解説

小角散乱解析でみる古くて新しいタンパク質グリアジンのナノ凝集体構造食品の内部構造を量子ビームで読み解く

Visualization of Nanoscale Structures of Wheat Gliadin Aggregates by Small Angle Scattering Analysis: Decipher Internal Structures of Food with Quantum Beams

佐藤 信浩

Nobuhiro Sato

京都大学原子炉実験所

杉山 正明

Masaaki Sugiyama

京都大学原子炉実験所

裏出 令子

Reiko Urade

京都大学大学院農学研究科

Published: 2017-03-20

食品に含まれるタンパク質は,栄養源としてだけではなく多彩な食品物性・機能を具備している.食品加工において,タンパク質のような高分子化合物が示す特徴的な物性や機能の‘源’は加工時に形成されるナノスケールの凝集体構造にあり,その構造に依存した分子間相互作用により動的性質が発揮されている.したがって,食品の高分子化合物のナノスケールの凝集体構造とその凝集体間の相互作用を解明することにより,食品物性の発現機構が明らかになると考えられる.しかし,不溶性である高分子凝集体のナノ構造は分析手法が限られているため,食品科学分野では未開の領域として取り残されてきた.一方,材料科学の分野では,ソフトマターのナノ構造の解明に固体だけでなく溶液中の粒子構造の分析も可能である量子ビーム(X線および中性子線)を用いる小角散乱法が導入され,物性と構造の相関に関する知見が集積されてきている.食品科学分野でも今後,小角散乱法とさまざまな物性解析とを組み合わせて研究することにより食品物性の発現機構をナノ構造との関係で論じることが可能になると考えられる.本稿では,タンパク質の中で最も古い研究の歴史をもち特徴的な物性を示す代表的な植物性食品タンパク質であるコムギタンパク質グリアジンについて最近筆者らが行った解析を例にとり,量子ビーム小角散乱解析の理論と実施法について紹介する.なお,小角散乱法の解説に加えて,最近筆者らが開発したグリアジンの新しい抽出法についても概説する.

なぜ小角散乱法なのか

材料科学におけるナノ構造解析には,電子顕微鏡や走査型顕微鏡などの各種の直接観測法や質量分析法,NMR法などが広く用いられてきた.一方,量子ビームの散乱現象を用いて構造解析を行うX線小角散乱法(Small-Angle X-ray Scattering; SAXS)や中性子小角散乱法(Small-Angle Neutron Scattering; SANS)は,合成高分子やコロイドなどのソフトマター,タンパク質・核酸や脂質などの生体高分子,金属や半導体などの無機材料など,広範な物質に対するナノ構造解析手法として利用されている.小角散乱法の特長として,①超小角散乱法(Ultra-Small-Angle X-ray Scattering; USAXS)と言われる手法を含めると1~1,000 nmという広範囲のスケールの構造を同一の測定原理に基づき評価できる,②合成・生体高分子や分子会合体のサイズや形状,あるいは,それらの距離分布に関する情報を得ることが可能である,③固体(金属やゲル),濃厚溶液,希薄溶液などさまざまな状態の物質をそのまま測定できる,④局所的なスナップショットではなく系全体の平均構造情報を評価できる,⑤(放射線による損傷を考慮に入れる必要はあるものの)非破壊で測定が可能である,などが挙げられる.量子ビームの回折現象を利用した構造解析法である粉末・結晶回折法と比較した場合,小角散乱法は上述のように試料の形態として結晶であることを必要とせず,また,結晶のような周期構造をもたない物質についても構造評価が可能であることが利点である.したがって,測定試料となる結晶の作製に労を割くことなく,溶液や凝集体など非晶状態のままでの測定が可能であり,特に生体分子などの場合は,実際の生体中により近い条件での挙動が観測できるという大きな特長を有している.また,SANSについては,軽水素と重水素に対する中性子の散乱特性が異なることを利用して,重水素化標識を試料に施すことで複合体中の部分構造情報を得ることができるという利点も存在する.以上のような特長は,不透明かつ濃厚な分子の凝集体が階層的な構造を形成している食品の構造解析に大きく寄与するものと考えられる.

小角散乱法の概要

小角散乱法の概要をSAXSの場合を例にとって説明する(1~4)1) O. Glatter & O. Kratky: “Small Angle X-ray Scattering,” Academic Press, 1982.2) 松岡秀樹:日本結晶学会誌,41, 213 (1999).3) 雨宮慶幸,篠原佑也:放射光,19, 338 (2006).4) 杉山正明:中性子小角散乱の基礎I. 基礎,分散系,バイオマター,http://shibayama.issp.u-tokyo.ac.jp/BioSoftDownload/file/1_SugiyamaLecture.pdf, 2009.図1図1■X線小角散乱の測定に示すようにX線が測定試料に入射すると,物質を構成する原子中の電子によって散乱される.平行度の高い入射ビームを用いて10°以下の小さい角度における散乱強度を解析し,物質中の散乱体の構造評価を行うのが小角散乱法である.小角散乱法では,図2図2■散乱体中でのX線の散乱に示すように散乱X線と入射X線の波数ベクトルks, kiの差で表される散乱ベクトルqkskiを用い,散乱強度はqの関数Iq)として考える.散乱角を2θ, X線の波長をλとしたとき,散乱ベクトルの絶対値|q|=qは以下のように表される.

物質の構造と散乱関数は次の式で関係づけられる.
ここで,Fq)は形状因子と呼ばれ,各々の散乱体のサイズや形状に依存する.一方,Sq)は構造因子と呼ばれ,散乱体間の距離やその分布に依存している.形状因子は,散乱体内部の位置rにおける電子密度分布ρ(r)を用いて以下の式で表すことができる.
散乱体が単分散でかつ散乱体間の相互干渉が無視できる希薄溶液系においては,式(2)の構造因子Sq)は定数とみなすことができ,Iq)~|Fq)|2として構わない.このとき,式(3)より,小角領域での散乱関数を以下のGuinier近似式によって表すことができる.
I0q=0に外挿したときの散乱強度,Rgは散乱体のサイズの指標となる慣性半径(正確には散乱能分布の2次モーメント)であり,q≤1/Rgの領域(=小角領域)においてこの近似が成立する.この式より,q2に対してln Iをプロット(Guinierプロット)すると,近似が成立する場合直線領域が現れ,その直線の傾きからRgを求めることが可能となる.つまり,Guinier近似を用いると,(ほぼ)単分散の散乱体が孤立した粒子とみなせる場合,「何も構造に対する情報がなくても」算出された慣性半径によって散乱体のサイズを見積もることが可能となる.散乱体のサイズが大きくなるにつれて散乱は小角領域に集中してくる(図3図3■散乱関数に現れるサイズや形状に関する情報).つまり,小さな散乱体と大きな散乱体が混在するときは,高角まで緩やかに広がる小さな散乱体からの散乱に,大きな散乱体からの散乱が小角領域での立ち上がりとして加わった散乱関数が観測される.よって,高角領域と小角領域に対応する2つのGuinier近似式で散乱関数を解析する(=多成分Guinier近似)と両者のサイズや分布比を導くこともできる.

図1■X線小角散乱の測定

図2■散乱体中でのX線の散乱

図3■散乱関数に現れるサイズや形状に関する情報

一方,散乱体の形状については,Guinierプロットの適用される領域より高角の中間的なq領域において散乱関数に違いが現れる(図3図3■散乱関数に現れるサイズや形状に関する情報).散乱体が棒状の場合は,

散乱体が円盤状の場合は,
の関係が成り立つ.そこで,散乱体が棒状の場合はln qIq)対q2,円盤状の場合はln q2Iq)対q2のいわゆる断面Guinierプロットを行うことで,その直線領域の傾きより棒の断面の直径や円盤の厚さを算出することができる.これらの値と慣性半径Rgの間にはRg2D2/8+L2/12の関係があるので,GuinierプロットからRgを求め,断面Guinierプロットより一方の値D(またはL)を求めれば,他方の値L(またはD)を求めることができる.

さらにq>1/Rgとなるhigh-q領域においては,散乱体と周囲の媒体の界面構造に関する情報が反映され,平滑な界面の場合はPorod則と呼ばれるq−4に比例した散乱が得られる.このように散乱関数に基づく1本の曲線から,散乱体全体の大きさから,散乱体の形状,界面構造まで,さまざまな構造情報が得られるのが小角散乱法の特長である.

一方,希薄とみなせない系(=散乱体の占有体積が系全体の1/8を超えるような場合)においては構造因子が無視できなくなり,さらに濃厚な系では散乱関数に粒子間干渉効果としてピークが現れる(図4図4■高濃度領域で見られる粒子間干渉効果).ピーク位置qpeakと粒子間距離dの間には,qpeak≈2π/dの関係が成り立つことから,ピーク位置から干渉する粒子間の距離に関する情報を得ることができる.

図4■高濃度領域で見られる粒子間干渉効果

小角散乱測定にはX線や中性子を取り出すための線源が不可欠である.X線に関しては実験室内で利用可能な小型の線源があり,それを用いた小型のSAXS装置が市販されている.さらに,より質の高い実験データを得るために放射光の高輝度線源を利用したSAXSビームラインが大型放射光施設(SPring-8やKEK放射光施設など)に設置されている.一方,中性子源は実験室内で利用可能な小型のものは存在しないため,研究用原子炉(日本原子力研究開発機構や京都大学原子炉実験所など)や加速器パルス中性子源(J-PARC物質・生命科学実験施設など)に設置された小角散乱装置を利用して実験が行われている(コラム1参照).

小角散乱法によるグリアジンの構造解析

1. 純水に溶けるグリアジンの新規抽出法

パンやうどん,パスタに共通するコムギ粉に水を加えて捏ねた生地の特徴的な物性(粘弾性)は主にグルテンに起因している.グルテンは主要タンパク質グリアジンとグルテニンからなるタンパク質の凝集体であるが,グルテン中のこれらのタンパク質の凝集体構造や分子間相互作用の実態はよくわかっていない.グリアジンはα-,γ-,ω-グリアジンの3つのグループに分類される分子量30,000~60,000のモノマーであり,その発見以来,中性の水あるいは塩溶液に不溶性であるためこれらの溶媒では抽出できない高濃度のアルコール水に溶解するプロラミンであるとされてきた(5, 6)5) P. R. Shewry, J. A. Jenkins, R. D’Ovidio & F. Békés: “WHEAT: Chemistry and Technology: 4,” ed. by P. R. Shewry, Academic Press, 2009, p. 223.6) T. B. Osborne & S. H. Clapp: Am. J. Physiol., 20, 477 (1908).(コラム2参照).一方,グルテニンは高分子量サブユニットと低分子量サブユニットから構成され,これらが分子間ジスルフィド結合により重合化した巨大ポリマーであり,水にもアルコール水にも不溶性であるが,分子間ジスルフィド結合を還元切断してモノマー化するとアルコール水に可溶性となるプロラミンである.1990年代に,酢酸溶液やアルコール水溶液など,実際の食品中の環境とは異なる条件下で,グリアジンや還元処理グルテニンモノマーのSAXS測定が行われた.その結果,グルテニンは0.1 M酢酸中では,径6.3 nm,長さ78.6 nmの,50%プロパノール中では径6~8 nm,長さ60~70 nmの棒状の形態を取っていること,一方,グリアジンは70%エタノールあるいは50%プロパノール中で径3.2 nm,長さ15~20 nmの細長い回転楕円体になっていることが明らかにされた(7, 8)7) N. Matsushima, G. Danno, N. Sasaki & Y. Izumi: Biochem. Biophys. Res. Commun., 186, 1057 (1992).8) N. H. Thomson, M. J. Miles, Y. Popineau, J. Harries, P. Shewry & A. S. Tatham: Biochim. Biophys. Acta, 1430, 359 (1999)..これらの報告は,コムギタンパク質のナノ構造解析にSAXSを利用した先駆的な研究成果として重要ではあるが,水を溶媒とする高濃度の凝集体として存在する食品中での実態とは異なる.また,過去のほとんどの研究でグリアジンの抽出あるいはグルテニンの分取に高濃度のエタノール水あるいはプロパノール水が用いられてきたが,このような処理は通常タンパク質の変性を引き起こすため,研究に用いられてきたグリアジンやグルテニンがコムギ粉や生地の中に存在していたときと同じ構造を維持しているのかという懸念を拭えなかった.しかし,最近,筆者らは塩化ナトリウムと純水のみでグリアジンを効率的に抽出する新規な方法を開発し,これらの懸念を払拭したグリアジン標品を用いて研究を進めることが可能となった.新しい方法開発の契機は,パン生地を調製する際に一般的に用いられている濃度の0.5 M塩化ナトリウム水溶液を用いてコムギ粉を捏ねると,生地中でグリアジンが純水に溶ける状態に変化することを見いだしたことである(9)9) T. Ukai, Y. Matsumura & R. Urade: J. Agric. Food Sci., 56, 1122 (2008)..この現象を利用して,塩化ナトリウム添加生地を純水で繰り返しモミ洗いすることで,70%エタノールを用いて抽出したときとほぼ同じ収量でグリアジンを抽出することができた(10)10) N. Sato, A. Matsumiya, Y. Higashino, S. Funaki, Y. Kitao, Y. Oba, R. Inoue, F. Arisaka, M. Sugiyama & R. Urade: J. Agric. Food Sci., 63, 8715 (2015)..一方,純水ではなく塩化ナトリウム水溶液で生地を洗浄した場合にはグリアジンは溶出しない.また,塩化ナトリウムを添加しない生地からはグリアジンは全く溶出しないが,一度塩化ナトリウム水溶液中で生地をモミ洗いすればその後の純水洗浄でグリアジンが溶出する.このようなグリアジンを純水に溶出させる効果(溶出化効果)は塩化ナトリウムに限らない.さまざまな塩を調べてみると,陰イオンがホフマイスター系列の逆順,すなわちカオトロピックイオンである塩ほど効果が高く,陽イオンも陰イオンほどではないがカオトロピックなイオンである塩ほど,グリアジンの溶出化効果が高い傾向がある.溶出したグリアジンの分子種組成は70%エタノールで抽出したグリアジンとほとんど差がなく(図5図5■純水で抽出したグリアジンの性質),α-,γ-,ω-グリアジンのすべてが純水に溶けだしていることをウェスタンブロット分析により確認している.希薄なグリアジン水溶液について超遠心分析により分子質量を測定すると,30,000~35,000の平均値が得られ,グリアジンはモノマーとして存在していることが明らかとなっている.このような塩化ナトリウムなどの塩による溶出化のメカニズムはいまだ不明であるが,抗グリアジン抗体を用いた免疫電子顕微鏡法でグルテンを観察すると,塩化ナトリウムを添加していないグルテン内ではグリアジンは数百ナノメートルの塊として分布しているが,塩化ナトリウムの存在によって均一に分散することから,グリアジンおよびグルテニンの凝集体構造が劇的に変化していると推定される.したがって,これらのタンパク質のどちらか,あるいは両者の分子間相互作用とそれに伴う凝集体構造の変化がグリアジンの溶出化をもたらしていると考えられる.本法により抽出したグリアジンは,脱気により溶存二酸化炭素を除いたpH 7の純水にも約10%まで溶解する.すなわち,グリアジンはアルコール水だけでなく純水にも高濃度で溶解するタンパク質なのである.しかし,イオン強度の僅かな上昇(たとえば10 mM塩化ナトリウム)で凝集し不溶化するため,タンパク質研究に通常用いられるような緩衝液を用いてコムギ粉から抽出したり,溶解させたりすることは不可能である.

図5■純水で抽出したグリアジンの性質

(c) Reprinted with permission from ref. (10). Copyright © 2015 American Chemical Society.

2. SAXSによるグリアジンの構造解析

純水を用いたグリアジン抽出法の発見というブレークスルーにより,水溶液中のグリアジン分子やその凝集体についての構造解析が可能となった.そこで,筆者らは,純水中に抽出されたグリアジンの水溶液および水和凝集体について,0.025~70%という広い濃度範囲にわたってSAXS測定を行い,濃度変化に伴うナノスケールにおける凝集構造の変化を追跡した(10)10) N. Sato, A. Matsumiya, Y. Higashino, S. Funaki, Y. Kitao, Y. Oba, R. Inoue, F. Arisaka, M. Sugiyama & R. Urade: J. Agric. Food Sci., 63, 8715 (2015).図6図6■濃度の異なるグリアジン水溶液(a)または水和凝集体(b)のSAXS測定結果).

図6a図6■濃度の異なるグリアジン水溶液(a)または水和凝集体(b)のSAXS測定結果に濃度0.025~10%の水溶液中での測定結果を示す.粒子間干渉ピークの見られない0.5%以下の希薄濃度についてGuinier解析を試みたが,low-q領域に存在する立ち上がり成分のため,通常のGuinier近似は成立しなかった.そこで,別途行った超遠心分析の結果を考慮し,系中に複数のサイズ分布をもつ散乱体が存在するものとして,Iq)=A1 exp(−Rg12q2/3)+A2 exp(−Rg22q2/3)+A3 exp(−Rg32q2/3)の式による多成分Guinier解析を行ったところ,この濃度域において大部分のグリアジン分子が孤立したモノマーになっており,一部がダイマーやオリゴマーとして存在していると考えることで散乱関数をうまく説明できることがわかった(図7a図7■濃度変化に伴うグリアジン凝集状態の変化の模式図).また,式(5)に基づく断面Guinier解析を行ったところ近似が成立し,グリアジン分子が長さ11~19 nm程度の棒状であることが判明した.一方,濃度1~10%の高濃度水溶液においては,0.1~0.2 nm−1付近に粒子間干渉に伴うピークが出現しており,水溶液中において形成されたグリアジン凝集ドメインが近接し干渉を生じることがわかった(図7b図7■濃度変化に伴うグリアジン凝集状態の変化の模式図).

これに対し,グリアジンがペースト状態の水和凝集体となる濃度15%以上での結果を図6b図6■濃度の異なるグリアジン水溶液(a)または水和凝集体(b)のSAXS測定結果に示す.ペースト状態である15%の散乱関数は,溶液状態である10%の散乱関数と大きく相違しない.このことは,水溶液と水和凝集体とで物性が異なるにもかかわらず,ナノ構造がほぼ同等であることを示しており興味深い.さらに濃度が上昇するとlow-q領域での立ち上がりが成長するとともに,0.13 nm−1付近の粒子間干渉ピークが消失し0.3~1.0 nm−1のブロードなピークが見られるようになる.low-q領域の立ち上がりは濃度上昇とともにグリアジンの凝集ドメインが融合し大きな凝集体へと遷移していくことを示している.また,ブロードなピークの存在から,グリアジン凝集体内部に凝集状態の粗密による密度揺らぎが存在することが明らかとなった(図7c図7■濃度変化に伴うグリアジン凝集状態の変化の模式図).このように,小角散乱法は,希薄水溶液中の孤立した分子から流動性が消失した濃厚な凝集体に至るまでの広範な濃度変化に基づく分子自体の形状やサイズから会合過程や凝集構造といった階層的な構造の解明を行うことが可能あり食品構成分子の構造解明の手法として有力な手法であることが実証された.

図6■濃度の異なるグリアジン水溶液(a)または水和凝集体(b)のSAXS測定結果

Reprinted with permission from ref. (10). Copyright (2015) American Chemical Society.

図7■濃度変化に伴うグリアジン凝集状態の変化の模式図

(a)希薄水溶液中において孤立して存在するグリアジンモノマー.一部は会合してダイマーまたはオリゴマーを形成する.(b)凝集したグリアジンがドメインを形成し,相互に干渉する距離に近接する.(c)内部に粗密を有する大きな凝集構造を形成する.

コムギ粉生地への食塩の添加は,生地の抗張力と伸展性を増加させる効果がありパンやうどんの製造に欠かせない.このうち伸展性は主にグリアジンから発する物性であり(11)11) B. S. Khatkar, S. Barak & D. Mudgil: Int. J. Biol. Macromol., 53, 38 (2013).,食塩による伸展性の変化はグリアジンに起因すると考えられる.筆者らはグリアジン凝集体の微細構造に対するグリアジン濃度や食塩添加量が及ぼす影響をSAXSおよびUSAXSにより解析した.その結果,食塩無添加で観察されたグリアジンの数ナノメートルのドメインが食塩の添加により寄り集まりその濃度に依存して,2~1,000 nmに対応する広い空間スケールにわたって,階層的な構造変化が誘起されていることを明らかにしている(論文投稿準備中).

3. SANSによるグルテンの構造解析

本稿ではSAXSによるコムギタンパク質の構造解析の研究について紹介したが,最後にSANSによるグルテンの構造解析の展開について簡単に述べたい.SANSで用いられる中性子は散乱能が原子核の種類によって異なり,特に同位体である軽水素H(散乱長−3.7 fm)と重水素D(散乱長+6.7 fm)で大きく異なることから,HをDに置換することで化学的性質を保ちつつ分子の中性子散乱能を大きく変えることができる.溶媒でも同様でありH溶媒とD溶媒の混合比を適切に調整することで溶媒の散乱能を自由に制御することができる.溶液中の溶質分子の散乱強度は溶媒と溶質の散乱能の差(コントラスト)の2乗で与えられるので,溶媒散乱能を調整して2成分系の片方の成分分子の散乱能と一致させた場合,この成分分子による散乱は消え,他方の成分分子のみの散乱が観測される.コントラスト変調法と呼ばれるこの手法を用いると,グリアジンとグルテニンの複合体によって形成されるグルテンについて,一方のタンパク質を重水素化しSANS測定を行うことによって,グルテンを形成した状態におけるグリアジンのみ(またはグルテニンのみ)の構造を評価するということも可能となる.現在,グルテンのSANS測定に向けて,重水素化試料の調製を進めている.

おわりに

本稿では,グリアジンの純水中への抽出法と,それによって得られたグリアジンの水溶液および水和凝集体に対する小角散乱法による構造解析の結果について簡単に紹介した.現在,食塩添加や温度変化などによる構造変化について,さらに詳細な小角散乱法による構造解析を進めている.多様な状態の物質に対して構造解析を行うことが可能な小角散乱法の特長を活かして,今後,コムギタンパク質以外の食品材料に対しても適用を進め,小角散乱法が食品構造解析の標準的な手法として確立されるよう研究の進展を図りたい.

Reference

1) O. Glatter & O. Kratky: “Small Angle X-ray Scattering,” Academic Press, 1982.

2) 松岡秀樹:日本結晶学会誌,41, 213 (1999).

3) 雨宮慶幸,篠原佑也:放射光,19, 338 (2006).

4) 杉山正明:中性子小角散乱の基礎I. 基礎,分散系,バイオマター,http://shibayama.issp.u-tokyo.ac.jp/BioSoftDownload/file/1_SugiyamaLecture.pdf, 2009.

5) P. R. Shewry, J. A. Jenkins, R. D’Ovidio & F. Békés: “WHEAT: Chemistry and Technology: 4,” ed. by P. R. Shewry, Academic Press, 2009, p. 223.

6) T. B. Osborne & S. H. Clapp: Am. J. Physiol., 20, 477 (1908).

7) N. Matsushima, G. Danno, N. Sasaki & Y. Izumi: Biochem. Biophys. Res. Commun., 186, 1057 (1992).

8) N. H. Thomson, M. J. Miles, Y. Popineau, J. Harries, P. Shewry & A. S. Tatham: Biochim. Biophys. Acta, 1430, 359 (1999).

9) T. Ukai, Y. Matsumura & R. Urade: J. Agric. Food Sci., 56, 1122 (2008).

10) N. Sato, A. Matsumiya, Y. Higashino, S. Funaki, Y. Kitao, Y. Oba, R. Inoue, F. Arisaka, M. Sugiyama & R. Urade: J. Agric. Food Sci., 63, 8715 (2015).

11) B. S. Khatkar, S. Barak & D. Mudgil: Int. J. Biol. Macromol., 53, 38 (2013).