Kagaku to Seibutsu 55(2): 83-85 (2017)
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計算機シミュレーションを利用した代謝デザイン技術効率的に基質から目的物質に変換するための代謝経路の改変
Published: 2017-01-20
© 2017 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2017 公益社団法人日本農芸化学会
今日,燃料アルコールやアミノ酸,プラスチック原料,医薬品に至るまで,さまざまな有用物質が生物の代謝を利用して生産されている.このような代謝を利用した有用物質生産の課題の一つは,基質から目的物質へ変換収率を向上させることである.ゲノム解析が飛躍的に進展し,利用可能な代謝経路の情報が充実している現在,これらの情報をもとに合理的に代謝経路を改変することが望まれている.収率を向上させるための効果的な方法は,目的物質の生産に不要な反応を欠失することであるが,代謝は多段階の酵素反応からなる複雑な経路であり,補酵素の生産と消費の収支も考慮する必要があるため,どの反応を遮断すれば効率的に基質を目的物質に変換できるかは容易に判断できない.どの反応を欠失すればよいか網羅的に探索するには計算機の力を活用する方法がある.本稿では代謝経路モデルを利用したシミュレーションに基づく代謝デザイン手法を紹介する.
代謝経路のモデル化にはいくつか方法があるが,ここでは反応の化学量論と可逆性のみを用いる静的なモデルを扱う.図1A図1■代謝フラックスの解空間に基づく代謝経路デザインに代謝経路のモデル化の概要を示した.このモデルでは基質の消費速度や酸素消費速度などの環境条件を入力として,代謝フラックス,すなわち各反応における単位細胞量あたりの反応速度を予測することができる.これまでに多くの成功例を生み出してきたのは,フラックスバランス解析(Flux balance analysis; FBA)を利用した増殖連動型の代謝デザインである.FBAは線形計画法により増殖速度を最大にするフラックス分布を求める手法であり,遺伝子破壊や栄養要求性,環境条件に対するフラックスの違いを予測できる(1)1) D. McCloskey, B. Ø. Palsson & A. M. Feist: Mol. Syst. Biol., 9, 661 (2013)..そこでモデルに含まれる遺伝子についてさまざまな組み合わせで破壊して目的物質の生産を予測し,増殖最大時に目的物質を生産する遺伝子破壊の組み合わせを探索する.この手法は計算が高速なため,1,000反応を超える大規模なモデルであっても網羅的に探索することが可能であり,さまざまな化合物の生産性向上が報告されている(2)2) Y. Toya & H. Shimizu: Biotechnol. Adv., 31, 818 (2013)..
(A)代謝経路のモデル化.経路に含まれる全代謝物について,物質収支式を作成する.定常状態を仮定するため,濃度の時間変化をゼロとする.例として,物質Aについての物質収支式を記載した.これらの代数方程式を行列表記したものが化学量論モデルである.フラックスバランス解析(FBA)は,このモデルを用いて,細胞合成を最大とするフラックス分布を一意に求める.(B)グルコース炭素源における細胞収率とコハク酸収率の関係.線で囲まれた領域が実現可能なフラックスの範囲.黒線が親株,赤線(印刷版では灰色)が遺伝子破壊株(ΔptsG, ΔpykA, FΔpflA).(C)エレメンタリーフラックスモード(EFM)とフラックスの実現可能範囲の関係.解空間の外殻の端点には必ずEFMが存在する.(D)ΔpntAB, ΔsthA, ΔpykA, FΔsfcA株の解空間.赤い(印刷版では灰色)楕円で囲んだ領域は細胞収率がゼロであり,かつコハク酸の収率が目標値以上となっている.すなわち,増殖停止時には必ずコハク酸を生産しなくては物質収支が満たされないように代謝経路が設計されている.
なぜこのような代謝経路のデザインが有効か,別の角度から考えてみたい.化学量論モデルでは物質収支による制約条件を課すことで,実現可能なフラックスの範囲,すなわちフラックスの解空間を限定している.たとえば,大腸菌によるグルコースを炭素源としたコハク酸の生産では,細胞増殖とコハク酸生産の実現可能なフラックスは図1B図1■代謝フラックスの解空間に基づく代謝経路デザインに示す範囲に限定される.FBAにより予測される代謝フラックス分布はこの解空間の最も細胞収率が大きな値(右端)であり,親株の増殖最大時にはコハク酸は生産されない.一方,ptsGとpykA, F, pflAを欠失した株はコハク酸を生産することがシミュレーションおよび実験的に確認されている(3)3) S. J. Lee, D. Y. Lee, T. Y. Kim, J. Lee & S. Y. Lee: Appl. Environ. Microbiol., 71, 7880 (2005)..これらの遺伝子がコードする反応を破壊した場合における細胞増殖とコハク酸生産の実現可能な範囲は,図1B図1■代謝フラックスの解空間に基づく代謝経路デザインに示すように細胞収率最大時に高いコハク酸収率を伴う.この解空間の下限の傾きが正の値となっており,これはΔptsGΔpykA, FΔpflA株の代謝経路は,細胞自身の構成成分を生産するには目的物質を生産しなくてはならないことを表している.
微生物の発酵プロセスにおいては,増殖期と生産期を分ける培養方法もよく行われる.増殖を伴わない生産期における物質生産は,原料を菌体合成に使用しないで済むため,高い目的物質の収率が期待できる.FBAによる代謝経路デザインは,増殖と目的物質生産をカップリングさせることを目的としているため,このような増殖非連動型のための代謝デザインには本質的に適さないが,解空間の左下の代謝状態(図1C図1■代謝フラックスの解空間に基づく代謝経路デザインの赤線(印刷版では灰色)で囲まれた領域)を取りえないように変更できれば,増殖を抑制した際には必ず目的物質を生産するように細胞を改変できる.
このように目的に応じてフラックスの解空間をデザインするため,エレメンタリーモード解析(Elementary mode analysis; EMA)を利用して(4)4) C. T. Trinh, A. Wlaschin & F. Srienc: Appl. Microbiol. Biotechnol., 81, 813 (2009).,フラックスの解空間の形を自由にデザインする手法(Solution space design; SSDesign)が開発された(5)5) Y. Toya, T. Shiraki & H. Shimizu: Biotechnol. Bioeng., 112, 759 (2015)..EMAは,化学量論行列を用いて,代謝経路を定常状態を満たす最小の反応のセット(Elementary flux mode; EFM)に分割する手法であり,すべてのフラックス分布はEFMの線形和で表現できるという特性をもっている.そのため,フラックスの解空間の外角の端点には必ずEFMが存在する.SSDesignではこの特性を利用して,親株の解空間のなかから削除すべき領域を定義し,その領域に含まれるEFMを削除するために必要な遺伝子破壊の組み合わせを探索する.大腸菌のコハク酸生産を例にとると,代謝マップ中で炭素源が代謝される経路一つずつをEFMとし,それぞれの経路で得られるコハク酸収率と細胞収率を計算して予想しグラフ上にドットで表している.今回の場合,EFMの総数は10,690個になる(4)4) C. T. Trinh, A. Wlaschin & F. Srienc: Appl. Microbiol. Biotechnol., 81, 813 (2009)..図1D図1■代謝フラックスの解空間に基づく代謝経路デザインでは,pntAB, sthA, pykA, F, sfcAを破壊することで,増殖非連動型のコハク酸生産に適した代謝フラックスの解空間を設計できたことを示している.この経路では,増殖期において野生株と同程度の増殖する余地を残したまま,生産期においては細胞内のNADPHバランスを維持するため,取り込んだ基質をコハク酸として排出しなくてはならないように設計されている(4)4) C. T. Trinh, A. Wlaschin & F. Srienc: Appl. Microbiol. Biotechnol., 81, 813 (2009)..
本稿で紹介したモデルは,細胞がどの代謝酵素を有しているのかと,細胞の組成がわかれば構築可能である.代謝経路モデルの物質生産への適用はさまざまな生物種について報告されており(6)6) Z. A. King, J. Lu, A. Dräger, P. Miller, S. Federowicz, J. A. Lerman, A. Ebrahim, B. Ø. Palsson & N. E. Lewis: Nucleic Acids Res., 44(D1), D515 (2016).,今後も幅広い宿主や目的物質に応用されていくと考えられる.一方,このようなモデルを用いた代謝シミュレーションだけで,何もかも予測できるわけではない.たとえば,酵素の存在量やカイネティクスは考慮されていないため,実際にはあまり動きえないマイナーな経路が主に働く奇妙な予測結果が得られる場合も多い.シミュレーションを用いる代謝経路デザインの強みは探索の網羅性であり,その遺伝子破壊が目的物質の生産に有効と予測された理由が,必ず説明できる点である.予測された結果を鵜呑みするのではなく,その結果が予測された理由を調べて候補を取捨選択することで,シミュレーションを代謝経路デザインにより効果的に活用できるであろう.
Reference
1) D. McCloskey, B. Ø. Palsson & A. M. Feist: Mol. Syst. Biol., 9, 661 (2013).
2) Y. Toya & H. Shimizu: Biotechnol. Adv., 31, 818 (2013).
3) S. J. Lee, D. Y. Lee, T. Y. Kim, J. Lee & S. Y. Lee: Appl. Environ. Microbiol., 71, 7880 (2005).
4) C. T. Trinh, A. Wlaschin & F. Srienc: Appl. Microbiol. Biotechnol., 81, 813 (2009).
5) Y. Toya, T. Shiraki & H. Shimizu: Biotechnol. Bioeng., 112, 759 (2015).