Kagaku to Seibutsu 54(11): 784-786 (2016)
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チーズに含まれる苦味抑制物質と苦味物質との相互作用の解明脂肪酸はキニーネなどの苦味を,双複合体を形成することで抑制する
Published: 2016-10-20
© 2016 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2016 公益社団法人日本農芸化学会
苦味の抑制は,食品加工において重要な課題の一つである.その方法として,ほかの味や香りを添加することによって抑制する,苦味受容体のアンタゴニストを利用する,または,製薬分野で行われているコーティングやカプセル化などがある.われわれは,食品に応用できる可能性が高い苦味抑制物質を探索する過程で,チーズから苦味抑制活性を示す物質を同定し,その物質が,苦味物質と直接相互作用することを明らかにした.本稿では,その研究過程から,食品成分間相互作用が味覚に及ぼす効果の一端を紹介する.
研究の第一歩は“チーズを食べた後に飲んだビールは苦くない?”であった.それを検証するために,71種のナチュラルチーズを用いて,ビールの苦味を抑制するか否か,官能評価を行った.その結果,ある種の白カビチーズに抑制効果があることが認められたため,このチーズを用いて,苦味抑制物質の分離を行った.被験者の正常な判断と研究遂行能の維持のために,以後のスクリーニングには,苦味物質としてキニーネを用いた.
まず,チーズからエタノール抽出物を調製し,シリカゲルカラムクロマトグラフィーで分画を行った.チーズには大量の油脂が含まれるため,実質的には油脂のエステル数による分画を行い,トリエステル,ジエステル,脂肪酸,モノエステルの順に溶出させた.これら四つの画分について評価を行ったところ,脂肪酸を含む画分にのみキニーネの苦味を抑制する活性が認められた.次にチーズに含まれる脂肪酸を分析したところ,チーズにより多少の違いはあったが,オレイン酸が最も多く含まれることが明らかとなったため,オレイン酸の苦味抑制効果を調べたところ,キニーネに対する強い苦味抑制活性が見いだされた(1)1) R. Homma, H. Yamashita, J. Funaki, R. Ueda, T. Sakurai, Y. Ishimaru, K. Abe & T. Asakura: J. Agric. Food Chem., 60, 4492 (2012)..オレイン酸の苦味抑制が,図1図1■苦味抑制機構に示すどのパターンに該当するかを検討した.オレイン酸は,キニーネの苦味は抑制したが,カフェインの苦味は抑制せず,物質選択性があることからC.の可能性は否定された.さらに,この2つの物質は共通の苦味受容体によって受容されることから(キニーネは9つのTaste receptor type-2(T2R)に,カフェインはこのうちの5つに)(2)2) W. Meyerhof, C. Batram, C. Kuhn, A. Brockhoff, E. Chudoba, B. Bufe, G. Appendino & M. Behrens: Chem. Senses, 35, 157 (2010).受容体のアンタゴニストとして作用する可能性は低いと考え,脂肪酸が,苦味物質と直接相互作用していると推定した.T2Rは7回膜貫通型GPCRに属する苦味受容体で,ヒトでは25種類が存在する.実際,等温滴定カロリメトリー(ITC)を用いてオレイン酸とキニーネの相互作用を測定したところ,発熱反応が確認できた(1)1) R. Homma, H. Yamashita, J. Funaki, R. Ueda, T. Sakurai, Y. Ishimaru, K. Abe & T. Asakura: J. Agric. Food Chem., 60, 4492 (2012)..一方で,苦味抑制効果のなかったカフェインでは相互作用が検出されなかったことから,オレイン酸とキニーネを混合すると生じる成分間の直接相互作用が苦味抑制の原因であることが示唆された(図1図1■苦味抑制機構).そこで,さまざまな脂肪酸を用いて相互作用の測定を行ったところ,測定できた脂肪酸の中でオレイン酸が最大の結合定数を示した.鎖長12(ラウリン酸)以上の脂肪酸で相互作用が認められ,鎖長が長くなるほど結合定数が大きく,二重結合の数が増えるほど結合定数が小さくなる,という傾向が見られた.さらに,オレイン酸を用いて相互作用を示す苦味物質のスクリーニングを行ったところ,図2図2■オレイン酸と相互作用する苦味物質の構造に示す分子に,相互作用が観察された.これらはすべて,分子内に窒素原子と芳香環を有していた(3)3) K. Ogi, H. Yamashita, T. Terada, R. Homma, A. Shimizu-Ibuka, E. Yoshimura, Y. Ishimaru, K. Abe & T. Asakura: J. Agric. Food Chem., 63, 8493 (2015)..
脂肪酸が特定の苦味物質とどのように相互作用するかを調べるために,脂肪酸共存および非共存下で苦味物質の個々の1Hシグナルの変化を1H-NMRを用いて測定した.用いた脂肪酸は,飽和でかつ苦味抑制活性をもつラウリン酸,およびコントロールとしてラウリン酸モノグリセリドを使用し,溶媒としてDMSO-d6を用いた.その結果,ラウリン酸共存下ではキニーネ(キヌクリジン環),プロメタジンおよびプロプラノロールの窒素原子の隣の1Hシグナルがすべて高磁場方向へ移動したが,コントロールではほとんどシグナルの移動が見られなかった.すなわち,苦味物質の分子内窒素原子が脂肪酸のカルボキシル基と水素結合していることが示唆された.相互作用しているシグナルと相互作用していないシグナルは交換して一つのシグナルのように挙動することから,ラウリン酸がキニーネの窒素原子と水素結合していることがほぼ確認できた(3)3) K. Ogi, H. Yamashita, T. Terada, R. Homma, A. Shimizu-Ibuka, E. Yoshimura, Y. Ishimaru, K. Abe & T. Asakura: J. Agric. Food Chem., 63, 8493 (2015)..
ラウリン酸ナトリウムとキニーネ塩酸塩を水溶液中で混合すると白濁するが,そのまま一晩放置すると針状結晶が生成することを偶然見いだした.この結晶を分析すると,ラウリン酸とキニーネが等モル存在すること,融点40°C付近の幅広な溶解曲線を示すこと,固体NMRスペクトルはキニーネとラウリン酸の等モル混合物とは異なり多くのシグナルが現れ,厳密な帰属が困難であるなどがわかった.つまり,得られた結晶は,いくつかのコンフォメーションの複合体であると考えられる.
以上の情報をもとに,ラウリン酸とキニーネの双複合体モデルを作成した(3)3) K. Ogi, H. Yamashita, T. Terada, R. Homma, A. Shimizu-Ibuka, E. Yoshimura, Y. Ishimaru, K. Abe & T. Asakura: J. Agric. Food Chem., 63, 8493 (2015).(図3図3■ラウリン酸ナトリウムとキニーネ塩酸塩の相互作用モデル).しかしキニーネ以外の苦味物質については現在のところ結晶が得られていないため,詳細を明らかにする手段が不足しているという状況である.
ステップ1; 中性(pH 7)の水溶液中ではキニーネはほとんど(+)に荷電しているが(4)4) L. Geiser, Y. Henchoz, A. Galland, P. Carrupt & J. Veuthey: J. Sep. Sci., 28, 2374 (2005).,ラウリン酸はほとんど電荷をもたない状態で存在する(5)5) J. R. Kanicky & D. O. Shah: J. Colloid Interface Sci., 256, 201 (2002)..ステップ2; 混合すると,キニーネとラウリン酸が水素結合を形成(双単位)し,つづいて双単位が集合することで双結晶(双複合体)となる.
食品中にはさまざまな成分が存在することから未知の成分間相互作用が存在し,これらの相互作用が,味や匂い,食感,消化吸収といった現象に関与していると考えられる.今回の例のように共存する物質との相互作用を解析することができれば,食品加工の分野における応用の方途が広がることが期待される.