日本と同じように地理的・生理的な括りが国の境目と一致しており,国境間の植物検疫の「適切さ」を感じられます.

その一方で世界には,政治的,経済的な理由で植物検疫上の境界が引かれている国々も多くあります.たとえば,ヨーロッパの植物検疫を見てみましょう.28カ国が欧州連合(EU)を形成していますが,EU域内での貿易や旅行者の出入りと,EU以外の国との間の移動において,植物検疫の扱いは大きく異なります.このように,植物検疫の境目が生物相のそれを表していないことも多くあり,国境間の植物検疫の重要性はずいぶん異なります.

国と国との国際レベルの植物検疫とは逆に,ある一つの国の中でも,地方によって植生や病害虫相に差異がある場合にも,植物検疫が必要になることがあります.たとえば,オーストラリアでは,タスマニア島へほかの地域から生鮮野菜やバレイショを持ち込むことはできません.また,ケアンズのある北東のクイーンズランド州には,バナナ,ブドウ,サトウキビなどの苗木・穂木類の他州からの持ち込みを禁止しています.これらは国土の一部に発生している病害虫を他地域に広げないための国内移動の規制です.国土の広大な国だけの問題ではなく,日本でも,サツマイモの害虫やかんきつ類の病菌の国内でのまん延を警戒して,沖縄など南西諸島からそれ以外の地域へのサツマイモやかんきつの苗木などの移動が規制されています(図4図4■サツマイモやカンキツの苗木などの移動規制のポスター).