Kagaku to Seibutsu 55(4): 285-289 (2017)
バイオサイエンススコープ
行政施策と科学研究の連携食の安全における科学の役割
Published: 2017-03-20
© 2017 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2017 公益社団法人日本農芸化学会
農林水産省消費・安全局は,食料の安定供給と農業の持続的発展という農林水産省の基本的なミッションのうち,食品安全,農業生産資材の適正使用,病害虫防除,動植物検疫,食品表示など,農産物や食品の生産・流通を調整し規制する施策と,消費者や産業と農政の間の相互の理解を深めるためのリスクコミュニケーションなどの施策を担当する部局です.
動植物病害の蔓延防止や食品安全に関する規制などの行政措置は,国際的にはWTO/SPS協定により,各国内の農業生産の持続的発展と国民の健康保護のため,各国政府に行使が認められている権限です.一方,食品流通のグローバリゼーションや農業の大規模化が進む中,国際流通を過度に阻害しない観点から,食品,動物衛生,植物検疫の各分野に関する専門の政府間機関により,各国が参照すべき技術的標準が設定されており,各国の措置についても,これらの機関の策定する国際的な規範・基準に即することや,各国が独自の基準などを定める場合に科学的な根拠に基づくことが求められます.
国内の食料需給においては,国内の消費者が安全な食料を持続的に受け取ることができるよう,規格に適合する農業生産資材の適正な利用や,農産物の生産・流通方法を安全性や品質の面から適正化する施策を講じています.これらの施策についても,消費者の健康などの基本的な利益が確保されることと,生産者,事業者が効率的かつ持続的に対応できることとの間で,調整が必要な施策であり,厚生労働省における食品衛生法などの実施とも連携しつつ,適切な規制の水準や合理的な生産技術に関するガイドラインなどを企画し,利害関係者と調整し,策定することが求められます.
このような所掌施策の性格から,消費・安全局各課の施策の企画立案,実施においては,最新の科学的知見を適用することを重視しており,職員を対象とした,科学に基づく行政施策を進めるにあたって必要となる知識の研修,セミナーなどによる人材育成とともに,外部の科学者,研究者との良好な関係の構築について,常日頃から問題意識をもって取り組んでいます.
食品安全技術室では,消費・安全局各課がその施策の企画・立案・実施のため,必要とする研究課題を取りまとめ,これらの課題に充当するための研究予算の確保と執行を担当しています.今回,当誌に一定の紙幅をいただけたことから,この機会に読者の皆様方に,農林水産省における研究と行政の連携の基本的な考え方をご紹介するとともに,研究成果を行政施策へ円滑に活用していく観点からのプロセスや,充実,強化のための課題について述べさせていただきます.
消費・安全局は,平成15年,伝統的な農政分野である生産振興部局から分離独立し,国民の健康保護を最も重要な視点としつつ,農業・食品供給の持続性確保のため,農林水産物,食品の生産流通に対して,規制的,調整的に関与する,資材規制や検疫などの施策を担当する内部部局です.
当局においては,たとえば,科学に基づく国境措置を原則としているWHO/SPS協定の下,国際的な規範・基準を策定するコーデックス委員会などの議論に参画するとき,2国間での輸出入条件をめぐる検疫協議に対応するとき,国内対策を検討するため,食品安全委員会に農業生産資材の利用に係るリスク評価を要請するとき,現場に適用可能な実施規範を策定するときなど,所管施策のさまざまな過程において,必要な科学的事実を収集し,活用しています(図1図1■農林水産省におけるリスク管理とレギュラトリーサイエンスの関係(食品安全分野)).
このため,これらの情報源となる科学研究の動向は,所掌する各種の施策の執行と密接に関係し,さらには,こうした施策検討に適用するため不足する科学的知見を補うため,当局の職員自ら,研究者の会議などにも積極的に参画し,追加的な調査や研究を企画・発注することも重要となります.
これまでの農政と農業系の試験研究の仕事との関係性を大まかに俯瞰すると,生産振興部局において,新品種や高性能機械の開発,作物の有用遺伝子の特定といった研究を奨励することを通じて,農作物生産に関する「発明」や「発見」を求め将来の施策の有効なツールとしていくような取組と,当局のように規制や調整を担当する部局において,既知の病害虫や重金属などの危害要因を低減させるための生産方法などを検討するうえで,必要な「科学的知見」を取得するための研究を要請する取組,の2つに大別されると思います.
たとえば,難防除病害虫に対する「新薬の創出」などは,どちらかと言えば,前者の「発明」・「発見」に属する研究ではと考える読者の方もあるかもしれません.しかしながら,画期的な発明がなされ,振興ツールとして期待される「新薬のシーズ」を実用化するためには,農薬ないしは動物用医薬品として,規制部局である当局の審査や適正使用基準の設定を経る必要があります.
たとえば,農薬登録の審査においては,申請された薬剤を評価するための規格基準や評価のため定められた試験方法がありますが,新たな種類の薬が申請される,新たな環境影響が指摘されるといった社会の情勢変化に応じて,その審査や評価の体系を見直す必要があり,そこに試験研究への需要が生まれます.
わが国の科学研究においては,画期的な発明・発見をねらうチャレンジングな研究については,独創性・新規性のあるものとして社会的な注目が集まり,研究としての評価も高いものとなる傾向にあると言われています.他方,規制・調整的な局面へ適用する科学については,行政当局と連携して,その発注に従い「科学的知見」を補充するような地道な研究が重要なのですが,こうした研究については,相対的に研究者の間での評価が得られづらいと言われています.
科学研究の分野において,こうした行政と連携して規制・調整的な局面に適用される研究領域については,1980年代から「レギュラトリーサイエンス」の呼称が薬事行政の分野で使用されるようになったとされます(1)1) 桐野 豊:日薬理誌 (Folia Pharmacol. Jpn.), 139, 215 (2012)..その後,科学技術政策全般や食品安全の分野において,レギュラトリーサイエンスの考え方を拡大して適用する動きがあり,平成23年の第4期科学技術基本計画(2)2) 内閣府:第4期科学技術基本計画(平成23年8月19日),http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/4honbun.pdfや,日本学術会議の提言(3)3) 日本学術会議:提言 わが国に望まれる食品安全のためのレギュラトリーサイエンス(平成23年9月28日),http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-t130-10.pdfでは,表に示すような定義を置いています(表1表1■日本におけるレギュラトリーサイエンスの定義例).
消費・安全局においては,局の発足時から,局の所掌するリスク管理型の施策に科学的根拠や技術を提供するための研究を実施してきました.平成22年度からは,「レギュラトリーサイエンス」の考え方を,所掌する食品安全,動物衛生,植物検疫などの施策分野において適用することとし,この分野の研究に対応するための予算措置を開始しました.この予算の実施状況,成果については,HPに公開しておりますので,参照いただければ幸いです(4)4) 農林水産省:レギュラトリーサイエンスに属する研究の実施,http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/regulatory_science/161128_5.html.
平成27年6月には,より具体的に,当省におけるレギュラトリーサイエンスの基本的考え方,行政・研究に求められる態度や,農林水産省が必要としている具体的な研究課題を盛り込んだ「レギュラトリーサイエンス研究推進計画」(以下「推進計画」とします)を消費・安全局と農林水産技術会議事務局の両局長連名通知として策定し,広く研究機関,関係学会,事業者団体などに向けて公表しています(5)5) 農林水産省:レギュラトリーサイエンス研究推進計画,http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/regulatory_science/#rsplan.
推進計画は,当省における「レギュラトリーサイエンス」を充実・強化するため,基本的な考え方,関連研究を推進する取組の状況と課題,今後の取組方針を規定するとともに,農林水産省が必要とする具体的な研究課題を別表として整理し,公表するものです.
基本的な考え方においては,あらためて,レギュラトリーサイエンスの意味に関する記述を置いていますが,特にその構成要素として,①行政施策・措置の検討・判断に利用できる科学的知見を得るための研究(regulatory research)と②科学的知見に基づいて施策を決定する行政(regulatory affairs)の2つがあることを明示しています.すなわち,本計画で対象とし,充実・強化を企図しているレギュラトリーサイエンスが,行政と研究の連携の上に成り立つ「科学」であるとし,科学的関心により,研究者が主体的に企画する基礎研究等とは異なるものであることを明確にしています.
次に,レギュラトリーサイエンスに属する研究を特徴づける諸点として,
を挙げています.
これらの特徴のうち,研究の企画・立案や進行管理のイニシアティヴが行政側にあることにより,研究者として自己の学術的なテーマに沿った研究活動に支障の生じることを懸念する向きがあるかもしれません.このようなジレンマは,近年増加している成果重視型,大型の科学技術予算にも同様に存在すると思うのですが,それらとの相違として,ことレギュラトリーサイエンスについては,研究計画の出口となる科学的知見が施策の決定要因となるように,行政により設計され,研究成果が社会に貢献する蓋然性の高いものといえると考えます.「予算を取るまでが官僚の仕事」といった研究者からみたステレオタイプの行政官僚観を一旦停止し,行政官と研究の中身の話をすること,他方,行政側では,所管する分野における,研究の現状や有意な結果を出すための試験設計に関する知識を身につけ,対等な議論ができるようにしていくことを通じ,徐々に関係者の認識が深まっていくことを期待しているところです.
研究推進のこれまでの取組については,前段で述べたとおりですが,今後の課題として,①省の所管する研究開発法人(以下「所管法人」)のみならず,大学,民間なども含めた幅広い研究の展開,②行政措置等に研究成果が活用されることへの適正な評価の拡大,③食品安全,動植物検疫以外の分野でも行政の必要とする研究を発信すること,を挙げました.これらの課題に対応して,
に順次取り組むこととしています.これらの方針のうち,別表の更新や所管法人などとの情報交換については,すでに計画策定後一年間のサイクルを経過する中で,取組を始めているところです.今後は,消費・安全局によるレギュラトリーサイエンスの推進に顕著な功績のあった研究者の表彰などに取り組むこととしており,さらなる取組の活性化を図っていくこととしています.
次に,具体的な研究ニーズを掲載する推進計画別表ですが,本推進計画では,研究資金の公募課題の扱いとは切り離し,平時から行政部局の研究へのニーズを公開しておく仕組みとしました(表2表2■農林水産省が必要としている研究(抜粋)).これは,今後の課題として挙げた,農林水産省の所管する研究開発法人のみならず,大学,民間などの中にも,行政に貢献する研究を指向する研究者を増やしたいという意図によるものです.独自の研究において,合致する研究シーズや成果をお持ちの場合は,随時,情報提供をいただけると幸いです.
危害要因 | 対象品目 | フードチェーンの段階 | 研究 |
---|---|---|---|
ヒ素 | 農産物 | 生産 | コメ中のヒ素濃度低減のための技術開発 |
アクリルアミド | 農産物 | 生産・製造 | 農産物中のアクリルアミド前駆体の濃度の低減 |
加工調理食品 | 加工・製造・調理 | 食品中でアクリルアミド濃度が低下するメカニズムの解明 | |
かび毒 | 農産物 | 貯蔵 | 米等の穀類の真菌汚染及びかび毒汚染の防止・低減に必要な技術開発 |
生産・加工・製造・調理 | 麦類のDON, NIV等のかび毒汚染低減に向けた技術開発 | ||
多環芳香族炭化水素 | 加工・調理食品 | 加工・製造・調理 | 燻煙食品,炭火調理食品中のPAH低減技術開発 |
フラン | 加工・調理食品 | 加工・製造・調理 | 食品中のフラン濃度低減に資する研究 |
食品安全分野:有害化学物質に関する課題 |
最後に,先に紹介した予算事業の実施においては,たとえば,食品の加熱工程で生成し健康への悪影響が懸念されている「アクリルアミド」の「調理工程における生成量の低減」といった課題ごと,研究と行政部局の担当者が入った運営チームを設置し,研究で得られる知見の整理と,研究成果を踏まえた行政による技術的な指針の策定を一体的に進めるようにしています.このような研究事業の執行も,この分野の特徴といえると思います(図2図2■行政課題に対応する研究事業の実施(例))(表3表3■生産者や食品事業者向けの指針等(例)).
農業・食品の研究は,従来から,現場からの評価が得られることを旨として,その長期的なテーマと対応する組織体制や方法論が構築され,実学として,現場の生産性や付加価値向上において成果が適用されることで,その価値が認められてきました.今後,大規模かつ多様な農業経営が育成される場面においては,生産品目,販売戦略,技術は,多様化・個別化しますので,生産性や付加価値の面では,広範な利用者へ一律の技術を提供する開発・普及モデルは難しくなります.一方,安全な農産物・食品の安定供給のための諸研究課題については,公共政策として農業の持続性を支える共通基盤領域,特に公的な研究機関にとっては,腰を据えて取り組むべき領域の一つと考えられます.研究領域としての重要性が,社会に認知されていくためには,これまで述べたような視点で,レギュラトリーサイエンスの考え方について,関係者(特に行政と研究の間)の共通認識を醸成しつつ,研究成果が実際に食品の安全性を高め,国際的な議論をリードし,消費者の疑問に的確に応えるという,社会貢献のサイクルを継続する必要があります(表3表3■生産者や食品事業者向けの指針等(例)).
科学に基づく行政と,その行政を支える研究活動が,緊密な連携の下で各々の役割を十分発揮できるよう,行政内部での科学や研究に係る知識の習得とともに,研究機関や関係学会とのより綿密な意見交換や研究予算の企画と実施に取り組んでいきたいと思います.
Reference
1) 桐野 豊:日薬理誌 (Folia Pharmacol. Jpn.), 139, 215 (2012).
2) 内閣府:第4期科学技術基本計画(平成23年8月19日),http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/4honbun.pdf
3) 日本学術会議:提言 わが国に望まれる食品安全のためのレギュラトリーサイエンス(平成23年9月28日),http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-t130-10.pdf
4) 農林水産省:レギュラトリーサイエンスに属する研究の実施,http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/regulatory_science/161128_5.html
5) 農林水産省:レギュラトリーサイエンス研究推進計画,http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/regulatory_science/#rsplan