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フレーバー開発のための基礎研究とその飲料への応用のどごしからの香りを解き明かす

Masahiro Horiuchi

堀内 政宏

高田香料株式会社技術開発基礎研究課

Katsumi Umano

馬野 克己

高田香料株式会社技術開発基礎研究課

Published: 2016-12-20

飲料用の香料を開発する際,飲む前後において思い描いていた香りの印象を与えられない場合もある.飲料を飲もうとするとき,香りの感じ方が飲む過程において異なり,これが飲料の商品価値にも影響する.飲む直前では飲料から揮散した香り成分が,直接鼻に吸い込まれ鼻腔に到達し香りを感じる.その後,飲料が口に入った時点で飲料中の香り成分は,その素材だけでなく唾液や粘膜,体温などの外部因子の影響を受けながら揮散し,鼻腔へと到達して香りを感じる.したがって,飲んでいる間に口中から鼻腔に達する香り成分の構成は飲む前のものから大きく変わり,結果として飲料を飲む過程で香りの感じ方にも違いを生じる.飲料を飲んでいる間に感じる香りは,飲む前と同様に飲料の美味しさを高める重要なポイントになる.飲む過程の香りを考慮して香料開発する場合,フレーバーリストが実際に飲んで官能評価し整えているが,それだけで香料の調整を繰り返すには経験,知識だけではなく多大な労力も費やす.そこで,飲んでいる間に口中から鼻腔に達する香り成分を機器分析して得られた情報と官能評価の両方で評価できれば,飲む過程における香り成分の揮散挙動の解明や飲んだときにも美味しいと感じる香料開発につながる.

飲食している間に口中から鼻腔に達する香り成分を機器に直接導入し分析する手法として,大気圧化学イオン化-質量分析計(APCI-MS)(1, 2)1) E. N. Friel, M. Wang, A. J. Taylor & E. A. Macrae: J. Agric. Food Chem., 55, 6664 (2007).2) S. Rabe, R. S. T. Linforth, U. Krings, A. J. Taylor & R. G. Berger: Chem. Senses, 29, 163 (2004).やプロトン移動反応-質量分析計(PTR-MS)(3, 4)3) D. Mayr, T. Märk, W. Lindinger, H. Brevard & C. Yeretzian: Int. J. Mass Spectrom., 223–224, 743 (2003).4) F. Biasioli, C. Yeretzian, F. Gasperi & T. D. Märk: Trends Analyt. Chem., 30, 968 (2011).などが知られている.これら分析装置は成分を連続的に検出できるが,成分を分離するカラムがないため,香りに含まれる多種多様な成分を詳細に解析するには高度な技量を要する.これに対し,鼻息に含まれる成分を吸着剤にトラップさせた後,加熱脱着装置によってガスクロマトグラフ-質量分析計(GC-MS)(5~7)に導入し,成分をカラムで分離し分析する手法もある.これだと多成分系の分析には適しているが,成分は分析機器に直接導入されず,さらに吸着剤の各成分への吸着選択性の影響も受けやすい.飲食している間に口中から鼻腔に達する香りの詳細な分析には,成分を機器に直接導入しカラムで分離し検出できる手法が適している.

当研究室では飲む過程で感じる香り成分を可能な限り精確に解析するため,飲み始めから飲み終わりまでの口中から鼻腔に達する香りを「香りを感じる3ステップ」(8, 9)により分析し,飲食時の美味しさに影響する成分の明確な情報を得ている.「香りを感じる3ステップ」とは,「ひと口目の香り」,飲んでいる間に感じる「のどごしからの香り」(10, 11),飲んだ後に感じる「香りの余韻」の3分析からなり,各分析において成分はGC-MSに直接導入され,その組成や揮散挙動を追究できる(図1図1■香りを感じる3ステップの概念図).

図1■香りを感じる3ステップの概念図

「ひと口目の香り」分析は,飲み始めた瞬間に口中から鼻腔に達する香り成分に着目し,ひと口だけ飲んだときに出す鼻息に含まれる成分を独自開発した「ARISE Interface」に取り込み包括的2次元ガスクロマトグラフ-質量分析計(GC×GC-MS)へ直接導入する.その成分は3次元クロマトグラムとして視覚化され,より具体的にひと口目に感じる香りの第一印象を評価できる.2ステップ目の「のどごしからの香り」分析は,飲んでいる間に口中から鼻腔に達する香り成分の組成を忠実に研究する目的で,その成分を独自開発した「のどごしからの香り分析装置」により濃縮しGC-MSに直接導入する.飲んでいる間に出す鼻息に含まれる成分は,積算したクロマトグラムとして表される.これと飲料から揮散する香り成分および飲料中に含まれる香り成分の比較により,各成分が鼻腔に到達しやすいか否かわかり,飲む前と飲んでいる間の香りの感じ方の違いを調整するための情報の一つとなる.3ステップ目の「香りの余韻」分析は,飲み終わった後に口中に残る香り成分の揮散挙動を追跡するため,人工唾液に飲料を添加した口中のモデル装置から揮散する成分を追尾方式3次元ガスクロマトグラフに直接導入する.得られるクロマトグラムは,図2図2■「香りの余韻」分析で得られる各成分の揮散パターンに示したX軸が香り成分の揮散パターン,Y軸が経時時間のクロマトグラム,Z軸が揮散量として表せ,香り成分の揮散パターンが視覚化される.さらに,この分析から飲み終わった直後に口中から揮散しやすい成分までも知ることができる.各成分固有の揮散パターンの違いが,飲み込んだ後の風味のコクやキレに影響していると考えられ,これが飲んだ後にも風味豊かな香料開発の基礎的な情報になる.

図2■「香りの余韻」分析で得られる各成分の揮散パターン

「香りを感じる3ステップ」から得られた研究成果は,飲む過程で感じる香りの有益な知見となり,飲む前後で思い描いていた香りの印象を与えられる香料の開発の貴重な情報になる.次に,この3ステップにより香料開発した1例を紹介する.

当社では「香りを感じる3ステップ」により,果物を咀嚼したときの食感を香りから想起させる香料の開発にも取り組んでいる.たとえば,ぶどう(巨峰)の果肉を口に入れて噛むと,フレッシュでフルーティーな香りを感じ,同時にプルプルとした果肉の食感やジューシーな果汁感が口中に広がる.飲料を飲んだときにこのような感覚が香りで想起できれば,香料の付加価値が上がる.はじめに,フレーバーリストが巨峰果肉の香り成分を詳細に分析して得られた情報に基づいて試作香料を調香する.次に,果肉をひと噛みしたときの口中から鼻腔に達する香り成分を「ひと口目の香り」分析し,噛み砕いた瞬間の特徴的な香り成分の組成を試作香料と比較する.「のどごしからの香り」分析で果肉を食べている間に口中から鼻腔に達する香り成分の組成を知る.これと果肉中に含まれる香り成分および果肉から揮散する香り成分の組成を比較し試作香料を調整する.さらに,果肉を食べた後に口中に残った香り成分の揮散パターンを「香りの余韻」分析し,試作香料中に含まれる成分と比較する.これら分析で得られた情報を考慮して再調整された香料を添加した飲料で再び「香りを感じる3ステップ」分析し,ひと口飲んだときから飲み込み終わるまでの香り成分の組成や揮散挙動を可能な限り果肉を食べたときのデータに近づける.再調整された香料を添加した飲料と果肉を官能評価すると,果肉を食べたときに評価の高かった果汁感,果肉感は飲料においても高く,この香料は巨峰果肉を食べたときの食感を想起させる効果があると考えられた.

「ひと口目からの香り」,「のどごしからの香り」分析は,実際に人の鼻息に含まれる成分を分析機器に直接導入している.「香りの余韻」は口中のモデル装置から揮散する成分を分析しているが,人の鼻息で直接分析できるように改良を試みている.当研究室では,人が飲食した過程で感じる香りを可能な限り忠実に再現できる分析手法にこだわっている.これが香りから食感や果汁感を想起させる香料開発につながり,今後も飲料の美味しさに少しでも貢献できれば幸いと思う.

Reference

1) E. N. Friel, M. Wang, A. J. Taylor & E. A. Macrae: J. Agric. Food Chem., 55, 6664 (2007).

2) S. Rabe, R. S. T. Linforth, U. Krings, A. J. Taylor & R. G. Berger: Chem. Senses, 29, 163 (2004).

3) D. Mayr, T. Märk, W. Lindinger, H. Brevard & C. Yeretzian: Int. J. Mass Spectrom., 223–224, 743 (2003).

4) F. Biasioli, C. Yeretzian, F. Gasperi & T. D. Märk: Trends Analyt. Chem., 30, 968 (2011).

5) A. Buettner: J. Agric. Food Chem., 52, 2339 (2004).

6) A. Buettner & F. Welle: Flavour Fragrance J., 19, 505 (2004).

7) T. Itobe, K. Kumazawa & O. Nishimura: J. Agric. Food Chem., 52, 2339 (2004).

 8) 笠松久美,古城和寿,出口正揮,大西由史:ビバリッジジャパン,396, 26 (2015).

 9) 野中 淳:月刊フードケミカル,359, 38 (2015).

10) 馬野克己,中原一晃,穐岡 崇,笠松久美:ビバリッジジャパン,336, 64 (2010).

11) 小川 藍,古川瑞樹,馬野克己:月刊フードケミカル,302, 37 (2010).