Kagaku to Seibutsu 55(4): 240-241 (2017)
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世界初:2価陽イオンで駆動するべん毛モーターCa2+やMg2+でもべん毛は回転する
Published: 2017-03-20
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細菌がもつ運動器官であるべん毛モーターの回転には,一般にプロトン(H+)やナトリウムイオン(Na+)といった1価陽イオンの細胞膜内外に形成されるイオン駆動力が利用される.しかし,今回,神奈川県・秦野市にある鶴巻温泉の温泉水から分離されたPaenibacillus sp. TCA20株が,カルシウムイオン(Ca2+)やマグネシウムイオン(Mg2+)といった2価の陽イオンを利用してべん毛を回転させる世界初のべん毛モーターをもつことが明らかとなった(1)1) R. Imazawa, Y. Takahashi, W. Aoki, M. Sano & M. Ito: Sci. Rep., 6, e19773 (2016)..TCA20株が分離された温泉水は,湧き出る温泉中のカルシウムイオン量が牛乳並に多い(約1,740 mg/L)弱アルカリ性塩化物泉として知られている.
細菌のべん毛モーターは,直径約40ナノメートルの精巧な“ナノマシン”であり,細胞膜に埋め込まれている(図1図1■大腸菌べん毛モーターの概略図).べん毛のモーター駆動部は,回転子と固定子からなり,固定子であるMot複合体は,イオンチャネルとして機能し,チャネル中をイオンが通過するときにべん毛の回転子を回転させる駆動力を発生させる役割を果たしていると考えられている(つまり,固定子=エネルギー変換ユニットと考えることができる).
べん毛モーターの研究において2008年を境に従来とは異なるタイプのモーターの存在が明らかとなってきた.まず,2008年には,好アルカリ性細菌Bacillus clausii KSM-K16株のべん毛モーターが外環境pHの変化に応じてH+とNa+の駆動エネルギーを変化させることができるハイブリッドモーターであることが報告された(2)2) N. Terahara, T. A. Krulwich & M. Ito: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 14359 (2008)..また,2012年には,好アルカリ性細菌Bacillus alcalophilus AV1934株のべん毛モーターがNa+以外にカリウムイオン(K+)やルビジウムイオン(Rb+)をべん毛の回転に利用できる初めてのモーターとして報告された(3)3) N. Terahara, M. Sano & M. Ito: PLoS ONE, 7, e46248 (2012)..このように,ここ9年で,これまで考えられていた細菌べん毛モーターの駆動エネルギーの世界にパラダイムシフトが起こったことになる.
ここでTCA20株の分離の経緯などを紹介する.はじめに温泉水を分離源としてCa2+を添加した培地で複数の菌株を分離後,軟寒天培地(軟らかいゼリー状の培地)上でCa2+を添加した場合のみ遊泳が確認できた株を1株分離した.この菌株の簡易同定試験を行いPaenibacillus sp. TCA20株と命名した(TCA20という名称は,Toyo Univ. とCa2+とカルシウムの原子番号20に由来する).次にTCA20株の全ゲノム配列を次世代シークエンサーで解読し,べん毛モーター固定子をコードする遺伝子を同定した(4)4) S. Fujinami, K. Takeda-Yano, T. Onodera, K. Satoh, M. Sano, Y. Takahashi, I. Narumi & M. Ito: Genome Announc., 2, e00866 (2014)..そして,この菌が2種類の固定子をもつことを明らかにし,TCA-MotAB1とTCA-MotAB2と命名した.これらのタンパク質の系統分類解析を行った結果,TCA-MotAB2は,H+で駆動するグループ,TCA-MotAB1は,データベース上ではMotABとアノテーションされている実験的検証の行われていない新規なグループに分類されることがわかった.また,TCA20株の生育実験より,この菌は元素周期表の第2族元素に属するCa2+,Mg2+,ストロンチウムイオン(Sr2+)といった2価の陽イオンを生育に要求することや,これらの2価陽イオンの濃度依存的に遊泳することがわかった.同様の遊泳実験をNa+やK+でも行ったが全く運動性を示さなかった.次に,TCA20株での遺伝子操作技術が確立されていなかったことから,遺伝子操作が容易な枯草菌(Bacillus subtilis)の固定子遺伝子を欠損させて運動性を示さない株にTCA20株由来のmotAB1遺伝子(TCA-motAB1)を導入した.この株は,Ca2+やMg2+を添加することで運動性を回復し,Mg2+濃度を変化させて遊泳速度の測定を行うと,Mg2+濃度に依存した遊泳が観察された.最後に,このべん毛モーター固定子TCA-MotAB1を介して細胞内へMg2+が取り込まれているかを検証するため,枯草菌の主要なMg2+取り込み系を欠損させた株(生育に6 mM以上のMg2+を要求する)にTCA-MotAB1を発現させた場合にMg2+要求性が解消されるかを検討した.また,そのときの細胞内のMg2+濃度の測定も行った.その結果,形質転換株は培地中のMg2+濃度が5 mMでも野生株と同様の生育速度を示し,細胞内のMg2+も野生株と同程度に回復していることがわかった.以上のことから,TCA20株がもつべん毛モーター固定子(TCA-MotAB1)は,2価陽イオンを共役イオンとして利用できる世界初の固定子であることがわかった.
43年前に初めて報告されたべん毛モーターは,発見当時,その構造が人工のモーターと構造が類似しているということで人々に驚きをもって迎えられた(5)5) H. C. Berg & R. A. Anderson: Nature, 245, 380 (1973)..しかし,その回転機構の解明は,その直径が約40ナノメートルということもあり困難を極め,最近の科学技術の進歩によってようやく研究が新たな段階に差し掛かってきたところである(6)6) T. Minamino & K. Imada: Trends Microbiol., 23, 267 (2015)..TCA20株のべん毛モーター固定子TCA-MotAB1は,多量のCa2+が存在する生息環境に適応するためにCa2+が利用できるべん毛モーター固定子に進化したと推察される.今回の2価の陽イオンで駆動する生体ナノマシンの発見は,生物の環境適応進化の分野やナノテクノロジーの分野からも重要な発見であると考えられる.この発見により,べん毛モーターでは,これまでの駆動力エネルギー(H+,Na+,K+, Rb+)以外に2価の陽イオン(Ca2+, Mg2+, Sr2+)を利用できる設計図(アミノ酸配列情報)を得たことになる.今後は,これまで得られた情報を利用し,どのように共役イオンを選別しているのかという選択フィルターの仕組みを明らかにすることでヒトの手により自由にエネルギーを使い分けられる人工的なナノマシンや分子スイッチの創製が可能になるものと期待される.
Reference
1) R. Imazawa, Y. Takahashi, W. Aoki, M. Sano & M. Ito: Sci. Rep., 6, e19773 (2016).
2) N. Terahara, T. A. Krulwich & M. Ito: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 14359 (2008).
3) N. Terahara, M. Sano & M. Ito: PLoS ONE, 7, e46248 (2012).
4) S. Fujinami, K. Takeda-Yano, T. Onodera, K. Satoh, M. Sano, Y. Takahashi, I. Narumi & M. Ito: Genome Announc., 2, e00866 (2014).
5) H. C. Berg & R. A. Anderson: Nature, 245, 380 (1973).
6) T. Minamino & K. Imada: Trends Microbiol., 23, 267 (2015).