解説

ナノ針状材料で生きた細胞の情報を探る原子間力顕微鏡による生体試料の力学的性質の解析

Investigation of Inside of a Living Cell by Use of Nanoneedle: Analysis of Mechanical Property of Biological Molecules by Atomic Force Microscopy

Ayana Yamagishi

山岸 彩奈

産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門

Chikashi Nakamura

中村

産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門

東京農工大学大学院工学府生命工学専攻

Published: 2017-02-20

生体試料の溶液中での観察が可能である原子間力顕微鏡は,生体分子のイメージングだけでなく,分子間相互作用や弾性といった力学的な性質を解析する装置としても利用されている.さらにわれわれは,ダメージを与えずに生きた細胞を解析できる,非常に細い針(ナノニードル)を細胞に挿入することで細胞内部のタンパク質を検出する手法を開発した.細胞に針を刺すことは乱暴な行為に思われるかもしれないが,直径200 nmのナノニードルでは,1時間以上挿入を維持しても細胞を殺すことはなく,100回に及ぶ繰り返し挿入を行っても細胞の分裂速度に影響がない.本稿では原子間力顕微鏡を用いた細胞弾性の測定および1分子の相互作用解析に加えて,抗体修飾ナノニードルを用いた細胞内タンパク質の力学検出に関して紹介する.

原子間力顕微鏡

原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscopy; AFM)は1986年にBinnigらによって開発された顕微鏡であり,探針で試料表面を走査しながら探針と試料の間に生じる原子間力を測定し,画像化する装置である.走査型電子顕微鏡や透過型電子顕微鏡のように真空環境を必要とせず,細胞や生体分子を液中で観察できることがAFMの大きな利点である.また,AFMを用いてカンチレバーと呼ばれる板バネの先に取り付けられた探針を試料に接触させると,カンチレバーにかかる力を数十ピコニュートンレベルで測定することも可能である.探針を試料に接触させると,バネ定数に従いカンチレバーがたわむ.このたわみ量をカンチレバーの背面に照射したレーザー光の反射角度の変化から検出する.これによりAFMは単に分子イメージングに利用するだけでなく,力というパラメーターを用いて細胞や生体分子を標識することなく,自然な状態のまま解析することにも応用されている.

細胞弾性率の解析

がん細胞の弾性は転移性と密接にかかわっていると考えられている.たとえば転移性がん細胞は良性腫瘍細胞と比較して柔軟性が高いことが明らかとなっており(1)1) S. E. Cross, Y. S. Jin, J. Rao & J. K. Gimzewski: Nat. Nanotechnol., 2, 780 (2007).,研究例が多数報告されている.細胞の弾性を測定する手法には,磁気ビーズを用いたMTC(magnetic twisting cytometry)法,マイクロピペット吸引法,光ストレッチャー法,AFMによる圧入試験などが挙げられる.

磁気ビーズを用いたMTC法では,ビーズを細胞に付着させ外部磁界によって圧入されたビーズの変位量から細胞弾性率を算出する(2)2) M. Puig-de-Morales, E. Millet, B. Fabry, D. Navajas, N. Wang, J. P. Butler & J. J. Fredberg: Am. J. Physiol. Cell Physiol., 287, C643 (2004)..マイクロピペット吸引法では,単一細胞の一部,あるいは全体を直径1から10 µmのピペット内に吸引し,細胞の形状変化を経時的に観察することで,細胞のずり弾性率を算出する(3)3) F. K. Glenister, R. L. Coppel, A. F. Cowman, N. Mohandas & B. M. Cooke: Blood, 99, 1060 (2002)..また,マイクロ流路内の細胞を集光したレーザー光により捕捉・変形させる光ストレッチャー法により,細胞の変形量から弾性率を測定できる(4, 5)4) J. Guck, S. Schinkinger, B. Lincoln, F. Wottawah, S. Ebert, M. Romeyke, D. Lenz, H. M. Erickson, R. Ananthakrishnan, D. Mitchell et al.: Biophys. J., 88, 3689 (2005).5) C. T. Lim, M. Dao, S. Suresh, C. H. Sow & K. T. Chew: Acta Mater., 52, 4065 (2004)..マイクロピペット吸引法と光ストレッチャー法は,浮遊状態の細胞が対象となるため,接着状態とは異なる細胞弾性を評価していることに注意する必要がある.

AFMによる弾性測定では接着状態の細胞を対象とする.当然ながら細胞は完全弾性体ではなく,弾性と粘性の両方の性質を有する粘弾性体である.細胞に接触させたカンチレバーを振動させることで細胞の動的粘弾性測定を行い,細胞の粘性を詳細に評価した研究も行われている(6)6) P. Cai, Y. Mizutani, M. Tsuchiya, J. M. Maloney, B. Fabry, K. J. Van Vliet & T. Okajima: Biophys. J., 105, 1093 (2013)..しかし,通常AFMを用いた細胞弾性の評価では,探針を細胞に圧入した際にカンチレバーにかかる力とカンチレバーのたわみから算出した細胞変形量から弾性率を測定する(1)1) S. E. Cross, Y. S. Jin, J. Rao & J. K. Gimzewski: Nat. Nanotechnol., 2, 780 (2007).図1a図1■AFM探針のSEM画像(a),および細胞圧入試験により得られるforce-extensionカーブ,カーブの回帰に用いるHertzモデル(b)にわれわれが細胞の弾性率測定で用いる直径2.4 µmの円柱型に加工したAFM探針を示している.X軸に細胞変形量,Y軸にカンチレバーにかかる力をプロットしたforce-extensionカーブをHertzモデルによりフィッティングすることで細胞のヤング率を算出する(図1b図1■AFM探針のSEM画像(a),および細胞圧入試験により得られるforce-extensionカーブ,カーブの回帰に用いるHertzモデル(b)).AFMを用いる際は,探針が接触した局所における弾性率を評価することになるため値のばらつきは大きいものとなる.また圧入するプローブの形状や大きさ,力を印可する速度(負荷速度)などの測定条件により細胞のヤング率は大きく変動するので,絶対値の議論は同一条件の測定結果で行う必要がある.

図1■AFM探針のSEM画像(a),および細胞圧入試験により得られるforce-extensionカーブ,カーブの回帰に用いるHertzモデル(b)

AFMを用いた分子間相互作用の解析

AFMは分子間相互作用を解析するための装置として用いられ多くの解析が行われた.探針上に修飾された抗体と基板に修飾された抗原の1分子の結合破断に必要な力を,上記同様にforce-extensionカーブ(X軸は分子の伸展長さ)から算出する(図2a, b図2■AFM探針を用いた分子間相互作用測定の模式図(a),およびforce-extensionカーブ(b)).まず,探針を基板に接触させ引き離すと,探針–基板間の相互作用の破壊に要する力がforce-extensionカーブ上で引力側の力として検出される.最終的に結合が破断し力がベースラインまで戻る.ベースラインに戻る直前のピーク値をヒストグラム化すると,同時破断した分子の数に依存して量子化されたガウシアンピークが現れる.その最小単位を1分子の結合破断力として評価する.1分子のSiおよびC間の共有結合(7)7) M. Grandbois, M. Beyer, M. Rief, H. Clausen-Schaumann & H. E. Gaub: Science, 283, 1727 (1999).,アビジン–ビオチン結合(8)8) E. L. Florin, V. T. Moy & H. E. Gaub: Science, 264, 415 (1994).,抗原抗体結合(9~11)9) P. Hinterdorfer, W. Baumgartner, H. J. Gruber, K. Schilcher & H. Schindler: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 93, 3477 (1996).10) F. Schwesinger, R. Ros, T. Strunz, D. Anselmetti, H. J. Güntherodt, A. Honegger, L. Jermutus, L. Tiefenauer & A. Plückthun: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 97, 9972 (2000).11) A. Berquand, N. Xia, D. G. Castner, B. H. Clare, N. L. Abbott, V. Dupres, Y. Adriaensen & Y. F. Dufrene: Langmuir, 21, 5517 (2005).,ペンタペプチドとポルフィリンの結合(12)12) C. Nakamura, S. Takeda, M. Kageshima, M. Ito, N. Sugimoto, K. Sekizawa & J. Miyake: Biopolymers, 76, 48 (2004).の破断力を表1表1■AFMを用いて測定した単一分子の破断に要する力に示した.負荷速度に依存して破断力は変化するのでそれぞれの分子結合に固有の値ではないことに注意する必要があるが,おおむね1分子の共有結合は数nN,1対の抗原抗体結合はその10分の1の数百pNで破断すると考えればよい.

図2■AFM探針を用いた分子間相互作用測定の模式図(a),およびforce-extensionカーブ(b)

表1■AFMを用いて測定した単一分子の破断に要する力
分子間相互作用単一分子の破断に要する力(pN)負荷速度(nN/s)参考文献
Si–C(共有結合)2,000107
アビジン–ビオチン15018
HSA-抗HASポリクローナル抗体240549
FITC-scFV70–135110
ポルフィリン-ペプチド14412

ナノニードルを用いた細胞内解析技術

これまで述べたようにAFMは力学的な特性を測定する手法として活用されてきた.AFMを用いた細胞解析・操作技術として,われわれは生きた細胞の内部を解析するツールとしてAFM探針を極めて細い円柱状に加工したナノニードルを開発してきた(図3a図3■AFM探針を加工して作製したナノニードル(a),および細胞に対してナノニードルを挿入したときに得られるforce-distanceカーブ(b),抗体修飾ナノニードルを用いた細胞内骨格タンパク質の検出(c),およびニードル挿入・抜去時に得られるforce-extensionカーブ(d)).ナノニードルの作製では集束イオンビームを用いたエッチングにより加工を行うが,カンチレバー部分は加工しないため本来のAFM探針と同様の力学測定が可能である.このナノニードルを細胞に接触・挿入すると,図3b図3■AFM探針を加工して作製したナノニードル(a),および細胞に対してナノニードルを挿入したときに得られるforce-distanceカーブ(b),抗体修飾ナノニードルを用いた細胞内骨格タンパク質の検出(c),およびニードル挿入・抜去時に得られるforce-extensionカーブ(d)のようなforce-distanceカーブが得られる.ナノニードルの接近過程において針先端が細胞膜と接触し,圧入することでカンチレバーにかかる斥力が上昇する.針が細胞膜を貫通し,細胞内に挿入されることで急激な斥力の緩和が生じることから,この斥力緩和をforce-distanceカーブ上で確認する.force-distanceカーブのX軸はカンチレバーの移動距離であり,ナノニードルの細胞内への挿入の成否をリアルタイムに判定できる(13)13) I. Obataya, C. Nakamura, S. Han, N. Nakamura & J. Miyake: Nano Lett., 5, 27 (2005)..実際に,共焦点顕微鏡を用いた蛍光標識ナノニードルの細胞内への挿入過程を観察した画像とforce-distanceカーブを対比させると,斥力緩和が現れた場合には必ず挿入に成功していることを確認している.このことは,蛍光色素などで細胞やナノニードルを標識することなく,細胞へのナノニードル挿入を確認できることを示している.

図3■AFM探針を加工して作製したナノニードル(a),および細胞に対してナノニードルを挿入したときに得られるforce-distanceカーブ(b),抗体修飾ナノニードルを用いた細胞内骨格タンパク質の検出(c),およびニードル挿入・抜去時に得られるforce-extensionカーブ(d)

アスペクト比の低いすなわち長さに対して直径の大きい針は細胞膜の貫通に不利であり,細胞への機械的な刺激も大きい(14)14) S. W. Han, C. Nakamura, I. Obataya, N. Nakamura & J. Miyake: Biochem. Biophys. Res. Commun., 332, 633 (2005)..針形状および直径の検討を行ったところ,先端形状が円錐型より円柱型,針直径が800 nmより200 nmである場合,細胞への挿入効率が高いことが明らかとなっている(15)15) I. Obataya, C. Nakamura, S. W. Han, N. Nakamura & J. Miyake: Biosens. Bioelectron., 20, 1652 (2005)..われわれは,通常直径200 nm,長さ12 µm程度に加工したナノニードルを使用する.500 pN以上の斥力緩和が出現した場合を挿入成功と判断し,9種の細胞に対してナノニードルの挿入効率の評価を試みた(16)16) H. Kagiwada, C. Nakamura, T. Kihara, H. Kamiishi, K. Kawano, N. Nakamura & J. Miyake: Cytoskeleton, 67, 496 (2010)..その結果,挿入効率は細胞ごとに大きく異なることがわかった.

この要因を探るために,ホスファチジルコリンからなるジャイアントリポソームやアクチン繊維形成を阻害したヒトTリンパ芽球細胞JMに対して挿入を試みた結果,全く挿入できないことからアクチン繊維からなる裏打ちなどの膜構造がナノニードルの細胞膜貫通において必須であることが明らかとなった.さらに,アクチン繊維からなる裏打ち構造の網目のサイズが異なる3種の細胞に対してナノニードルの挿入を行ったところ,網目サイズが小さい細胞ほど挿入効率が高いことがわかった.また,アクチン繊維の一種であるストレスファイバーの発達度が高いほど挿入効率が高いことも判明した.細胞は脂質二重膜の下支えとなるアクチン繊維からなる膜骨格構造を有しているからこそナノニードルの機械的な挿入が可能であり,細胞ごとに異なるアクチン繊維の構造が挿入の効率を左右する要因であることが明らかとなった(16)16) H. Kagiwada, C. Nakamura, T. Kihara, H. Kamiishi, K. Kawano, N. Nakamura & J. Miyake: Cytoskeleton, 67, 496 (2010)..このナノニードルを用いた細胞操作技術により,高効率なプラスミドDNA導入(17)17) S. W. Han, C. Nakamura, N. Kotobuki, I. Obataya, H. Ohgushi, T. Nagamune & J. Miyake: Nanomedicine (Lond.), 4, 215 (2008).,センサー分子修飾ナノニードルによる細胞内酵素活性の測定(18)18) T. Kihara, C. Nakamura, M. Suzuki, S. W. Han, K. Fukazawa, K. Ishihara & J. Miyake: Biosens. Bioelectron., 25, 22 (2009).,細胞内mRNAのin situ検出(19)19) T. Kihara, N. Yoshida, T. Kitagawa, C. Nakamura, N. Nakamura & J. Miyake: Biosens. Bioelectron., 26, 1449 (2010).などに成功している.

生細胞のタンパク質を検出する技術

iPS細胞など,多分化能をもった幹細胞の応用は医療,創薬の分野において重要な課題となっている.幹細胞からの分化誘導において,すべての細胞を目的細胞に分化誘導することは困難である場合があり,分化誘導の過程において未分化細胞も含めさまざまな細胞種が混在した細胞集団が形成される.特に未分化iPS細胞は腫瘍形成能を有しているため(20)20) K. Miura, Y. Okada, T. Aoi, A. Okada, K. Takahashi, K. Okita, M. Nakagawa, M. Koyanagi, K. Tanabe, M. Ohnuki et al.: Nat. Biotechnol., 27, 743 (2009).,細胞種を判別し目的細胞のみを分離する必要がある.そのため,iPS細胞から分化誘導した細胞を患者に移植する再生医療では,必要な細胞を,生物活性が維持された状態で,正確に識別する手法が求められている.

現在,生きた細胞を識別し分離する技術としてFACS(Fluorescence Activated Cell Sorting)が普及している.FACSでは細胞表面の抗原を,抗体などを用いて蛍光標識し,レーザーで蛍光測定した結果に基づいて,細胞を含む液滴を分離する.細胞に大きなダメージを与えず,大量の細胞を解析できることが利点であるが,FACSでは細胞表面の抗原しか標的にすることはできない.細胞内部の蛍光染色には細胞の固定を必要とし,生きた細胞の識別ができないためである.なかでも神経幹細胞は細胞表面の抗原に乏しいことが知られており,FACSを用いた分離においては複数の抗原を組み合わせた分析が必要である(21)21) S. H. Yuan, J. Martin, J. Elia, J. Flippin, R. I. Paramban, M. P. Hefferan, J. G. Vidal, Y. L. Mu, R. L. Killian, M. A. Israel et al.: PLoS ONE, 6, e17540 (2011)..一方で,細胞内部にはネスチンやSox1, Sox2, Pax6, musashi-1など多くのマーカーが存在している.なかでも,ネスチンやケラチン,ビメンチンなどの中間径フィラメントは細胞特異性が高くマーカーとして用いられている.このようなFACSでは対象にできない細胞内部のタンパク質を生きた細胞で検出できれば,細胞種の判定精度の向上につながり,また細胞状態の詳細な解析が可能になる.この目的を達成するためにわれわれはAFMおよび抗体修飾ナノニードルを用いた細胞内タンパク質の検出を着想した.

図3c図3■AFM探針を加工して作製したナノニードル(a),および細胞に対してナノニードルを挿入したときに得られるforce-distanceカーブ(b),抗体修飾ナノニードルを用いた細胞内骨格タンパク質の検出(c),およびニードル挿入・抜去時に得られるforce-extensionカーブ(d)に示すようにAFMを用いて抗体を修飾したナノニードルを細胞に挿入し,抗体と細胞内の標的タンパク質の複合体を形成させ,針の抜去により抗原抗体複合体を強制的に解離させる.その際の破断力をAFMにより測定することにより細胞内タンパク質を検出する.当然のことながら標的となるタンパク質は何らかの形で細胞体や細胞から抜き出せないオルガネラと結合しているタンパク質に限定される.図3d図3■AFM探針を加工して作製したナノニードル(a),および細胞に対してナノニードルを挿入したときに得られるforce-distanceカーブ(b),抗体修飾ナノニードルを用いた細胞内骨格タンパク質の検出(c),およびニードル挿入・抜去時に得られるforce-extensionカーブ(d)に,中間径フィラメントネスチンを検出した際に得られるforce-distanceカーブを示す.挿入過程では斥力の緩和が観察され,抜去過程では1分子結合破断力測定の場合と同様にベースラインを下回る引力側に変位が観察される.そのピーク値は数十nNに及ぶ場合もあり,ナノニードル挿入時に数百以上の抗原抗体複合体が形成されていることを示す.抗原ペプチドであらかじめ抗体をブロッキングすると引力側の力のピークは針の抜去に伴う非特異的な相互作用のレベルまで低下することからも,標的タンパク質を検出していることは明らかである.force-distanceカーブをforce-extensionカーブに変換し,引力側を積分した値はすべての抗原抗体結合の破断にかかる仕事を意味し,細胞内の標的タンパク質の量と相関する値となる.このforce-extensionカーブから算出される仕事は引力側の力のピーク値と良い相関を示すことも確認されたので,われわれはこのピーク値をFishing forceと命名し,これを解析することによって標的抗原タンパク質の有無を判定することとした.細胞内の標的タンパク質の量はこの技術により現在までにアクチン(22)22) Y. R. Silberberg, S. Mieda, Y. Amemiya, T. Sato, T. Kihara, N. Nakamura, K. Fukazawa, K. Ishihara, J. Miyake & C. Nakamura: Biosens. Bioelectron., 40, 3 (2013).,微小管(23)23) Y. R. Silberberg, R. Kawamura, S. Ryu, K. Fukazawa, K. Ishihara & C. Nakamura: J. Biosci. Bioeng., 117, 107 (2014).,中間径フィラメント(24)24) S. Mieda, Y. Amemiya, T. Kihara, T. Okada, T. Sato, K. Fukazawa, K. Ishihara, N. Nakamura, J. Miyake & C. Nakamura: Biosens. Bioelectron., 31, 323 (2012).の検出に成功しており,ほぼすべての骨格タンパク質を無標識で検出可能であると考えている.

実際のタンパク質検出,細胞識別においては,標的タンパク質を発現しない細胞に抜き挿しした際のFishing forceの平均値+4SDの値を細胞識別の閾値として設けた.挿入箇所を変えた10回の挿入操作で1回でも閾値を超えるFishing forceが検出された場合に標的タンパク質陽性であると判定することとした.神経系細胞の分化過程において中間径フィラメントは,前駆細胞,幹細胞ではネスチンを発現し,分化が進行するとネスチンは消失し,アストロサイトではグリア線維性酸性タンパク質を,ニューロンではニューロフィラメントを発現する.ラット胎児海馬組織由来の初代培養細胞において,細胞種判別を行った結果を図4図4■nestinとneurofilamentの力学的検出,ラット胎児脳海馬神経細胞の明視野像(a),細胞1~5に対して抗nestin抗体修飾ナノニードルと抗neurofilament抗体修飾ナノニードルを挿入して得られたfishing force (b)に示した.中間径フィラメントのネスチン陽性である細胞2, 4はニューロフィラメント陰性であり,ネスチン陰性である細胞1, 3, 5はニューロフィラメント陽性であり,それぞれがニューロンへの分化前後の細胞であることがわかる.ネスチンの閾値が小さいために細胞1, 3, 5でも閾値を上回る値が見受けられるものの,細胞2, 4との差は歴然としている.このように本手法では,細胞内部の複数のマーカーを検出することが可能である.また生きたまま細胞を識別することができるので,その後の操作に細胞を活用することが可能である.

図4■nestinとneurofilamentの力学的検出,ラット胎児脳海馬神経細胞の明視野像(a),細胞1~5に対して抗nestin抗体修飾ナノニードルと抗neurofilament抗体修飾ナノニードルを挿入して得られたfishing force (b)

低温条件による細胞膜貫通効率の向上

先に述べた細胞内タンパク質検出法において,標的タンパク質陽性細胞でも10回の挿入操作の中で閾値を超えない値がいくつか含まれることがわかる.この原因として,中間径フィラメントの局在性に起因する可能性と,ナノニードルの細胞膜貫通効率に起因する可能性がある.ナノニードルの細胞膜貫通効率は,アクチン繊維からなる膜骨格構造に支配されていることを示したが,細胞膜を構成する脂質二重膜の高い流動性も挿入を困難にする要因の一つと考えられる.そのことは,脂質二重膜のみからなるジャイアントリポソームあるいはアクチン繊維を完全に脱重合した細胞ではナノニードルが膜に陥入するだけで全く挿入できないという現象からも示唆される.脂質二重膜は温度を低下させると液晶層,リップル相,ゲル相と相転移を起こすことが知られている.細胞膜を構成する主たるリン脂質であるホスファチジルコリンの相転移温度は19.6°Cであることから,通常の試験は37°Cあるいは室温で行うところ,4°Cに維持することで細胞膜流動性が抑制され,ナノニードルの細胞膜貫通効率が向上すると考えられた.実際に,中間径フィラメントのビメンチンを標的として抗ビメンチン抗体を修飾したナノニードルを挿入したとき,37°Cから4°Cへと培地温度を低下させると,閾値を超えたFishing forceの平均値は,約2倍程度まで増大することがわかった(25)25) R. Kawamura, K. Shimizu, Y. Matsumoto, A. Yamagishi, Y. R. Silberberg, M. Iijima, S. Kuroda, K. Fukazawa, K. Ishihara & C. Nakamura: J. Nanobiotechnology, 14, 74 (2016)..低温条件下で抗原抗体相互作用が増大している可能性もあるため,抗ビメンチン抗体とビメンチンの1分子の抗原抗体結合破断力の評価を行ったが,4°C, 37°Cともに130 pN付近に単一分子破断力が確認された.すなわちFishing forceの平均値の増大は抗原抗体結合の温度依存的な変化によるものではなく,4°Cで細胞膜の流動性が抑制された条件で挿入を行うことにより,膜貫通効率が向上したため,検出効率が向上したものと推察される.以上より,細胞膜の相転移温度を考慮した低温条件下における測定によって,細胞内タンパク質の検出感度を向上できることが明らかとなった.

おわりに

AFMを用いた力学解析法は,1分子の相互作用解析や細胞表面の解析にとどまらず,ナノニードルを用いることによって従来解析が困難であった細胞内部という空間での新しい解析法へと発展した.ナノニードルの挿入,抜去では細胞へのダメージが極めて小さいだけでなく,穿孔によるイオンの流入もないため電気生理的に遮蔽された状態での解析も可能である(26)26) C. Nakamura, H. Kamiishi, N. Nakamura & J. Miyake: Electrochemistry, 76, 586 (2008)..AFMを用いた細胞操作技術にはスループットが低いという大きな問題点がある.この問題を解決するために,われわれはナノニードルを2次元的に数万本配列させたナノニードルアレイを新たに開発し,多細胞を同時に操作する技術の開発を行っている(27, 28)27) D. Matsumoto, R. R. Sathuluri, Y. Kato, Y. R. Silberberg, R. Kawamura, F. Iwata, T. Kobayashi & C. Nakamura: Sci. Rep., 5, 15325 (2015).28) D. Matsumoto, M. Nishio, Y. Kato, W. Yoshida, K. Abe, K. Fukazawa, K. Ishihara, F. Iwata, K. Ikebukuro & C. Nakamura: Electrochemistry, 84, 305 (2016).

現在までの研究により,Fishing forceの測定ではある程度定量的評価が可能であることがわかってきた.force-distanceカーブから得られる情報はさまざまであり,今後はより詳細な解析によって細胞内タンパク質の構造解析など,定性的に評価する手法の開発に取り組みたいと考えている.

Reference

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